第49話 二度目

アスドーラたちは魔闘場裏の森にいた。


「……じゃあ、もしもの時はよろしくねえ」


「気は乗らないが、しゃーねえ。パノラは離れてろ」


「う、うん」


亜空間に閉じ込めていた亜人たちを、解放する時が来た。

失敗していれば魂は抜けて、完全なる死が待っている。

しかしアスドーラは、心配していなかった。

いや、心配を押し隠し、大丈夫だと自分に言い聞かせていた。

亜空間に満ちた魔力は、間違いなく自分のもの。

人のくだらない魔法など、弾いてくれているはず。


それでも、懸念は尽きない。

仮に魂が残っていても、蘇生後、自我を失っている可能性がある。


だからジャックには、戦闘態勢を取ってもらった。

襲いかかってきたり、亜人同士で殺り合ったりした場合に備えて。


そして、亜空間に閉じ込められた者は、廃人となる。

これはパノラで成功したように、アスドーラの魔法で治すことができた。

だから亜空間からみんなを解放した後は、蘇生を行い廃人治療を行う必要がある。


アスドーラは、ジャックに目配せをして、収納魔法という名の亜空間を広げた。


「……うっ。これは」


ジャックが体を震わせ、冷や汗を垂らすのも無理はない。

流れ出る魔力は、ドラゴンの魔力。


空間魔法と呼ばれる、亜空間を利用した魔法は、基本的に短い時間で完結する。

転移も、収納魔法も、秒数で言えば1秒にも満たない。

だが今は、アスドーラ自身の膨大な魔力と魔法技術によって、亜空間を世界に広げている。


流れ出るはずのない魔力が、流れ出ているわけだ。


ドサッ――。


ドサドサ。


無造作に落ちてくる亜人たち。

見慣れた制服、見慣れたローブに身を纏う彼らは、皆意識を失っている。


蘇活せよアディズシタティオ!』


亜空間が閉じた瞬間、アスドーラは呪文を唱えた。

キラキラ輝く空気の層が、多数の亜人たちを包み込み、そして蘇生する。


「アスドーラ!起きない奴は諦めろッ!」


「……うん」


一人一人に纏わりつく輝きが、亜人たちを蘇生させていくが、とある数名には効果がなかった。

アスドーラからは、はっきりと見える。

彼らには、生命の輝き、つまり魂がもうなかった。


実際、亜空間内は魔法を通さなかったらしい。

それは、数多くの亜人たちの中に魂が残っていたから、断言できる。


だが、効果の現れなかったものは、亜空間に入れられる前に、事切れたのだろう。

アスドーラが遅れたのか、彼らの魂が脆かったのか。

判断する術はない。


ジャックの言葉で意識を入れ替え、すぐさま治癒の魔法を施した。


ぶわりと広がる、神秘の魔力は亜人たちを包みこんだ。

ザクソンには『回復せよアディクペレティオ』を教わったが、そちらよりも実績と信頼がある、己の魔法を選択した。


アスドーラの魔法が、苦しそうにする亜人たちへ安らぎを与え、そして癒しを与える。

それと同時に、亜空間の弊害である廃人化を回復させた。

心の傷は癒せないと人は言うが、アスドーラには及ばない言葉である。

世界最強に優しいドラゴンの、心に寄り添う魔法であった。


「……ありゃあ、ヤバくねえかって、おいッ!」


一人の獣人がふらりと起きると、遠くで事を眺めていたパノラへと駆け出した。

それはまるで、弱いものから食らう獣のような行動であった。


「悪いなッ!」


ズドォォォンッ!


ナックルダスターから放たれた、強烈な魔力打拳は、獣人の顔を粉砕した。

ビクビクと痙攣する獣人を見て、パノラは怯えていたが、ジャックは頭を撫でることすらできない。


「マジかよ」


続々と立ち上がる亜人たち。

その中の数名が、暴れ出した。


「ッぎゃゃゃああ」

「離れろっ!うわああ」


ジャックは、大混乱の中に飛び込み、獰猛な野性味を感じる亜人たちを片っ端からぶん殴る。

彼だって経験があるわけではない。

初めて見る症状に対して、正常か異常か看破するすべなどない。

だから勘で殴った。


「……うっ、止めて」


「悪い!」


ドゴォォォンッ!


