第7話

 シンハンが最も忙しそうにしている広場の場所に入ると、そこには村長が募集によって集まった村人に指示を出している姿が見える。

 気配を消して邪魔にならないように移動すると、今朝リンフェに魔獣の討伐依頼しに来た村長が、指示を出している。


「……内臓を引き出したら、いったん全部燻製小屋に持って行ってしまえ、野外に放置するより、あそこのほうが多少ましだろう」

「はい」

「それから内臓の改めはあっちの年配達がやるから、……中身は直視しない方がいい」

「……わかりました」


 ここまで志願してきた村人も、村長の指示を聞いて獣の内容物を頭に想像してしまい、怖気づいたのか顔を青くしている。

 村長は顔を青くした村人達に優しい声で指示を続ける。


「1人でやるわけじゃないから、慣れない作業なんだ難しい事はベテランが見本を見せてくれるさ」


 最後に微笑む村長に村人は今更辞退を言えず、指示された場所へ向かっていく姿をシンハンが目で追った。

 街ほどではないとはいえ、集落をまとめ上げる村長の職というのは、大変だろうとシンハンの頭を過りながら、周囲を見渡してぶつからない様に妻の基に向かおうとした。


 意図せずに村長と目が合った。ちょうど村長は指示を終えて忙しさに隙が出来た瞬間だった。そして村長は縮地と思うぐらいに素早くシンハンの前に回り込んだ。


「これはシンハンさん。先ほどは村人の怪我を直していただき、ありがとうございます。それでユイランさんの許に行かれたとか」

「ええ、ジィコさんの話を聞いて激しく動揺されていましたが、今は平静を取り戻しています」


 びっくりしたシンハンは、どうにか平静を装うように努め、事務的な会話に応じる。


「そうでしたか、今回の襲撃で村人に少なくない置いて行かれてしまった人が出てしまったのですが、特にユイランさんは他に兄弟のいない一子だけの赤ん坊がいる家庭なんですよ」

「そうですか……」


 村の商隊は隣町まで通商を行う村の公務だ。

 地獄に落ちても改心しない悪党や獣に襲われる事があるので、普通は子供を育て切った親や、子供のいない未婚の男性で構成される。

 ジィコは自分の商売の為に命がけで隣町まで向かう商隊に乗り込んだと聞いた。家族を養う商売には仕方が無い事と生前話していた事を思い出す。


「ユイランさんとレイファンさんには食べて生きていけるだけの手段が必要なんです。どうにかできませんかね」

「どうにかって……」


 シンハンは村長の言葉に海面に浮かぶ氷山のように上辺3割、下心7割を感じる。それはジィハンが育った後もこの村に定住させたい意図が含まれている。

 ――お前の両手は二本しかなく伸びるわけでもないんだから、助けを求める手を全部とれるわけないだろ。

 常日頃からリンフェに口酸っぱく言われているシンハンは、助けるべきではないんだろうと頭をよぎる、しかし、息子と遊ぶ可愛らしい赤子の姿を見て、情が移ってしまった自分がいた。


「妻と相談してみます」


 シンハンの渋々からでた言葉に、村長は口角を上げ脂ぎった粘着質な満面の笑みを見せると、何か危ないものを感じ取ったシンハンは無自覚に足が下がる。

 会話のペースに乗せられている。まだ何か飲まされそうだと焦って会話を切り上げる。


「すいませんが、妻にね、会いに行こうと急いでたんですよ」

「ああそうでしたか。呼び止めてしまってすいません」

「いえ」


 会話を切り上げて、まだ油断はできない。背後から視線を感じている。まだ話しかけられる危険性があると足早には立ち去ろうとしたその時だった。

 ちょうどそこにリンフェが来た。シルエットを赤黒く染め、白と黒の双眼だけが浮かび上がった一見して怪しい人間であるが、妻である。

 その右手には槍を持ち、血まみれの帯には魔物から奪い取ってきた戦利品のべんを腰に差している動く鬼神像を思わせる風貌であるが、シンハンの妻である。


「シン、来てたのか」

「リン、今日も返り血をたくさん浴びたようで」


 夫であるシンハンは妻のすごみに耐えるのに精一杯で、妻が真っ赤に染まった全身を見て、洗濯物が大変な事を想像して気をそらす。

 戦いの後に感情が高ぶっている様子で、さらに殺生を行った罪をかぶり、業が強まった影響なのか、凄みをまとっていて恐怖を肌に感じる。


「ああ、私は今日も強くなった。それよりジィはどこだ?」


 リンフェは夫の近くに息子がいない事で視線が強くなる。

 シンハンの恐慌する体に怒りがぶつけられ、足ががくがくと震えているのを自覚する。


「ユイランさんのところに預けてある」

「ユイラン……? ああ、ジィコのところの……」


 怒りを滲ませていた視線は目標を見失って、あらぬ方向に飛んでいき爆ぜて消える。その代わりにリンフェはとても気まずそうに視線が落ちた。

 妻の弱った態度に察して、ようやくシンハンは確信した。今まで未確認の情報を、確認した情報に置き換えた。


「駄目だったんだね」

「ああ、私が森に入った時には鞭で叩くおもちゃにされていて……。遺体は見せられたものじゃない」


 リンフェが大猿の亡骸を乗せた台車に目を向ける。心臓への一突きが致命傷となった化け物のそばに、茣蓙にまかれた何かがある。

 それは中からあふれ出る血がしみているのが、その場から離れていても見てとれる。そしてそれが何なのかもシンハンにも想像がついてしまった。


「シン。今日はユイランさんの所で一緒にいてやった方がいい。求められたら体を貸してやれ」

「ああそうか。わかった」


 リンファはシンハンの胸を拳で突いて会話を終えると、広場を立ち去る。

 後ろにいた村長がリンフェの圧力から解放された様に動き出し、思い出したように話しかけてくる。


「シンハンさん。今日の夜には火葬を行います」

「はい」


 急すぎる別れで惜しむ間もないが、仕方のない事である。

 最後にそれだけ言い残して村長は後を追い、武器を担ぎ凄みの塊が動いているといっても過言ではないないリンフェに取りつき、ゴマをする様に手を揉みながら報酬の話に移っている。


「お疲れ様ですリンフェさん。若い衆に共同浴場の準備をさせましたので、どうぞお入りください」

「今日の奴らは期待してるぞ」

「村の選りすぐりを選んだつもりです」


 妻と村長の話を聞きながら、なかなかに忙しい人だなと思いながら、シンハンは置かれた茣蓙の許に向かう。

 シンハンの中では、ユイランにどのようにジィコの最後を伝えるかで頭がいっぱいだった。

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