「三者三様な女子会の夜」

 東京の閑静な住宅街に佇む築50年の和洋折衷の一軒家、通称「さくらハウス」。その2階にある共用のベランダで、鷹宮澪は深々とため息をついていた。大手広告代理店に勤める彼女の肩には、いつも重圧がのしかかっている。


 この日の澪は、普段の几帳面な印象とは打って変わって、少しだらしない格好をしていた。ノーメイクで、艶のある黒髪を無造作にまとめ上げ、ゆったりとしたグレーのスウェットに身を包んでいる。そんな姿は、彼女の隠された一面を覗かせるようだった。


「はぁ……今日はもう、どうにもこうにも……」


 澪は呟きながら、リビングへと足を向けた。


 リビングでは、小鳥遊詩音がソファに寝そべり、タブレットで何かを描いていた。フリーランスのイラストレーターである彼女は、締め切りに追われる日々を送っている。しかし、その表情は驚くほど穏やかだ。


「あ、みおちゃん。お疲れ様~」


 詩音は澪に気づくと、ぱっと顔を上げた。彼女の茶色の巻き毛は、柔らかな印象を与えている。素顔にはほんのりと血色が感じられ、ナチュラルメイクが詩音の魅力を引き立てていた。


「ただいま……詩音は今日も仕事?」


「うん、ちょっとね。でも、もう少しで終わりそう」


 詩音は、着ていたオーバーサイズのニットを肩からずり落としながら答えた。その下には、淡いピンク色のキャミソールが覗いている。部屋着とは思えないほどお洒落な彼女の姿に、澪は少し羨ましさを覚えた。


「そっか。あのさ、今日はちょっと飲みたい気分なんだけど……」


 珍しく飲酒を求める澪に、詩音は目を丸くした。


「えっ! みおちゃんが飲みたいなんて珍しい! 私も付き合うよ!」


 詩音の目が輝いた。彼女は意外にも酒豪で、酔うと笑い上戸になることで知られている。


 そんな二人の会話を聞きつけ、月城にこが自室から顔を出した。


「あら、飲み会? 私も参加していい?」


 アパレルショップの店長を務めるにこは、今日も完璧なメイクと髪型で現れた。ベージュのワンピースに、さりげなくゴールドのアクセサリーを合わせている。その洗練された姿は、まるでファッション誌から抜け出してきたかのようだ。


「もちろん!」


 澪とにこが声を揃えて答えた。にこは酒を一切飲まないことで知られているが、そんな彼女の参加も、この女子会には欠かせない。


 三人はキッチンに集まり、それぞれの好みに合わせた飲み物を用意し始めた。澪はほどほどに楽しめるよう、アルコール度数の低いカクテルを選んだ。詩音は迷わずウイスキーのロックを。にこはノンアルコールのモクテルを作り始めた。


「はぁ……今日の仕事、本当に大変だったの」


 澪は一口飲むと、珍しく愚痴をこぼし始めた。普段は仕事熱心で、弱音を吐くことの少ない彼女だけに、二人は驚きながらも真剣に耳を傾けた。


「どんな感じだったの?」


 にこが優しく尋ねる。


「新しいクライアントとの初めての打ち合わせだったんだけど、こちらの提案を全然聞いてくれなくて……」


 澪の表情が曇る。詩音がそっと彼女の肩に手を置いた。


「そっか、大変だったね。でも、みおちゃんなら絶対に上手くいくはずだよ!」


 詩音の言葉に、澪は少し表情を和らげた。


「そうだね、明日はきっと違う展開になるわ」


 にこも励ましの言葉を添えた。


 話しているうちに、澪の頬が少し赤くなってきた。普段はお酒を控えめにする彼女だけに、その様子は珍しかった。


「あれ? みおちゃん、もしかして酔ってる?」


 詩音が心配そうに尋ねる。


「う、うん……ちょっとだけ」


 澪は照れくさそうに答えた。


 一方、詩音はすでにウイスキーを3杯目に突入していた。彼女の目つきが少しずつ変わってきている。


「ねぇねぇ、みんな聞いて! 実は私ね、密かに……」


 詩音が突然大きな声で話し始めた。にこは「あ、来た」と呟きながら、詩音の様子を見守っている。


「密かに何?」


 澪が興味深そうに尋ねた。


「密かに、後輩のイラストレーターくんのことが……好きなの!」


 詩音の告白に、澪とにこは驚きの表情を浮かべた。


「えっ! 詩音が誰かを好きになるなんて珍しい!」


 澪が声を上げる。


「どんな人なの?」


 にこが詳しく聞こうとした瞬間、1階から声が聞こえてきた。


「みなさ~ん、夜食を持ってきましたよ~」


 大家の桜井ミチおばあちゃんが、手作りのおにぎりを持って現れた。


「あら、みんなで飲んでいるの? 私も少し付き合わせてもらおうかしら」


 ミチおばあちゃんは、昔話が大好きで、時々思わぬアドバイスをくれる存在だ。彼女の参加で、女子会の雰囲気はさらに和やかになった。


 夜が更けていく中、四人の会話は尽きることを知らなかった。それぞれの悩みや喜び、そして秘密が、少しずつ明かされていく。


 やがて、詩音は完全に酔いつぶれ、ソファで眠りについた。澪とにこは、彼女の告白をどう扱うべきか、小声で相談し始めた。


「どうする? 明日、詩音に言う?」


 澪が不安そうに尋ねる。


「うーん、でも詩音が覚えていないかもしれないわね」


 にこが答える。


「そうね……でも、詩音の気持ちを応援したいな」


 澪がつぶやいた。


 二人は、朝になってから詩音の様子を見て決めることにした。ミチおばあちゃんは、若かりし頃の恋愛話に花を咲かせながら、三人を温かく見守っている。


 こうして、さくらハウスの静かな夜は更けていった。三人三様の個性が織りなす、穏やかでちょっぴり賑やかな女子会の夜。それは、彼女たちの絆をより一層深めるきっかけとなったのだった。