見事に回復した途端に、強烈な一撃を見舞われた者もいた。

だがアスドーラの魔法がどんどん治癒させていく。


混迷を極めた復活の大仕事は、アスドーラの魔法が解かれて終了となる。

後はそれぞれ名前を聞いていくだけだが、なんせ他クラスの生徒たちなので、確認のしようがない。


「……ノピー?ネネ?」


友だち以外はひとまず放っといて、横たわるノピーとネネの側へ駆け寄った。


二人はぼうっと空を見上げていて、暴れまわるジャックたちには目もくれない。


不安になったアスドーラであったが、ボソリとノピーが呟いた。


「気分が悪いよ。アスドーラ君」


弱々しく、笑顔を浮かべた。

するとネネも、何かを飲み込みアスドーラを見やる。


「……ごめん見ないで。ぉぇぇぇ」


恋する乙女には、あまりにも酷な魔力酔い。

百年の恋も一時に冷めるという言葉があるが、それは短い時を生きる人が作ったもの。

生まれてこの方45億年目のアスドーラには、まったく持って縁のない言葉であった。


「よーし。よーし」


甲斐甲斐しくネネの背中を擦り、ぼうっとするノピーを見やり、アスドーラは優しく笑う。

これまで感じたことのない、温かい気持ちに心が包まれていた。


生きててくれて良かった。


「ノピー、ネネ。一応、名前を教えてよ。大事なことなんだ」


一度経験しているノピーはすぐに答えた。


「ノピー・ユーノマン」


一方ネネは、困惑しながらもノピーに続いて答えた。


「ネネ・カットス」


アスドーラはハッとした。

そう言えば、ネネのフルネームを聞いたことがなかったからだ。


「……本当に合ってる?名前が間違ってると、ああなるみたいなんだけど。大丈夫だよねえ?」


アスドーラが視線を向けたのは、暴れまわる獣人と少し汗ばむジャックだった。


「じゃあおばさんに……おばさんッ!おばさんはどこ!?」


ネネのおばに確かめればいい。そう言いかけた途端に、彼女の存在を思い出した。

無理矢理体を起こし、辺りを見回すが知らない猫人ばかり。


するとアスドーラは、ネネの背後へと声をかけた。


「合ってますか?」


彼女はポツリと座っていた。

アスドーラの問いかけに弱々しくも頷き、ネネの名を呼んだ。


「大丈夫?」


「おばさんこそ大丈夫!?治ったの!?」


「治ったよ。セニア・カットス。今はブロード。セニア・ブロードよ。ね?治ってるでしょ」


抱き合う2人の傍らで、横になったまま動かないノピー。


アスドーラは、逡巡していた。

告げるべきか、それとも隠し通すべきか。


ノピーが起き上がれない理由は、生命の輝きが教えてくれている。

やはり小さいままだった。

戻ることはないと思っていたけれど、ここまで肉体にダメージがいくのは想定外だった。


ふと、目が合う。

空を見上げていたはずのノピーは、アスドーラを見てニコリと笑った。


「助けてくれてありがとうね。アスドーラ君」


「……う、うん」


やはり言おう。

正直でいるべきだと、ノピーやネネに教えてもらったばかりなのだから。

正直に言って、僕が安心させてやればいい。

秘密を打ち明けさせてくれた、あの時のノピーのように。


「ノピー、あのさ――」


「大丈夫。体は動くよ」


ノピーはごろりと転がると、腕を張って体を起こし、体をよじって座った。

あまりにもぎこちない動きを見て、アスドーラは唇をかみしめた。


「……はあ。でも、体が重いや。それになんか、なくなった気がする」


人は魂を感じることができるのか。

答えは否。

ドラゴンにしか視えないし、感じることもできない。

ザクソンがやってみせたように、魔法と論理的推論でしか魂を認識できない。


だがノピーは特別であった。

何度もアスドーラの魔力を身に受けていたからだ。

治癒に始まり、転移を行い、そして亜空間に留まり、今も治癒を受けた。

ドラゴンの魔力を浴びれば、普通は数分と持たずに死んでしまう。

だがアスドーラは、魔力を調整しノピーの体に魔法という形で魔力を流し続けた。


だから魂を感じることができているのだ。


ノピーが言う「なくなった気がする」とは今まで感じ得なかった魂が大きく損なわれたという、形容し難い喪失感を表していた。


「ノピー。伝えたいことがあるんだ」


アスドーラは、ノピーと視線を同じくして向き合った。

何かを感じているのなら、薄々自分でも分かっているはずだから。


「……うん」


「あのね、ノピーの魂――」


ゴォォォォォ!


