第3話 クソ教師
放課後の星海学園の二階廊下に、聞くに耐えない無惨な音が響き渡る。
顔を覆う指の隙間から怖いもの見たさで目を遣る雪斗の前で、その惨状は生まれていた。
「まったく! アンタって、教師はぁ! 今の、今まで! どこで! なに、してたのよっ!!」
ドガッ! バギャッ! ゴギッ! ズンッ! ボコォッ!……などなど。
およそ人体から発せられるとは思えない凄惨な効果音。
怒り心頭の紫髪の少女のストンピングが容赦なく恭介の背面へと降り注ぐ。
「人に! 仕事、押し付けて! 自分は、呑気に! 遊んでんじゃ! ないわよ!!」
「ま、待て……レーベッ……ふぐぅっ!?」
恭介の弁解の姿勢に、少女はあろうことか教師の頭を足蹴にして見下した。
「言い訳ならあの世でしなさい」
「ち、違……! そこの、雪斗」
「えっ、僕!?」
突然話題の矛先を向けられた雪斗が思いきり狼狽えた。
ジロリ、いやギロリと。少女からそれだけで人を殺せそうな眼力を向けられた雪斗は背筋が凍りつくのを感じた。
「そいつ……編入、生。俺……迎え、に」
「編入生……?」
少女の胡乱気な視線は、ガチガチに緊張して肩を強張らせる雪斗を頭のてっぺんから足の先まで眺めた。
「……もしかして。貴方が昨日、このバカ教師が言ってた編入生なの?」
「え、恭介さんなんか言ってたの?」
「ええ。それはもうウッキウキだったわよ」
恭介の背中から降りた少女は、生徒が教師を見る目とは思えないほど冷めきった、クズを見下す目で瀕死の恭介を睨みつけた。
「昨日の朝のホームルームでね。『いやあ〜、明日は編入生を迎えに行くっていう
少女の特徴を捉えたモノマネに、雪斗とクロは盛大なため息をついた。
「恭介さんさあ……」
《この男、ますます教師を仕事にした理由がわからぬな》
「挙句、『俺は明日に向けてやることあっから! レーベック、この資料代わりによろしくな!』って。あそこに置いてある資料全部丸投げしてきたのよ」
「《恭介さあ……》」
呼び捨てになった。
自分のクラスの生徒に自分の仕事を丸投げしたという事実が露呈した恭介に、主従の絶対零度の視線が突き刺さる。
クズを見る目が四つ増えた。
「と言うか、ごめんね。僕のせいで君が被害を受けちゃったみたいで」
「貴方のせいじゃないわよ。こういうの、今回が初めてじゃないし」
前科持ちだったことが判明し、主従の見下しがより酷くなった。
そんな雪斗に、乱れた衣服を整えた少女は咳払いをひとつ。
「結局、貴方が編入生ってことでいいのよね? クラスはもう決まってるの?」
「ああ、うん。一応二年一組……恭介さんのクラスになるって」
「そうなの! それなら私と同じクラスね!」
爽やかな笑顔を浮かべた少女は雪斗に右手を差し出した。
「私はレンジュ・レーベックよ。レンジュって呼んでくれていいわ」
「僕は楠木雪斗。僕のことも雪斗でいいよ」
「ええ。よろしくね、ユキト!」
遠慮がちに伸ばした雪斗の手を強引に握ったレンジュが楽しそうに笑った。
「うーし、早速ダチができたようでなによりだ。後見人として安心したぜ」
あれだけ足蹴にされていたにも関わらず、恭介はなんでもないようにあっさりと立ち直った。
「恭介さん復活早いね」
「お前の第一声が心配じゃなくなったことに俺は哀愁を感じるよ」
《自業自得だのう》
少なくとも雪斗の恭介に対する評価は、襲撃者を共同で撃退した時と比べて大きく損なわれている。
辛うじて残っている部分は、細かなメンタルケアへの感謝ゆえだった。
「恭介さん、この後は……」
「ああ、それだけどな。レーベック、後のことはお前に任した!」
「「《——は?》」」
雪斗、レンジュ、クロ。
全員揃って恭介の言葉に耳を疑った。
「いやさ、この後寮に案内する予定だったんだよな。そしたらちょうどレーベックがいるから、な?」
なにが「な?」なのか、雪斗にはまったくわからなかった。
