第3話
地獄に生を受けてから10か月が経過した。
ジィハンが家の中をハイハイして探検していると、誰かが家にやってきたので、ジィハンが家の土壁からひょっこり顔を出して様子を尋ね人を覗いた。
その人は壮年の男性で、頭は白く禿げ上がっている小太りの男性である。とにかく急いで走ってきたであろうその人は、肩で息して汗を流して、とても焦っている様子だった。
偶然外で巻き割りをしていたリンファが壮年の男性に対応する。
「村長、そんなに慌ててどうかなさったんですか」
「リンファさん大変なんだ。東の街道で魔獣が出たんだ。村の買い出し組が襲われて被害が出たと」
村長と呼ばれた男の話を聞いて、リンファの顔つきが険しくなる。そして、巻き割り斧の柄を握る力がとても籠っている様に見えた。
「東の街道。それは森を突き抜ける道でか」
「おおよその場所はそこら辺らしい」
盗み聞きしているジィハンを背後からシンハンが抱き上げてリンファと壮年の男性に近づく。
「ああ村長、話が聞こえましたので駆けつけてきましたが、街道に魔獣ですか」
「そうだとも」
シンハンとリンファが視線を合わせる。
夫婦間の会話、最近になって言葉を理解し始めたジィハンであるが、所詮一年未満の親子関係。二人の関係の間に流れる空気を読んで次にどんな行動をするかまではわからなかった。
「あ――う――」
ジィハンはわかる言葉でしゃべれと抗議するが、その愛らしい赤子の声は緊急事態に無視される。
「行ってくる」
「わかった気を付けて」
リンファは巻き割台に斧を突き刺して、家の中に入るとすぐに槍を持って駆け出して行った。それはものすごい速さで駆けあっという間にその姿は見えなくなった。
村長がジィハンの右手をとって、言葉を投げかけてくる
「ジィハンよ、済まないね。お母さんは村のために、みんなの為に戦ってくれるんだ」
「あ――――」
分かったと、ジィハンは村長の手を振り回して返答する。
手を粗々しくおもちゃにされている村長に、シンハンが訪ねる。
「村の方に負傷者はいますか?」
「ああ、だが逃げる事が出来た人だけだ。重傷者はいない」
「それでも軽傷者いるんですね」
「ああそうだ」
「では村の方へ行きます」
「助かる」
シンハンはジィハンを抱っこしながら村に向かう。
× × ×
シンハンはバックを左手に持ち、右手にジィハンを抱えて駆け足で村への道を走る。
村長はシンハンに追いつけず置いてかれた。
――そういえば、家を出るのは初めてだ。
土壁と木材で出来た家を出て、林を抜けると途方もなく広がる水田が目に入る。
植えたばかりより少し育った稲が風に靡いている。
この地獄でもお米がある事はジィハンは知っている。
よく離乳食として、おかゆが出てくるからだ。ただし、日本のような米ではなくインディカ米のようなパサパサのボサボサのようなものである。
ジィハンは水田に向けて手を伸ばして興味深そうに叫びだした。
「うーだー」
「ごめんよジィ、今急いでいるんだ」
息子の興味は大切にしたい親であったが、何せ今は一大事である。
さっき見たリンフェの走る足も速いが、夫のシンハンの足も結構速い、人の足で一般道を走る自動車並みに早く走っている。
土の道を駆け、小川の小橋を超えて、村の集落に迫る。
「おーい、シンハン先生じゃないか」
シンハンは集落の入り口で短槍で武装した村人に呼び止められ、がくんと速度を落として村の入り口で足を止めた。
集落の周囲は物々しく、侵入者に対する対策か、木の杭を地面に埋め込んで集落の外側に反った返しがついている。そして、武装した村人は固く閉ざされた門の前で、外来の人間を規制している。
「買い出しに出た村人が襲われたと聞いてな、集落に怪我人がいるって」
「軽傷だがな。今門を開ける」
村人は門についた金具を三回ノックすると門の向こうから声が聞こえる。
「合言葉は」
「ワン、ワン、ワン」
――そんな”QWERTY”みたいな適当な合言葉でいいのか。
ジィハンが村人のやり取りをじっと見ていると、門の向こうから、何か重たい物が外される音が聞こえ、金属で補強された木製の扉が重たい干渉音を立てながら開く。
中から出てきたのは別の村人だ。
「あっどうも。シンハン先生じゃないすっか」
「村の中に入って大丈夫か?」
「いいっすけど、その子はお子さんですか」
村人はうなずくもその視線はシンハンの腕の中にいる赤子に向けられている。
「ああ、紹介したことはなかったな。ジィハンだ」
「ふへっ」
ジィハンは紹介を受け、門を開けた村人に手を振って答える。
「おとなしい子っすね」
「まぁな。村長がまた後で来るから」
シンハンの投げた言葉に村人は右手でこめかみに指を当てて返事を返す。
「ウィス。怪我人はみんな広場に集まって今食事中のハズっす」
「わかった」
門を抜けてジィハンにとって初めての集落の中、木材の骨組みを土壁でできた家が集まり、外壁に囲まれた窮屈な印象を受ける。
――そういえば、俺が仕込まれた場所って、街だったような。
あれは一体どこなんだろうか?