それは唐突に起きた。


大地から天を穿つ光の柱が立ち上がった。


魔力に聡くないものでも、あの柱に練り込まれた魔力を視認できた。


そしてノピーとアスドーラは、光柱から響く絶叫に体を震わせた。


それはまさに、魂の叫び。


「あれは一体……」


ノピーの呟きは、届かなかった。


「……ぅっぐぁぁぁぁああああああああッ!」


アスドーラは絶叫した。


人の体では到底御しきれない魔力の波動が、全身を駆け巡る。


心臓が破裂し、内臓は捩じ切れ、筋肉も骨も脳みそも、ぐちゃぐちゃと音を立ててかき回される。


「アスドーラ君!」


ノピーの言葉が、一瞬だけアスドーラの意識を呼び起こした。

たった一瞬であったが、それはアスドーラにとって、幸運とも呼べる一瞬だった。


「僕から逃げろッ!」


そう言ってアスドーラは、空へ飛び上がる。

内から止めどなく溢れる魔力を魔法に変え、どこまでも飛んだ。

早く離れねば。

その一心で飛び続け、人の体は正体を曝け出す。


皮膚を突き破ったのは、尻尾であった。


みるみるうちに、アスドーラは本来の姿へと変貌する。


明るい日差しを遮るほどの巨躯が、途方もない魔力を世界へもたらす。

それは瘴気と呼ばれるものだった。


バサリバサリと向かうは、あの光柱。


ドラゴンの本能が叫び続け、アスドーラの意識がかき消される。


アレは危険だ。

アレは世界に破滅をもたらす。

アレは消す。

消す消す消す。


アースドラゴンは息を吸い込み、咆哮した。


ギュアォォォォォッ!


ビリビリと大地を震わせ、空気を叩き光すらもねじ曲げる咆哮は、光柱を断ち切る。

だが、すぐさま光が立ち上り、何事もなかったように、光柱は天を貫き続けた。


一つ羽ばたけば、空気を消す。

二つ羽ばたけば、空を消す。

三つ羽ばたけば、星を消す。


見慣れた空はもうなかった。


そこにあるのは暗闇。


高い高い空にいるはずなのに、もうそこに日差しはなかった。


※※※


骨の髄を犯される、そんな感覚であった。

瘴気が大地に降り注ぎ、体は悲鳴を上げていた。


魔力を放出しようとしたらしいが、あいにくそんなものはない。


魔力酔いと瘴気の二重奏が、視界をぐらぐらと揺らす。


「……アスドーラ、君」


定かでない視界に映る、灰色の竜。

アスドーラの真の姿であった。


しかし頭から離れないのは、苦しむ彼の姿だった。

喉を切り裂く絶叫と共に、蹲ったと思えば急に飛んだ。

跳躍と同時に空へと飛んだのだ。


あれはきっと、僕たちに逃げる時間を与えるため。


でもこの瘴気では、動くこともままならない。


「っく……ノピーッ!どうしたらいいんだ!」


パノラを庇いながらジャックは叫ぶ。

どうしたらいいのか。

そう尋ねられて、どうにかできるならば、誰もドラゴンには怯えないはずだ。


けれど、ノピーは考える。

あれがただのドラゴンであれば、考えるのを止めて諦めたであろうが、違うのだ。


最初の友だちだ。


だから考える。

自分たちが助かる方法を。


ここにいる亜人たち、ジャック、パノラが助かる方法を。

アスドーラの苦しみを取り除き、ここへ引き戻す方法を。


ギュアォォォォォッ!


鼓膜を破りそうな咆哮が、空気を震わせた。

幸いにも、いやアスドーラが空高く飛んでくれたから、被害は少ない。


バサリバサリと風が吹きすさぶたび、空が星が消えていく。

かつての空は暗闇になり、瘴気が遠ざかっていく。


アスドーラの魔力はまだまだ残っているけれど、動けないほどじゃない。


ノピーは何をすべきか考えた。

まずは自分たちの安全確保。

それからアスドーラを連れ戻す。

そのために何ができるのか。


「あの光は、きっと王都だ。じゃあ北へ逃げればいい」


よろよろと立ち上がり、ネネや亜人たちへと声をかけようとしたが、体がバランスを崩して倒れ込む。


「だ、大丈夫?」


ネネの手を借りてもう一度立ち上がり、亜人たちを見回した。


瘴気が弱まり薄れている。

それはアスドーラが空高く飛び、さらに南へと距離をとっているからだ。

だからこそ、亜人たちも自分たちもこうして生きている。


そう、アスドーラが助けてくれている。


逃げるのが、本当に正しいことなのだろうか。

アスドーラが一人戦っているのに、離れてしまうのか。


何度も助けられた。命を救われた。

亜人だという理由で僕から離れたことは一度たりともなかった。


僕は逃げるのか。

ドラゴンだから?


