参
「あぁら? 興味がおありで?」
机に料理を並べながら、彼女はしてやったりな顔をした。
「え、いや……」
「もしかして、岸様もこの高校の野球部だったりされたり?」
俺には、この女将の顔が女郎蜘蛛のように見えてきた。
「そうなんですね、それなら一度、見ていきません?」
「え、何を……?」
答えられない俺を見て、元山は切り出してきた。
「色々、置いてあるので。カメラマンのお仕事もなかなか大変でしょう? 少し過去を懐かしんでリフレッシュ、なんて如何ですか? もしかしたら、写真のネタになるかもしれないでしょう? ああ、撮影のことなら何なりと協力いたしますとも」
――どうやら、相手は俺の手持ちのカードを全部知ってるんだな。
今のところ、傑作になりそうな写真は撮れず、手元には心霊写真があるだけということは知らないでおいてくれ、と俺は切に願った。
「では、お時間はどういたしましょう?」
「いや、いいんで、別に……」
「あ、よろしいんですか? では、十時三十分からと致しましょう。一階の大きな酒樽の前に集合で」
「いや、そういう意味の“いい”じゃなくて……」
元山はスススと襖まで下がり、姿勢を改めた。
「本日のお夕食は南瓜と西瓜、トマトをふんだんに使ってみましたので、どうぞごゆっくりお楽しみくださいね」
一つ、座礼をしてから、彼女は襖を閉め、足音も無く部屋から去っていった。
浴衣の帯を解くと、丸く突き出た腹が現れた。
舌には、まだかぼちゃの煮つけの味が染み付いている。
――なんでこんなにどれもこれも美味いんだよ。
パチン、と舌打ちして、俺は給水器から水を汲み取り、ガバガバと流し込んだ。
今日二度目なので、軽く身体だけ洗って風呂に身を沈めたが、どことなく湯がぬるく感じる。
岩の壁の、まるで露天風呂のような温泉には俺ともう一人、八十はゆうに到達しているだろうという禿げた老人だけだった。
「のぉのぉ、君君」
その声は、俺の頭上を矢のように空過していた。
「ちょっと、面白い話があるんだが、聞かんか?」
真っ赤な顔をした老人がこちらにジャブジャブ近寄ってきて、俺はやっとその声が自分に向けて発せられていたことに気付いた。
「え、え?」
「面白い話があるんだが、聞かんかねと言っておるんだ」
老人は唇をふにゃふにゃ動かしながら、面白くなさそうな顔をした。
「え、じゃあ聞かせてください」
「よし、そう来てくれなければな」
老人は満足そうに首を振って、ニコニコと話し始めた。
「実はな、ここは呪われた旅館なのよ」
「……ん?」
老人の一言を俺は上手く咀嚼することが出来なかった。
「どういうことですか?」
「実はな、ここは戦後貧しい中、ろくに家の手伝いもせずに好き放題した挙句、栄養失調で死んだ女が住んでいた場所でな」
「そうなんですか?」
さほど興味を惹かれる内容では無かったために、俺は少し鼻白んでいた。
「まあ、実際のところは好きなことを追求していたのに、周りに認めてもらえず病んでしまったというのもかなりあるにはあるんだが」
「へぇ」
「その子はずっと、こういう風に、みんなが苦労している中で好きなことをしていいのだろうかと苦悩していたよ。それでも、自分なりに折り合いをつけて、親に隠れながらやってたさ」
「ふぅん……おじいさんは、その娘さんのことをよく知っていたんですか?」
「ああ、何を隠そう、わしも共に、深夜にやっておったからな」
いかん、身体がふやけてしまう、と言って、老人は真っ赤に茹で上がった身体を湯船から出した。
「じゃあな、くれぐれも、変に怒りを買わんように」
ガラガラガラと音を立てて、老人は扉の向こうへ消えていった。
チャポン、チャポン
温泉内は、天井から水滴の落ちる音だけが聞こえる密室になった。
何となく居たたまれなくなって上がろうかとも思ったが、脱衣所から大きなくしゃみが聞こえたので、身体を茹でダコ状態に仕上げることとした。
部屋に戻った時には、九時五十分になろうかという時間だった。
テレビを付けてもどこぞの国のミサイル発射によって学校が破壊されたとか、どこかの指導者が空爆で暗殺されたとかいうニュースばかりで、馬鹿らしくなった俺はテレビを消し、畳に大の字に寝そべった。
カラララララララ、カララララララララ
小さな蝉の声がこんな時間になるというのにまだ聞こえている。
カラララララララ、カララララララララ
――あと三十分で、あの女郎蜘蛛の網にかかって俺の精神は蝕まれていくのか。
そんなことをうつらうつらしながら考えていた時だった。
カーン!
甲高く鋭い金属音が、夜に響いた。
――え?
俺の脳が、腕に沸々と、あの時の感覚を蘇らせていく。
――こんな夜に? そんなことあるのか?
カーン!
確かに、音はこの近くにある、廃れてしまった西高グラウンドから響いている。
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