魔女の墓

おはぎゃ

魔女の墓

 ある日、ぼくは魔女に出会った。

 その日はママもパパも、町へ働きに出かけていて、家の中には僕一人だけだった。

 朝起きた時にはもう二人とも家にはいなくて、リビングのテーブルには、「鍵をちゃんと閉めなさい」「火は使わないこと」「暗くなる前に帰ってきなさい」という文言が残されていた。

 ぼくはそれを読んでから、いつものように牛乳と一緒にパンを食べた。朝食はいつもこの二点だと決まっている。

 ほんのりと甘い香りのするパンを口に運びにながら、今日はどこへ行こうかと考えていた。

(今日はいつもの森の、もっと奥深くまで行ってみよう。普段は『危ないからやめなさい』ってママから言われてるけど、ぼくだってもう十歳だ。大丈夫、目印をつけていけば問題なく帰れる。目印には何を持っていこうかな……)

 朝食を食べ終えて、目印になりそうなものを探しに家の中を歩き回っていると、ふと、ママの裁縫箱が目に留まる。

(そうだ、そういえばこの前、ママはリボンが余って困ってるって言ってたっけ。)

 裁縫箱を開けてみると、一番下の段に、使いさしのリボンが大量に入っていた。

 ぼくは、その中でも赤いリボンを手に、ママの部屋を出た。

 リボンを目印に使うなら、リボンを切る道具も必要だ。

 そこで、次は自分の部屋に向かい、小さなハサミを探す。

 ぼくは整理整頓が苦手だから、机の上はいつも色々な文房具やノート、おもちゃで溢れている。

(もしかして、あれかな?)

 ハサミには名前が書いたタグがとめられているが、そのタグが、色画用紙の下から顔を覗かせている。

 引っ張ってみると、やっぱりあのハサミだった。

 これで準備は整った。

 ぼくは、ハサミとリボンを小さいカバンの中に入れ、それを肩から斜めにかけて、家を出た。もちろん、鍵も忘れずにかけたよ。

 家を出ると、秋の風が柔らかく頬を撫でた。

 今日はいつもよりも風が出ていて少しだけ涼しい。きっと森の中はもっと涼しいぞ!

 ぼくは、胸を踊らせながら、森の入口へとかけて行った。



 初めは、いつものように森の入口付近で遊んでいた。

 でも、心の中で、やっぱり奥に行くのはやめようかという気持ちと、新しい場所で面白いものが見られるかもしれないという気持ちがせめぎ合っていて、結局ぼくは、後者の気持ちに押されて、森の中へ入ってみることにした。

 多分、森の入口に来てから一時間くらい経った頃だと思う。いよいよぼくは、カバンからリボンとハサミを取り出した。

 少しだけ、怖いような気もしたけど、きっと大丈夫だ。だって目印はパンくずじゃないんだよ。ヘンゼル達みたいにはならないさ。

 そう思ったら、ちょっとだけ安心した。

 ぼくは、森の中に足を踏み入れた。

 森はしばらく行くと、いつもとは違う景色を見せ始める。空気はひんやりと澄んでいて、静かだった。もちろんそれは嫌な静けさではなくて、鳥の声や遠くに聞こえる川のせせらぎが辺りを一層神秘的に、美しく見せた。

 森を進む時に、ぼくは木の幹に赤いリボンを巻いていた。これを忘れたら帰れなくなってしまうからね。この時のぼくは、まだほんのちょっぴり心がソワソワして落ち着かなかったから、この赤いリボンが、命綱のように感じていた。

 でも、進んでいくと、面白いものが沢山あったんだ。

 いつもは入口付近で遊んでるから、森にどんな植物があるかなんて、よく知らなかった。

 犬くらい大きいリスを追いかけている時に、ふと気がついたんだ。

(あれ、そういえば、リボン……)

 ぼくは振り返る。

 そこに、赤いリボンの目印はなかった。

 慌てて引き返してみても、ダメだった。

 どこを見ても、木が鬱蒼としているだけで、ちゃんと元の道を戻っているのか、さらに奥に進んでいるのかさえ、分からなかった。

 ぼくは震えていた。森は一度迷うと帰れないという。それなのに、ぼくはうっかりリボンを巻くのを忘れて……。

 しかし、そこで思い直す。

 まだ、空は明るい。

 時間はあるから、記憶を頼りに、どうにか元の道を見つければいい。

 ぼくは、震えながらも足を前へ前へと進める。視界のどこかに、赤いものが映らないかと、細心の注意を払いながら、木々の間をくぐり抜けていく。

 そうしてどれほど経っただろうか。

 ぼくはまだ、道を見つけられずにいた。

 お腹がぐうぐうと鳴っている。もうお昼ご飯の時間はとっくに過ぎているだろう。

(どうしよう、このまま帰れなかったら……)