 朝日が差し込むさくらハウスのリビング。ソファで丸くなって眠る詩音の姿が、朝の柔らかな光に包まれていた。


 キッチンでは、澪が静かにコーヒーを淹れていた。彼女は既にジョギングから帰ってきたところで、汗で濡れた前髪を掻き上げながら、深呼吸をしている。ランニングウェアは機能性と洗練さを兼ね備えたもので、ネイビーのタイトフィットなトップスに、グレーのレギンスを合わせていた。


「おはよう、澪」


 にこが現れた。彼女は既にメイクを済ませ、完璧な姿で一日をスタートさせようとしていた。柔らかな質感のベージュのブラウスに、ハイウエストの白いワイドパンツを合わせ、首元にはさりげなくスカーフを巻いている。


「おはよう、にこ。コーヒー飲む?」


「ええ、いただくわ」


 にこはカウンターに腰かけ、澪の淹れたコーヒーを受け取った。二人は無言でコーヒーを啜りながら、ソファで眠る詩音を見つめている。


「昨日の詩音の告白、どうする?」


 澪が小声で切り出した。


「そうね……正直に話した方がいいと思うわ」


 にこは慎重に言葉を選んだ。


 そのとき、詩音がゆっくりと目を覚ました。


「うぅ……頭痛い……」


 詩音は髪を掻き乱しながら起き上がった。彼女のメイクは昨晩のままで、アイラインがほんの少し落ちている。


「おはよう、詩音。大丈夫?」


 澪が優しく声をかけた。


「ん~……みおちゃん、にこちゃん、おはよう。ちょっと二日酔いかも……」


 詩音は頭を押さえながら答えた。


 にこは冷蔵庫から炭酸水を取り出し、レモンを絞って詩音に差し出した。


「これを飲んで。少しは楽になるわよ」


「ありがと……」


 詩音は感謝の言葉を述べながら、差し出された炭酸水を一気に飲み干した。


 澪とにこは目を合わせ、小さくうなずいた。


「ねえ、詩音。昨日の夜のこと、覚えてる?」


 澪が恐る恐る聞いた。


「え? 昨日の夜……?」


 詩音は首を傾げた。


「うん、あのね……後輩のイラストレーターくんのことが好きだって言ってたんだ」


 澪の言葉に、詩音の顔から血の気が引いていった。


「え……え? うそ……」


 詩音の声が震え始めた。


「私、そんなこと言っちゃったの? 本当に?」


 にこが優しく頷いた。


「ええ、でも大丈夫よ。私たちだけの秘密だから」


 しかし、詩音の動揺は収まらなかった。


「ああ……どうしよう、どうしよう!」


 詩音は両手で顔を覆い、体を小さく丸めた。


「私、なんてことを……もう会社にも行けない。引っ越さなきゃ。いっそ改名して……」


 パニックに陥った詩音の言葉が次々と飛び出す。


「詩音、落ち着いて」


 澪が詩音の隣に座り、そっと肩に手を置いた。


「大丈夫だよ。誰にも言わないから」


「そうよ、詩音」


 にこも詩音の前にしゃがみ込み、優しく語りかけた。


「恋をすることは恥ずかしいことじゃないわ。むしろ素敵なことよ」


 詩音は少しずつ顔を上げ、涙目で二人を見た。


「で、でも……私、どう接していいか分からなくて……」


「それは誰でも同じよ」


 にこが柔らかな笑顔で答えた。


「恋は初めてが一番難しいの。でも、一歩ずつ進んでいけばいいのよ」


「そうだね」


 澪も頷いた。


「無理に急ぐ必要はないんだ。今まで通り接していって、少しずつ距離を縮めていけばいいんじゃないかな」


 詩音は大きく深呼吸をした。


「……ありがとう、二人とも」


 彼女の表情が少しずつ和らいでいく。


「私、ちょっと落ち着いてきた。でも、まだ恥ずかしくて……」


「それなら、今日は家でゆっくりしていったら?」


 にこが提案した。


「そうだね。私たちが帰ってきたら、一緒にアイスクリーム食べようよ」


 澪が明るく言った。


 詩音は小さく頷いた。


「うん……そうする。ありがとう」


 三人は優しく微笑み合った。この朝の出来事は、彼女たちの絆をより一層深めるきっかけとなった。それぞれが抱える悩みや喜び、そして夢。それらを分かち合うことで、彼女たちはまた一歩、大人の女性への階段を上っていったのだった。


 そんな彼女たちの様子を、階下から聞いていたミチおばあちゃんは、にっこりと微笑んだ。


「若いっていいわねぇ。でも、恋はいつだって難しいものよ。きっと、あの子たちなりの答えを見つけていくんでしょうね」


 ミチおばあちゃんは、昔を思い出すように目を細めた。そして、三人のために朝食の準備を始めた。今日も、さくらハウスは温かな空気に包まれていた。

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