ジィハンは地獄に落ちた時の事を思い出す。落ちる時に見えた下の風景はもっと繁盛した感じを受けた。
仕込まれてから生まれるまでに10か月の期間があるとは言え、シンハンとリンファが移動した事は想像についた。
抱っこされて移動している最中、興味深げに周囲をキョロキョロを見るジィハンであるが、シンハンが集落の広場にたどり着いた。
集落の広場に、茣蓙が敷かれその上に軽い手当を受けた村人3人が、皿に盛りつけられた焼き飯を匙で食べている。
シンハンが怪我をした村人に話をかける。
「よう、お前ら大丈夫だったか?」
「シンハンさんちーす」
「その子がジィハンくんですか」
「こんな時でなければ、歓待できたのに」
「あう――」
ジィハンがあいさつの言葉をながら手を振り、三人の村人の視線を集める。
シンハンの言葉に村人達が返事の言葉を告げる口にどこか疲労感が感じられる。
かがんだシンハンが茣蓙の上にジイハンを置いて自由にさせると、持ってきたカバンを開いて何かの瓶を取り出しながら、言葉を続ける。
「今魔獣退治にリンファが行ったから、この子が家で一人になってしまうから連れてきたんだ」
三人の男達がハッと目をかっぴらいて三人で見つめ合い、重要な事を思い出して視線で共有した。そして、シンハンを強く見つめる。
「先生、俺達の怪我はどうでもいいので、ユイランさんのケアをしてあげてください」
「ユイランさん?」
熱いまなざしに気圧されながら、シンハンが名前を呼ばれた人を復唱する。
ジィハンにとっては初耳の名前であったが、シンハンは知っている様子だった。
「買い出し組の中にはジィコもいました。だけど……」
「あいつは魔獣が馬車を襲っている中で、俺達を逃がすために囮になったんだ」
茣蓙の上で胡坐をかいたジィハンが、悲壮感の漂う会話の中、ついていけない会話の中で村人達を見上げて、口を三角に開けている。
「ああ、それは……。ユイランさんの所にはジィと変わらない子がいるのに」
「彼女、俺達が最後に見たジィコの姿を伝えた時、泣きながら家に帰ったんですけど。早まった事しないか心配なんです」
「わかった。だけど、せめて君達に気を流させてくれ」
――気を流すとはどういう事なのだろうか?
ジィハンが父親の手の動きを見つめる中、シンハンが村人達の体に手を伸ばし触れる。
その光景を見ていたジィハンには、何かキラキラと輝く光が村人の体を包むのが見えた。
それは生前の世界で生きた時代には見た事のない現象だった。
「ありがとうございます先生。だいぶ楽になりました」
「それじゃあ、ユイランさんの所に行くよ」
「はい、彼女をお願いします」
シンハンはカバンの中から取り出した瓶を開けて中身を自分で飲むと、空になった瓶を鞄に戻し、ジィハンを再び抱え、ユイランという女性の家に向かった。
集落の中が悲観的な空気には包まれておらず、むしろ喧騒に溢れていた。
子供と抱えて早歩きするシンハンが、通りすがる別の村人とぶつからないように注意している中で、ジィハンは入ってきた道とは別の門の前で集会を見つけた。
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