 ぼくは必死になって探したけれど、やはりリボンは見つからなかった。

 その時、ぼくはあることを思い出した。

 そうだ。そういえば、川の近くに一回、リボンを巻いた気がする。

 ということは、川辺を辿れば、リボンは見つかるはずだ。

 ぼくは、水の音を頼りに、川を探すことにした。少し時間はかかったが、川は何とか見つかった。やっぱり僕の読みは当たっていて、川のすぐ側に赤いものがヒラヒラとなびいているのが見えた。

 だけど、その川辺に人がいるってのは、予想外だった。

 その人は、黒いワンピースと麦わら帽子を身につけている人だった。顔はよく見えないけれど、髪も長いので、女の人だと思う。

 女の人は、木でできた桶のようなものに向かって、何かをブツブツと呟いていた。

 ぼくは、もしかしたらこの人は、この当たりのことに詳しい人なのかもしれないと思って、声をかけてみることにした。

 パパやママは、知らない人に声をかけたり、ついて行ったりしてはいけないと言うけれど、その時のぼくは、単純に元の道が分からなくて困っているところだったし、森のことについて、今日を限りに知ることができなくなるかもしれないということもあって、思い切って、話しかけてみたんだ。

「こんにちは!」

 ぼくが大きな声で挨拶をすると、女の人はビクッと体を震わせて、素早くこちらを振り返った。

 その時、ぼくは自分の身体が、幽体離脱したみたいに、すっと後ろに引かれるような思いがした。

 圧倒された、と言うべきだろうか。

 その人は、とても美しい人だった。

 特に、金色をした切れ長の目が印象的だった。

 肌は薄焼けた色をしていて、髪は雪のように真白だ。

 おばあさんでもない限り、髪はこんなに白くなるはずがない。でも、もしかしたら、そういう人だって世の中にはいるのかもしれない。

 その時はそう思って納得していた。

 女の人は、桶を置いて、ぼくの方へ歩いてきた。

「お前、一人か?」

 その人は、無表情のまま尋ねてきた。

 ちょっと怖かったけど、ぼくは素直に、うんと頷いた。

 すると、女の人は、また桶の方へ戻って行った。

 と思うと、その桶を持って、またこちらに近づいてきた。

「帰れ。今すぐに」

 女の人はずっと無表情だ。もしかしたら、怒っているのかもしれない。

 でも、それはどうしてだろう?それにどうして『帰れ』なんて……。

「どうして?」

 ぼくは心に浮かんだままに、言葉を伝えた。

 しかし、女の人は何も言わないまま踵を返すと、森の中へ入っていった。

「ねえねえ、どこに行くの?」

 ぼくは女の人を追いかけながら尋ねてみる。

「お姉さんの名前は?あ、もしかして、この森に詳しい人?そうだったら色々教えて欲しいことがあるんだ!」

 でも、女の人は何も言わなかった。

 しばらく歩き続けたけど、やっぱりお姉さんは何も言わずに僕の前を歩いている。

 ぼくはずっと、お姉さんに話しかけているけれど、川辺で『帰れ』と言われて以来、お姉さんは一言も、ぼくの言葉に答えてくれなかった。

 だんだんとぼくは惨めな気持ちがしてきて、つい、ポツリと呟いた。

「……どうして何も答えてくれないの?」

 すると突然、お姉さんはピタッと立ち止まると、ようやくぼくの方を振り返った。

「帰れ。ここはお前のような人間が来るところじゃない。甘えた考えは捨てて、一刻も早く家に帰りな」

 お姉さんは無表情でそう吐き捨てると、くるりと向きを変え、また歩き出した。

 ぼくは何も言えなかった。

 お姉さんは、ぼくをおいて、どんどん森の奥へと進んでいく。ぼくの方は、どうすることもできずに、ただその遠ざかっていく背中を眺めていた。

 お姉さんは怒っているのだろうか。

 分からないけれど、ぼくがこの森に来たことをよく思っていないみたいだ。

 それなら、あまりこの森に来るべきではないのかな……。

 そう思い、ぼくはお姉さんとは逆の方向へ向かって歩き出そうとした。でも───

(あ、しまった……また道が分からない……)