つもりなら、きっと逃げたほうがいい。

でもなら、恥のない方を選びたい。


ギリギリの命。

アスドーラ君に拾ってもらった命だ。


苦しむ友だちを見捨てて、生き延びたくはない。


「ジャック君。みんなを連れて北へ向かって」


「……んああ。おいッ!」


ノピーは、歩くのもやっとだった。

3歩進んで転び、2歩進んで蹌踉めき、1步進んでまた転ぶ。


魂の毀損は、ノピーの体力を削っていた。

体の力、すなわち寿命である。

魂が毀損し、魂が小さくなり、死が近づいてしまった。

彼は人間で言う50歳程度にまで衰えており、さらに言えば、悪意ある魔法にあてられ、2度の蘇生を施され、体力も魔力も何もなかった。


けれど歩き続けられるのは、頑強な精神の力があったから。

なんとしてもアスドーラを助けるという思いと、根性が彼の体を突き動かしていたのだ。


「……お前、どこ行くつもりだよ」


ヨボヨボと歩くノピーの隣で、ジャックは尋ねた。


「ちょっとお手洗いに」


「……一人で行く気か」


「はあ……連れションしたいの?」


「……クソつまんねえよノピー。アスドーラんとこ行く気だろ」


「はあ、はあ。いいや、それはないよ。そんなことしたら死んじゃうじゃないか」


「……だから泣いてんだろ?」


ノピーは内気な少年だ。

勉強に打ち込める努力家で、人に気を使える思慮深さがあり、友だちを助けたいと思う優しさがある、ただの少年だ。


決して英雄なんかじゃない。


頭の良いノピーは、教室で魔力を失った時本気で死ぬと思った。

プジラと叫ぶザクソンの声が聞こえ、次は自分かと悟り、そしてアスドーラに救われた。

そしてついさっきここで目覚めた時に、周りに横たわる亜人たちを見て、またか、と諦めのような気持ちになっていた。


どうせまた、人間にやられたんだろうなと。


また何もできず、殺されそうになったんだなと。


抵抗すらできず命は削られ、命を救ってくれたアスドーラは我を失っている。

命だけでなく、友だちまで奪おうとしている。


怒りに任せて、自分を奮い立たせて歩いてみるけれど、怖いものは怖い。

もしも明日死ぬとしても、今すぐ死にたくはない。

でも友だちを見捨てて生き恥をさらしたくもない。


怖い――。


僕が行ったって、何もできないと思う。

あのドラゴンに、何かできるはずもない。


そりゃあ怖い。

初めて感じた瘴気の恐ろしさは、忘れることができないし、咆哮は耳にこびりついてるし、空の暗闇が世界を飲み込みそうで、怖い。


なぜ涙が流れるのか。

怖いからだ。

怖いけど、歩くのを止める気はない。


ノピーは涙を拭って歩いた。

亜人たちは皆、黙ってその背中を眺め、ジャックは隣でため息をつく。


「……なんで俺には助けてって言わねえんだよ。アスドーラには言うくせに」


呆れ顔で大きく首を振ったジャックは、パノラをチラリと見やる。


「パノラ!ソーチャルんとこ行くぞ!」


タタタッと走るパノラは、彼らが何を考えているのか知らない。

まさかドラゴンのところへ行くとは思わないから、ポツリと素直な思いをこぼした。


「ドーラちゃん、戻ってくるよねえ?」


「当たり前だろ。さあ行くぞ」


妹にはめっぽう弱いジャックにとって、その言葉は励みになった。

根性をみせたノピーと共に行く。

アスドーラを助けるために。

連れ戻すために。


転びそうになるノピーの肩に手を回し、彼の体を支えた。


「……あ、ありがとう」


「いっぺんアイツは、ぶっ飛ばさねえとな。ドラゴンだからって調子乗ってるわ」


「……う、うん。そうだね」


パノラも兄に倣ってノピーの手を握り、2人に支えられながら魔闘場の扉前にたどり着く。

ジャックが扉を開け放ち、3人は中へ入ろうとすると背後で声がした。


「ネネッ!待ちなさい!」


振り返ると2、3度ずっこけながら、魔闘場へ走るネネの姿があった。


「……はあ、はあ。ぅぉぇ」


魔力酔いで顔は青ざめているが、決意は揺るがない。


「おばさんごめん!」


「ネネ!今すぐ戻りなさいッ!」


「早く行こう?おばさんが追いかけてきちゃう」


扉を塞ぐ3人をグイグイと押し込み、バタリと扉を閉じた。


「……ネネさん。止めたほうが」


そう言おとしたノピーだったが、彼女の表情を見て口を噤んだ。

有無を言わせぬ確固たる意思が、容易に見て取れたからだ。

