「冷蔵庫整理の攻防」
さくらハウスのキッチンに、不穏な空気が漂っていた。冷蔵庫から発せられる微かな異臭が、三人の女性たちの鼻をついた。
「ねえ、この匂い……やばくない?」
小鳥遊詩音が、鼻に指を当てながら言った。彼女は今日も特徴的な格好だ。オーバーサイズの白いTシャツにデニムのショートパンツ。一見シンプルな組み合わせだが、Tシャツには彼女自身がデザインしたポップアートが大胆にプリントされている。首元にはチョーカー代わりにペンダントヘッドのイヤホンを巻きつけ、音楽を聴きながら創作活動ができるようにしていた。
「本当ね。もう我慢の限界だわ」
月城にこが眉をひそめながら応じる。彼女は今日も完璧な装いだ。ペールピンクのブラウスに、ハイウエストの白いワイドパンツを合わせ、首元にはパールのネックレスをあしらっている。メイクは自然なヌーディールック。アイシャドウはベージュのグラデーションで、唇は柔らかなローズピンクのリップグロスで艶やかに仕上げていた。
「大掃除、しないとダメかもね」
鷹宮澪が冷蔵庫を開けながら言った。彼女はいつもの仕事モードから解放され、リラックスした姿だ。グレーのスウェットパンツに、同系色のゆったりとしたパーカー。髪はポニーテールにまとめられ、顔にはナチュラルなスキンケアのみ。ほんのりと血色の良い素肌が、彼女の健康的な美しさを引き立てている。
冷蔵庫のドアを開けると、異臭の正体が明らかになった。野菜室の奥に放置されていた小松菜が、見るも無残な姿で横たわっていたのだ。
「うわ……これ、いつのだろう」
詩音が顔をしかめながら言う。
「私が買ったやつかも。ごめん、すっかり忘れてた」
澪が申し訳なさそうに言った。
「もう、しょうがないわね。さあ、みんなで片付けましょう」
にこが率先して冷蔵庫の中身を出し始めた。
冷蔵庫の中身が次々と取り出されていく。上段には、にこの厳選されたオーガニック食材が並んでいた。有機栽培のルッコラ、ケールなどのスーパーフードが、専用の保存袋に入れられている。その隣には、澪の計画的な食生活を物語る食材が。作り置きのヘルシーなサラダチキン、プロテインドリンク、そして低脂肪乳が整然と並べられていた。
中段になると、詩音の気まぐれな食生活が如実に現れる。半分飲みかけのボトルワイン、コンビニで買ったと思われるカップ麺、そして謎の調味料の数々。にこはそれらを見て、少し眉をひそめた。
「詩音、この調味料、全部必要なの?」
「うん、たぶん……いつか使うと思って」
詩音が曖昧に答える。
下段の野菜室では、先ほどの小松菜以外にも、いくつかの野菜が限界を迎えていた。にんじん、大根、そして玉ねぎ。それぞれが、少しずつ萎れていく過程を見せていた。
「もう、こんなになるまで放っておくなんて……」
にこが嘆息する。
「野菜の鮮度を保つコツは、適切な温度と湿度管理よ。これからは定期的にチェックしましょう」
澪が真剣な表情で言った。
「そうだね。でも、私たち忙しいから、なかなか難しいかも」
詩音が少し困ったように答える。
三人は冷蔵庫の中身を全て出し終え、キッチンのテーブルに並べた。そこには、それぞれの生活スタイルや価値観が如実に現れていた。
にこの並べた食材群は、まるでインスタグラム映えを狙ったような鮮やかさだ。有機野菜、スーパーフード、そして手作りのコールドプレスジュース。彼女の美への探求心が、食生活にも表れている。
「これ、おいしいのよ」
にこがコールドプレスジュースを指さす。
「ビタミンやミネラルが豊富で、美肌効果抜群なの」
澪の食材群は、アスリートのような計画性を感じさせる。タンパク質源、複合炭水化物、そして様々なサプリメント。全てが計算され尽くされているようだ。
「これ、新しく始めたプロテインなんだ。筋肉の回復が早くなるんだって」
澪が誇らしげに説明する。
一方、詩音の食材群は、まるで抽象画のようだった。様々な色彩の食材が、一見無秩序に並んでいる。しかし、よく見ると彼女なりの美学が感じられた。
「あ、これお気に入りなんだ」