「ほらあれだ。学寮って女子寮と男子寮別だけど、敷地は同じだろ? だったらレーベックに頼んだ方が良いだろ? 同じクラスだし」
「「《……はあ》」」
ある程度筋の通った意見ではあったが、発言者が恭介かつ、その瞳があまりにも『早く帰りたい』と澄んでいたために、雪斗たちはただただ呆れるしかなかった。
ゆえに、恭介が逃走の態勢に入っていたことに気づくのが遅れてしまった。
「んじゃあそういうことで!」
「「あっ……!」」
雪斗とレンジュが声を上げた瞬間、恭介は脱兎の如くその場から逃げ出した。
「後よろしくな〜!」
教え子に教え子を押し付けるという教師にあるまじき対応。いや、恭介に限っては今更ではあるのだが。
「んなあっ……!」
——ブチィッ! と。雪斗の横で明確に千切れた。
多分、堪忍袋の緒というやつが。
「バカ教師っ……! せめて押し付けた資料くらい確認してから行きなさいよ! バカーーーーーーッ!!」
顔を真っ赤にしたレンジュの魂の叫びが虚しく廊下にこだました。
◆◆◆
四月の夕刻はまだ肌寒く、六時を過ぎる頃にはもう辺りは暗くなっていた。
結論から言うと、雪斗を寮へ案内する役目はレンジュが請け負った。『ここで無視したら寝覚めが悪いじゃない』とは彼女の言葉。
生来の世話焼き気質なのか、或いは断るのが苦手なのか。
どちらにせよ、初日から路頭に迷わないで済むために雪斗は素直に好意に甘えることにした。
《とんでもなく広いのう。街灯からなにまで設備も充実しておる》
「当然よ。なにせ初等部から大学院まであるもの」
二人が歩くのは、星海学園高等部の
星海学園は初等部から大学院まで、大学の一部の学部を除いたすべての教育課程が一つの土地に集約されている。
そして、土地の中央には星海学園に所属する生徒、学生のみが入居可能な学生寮がある。
高等部は地図にして左下、目的地である学生寮は地図中央のため、雪斗たちは北東方面に広く伸びる
「ユキト、部屋番号とかはわかる?」
「さっき、
「そこまで気が回るなら最後まで責任持ちなさいよね、バカ教師」
二人して画面を覗きこむと、『三号棟 部屋番号627 鍵は管理人 荷物到着済』とあまりにも事務的な、必要最低限の情報のみが送られてきていた。
「……まあ、これだけあれば寝泊まりはできるわね」
寝泊まり、という表現がなんとも生存ギリギリで、雪斗は乾いた笑いを浮かべる以外なかった。
「にしてもあの男が後見人って……貴方も苦労するわね」
「本当だよ。年始に会った時はもっときちんとした人のイメージだったんだけどなあ」
雪斗が恭介と初めて顔を合わせたのは今年の三が日だ。
孤児院を訪ねてきた恭介は、当時の雪斗にはなんとも『頼れる大人』を感じさせた。
……実態は惨憺たるものだったが。
《あそこでは猫を被っていたのであろうな》
「「…………」」
《うむ? 二人して急に黙ってどうしたのじゃ?》
それを
「んん゙っ! ねえユキト。その子って“識神”よね? 貴方が契約してるの?」
「うん。名前はクロ」
「そう! よろしくね、クロちゃん!」
《そっ、その呼び方はそこはかとなく嫌じゃ!》
識神とは、簡単に言えば『
犬や鳥、狐など様々な動物を模した識神が存在し、珍しいものではカブトムシやキリン、メダカなどを模したりしている。
クロは言うまでもなく猫だ。
「じゃあクロって呼ぶわね。ユキトとクロはいつ契約したの?」
「いつっていうと……正式な契約は二週間前くらいかな?」
《そうなるのう》
「正式?」
含みのある言い方にレンジュが首を傾げた。
「クロはさ、元々は猫として孤児院に住み着いてたんだよ」
《いつからなのかは定かではないがのう》
雪斗が孤児院に引き取られた7歳の時、クロは既に孤児院に住み着いていた。
「記憶がないってこと?」
「らしいよ。クロ、気づいたら孤児院にいたんだって」
《特段、不便はしておらぬがな。あそこの者は皆、穏やかゆえ》
「記憶喪失の識神、ねえ」
記憶喪失の
「さて。ここを左に行ったら男子寮よ」