 ぼくはまたしても、道に迷ってしまった。

 川辺でリボンを見つけて、でもそこにお姉さんがいて……

 思わずリボンのことを忘れて、追いかけてきてしまった。

 また川へ戻ればいい。だけど、

(川の音が、聞こえない……)

 もう既に、川から離れた所へ来てしまったらしい。

 どうしようか。このままお姉さんと反対方向に進めば戻れるかな?でも、ここまで来るのに、一直線に進んできたわけじゃない。単純に逆に進んでも意味がない。

(どうしよう……)

 ぼくはお姉さんが進んで行った方向を見た。

 幸い、この辺は視界を遮る木が少なく、遠くではあるが、お姉さんの黒いワンピースの後ろ姿が小さく見える。

 ぼくは走った。

 お姉さんは、僕がこの森に来たことをよく思っていない。

 だけど、事情を話せば、助けてくれるかもしれない。

「はっ、はっ、はっ……」

 次第に、お姉さんの後ろ姿が大きくなる。

 ぼくの足音に気づいたのか、お姉さんは歩みを止めて、ぼくの方を振り返った。

「あの!」

 ぼくは息を切らしながら、叫ぶように言った。

 お姉さんは、そんなぼくをじっと見つめている。

「あの、お姉さんって、きっとこの森に詳しいよね?ぼく、実は道に迷ってしまって帰れないんだ。だから、助けてほしくて……」

 そこまで言うと、お姉さんは、軽くため息をついて、

「ついて来な」

 とだけ言って、ぼくが走ってきた方向に向かって歩き出した。

 ぼくは胸の中のざわめきがほんのちょっと和らぐのを感じた。

「ま、待って!」

 こうして、さっさと歩いていくお姉さんの後に続くのだった。



 道中、ぼくはお姉さんの後ろを歩きながら、何か話をしようと、ひたすら黒い後ろ姿に語りかけていた。

 お姉さんのことをもっと知りたくて、色々と質問をしてみたけど、ぼくと馴れ合う気はないと言わんばかりに、お姉さんはどれにも答えることはなかった。

 だから、話すことと言えば、ほとんどぼくの話ばかりになってしまった。

「あのね、今日は家にパパもママもいないんだ!だからね、いつもだったら森の中には来ないんだけど、ずっと中が気になってたから、思い切って来てみることにしたんだ!そしたらね、すっごいんだよ!キラキラした木の実とか、こんなに大きいリスとかがいてね、すごくワクワクするんだ!こんなにきれいなところなのに、どうして、パパやママは行っちゃダメなんて言うのかな……あ、でも、確かに道が分からなくなって迷っちゃったし……危ないってそういうことかも。でも、お姉さんに会えて本当によかった!会えなかったら、きっと帰れなかったかもしれないなぁ……」

 お姉さんはずっと黙っていたけど、ぼくの話は聞いているらしく、ときどきため息をついていた。

 一通り話すと、ぼくはまたお姉さんのことを聞こうと口を開いた。

「ねえねえ、そういえばだけど、お姉さんは何をしていたの?」

 辺りに沈黙が立ち込める。

 やっぱり答えてくれないか……。

 しかし、しばらくして、お姉さんはボソリと呟くように言った。

「……食料集め」

 ぼくはハッとしてお姉さんの背中を見上げる。

 初めてぼくのくだらない質問に答えてくれたのだ。

 ぼくは嬉しくなって、思わず口角が上がった。

 それからは調子に乗って、次々に質問を投げかけ始めた。

「じゃあさ!お姉さんはこの近くに住んでいるの?あ、そうだ、名前は?ぼくはね、ルーチって言うんだ!」

 お姉さんは、ややあってから、

「イオ」

 と言った。

「私はイオ」

 抑揚のない声がリンと響く。

 ぼくはひたすらに進み続ける、背の高いワンピース姿ににこりと笑いかけると、

「よろしくね!イオ!」

 と叫んだ。

 イオは何も言わなかった。でも、ちょっとだけあゆみがゆっくりになったのを、ぼくは見逃さなかった。



 それからの日々は今までとは一変した。

 ぼくは最後の別れ際に、「森にはもう来ない」と言ったのだが、やっぱりイオのことや、森の未知なる姿が気になって、次の日も、その次の日も、イオのいる川辺へと出かけて行った。