詩音が、ちょっと変わった形のパスタを手に取る。
「料理するときのインスピレーションになるんだよね」
三人は、それぞれの食材を見ながら、自然と会話が弾んでいく。しかし、話題は次第に賞味期限切れの食品に移っていった。
「これ、いつの?」
にこがヨーグルトの容器を手に取る。賞味期限は三週間前を過ぎていた。
「あ、それ私の。ごめん、すっかり忘れてた」
詩音が申し訳なさそうに言う。
「もう、気をつけてよ。食中毒になったらどうするの」
にこが厳しい口調で言う。しかし、その目には優しさが滲んでいた。
「わかったよ。これからは気をつける」
詩音が素直に答える。
賞味期限切れの食品をめぐって、三人の意見が飛び交う。にこは厳格派で、期限を過ぎたものは即座に処分すべきだと主張。澪は柔軟派で、見た目や臭いで判断すべきだと言う。詩音は……あまり気にしない派だった。
「でも、これって本当に捨てなきゃダメなの?」
詩音が、賞味期限切れのジャムを手に取りながら言う。
「まだ全然大丈夫そうだけど」
「そうね、ジャムなら開封前なら大丈夫かもしれないわ」
にこが少し考えて答える。
「でも、開けたらすぐに使い切るのよ」
澪が付け加える。
「了解! 今度のトーストに使おっと」
詩音が嬉しそうに言った。
議論を重ねるうちに、三人の食生活や整理整頓の習慣の違いが浮き彫りになっていく。にこは完璧主義者で、冷蔵庫の中も美しく整頓されていることを好む。澪は効率重視で、必要最小限の食材を計画的に使用する。詩音は……まあ、適当だ。
「ねえ、これからのルールを決めない?」
澪が提案する。
「そうね。例えば、週に一度は一緒に冷蔵庫チェックをするとか」
にこが賛同する。
「あと、使いかけの食材は、わかりやすいところに置くとか」
詩音も意見を出す。
三人は頷き合い、新しい冷蔵庫の使用ルールを決めていった。そして、ようやく本格的な掃除に取り掛かる。
にこが専用のエコ洗剤を使って棚を丁寧に拭き、澪が食材の日付をチェックしながら整理し、詩音が新しい収納アイデアを出す。三人三様のアプローチが、奇跡的な調和を生み出していく。
掃除の最中、思わぬ発見があった。
「あれ、これ誰の?」
詩音が、冷蔵庫の奥から小さな紙袋を取り出した。
「私のよ」
にこが少し赤面しながら答えた。
「実は……サプライズで作ろうと思ってたの。みんなの誕生日ケーキ」
袋の中には、高級チョコレートとフルーツのコンフィチュールが入っていた。
「にこ……」
澪と詩音は、思わず顔を見合わせた。
「ごめんね、見つかっちゃって」
にこが申し訳なさそうに言う。
「いいよ、むしろ嬉しい」
澪が優しく微笑む。
「そうだよ! にこちゃんの気持ちが嬉しいな」
詩音も満面の笑みを浮かべた。
この小さな発見が、冷蔵庫掃除の雰囲気を一変させた。三人は、にこのサプライズ計画について話し合いながら、残りの作業を進めていく。
時間が経つにつれ、冷蔵庫は見違えるように綺麗になっていった。新鮮な食材が整然と並び、それぞれの棚には三人の名前が書かれたラベルが貼られた。
「完璧ね」
にこが満足気に言う。
「うん、すっきりした!」
詩音が元気よく答える。
「これで、もう無駄な食材を買うこともないね」
澪が付け加えた。
三人は、新しくなった冷蔵庫を見つめながら、達成感に浸っていた。そして、この経験を通じて、お互いの生活習慣や価値観をより深く理解し合えたことに気づいたのだった。
「ねえ、せっかくだし、これからみんなで料理でもしない?」
詩音が提案した。
「いいわね。私が考えていたケーキのレシピ、試してみましょう」
にこが嬉しそうに答える。
「僕も手伝うよ。せっかく整理した食材、有効活用しなきゃね」
澪も笑顔で同意した。
こうして、さくらハウスのキッチンは、三人の笑い声と料理の香りで満たされていった。冷蔵庫整理から始まったこの日の出来事は、彼女たちの絆をより一層深めるきっかけとなったのだった。
(了)
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