学内見取り図の正面で止まったレンジュが指差す先には、豆粒のような灯りが整然と並ぶ立派なアパート群。
その規模は団地と言って差し支えない。
「ごめんね。私も寮住みだし、逆方向になっちゃうから案内はここまでにさせて」
両手を合わせて申し訳なさそうに謝るレンジュだったが、雪斗からすれば十分過ぎる案内だった。
「ううん、凄く助かったよ。ありがとうレンジュ」
《褒めて遣わすぞ》
「クロは誰にでも態度がでかいのねー。はいこれ、私のLINNEアカウント。何かわからないことがあったら遠慮なく聞いてちょうだい」
恭介の下にレンジュのアカウントが追加されたのを確認した雪斗は、初めてできた同世代の知り合いに頬を綻ばせた。
「……うん。じゃあ何かあったら頼らせてもらうよ」
「どんときなさい! それじゃユキト、明日からよろしくね!」
「こちらこそ明日からよろしく、レンジュ」
ブンブンと元気に手を振りながら駆け足で女子寮方面へ向かうレンジュに、雪斗は胸元で控えめに手を振り返した。
《ふむ。同世代の友人ができたようでなによりじゃ》
「友人って呼んでいいのかは微妙だけどね。今回のって、恭介さんの尻拭いさせちゃったようなものだし」
《なに、後ろめたさがあるなら明日以降、
「うん。それもそうだね」
そもそもすべての元凶は恭介であり雪斗が後ろめたさを感じる必要はまったくないのだが。
《さて、早々に寮へ行くとしよう。雪斗、今日からお主は一国一城の主じゃ!》
「そう言われると、少しだけ楽しみになってきたよ」
◆◆◆
寮に案内された雪斗たちの目の前には、孤児院から送ったダンボール二箱。
それが中央に堂々と鎮座する何もない6.5畳の空間が広がっていた。
《一国一城、すっからかんだのう》
「ものの見事に何もないね」
寝るための布団一枚すらない惨状……というか綺麗さっぱりというか。
雪斗はたどたどしい手つきで携帯を触り、自分の保護者に電話をかけた。
『…………うぃー、もしもし。どーした雪斗ー? 寮の場所わかんねえのかー?』
「いや、寮にはレンジュのおかげで無事につけたよ。レンジュのおかげで」
レンジュの功績を強調する雪斗の耳は、電話越しにキュルルル、ガガガ、ピロロロロ……などなど聞きなれない電子音を拾った。
「ところで恭介さん、家具とかってどうなってるの?」
『あー、家具? それなら先週俺が申せ——』
「…………恭介さん?」
電話越しにも伝わる気まずい沈黙。
床に降りたクロは察したようにため息をついた。
『悪い雪斗、申請忘れてたわ!』
「…………お゙い゙」
雪斗自身、こんな声が出るのかと驚くほどのドスの効いた声だった。
『悪かったて! 明日ちゃんと申請しとくから……だからすまん! 今日は床で寝てくれ!!』
「はあ!? 自分が何言ってるのか分かってんですか!!?」
珍しく声を荒げる雪斗。
しかし、彼は知る由もない。電話の先にいる男がスロット……要するにギャンブルに夢中になっていることなど。
『悪い! いやこれは本当に俺が悪い! けど今ちょっとリーチかかって……よっしゃ継続ゥ!』
「ちょっ、さっきから何やってんですか恭介さん!? 僕の話聞いてます!?」
『聞こえてる聞こえてる! けど今ちょっと手ェ離せないんだわ! だから切るな、また明日学校でな! ちゃんと寝ろよ!!』
「あ、ちょっ……!」
ブツッ、と一方的に電話が切られる。
慌てて掛け直すも、一向に出る気配はなく。
「んのっ、恭介ぇ……!」
少し前のレンジュを彷彿とさせるような体の震えと衝動に身を任せ雪斗は全速力でベランダに飛び出し、叫んだ。
「覚えてろよっ、バカ教師ーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
学術都市、初日。
楠木雪斗、人生初の一人暮らしのスタートは。
硬い硬い床の感触にうなされる寝苦しい夜となった。
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