 それに、何よりも、ひとりぼっちでつまらない日々に飽き飽きしていたんだ。

 ぼくが川辺に行くと、いつもそこにはイオがいた。

 イオはぼくを見るとため息をついて必ず『帰れ』と言った。

「また来たのか。帰れ」

 イオは口ではそう言うけれど、ぼくと会うことを悪く思っていないらしく、いつも同じ時間に同じ場所に来ているのに、決してぼくに会わないように時間をずらしたり、場所を移動したりしなかった。

 まあ、ぼくなんかのために自分の行動を変えるのが癪なのかもしれないけどね。

 それでも、こうして一日一日と日々を重ねるごとに、ぼくとイオとの間柄は、以前のような張り詰めたものではなくなっていった。

 イオが魔女だって知ったのは、そんな毎日を過ごしてしばらくした頃だった。

 いつものようにイオの後ろをついて行く途中に、そういえば毎日水をくんで何かを呟いているが、あれは何かと聞いたことがあった。

 その時に、イオはぼくを振り返って、何となくためらうような様子を見せた。

 しかし、表情は例のごとく無表情で、何を考えていたのかはわからない。

「知りたければ黙ってついて来い」

 それだけ言うと、いつもより少しだけ速いペースで、道を進み始めた。

 ぼくは口に手をあてて、コクコクと頷くと、イオの後をついて行く。

 なんだか初めて出会った時のような緊張感を感じながら、ぼくは心のどこかで意を決していた。

 イオの通る道はいつもよりも険しかった。

 ぼくが息切れするのをよそに、イオはどんどん進んでいく。

 でも、ぼくは絶対にめげないと心に決めていた。どれだけ苦しくても、息を切らしながら、懸命に後を追った。

 そうしてたどり着いたのは、一軒の小さなログハウスだった。

「はぁ」

 イオの方は一つも呼吸を乱さず、いつものようにため息をついた。

「お前もしつこいやつだな」

 急にイオはそう言ってぼくを一瞥すると、そのログハウスの方へさっさと近づいていく。

「こ、ここは……?」

 ぼくもそのログハウスの方へ歩きながら、尋ねる。

 イオはそのまま、ぼくを振り返らずに、

「私の家だ」

 と言って奥に消えて行こうとする。

「ま、待って……!あの、ぼくも入っていい?」

「……好きにしろ」

 それをぼくは同意と捉えて、家の中に入る。

「おじゃまします……!」

 家の中は不思議と暖かく、一見するとおしゃれなログハウスそのものだった。

 しかし、よくよく観察してみると、キッチンの棚にはよく分からないハーブや乾燥させた植物が瓶に詰められ、並べられていた。

 それだけではない。キッチンは少し入り組んだ構造をしていて、小部屋のような空間があり、そこには大きな釜がどっかりと腰を下ろしている。ぼくくらいの子供ならば、三人は余裕で入るだろう。

 そこかしこにある「普通じゃない」ものたちに目を奪われていると、イオは水の入ったコップを持って戻ってきた。

「ん」

「ありがとう……」

 ぼくはそれを受け取ると、ゴクゴクと一気に飲み干した。

「おいしい!」

 水はキンキンに冷えていて、疲れた身体に染み渡る。

 イオは川の水が入った桶をリビングのテーブルに持っていくと、それに向かってあの時みたいに何かブツブツと言い始めた。

 ぼくはイオの側へ駆け寄ると、隣に腰を下ろした。

 何が起こるのだろうか……?

 心臓がドキドキと高鳴る。

 少しして、イオはふっと黙った。

 ぼくの方は、桶の中の透き通った水をじっと見つめる。しかし、何も起こらない。

(何をしたんだろう、今……)

 訳が分からずにイオの方を見ようとしたその時───

 バシャ……バシャバシャ……!

