第4話
シンハンが移動している最中に、集落の門から人力で曳かれる台車と、弓や槍で武装した10人ほどの若い男女が、村人達の声援を受けながら出発するのを目撃した。
「がんばれよ」
「怪我すんじゃねぇぞ」
ジィハンの目には、声援を受けながら出て行った男女の頭の髪の毛がすべて剃られ、光るスキンヘッドが特に興味を引いた。
「ああうう~」
ジィハンが声を出し手を振る方向へ、シンハンが目線を送り、先を急ぎながらもその光景を息子に教える。
「あれは狩人達だよ。みんな今から魔獣討伐に行くんだ」
「ああ~」
父の言葉を興味深げに聞いているジィハンは、もっと激しく手を振る。
狩人の中には、振り返っている中で手を振る赤子に気が付いて手を振り返してくれる狩人がいた。
「みんな毛を剃ってるのは”毛が無い”、”怪我が無い”という願掛けなんだ」
「うう~」
駄洒落かよという願掛けにジィハンは納得がいかずにう唸るが、父の声色は真剣そのものだった。
「それに魔獣退治に赴いたら何も故郷に残せない事だってあるんだ。帰ってこれたら剃った髪の毛でカツラを作り、帰ってこれなかったら、みんなで髪の毛を分け合って英雄を偲ぶんだ」
「あぁ~~」
その説明に納得がいったが、地獄初心者のジィハンには魔獣の脅威がどれだけのものか想像もつかなかった。
ジィハンは村の扉が閉まり、旅だった勇者達の背中が見えなくなるまで手を振った。
× × ×
一軒の家、そこもやはり若干ボロい家だ。木材の骨組みと土壁の家であるが、ジィハンの家よりも集落の囲いの中にある分、狭く作られている。
シンハンが家のドアをノックする。
「もしもし、ユイランさんいますか?」
「……はい」
返事からしばらくかかって、引き戸が少しだけ開かれる。元々が美人であったであろうその人が、涙腺を腫らした線の細い女性が顔を覗かせる。
家の中から赤ちゃんの泣き声が聞こえる。
「んああああ、なああああ」
「ユイランさん、レイファンちゃんが泣いてますよ」
「ええ、だけれども、あの人がいなくなって、私達はどうしたらいいのか……。」
シンハンの言葉にユイランは視線を逸らせたまま、悲観的な思考から抜けられない。
その内にも家の中から母親を呼ぶ鳴き声が聞こえる。
「ユイランさん、赤ちゃんはまだ親がいなければ生きられません。もしジィコさんが居なくなったとしても、あなたもレイファンちゃんの親なんですよ」
「……はい」
「ジィコさんが逃がした村人達が心配していました。もし必要ならお手伝いしますよ」
「すいませんお願いします。どうぞ入ってください」
ユイランの沈んだ気分がシンハンの説得によって少しだけ浮上して、訪ねてきた二人を家に招いた。
ジィハンが頭を振り回して、家の中を興味深く様子を見る。
数々の思い出が詰まったであろう彩色豊かなアクセサリーの数々。そして皮紙に顔料を塗って作られた3人の似顔絵が飾られている。
そこは二人のいくつもの愛を重ねてきた番の巣であった。
「あ――う、あぁ――――――」
「おお、ジィどうしたんだ暴れだして」
ここが地獄の中でも窯の底である事を理解したのだ。ジィハンはシンハンの腕から脱したくてじたばたし始める。
シンハンが困っている様子をユイランが振り返って微笑んだ。
「ジィハンくん、生まれてから見た事もないばかりでしょう。興奮しっぱなしで疲れたんじゃないかな。休ませてあげて」
「じゃあ、失礼して」
床に置かれるジィハンは暴れるのをあきらめ、床に大になって寝っ転がる。
――まるで針山地獄に来たみたいだ。やだな。
目を丸くして口を山のような三角にして寝っ転がり、レイファンが母を求めて腕を漕いでいるのを見た。
ユイランが自分の子供を抱き上げる。
「ごめんねレイファン。お母さん気が動転しちゃってたみたいで。お乳ほしいのね今あげるからね。シンハン先生、少し失礼しますね」
「ああ、たっぷり飲ましておやり」
ユイランがレイファンを抱きかかえて部屋の奥に隠れた。
しばらく親子二人で他人の家に取り残されて気まずい空気。外の喧騒が壁一枚で少し薄くなり、家主の親が子供に愛情を与える音が聞こえる。
まだこの家の夫が亡くなったとは確定していない。実際に観測されるまでは事実ではないにしても、ここにはジィコと呼ばれる村人の家族愛が詰まっている。それがとても息苦しく感じさせる。
こんな名状しがたい空気間の中でも、ジィハンの腹は減る。遠慮なくお腹が鳴った。
「んあああ」
ジィハンは控えめにご飯が欲しい事を要求すると、空気感にやっぱり気まずそうなシンハンが顔を覗いてくる。
「もしかして、腹減った?」
「ああああ」
遠慮気味に肯定の鳴き声にシンハンが困惑する。
そして自身のバックを開けて、中身を確認し始めるが。
「ああどうしよう。急いで出てきたから何の準備もしてない……」
と言いながら取り出したのは、干し飯の入った小袋と水の入った小瓶と乳鉢だった。
いかにも行けるかという視線でシンハンが見下ろしてくるので、ジィハンは眉をクッと寄せ、舌をベッと出して、ヤダの拒否反応を示す。
「べっ」
「けどこれしか用意できないから、我慢してくれ」
ジィハンの脳裏によみがえる離乳食の悪夢。地獄の飯は臭い飯というか、生前の記憶が残るジィハンには何か食性が合わない。香辛料や味付けが地獄独特の文化がある。
それをさらに遡れば冷蔵・冷凍技術による保存が未発達で、代わりに臭いを誤魔化したり、乾燥や燻製を行い食べ物の保管や利用を行う方へ発達したのではないかと考えたこともある。
いつかは慣れなければいけないと思いつつも、ジィハンはいつも母の愛である母乳に逃げてしまう。
赤ちゃんの体である。いくら生前の精神を継承しているといっても、所詮赤ちゃんである。ぐずり出し、そして。
「んああああ」
今度は本格的に泣き出した。乳をくれと父に無茶ぶりをしだした。
そこに母乳を飲ませ終わったユイランが寝に入ったレイファンを連れて戻ってきた。
「どうかしましたかシンハン先生」
「いやどうもうちの子が、離乳食を嫌がるもので」
「もしよかったら、私が母乳を上げますが」
ユイランの申し出にシンハンが少し驚いて彼女を注目すると、冷静さを取り戻しやさしさにあふれた笑顔を向けている。
眠ったレイファンをジィハンの隣に静かに置くと、今度はジィハンを抱きかかえて再び立ち上がった。
「いいのですか?」
「ええ、シンハン先生にはいつもお世話になってますから」
「ありがとうございます」
抱き上げられるジィハンは決して暴れる事はせず、ユイランの腕に抱かれて奥の部屋に入っていく。
母親とは違う女性に抱きしめられ、母乳を受けるジィハンは彼女はリンフェとはまた違う母性の色を感じた。それは家族という環境の違いなのだろう。
腹を満たしたジィハンは安らかな気持ちで眠った。
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