4枚目

 ここだね、と先輩が言いました。


 今はシャッターが下ろされてしまっている駅員室を横目に、ベンチが二、三置かれた待合室を通り抜けると、刺すような夏日がぼくらを照らしました。先輩は、手を目の上にかざして、駅舎の方を振り返っていました。駅舎の前に車一台が通れるぐらいのロータリーはまだアスファルトが新しくて、引かれている白線の白さが目に痛いほどでした。その先の階段を降りると広場のようになっていて、その真ん中の花壇で囲んだところに、円錐形に整えられた少し背の高い木が伸びていました。この街路樹は年末になるとイルミネーションが施されるのですが、それは確か、ぼくが中学生にあがったばかりの頃の冬からでした。最初の年に、父さんと冷やかしに出かけたことを覚えています。せいぜい青と白色の二色が交互に点滅するだけのあっけないツリーを見て、父さんと、やっぱり大したことなかったと笑ったことがありました。今も年末の名残りなのか、イルミネーション用のケーブルが緑の葉に隠れて見えていました。


 広場を通り抜けた先で、道路を渡るために信号を待っていると、先輩は、渡っちゃえばいいじゃんと渡り出しました。今度はぼくが先輩の手を引っ張って引き戻し、不服そうな先輩に、背後の交番を指差しました。先輩は、律儀なんだねえと言って歩道に戻りました。歩行者用信号が、残り時間が表示されるタイプに変わっているのに気がついて、それを眺めていると、先輩が、じゃあ、どこにいこうか、と道路の向こう側を向いたまま尋ねてきました。ぼくは、決めていないです、と言って、でも、ちょっと歩こうかなと思っています、と付け加えました。それでいいと思うよ、ほら、思い出巡りみたいにさ、と先輩が言いました。


 駅前の道路の両側にはアーケードになった商店が並んでいて、ぼくらは西陽から逃れるようにそこへ入って行きました。平日なのに、開いている店は一つ二つしかなくて、ほとんどがシャッターを降ろしていました。確かシャッターアートとか言って、こういうところのシャッターに、町のシンボルとか、オリジナルのキャラクターなんかを描いて、町おこしをするといったインタビューをニュースで見たことがあります。この商店街のシャッターにも、落書きみたいな絵が描いてあって、入り口から見ると、それがずっと繋がって見えていました。先輩は、君がいた頃もこんな感じだったの、と歩きながら聞いてきました。ぼくたち家族が引っ越す頃には、まだ、ではありませんでした。例えば、角のところの紫色のシャッターが降りているところは、くだものとかタバコなんかをおばあちゃんが一人で売っている店があったし、その二つどなりには、いつ行っても機嫌の悪そうなおじさんがちょっとだけ高級な文房具を売っていた店があったはずでした。


 そんなことを思い出しながら歩いていると、後ろから、黄色い帽子が、ぼくたちの間を縫うように走って行きました。そして、彼らはピンクや黒のランドセルが揺らして、アーケードのちょうど中間ぐらいにある、美容室の角を曲がっていきました。小学生の低学年は、学校が終わる頃だったな、ということと、確かこの先には小さなおもちゃ屋があったな、ということを思い出しました。自然と、歩みが早くなっていくのがわかりました。先輩は何も言わずに、ぼくの少し後ろをついてきています。角を曲がると、さっき通り抜けていった小学生たちはどこにいったのか、姿は見えなくなっていました。


 角の先は、表の車道より少し狭い道が伸びていています。道の両側には、昔はローカルチェーンの雑貨屋と呉服店があったのですが、今はどちらも閉店してしまっていて、その空き店舗と、駐車場とが残っているだけでした。


 夏のお盆ごろになると、この通りには、ごろごろと綿菓子の機械が回っている綿菓子屋、色とりどりのシロップを並べたかき氷屋、ビー玉を使ったパチンコで、当たった数だけ駄菓子をもらえる籤、型抜き、金魚掬いといった、いろいろな種類の、大小いろいろな屋台が並びました。ぼくは小学校が終わるとすぐに、母さんから小遣いをもらって、二、三の友達と待ち合わせて、毎日出掛けて行ったものでした。もらった小遣いは少なかったけれど、あの頃はそれでも十分に遊び回ることができたのです。買った焼きそばやフランクフルトやなんかを持って、駐車場の隅で三人で分けて食べました。そこで、くじや型抜きの成果を見せあったり、交換したりしました。あらかた周り終わると、最後に瓶ラムネを買って、友達の家に行き、帰る時間いっぱいまで、買ってきたお菓子を肴にゲームをやって夜遅くに帰るというのが、盆休みの僕らの習わしでした。


 一緒に回った友達は、一年生から仲良くしていた子達で、今思えばちょっと碌でもない部類に入るのかもしれないけど、ぼくにとっては親友と言って良かった。何事も気後れすることもなかったし、それは喧嘩をすることは何度かあったけれど、二、三日もすれば水に流して、同じように付き合い始めることができたのでした。


 盆のお祭りの時以外も、彼らとはいろんなところに出かけた思い出がありました。例えば、角の近く、少し歩いたところに白い二階建ての建物があって、その一階には小さなおもちゃ屋があた。その頃流行っていたカードゲームのパックを売っているのはこの店舗しかなくて、お小遣いがたまったら、この店にみんなで押しかけてパックを買い漁った。店主もそんな僕らに気を利かせて、小さなテーブルやおやつを用意してくれて、そこでカードの交換や勝負をしました。どちらかというと、五月人形や鯉のぼりといった季節ものの商品をメインで扱っていて、ほとんど閑古鳥が鳴いているような状態だったから、僕らがカードを買いに押しかけたり、店舗の中で騒いだりしていても、店主にとっては嬉しかったのかもしれない思います。


 今、その店の前には、古いタイプの赤い色のガチャガチャが、手の入っていないようで、筐体の色が薄くなったまま出してありました。先輩が小走りになってぼくを追い抜いていくと、ガチャガチャの前に座り込みました。おもちゃ屋だった一階は、アーケードと同じように白いシャッターが降りていていました。シャッターにはビニールに入れたお知らせの紙が貼ってあったのですが、雨に濡れたのか文字が滲んでしまっていてほとんど読めず、かろうじて赤のマジックで書かれた部分だけ読めなくもない状態になっていました。


 先輩は、これあったな、ちっちゃなゲームがあたりになるやつ、とガチャガチャの機械の頭を軽く叩いて立ち上がりました。そして、ここ、なんの店だったのかな、と言うので。ぼくが小学校の頃まではおもちゃ屋だったんですよ、と教えました。かなりお世話になりました、と付け加えました。先輩はまだガチャガチャを見下ろしていました。


 ぼくは、昔はここでお祭りがあったこと、このおもちゃ屋で友達と集まって遊んだことを話しました。先輩は笑いながら、楽しいか、と尋ねます。先輩はシャッターの張り紙を、後ろで腕を組んで眺めていました。ぼくは、懐かしいな、とは思います。というようなことを答えた気がします。


 先輩は、ぼくの方にくるっと向くと、じゃあ、もうしこし聞かせてよ、次のところに歩いて行くま間にさ。君が懐かしいなって思っていることが、楽しいになるまで。

 

 

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