「ベランダの小さな花」

 さくらハウスのベランダに、小さな変化が訪れたのは、初夏のある日のことだった。小鳥遊詩音が、何気なく置いた鉢植えの花が、ひっそりと咲き始めていたのだ。


 その日の朝、詩音はいつものように大きめのTシャツとショートパンツ姿で、ベランダに洗濯物を干しに出た。髪は無造作にまとめられ、素顔には寝起きの柔らかさが残っている。そんな彼女の目に、小さな花が飛び込んできた。


「あれ? これ、咲いてる?」


 詩音は驚いて鉢植えを覗き込んだ。確かに、小さな白い花が一輪、可憐に咲いていた。


「ねえ、みんな! 見て見て!」


 詩音の声に、月城にこと鷹宮澪が顔を上げた。


「どうしたの、詩音?」


 にこが優雅な足取りでベランダに出てきた。彼女は既に完璧なメイクを施し、シルクのルームウェアに身を包んでいる。首元からは、ほんのりと柑橘系の香りが漂う。


「この花、咲いたんだよ!」


 詩音が興奮気味に言う。


「まあ、本当ね」


 にこも鉢植えを覗き込んだ。


「どれどれ」


 澪も加わった。彼女はまだパジャマ姿だが、髪はきちんとまとめられている。顔にはナイトクリームの潤いが残り、素肌の美しさが際立っている。


「へえ、可愛いわね」


 澪が微笑んだ。


「これ、詩音が植えたの?」


 にこが尋ねる。


「うん、でも正直、忘れてた」


 詩音が少し照れくさそうに答えた。


「植物って、手をかけなくても育つのね」


 澪が感心したように言う。


「でも、これからはちゃんと世話をした方がいいわよ」


 にこがアドバイスする。


 その日から、三人は毎日のように鉢植えの花を観察するようになった。朝は水やりを、夕方は成長具合をチェックする。それは、彼女たちの新しい日課となった。


「ねえ、この花の名前って何かしら?」


 ある日、にこが尋ねた。彼女は今日も完璧な姿で、淡いピンクのブラウスにホワイトデニムを合わせている。首元のパールネックレスが、朝日に輝いている。


「えっと、確か……」


 詩音は記憶を探るように目を閉じた。


「マーガレットだったかな」


「そう、マーガレットね」


 澪が頷いた。彼女はジョギングから帰ってきたところで、スポーツウェア姿だ。額には汗が光り、健康的な輝きを放っている。


「マーガレットには、『真実の愛』という花言葉があるのよ」


 にこが教えてくれた。


「へえ、素敵な意味だね」


 詩音が目を輝かせる。


「そうね。この小さな花に、そんな深い意味が込められているなんて」


 澪も感心したように言った。


 日が経つにつれ、マーガレットは次々と花を咲かせていった。三人は、その成長を見守りながら、それぞれの植物との関わり方を語り合った。


「私ね、昔は植物を育てるのが苦手だったの」


 にこが告白した。


「へえ、意外」


 詩音が驚いた様子で言う。


「そう。でも、美容にいい植物を知ってから、少しずつ興味を持ち始めたわ」


 にこは、自分の肌に触れながら言った。彼女の肌は、まるで花びらのように滑らかで艶やかだ。


「私は、実家の庭いじりが好きだったな」


 澪が懐かしそうに言う。


「毎週末、母と一緒に庭の手入れをしてたの。今でも、土の匂いを嗅ぐと落ち着くわ」


「いいな、そういう思い出」


 詩音が羨ましそうに言った。


「私は、正直あまり植物には興味なかったんだ。でも、この花を見てると、なんだか癒されるよ」


 詩音は、優しく花に触れた。


 そんな会話を重ねる中、マーガレットはどんどん大きくなっていった。やがて、鉢植え全体が白い花で覆われるほどになった。


「わあ、すごい」


 ある朝、詩音が驚きの声を上げた。


「本当ね。まるで小さな花畑みたい」


 にこが感動したように言う。


「ねえ、これは祝うべきじゃない?」


 澪が提案した。


 三人は顔を見合わせ、にっこりと笑った。


「そうね。小さなお祝いをしましょう」


 にこが賛成する。


「うん、いいね!」


 詩音も嬉しそうに頷いた。


 その日の夕方、三人はベランダでささやかなお祝いを開いた。にこが淹れた特製のハーブティー、澪が用意したチーズとクラッカー、そして詩音が描いたマーガレットのスケッチ。それぞれが、自分なりの方法でこの瞬間を祝福した。


「乾杯」


 三人でティーカップを合わせる。


「この花のように、私たちも美しく咲き誇りましょう」


 にこが優雅に言った。


「そうだね。でも、時には休息も必要だよ」


 詩音が付け加えた。


「そして、お互いを大切に育て合っていきましょう」


 澪が締めくくった。


 夕暮れの柔らかな光の中、マーガレットは静かに揺れている。その姿に、三人は生命の神秘と美しさを感じていた。


「ねえ、この花を育てて、私たち少し変わった気がしない?」


 詩音が不意に言った。


「そうね。毎日小さな変化に気づくようになったわ」


 にこが同意する。


「それに、お互いのことも、より深く理解できるようになった気がする」


 澪も頷いた。


 三人は、この小さな花を通して、日々の変化に気づくことの大切さを学んでいた。それは、忙しい日常の中で見逃しがちな、小さな幸せや成長の瞬間を大切にする心を育てていったのだ。


「これからも、この花と一緒に成長していきたいな」


 詩音が優しく花に触れながら言った。


「そうね。この小さな命が教えてくれたことを、大切にしていきましょう」


 にこが穏やかな表情で答えた。


「うん。日々の小さな変化に気づき、感謝する心を忘れずにいよう」


 澪が力強く言った。


 ベランダの小さな花は、さくらハウスの三人に、生命の尊さと日常の中にある小さな幸せの大切さを教えてくれた。それは、彼女たちの心に深く根付き、これからの人生を豊かにしていく貴重な経験となったのだった。


(了)

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