彼女も覚悟を決めている。

ならばこれ以上は言うまい。


「アイツ、知り合いか?」


ふらつきながらもズンズン前を歩くネネの背を見て、ジャックは隣へ尋ねた。

獣種にもよるが獣人というのは耳が良い。

ジャックも一応気を使って小声にしてはいたが、思い切りネネの鼓膜に届いていた。


「……ノピー君。ちゃんと紹介してよね」


「あ、ご、ごめん」


「アスドーラの彼女のネネです。よろしくね」


度肝を抜かれたのは、ノピーだけではない。

ジャックもパノラも、思わず立ち止まってしまう。


あのアスドーラに彼女……。


移り気が激しく、飽きも早く、ぽやぽやしたあのアスドーラに。

友だちとの距離が近く、人との距離感をあんまり把握していないあのアスドーラが。


ジャックもノピーもなんとなく察したが、何も言わずに歩き出す。


たぶんこの話題には触れないほうが良い。

何を言ったって彼女は耳を貸さないだろうし、今この状況で言い争うのも時間の無駄だから。


思い込み激しく愛が重めな彼女に、この話題を振るのはやめよう。二人は無言で認識を共有するのであった。


※※※


「それは認識が間違っております大臣。ノース竜皇国はアースドラゴン様へ臣従するのです。それ以外のドラゴン――」


「陛下ッ!」


ノース竜皇国への国名変更と、それに伴う諸々の宣言について連絡が殺到していた。本来なら政府と政府、王と王での対話が望ましいが、一気に押し寄せる波を捌ける人員がおらず、しかも悠長に構えている時間もなかったため、女王自ら他国政府の質問へ答えていた。


女王執務室では、思念の魔導具越しに誤解を解いていた真っ最中、一人の騎士が慌てた様子で飛び込んできた。


「失礼、少々お待ちを。何事ですかッ!」


「も、申し訳ありません。急ぎバルコニーへお越しください」


「……一体どうしたのです」


「ドラゴン様が、お怒りになっております」


思念の魔導具から手を離すと、エリーゼはすぐに執務室を出た。

バルコニーには既に人が集まっており、皆が道を開け頭を下げる。


「……何が」


彼女の目に映った光景は、美しい絶望であった。


日の光が眩しいノース竜皇国よりも向こうには、暗闇が広がっていた。


その闇を穿つ煌々とした光。

そして羽ばたく一柱のドラゴン。


ギュアォォォォォッ!


女王たちの鼓膜を響かせる竜の咆哮。

次の瞬間には、全身が総毛立つ濃密な魔力が、そよ風のように頬を撫でた。


バルコニーから言葉は消えた。


目の前で、一つの王国が消えようとしているのだ。


かつて南域で起きたと言われる、ボルケーノドラゴンの災害。

二千年前、西で発生した災厄。


どちらも多大な被害が出たが、二千年前の災厄にだけはしてはならない。

南で起きた災害とは、まったく持って次元が違ったからだ。


その人数、その範囲。

世界を巻き込んだ災厄であった。


そんな災厄を望んでいるはずがない。

あの心優しきアースドラゴンが、そんなはずは。


ふとエリーゼの脳裏に蘇る、アスドーラの言葉。

「世界から人を消したって構わない」


アスドーラが初めて、ドラゴンらしい言葉を吐いた瞬間であった。

ドラゴンとはかくあるべき。

世界の絶対的支配者であるドラゴンには、あらゆるわがままが許され、人が気に食わなければ消し去っても構わない。


そんな存在であるにも関わらず、アスドーラは王城まで謝りに来てくれた。

きちんと話を聞き、自分の思いを伝え、人を慮る事が出来る。

世にも珍しき優しいドラゴンである。


絶対にさせてはいけない。

アースドラゴンを災厄の元凶にだけは、させてはいけない。


あれほどまでに人を愛し、人に絶望し、人へ期待してくれるドラゴンに、災厄は似合わない。


エリーゼは決然とした表情で言った。


「国境はすべて開放しなさい。騎士を動員し、避難民の護衛にあたらせるのです」


大臣、貴族、高官たちは、頭を下げてすぐに動き出す。

もちろん異を唱える者などいない。


ノース竜皇国を名乗ると決めた時から、アースドラゴンが舞い降りた日から、建国した時からやることはずっと変わらない。


おこがましい限りではあるが、守らせていただく。


ドラゴンの住処である、この世界を。






――――作者より――――

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