5枚目
それから、商店街から離れて、ぼくのおばあちゃんの家の方へ歩いて行きました。父さんと母さんが共働きだったぼくは、小学校の高学年になるまでは、学校が終わると、一旦おばあちゃんのところに帰るようにしていました。おばあちゃんは帰ってきたぼくを、お菓子がわりのリンゴやなんかを置いた皿を冷蔵庫から出しながら、おかえりと迎えてくれました。それをもらいながら、ぼくが、今日学校であったこととか、友達と喧嘩したことなんかを話すと、おばあちゃんは、それは良かったねとか、仲直りしなきゃねとか、逆に、そんな友達とは付き合わないほうがいいねとか、聞いていてくれるのでした。そして、ひとしきり話し終えると、ぼくは、友達と約束をしているからと、おばあちゃんの家を飛び出して遊びに出かける、そんな日常がずっと続いていました。おばあちゃんは、ぼくが今の学校に行くことが決まったぐらいに入院して寝たきりになってしまっていて、おじいちゃんも老人ホームに入ってしまったから、あの家には誰も住んでいないのだけれど、今は別の家族が住んでいるぼくの家だった所は、どうしても足が向かなかったのです。
おばあちゃんの家は、駅から少し離れた、丘の上のようなところにあって、そこは町の中でも一番古い家が集まっていました。そこへの道すがら、先輩に、あそこにあった雑貨店であたり付きの駄菓子を買って友達と遊んだとか、そこの家と店の間にある細い道を通ると、友達の家に行くのに近道だったこと、その友達は親子揃ってゲーム好きで、ぼくや他の友達と一緒に遊ぶ時には、よくその友達の家に行っていたこと、歩いて行き当たるたびに話しました。先輩は、ただ相槌をして聞いているだけでした。
住宅街の中へ入って行く細い道の片方には、立派な日本家屋が変わらず建っていました。もう一方には、錆びたバラックの車庫と白い塀の一軒家があるせいで、昔からこの道はあまり日当たりが良くなくて、敷地と道路とを隔てている背の低いブロック塀は、ぼくの記憶と同じように、今も苔で黒くなっていました。日本家屋の庭の端に沿って植えられているだろう生垣は切り揃えられていたはずだったのが、今はブロック塀と柵を越えて、ところどころ飛び出していました。
ぼくが道の入り口のところで立ち止まっていると、先輩が、先に進まないのかいと、尋ねました。ぼくは、いえ、いいんですと言って、しばらくそのままにしていました。ぼくが立っていたところからは、昔とおなじように、おばあちゃんの家の真っ青な瓦が敷かれた屋根の端のほうが、生垣の奥に小さく見えるのでした。
坂道の片側に等間隔に植えられた桜の木は、今は青々とした葉をつけて、あれだけ刺してきた西陽を、道路の上にばらばらに分解していました。その下で先輩は、土止めブロックの上に腰掛けていて、ぼくが立ち尽くしているのを眺めているようでした。
先輩の方に行こうとした時、古臭い黒の詰襟の学生服に身を包んだ男の子達が、坂の上の方から降りてきて、細い道の方に入って行きました。ぼくが通っていた中学校の制服、白い肩掛けの通学カバンと、学校指定の紺色のリュックサック。学校名と校章の入った白い通学カバンは、自転車通学する子達には不評で、たびたびその子の親達が学校側に改善を訴えていたのを母さんから聞いていて、ようやくリュックサック型に変わったのが、ぼくが卒業する年のことでした。それまで肩掛けのカバンで通してきたぼくたちの世代は、めいめい好みのリュックサックも持っていっていて、それに、ぼくや、ぼくの友達は、歩いて学校に行っていたから、今まで通りだろうと格好が悪い紺色の無地のリュックサックだろうと、大した違いはなかったのですが、やるんなら早くやってほしかったとか、結局楽になるのは(今いる学生は、結局白いカバンは持っていかなければならなかったのです)新入生だけだとか、愚痴を言っていたのを思い出しました。中には、ボロボロのカバンをずっと使っている友達もいて、訳を聞くと、家で飼っている猫に爪とぎがわりにされたのだとか、カバンだけでも、一瞬のうちに色々のシーンが浮かんでは消えて行きました。
先輩は、いつの間にか、ぼくの前に来ていて、道路の真ん中で立っていると危ないよと、妙にまともなことを言うと、さっきまで腰掛けていた土止めブロックの方に、ぼくを引っ張りました。先輩は、何か思い出したんだ、と言って、ぼくの顔を覗き込みました。そして、言わなくていいよ、それは君だけのものだから、と言いました。
じゃ、行こうか、そう言って先輩は坂を降り始めました。ぼくが、帰るんですかとと尋ねると、先輩は、帰りたいの、と聞き返してきました。ぼくは、もう不安な気持ちはどこにもなくて、ただ純粋に、どうしようかと考えました。そして、時計を見る時いつもそうするように、スマホを取り出そうとして、両方のポケットを探りました。そして、まだ、先輩から返してもらっていないことに気がつきました。先輩を見ると、先輩はいつの間にかぼくのスマホ取り出して、それを振りながら、歩き始めていました。そして、これはもっと有効に使おうじゃないか、と言いました。
駅のところにあった看板によると、今日は花火大会があるらしいよ、先輩は言って、ぼくらは坂を下って行きました。
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