 突然、水が意志を持ったかのようにうごめき始めた。

 ぼくが、わあ!わあ!と騒ぐのを後目に、イオは黙ってそれを見ている。

 桶の水はぐにゃぐにゃと動きながら、その波間を縫うようにして、次々に魚へと姿を変えていく。

 こうして呆然としているうちにも、桶は魚で満たされていく。

 そして、全て魚になって、ようやく変化は終わった。

 ぼくは驚きのあまりに声を出せなかった。

「これが答えだ」

 イオは言う。

「私は魔女だ。お前たち人間の嫌う」

 ぼくはイオを見た。

 彼女の顔は、どこか苦しそうに見えた。もしかしたらぼくの気のせいなのかもしれない。でも───

 心臓はまだドクドクと波打つ。

「す、すごい……」

 ぼくは桶いっぱいの魚の群れから目が離せなかった。

 魚に手を伸ばす。

 ピチリとはねた。

 柔らかい。

「イオ!」

 ぼくはイオの方を勢いよく見あげる。

「イオ!魔法が使えるの?!わあぁっ!本当に魔女なんだね!」

 多分、そのときのぼくの目は未だかつて無いほど輝いていたんだと思う。

 イオはびっくりしたように、いつもよりも少し大きく目を見開いていた。

「ねえ!他にも魔法あるの?!見せて見せて!」

 イオは少し戸惑っているのか、目を少し泳がせていた。

「あ、ああ……ついて来い」

 その後、イオはぼくにたくさん魔法を見せてくれた。

 まるで夢の中にいるかのような心地で、ぼくはそれらに見とれていたし、終始はしゃいでいた。



 その日から、イオとは色々な話をするようになった。

 と言うよりも、イオの方が話してくれるようになったんだ。

 もちろん、ぼくはイオのことを誰にも話さなかった。イオとぼくとの間で話したことは、全部「ナイショの話」なんだ。

 色々な話をしてくれたけど、一番ナイショの話をしてくれたのは、またある日にぼくがイオに尋ねた時だった。

「ねえ、イオはどうして笑わないの?」

 ぼくはどうしてか、いきなりそうやって聞いたことがあった。

 その頃になると、ぼくがイオの家に行くのも当たり前のようになっていた。

 無表情というのは、イオの個性のひとつだと思ってたんだけど、どれだけ時間を過ごしても、イオが笑ったり、泣いたりすることはなかった。もしかしたら、それがちょっぴり寂しかったのかもしれない。

 とにかく、ぼくはそう尋ねたんだ。

 ぼくの質問に対して、イオは無表情だった。

 でも、いつもと違う無表情な気がした。

 もしかしたら、またぼくはいらないことを言ってしまったのかもしれない。

 その時はそう思っていた。

「私は」

 イオは黄金色の瞳を小さく揺らす。

 何かを思い出しているようだった。

 それが苦しい記憶じゃなければいいのに。

 心の中で、ぼくはそう願った。

 ややあってから、イオは続けた。

「私は、笑ってはいけない。泣いてはいけない。怒ってはいけない。だからだ」

 そう言うと、イオはソファから立ち上がった。

「今のお前になら、見せたいものがある。来るか?」

 ぼくは頷いた。

 イオが来るかと聞いたのは、リビングの奥にある、鍵のかかった部屋のことだった。

 いつも、このドアがなんなのかと思っていたんだ。でも、きっとイオの寝室か、倉庫のようなものだろうと予想していた。

 ガチャリ。

 鍵が開いた。

 イオは中へ足を踏み入れる。もちろんぼくも。

 パチッと音がして、部屋の明かりがつく。

 狭い部屋の中に、一つだけ、木製の棚が飾られていた。

 棚は決して大層なものではなく、学習机の棚くらいの大きさだ。

 その棚には、太い釘が乱暴に、何本も、何本も突き刺さっていて、その釘には、色あせたリボンが数え切れないほどに結び付けられていた。

 これは、イオが作ったものだろうか。

 だとしたらなんのために?

 ぼくには、何一つ分からなかった。

 けれど、これを作った人の心が酷く切り刻まれていたのだと、やり場のない感情が溢れたのだと、直感的に悟ることができた。

 これは、一体何だ。

「魔女は」

 イオの声がする。

「魔女は、十四を迎えると、瞳と同じ色をしたリボンを身につけなくてはならない」

 イオの黒いワンピースが揺れる。

 そういえば、イオは長い髪を、金色のリボンでひとつに束ねていた。

 彼女の長く細い指が、リボンのひとつに触れる。

 それは上段中央に飾られた、真っ赤なリボンだった。

 古びたリボンが並ぶ中、それだけが鮮やかな色をたっぷりと映していた。

「これらは、私の仲間だった者たちのリボンだ」

 イオは振り返らない。ぼくも、何も言わずに、彼女と、その仲間の影を見つめていた。

「これがある限り、私は笑ってはいけない。泣いても、怒ってもいけない。それが、私の役目だから」

 イオはそう言うと、ぼくを振り返る。

 彼女はやっぱり無表情だった。

 それなのに、彼女は震えていた。

 まるで、幼い少女のように。

 ぼくは、イオに近づくと、そのまま彼女を抱きしめた。

 隠された部屋。

 ここは、魔女の墓だ。























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