第44話 訪れる死

「……お兄ちゃん、お兄ちゃん」


「んん?ぬぁ!またおねしょか」


「お、おねしょじゃないよ。お水お水」


「パノラ。お兄ちゃんに嘘つくな。怒るぞ?」


「……ごめんなさい」


「素直に言えばいいんだよ」


朝からジャックは、大わらわ。

それに合わせて、ノピーとアスドーラも起床する。


「おはよう」


「おはよう諸君!」


奔走するジャックを眺めながら、ゆったりと朝の支度をする。

それから、8時半の朝の会に間に合わせて着席。

昨日の今日なので、クラスメイトたちはみんなソワソワしている。


クラス担任のコッホが主犯という噂は瞬く間に流れ、これからどうなるのだろう。


ガラガラ――。


「傾聴ッ!」


ほとんどの生徒が予想していた通り、ザクソンがやってきた。


「ザクソン先生が新しい担任かあ。良かったねえ」


「……う、うん」


ほとんど、というかアスドーラ以外は完璧に予想していた。


「昨日の出来事が重荷になっている者もいるだろう。体調が悪くなったり、誰かに相談したい時があれば、遠慮なく申し出るように。

私でなくても、ラビ先生やボルド先生、その他、この学校の教師なら誰でも構わない。一人で抱え込まず、すぐに相談するように。朝の会は以上だ。授業の準備を整えて待機していなさい」


ガラガラ――。


開始から10秒で終わった朝の会。

異例の速さではあったが、生徒たちに不満はない。

むしろ、必要事項だけを的確にコンパクトに伝えてくれて、授業までゆっくりできる時間も確保してくれるのだから、かなりの高評価であった。


「ノピー。一限目が終わったらネネのところ行こうねえ!」


「本当に僕も行っていいの?邪魔にならないかな?」


「昨日も言ったけど、邪魔じゃないよ!」


「うーん、そっか。それなら、うん行こう!」


キーンコーンカーンコーン――。


8時50分、一限目の授業が始まった。

やって来たのは刻印術担当のラビ先生だ。


「はーいおはよう。40ページの連結魔法陣についてやりまーす。いやホント」


アスドーラは教科書の40ページを開き、小さな声で文字を読み上げる。


「れ……んけつま、ほうじんは、し、しゆ?」


ノピーに教わりながら授業を受けてきたので、たどたどしくも少しだけ文字が読めるようになっていた。

まだ完璧とは程遠いが、自身でも成長を実感していた。


「連結魔法陣は、主従関係の上に成り立つ、連鎖刻印術の一種である。黒板に図を描くので見てねー。いやホント」


スラスラと描かれる大小の円。

大きい円には主の文字が、小さい円には従の文字が付された。


「大きい円が主の魔法陣、小さい円が従の魔法陣ねー。この大きい円の魔法陣が発動すると、小さい円の魔法陣も連鎖的に起動して、魔法が使えるっていうのが連結魔法陣です。いやホント」


黒板の空いているスペースにも、同じような円を描き、その上に同期魔法陣と書き記すと、左右の図の違いについて説明した。


「同期魔法陣と似てるけど、いくつか違いがありまーす。同期魔法陣は、とある魔法陣を発動すると連鎖的に魔法陣が起動しますが、魔法陣を停止するにはそれぞれを個別に停止しないといけません。それと、それぞれの魔法陣に証明陣が出てきまーす。いやホント。

それに比べて連結魔法陣は、主の魔法陣を発動すれば従の魔法陣が起動するし、主の魔法陣が停止すれば従の魔法陣も停止します。証明陣は主の魔法陣にしか表れません。いやホント、難しいよねー」


ふむふむと頷くアスドーラのとなりで、ぶつぶつと小声をこぼすノピーは、教科書を睨みながら狂ったようにペンを動かしている。

先生の言葉をメモしているわけではなく、同期魔法陣と連結魔法陣の違いを精査しつつ、欠点と利点を洗い出して、書き記していた。


これが秀才かあと感心するアスドーラに、ラビから質問が飛んでくる。


「同期魔法陣は個別に魔法を設定できますかー?アスドーラ君。いやホント前に教えたから分かるよね?」


「んなっ、えーと。できませんッ!全部同じ魔法陣で、作成者も同じでないと同期しませんッ!」


「おお!よーし、ちゃんと覚えてるねー偉い偉い!いやホント」


ニヤリと笑ったアスドーラは、チラッとジャックへ視線を送る。

真っ直ぐな中指が返ってくるのは、いつものことだ。


「すみません先生、ひとつ質問があります。従の魔法陣停止には主の魔法陣を停止する必要があるとのことですが、例えば、魔法陣無効化の三定石で従の魔法陣の無効化を試みた場合はどうなりますか?」


手を挙げたと思えば、早口でまくし立てたノピー。

すると先生は、小さく感嘆の吐息を漏らし、感心したように頷いた。


「いい質問だね、いやホント。結論から言えば、無効化は基本的にできません。

魔法陣無効化の三定石である魔法陣瑕疵、魔法陣の条件不備、相殺消去陣の展開は、主の魔法陣にのみ有効です。

そもそも、主の魔法陣だけで魔法は成立しますが、精度を上げたり、効果を増大させるために、従の魔法陣を使用しているだけです。

例えば、刻印術による転移で、転移先を指定する際に用いられる定置陣のように、それ自体には特段魔法的作用はありません。あくまでも、主の魔法陣と連結しているというのがポイントですねー。いやホント」


「追加で質問です。従の魔法陣は主の魔法陣と異なる魔法を設定することが可能とあります。この場合も無効化は不可能でしょうか。

例えば刻印術による転移で、定置陣に風の魔法を追加した場合、風の魔法は主の魔法陣の補助にはなりませんし、完全に主従関係から独立した魔法になると思うのですがどうでしょう」


「それが従の魔法陣無効化の例外だねー。連結魔法陣で従の魔法陣を無効化する場合、主の魔法陣と連関しない独立した魔法のみ停止される。って、難しすぎるよねー。これって上級生で習う応用なんだよねーいやホント」


高難易度のやり取りに、クラスメイトたちは置いてきぼりを食らっていた。

アスドーラはふむふむ言っているが、図もなければ、具体例も馴染がなく、イメージがしにくい。

だから、今の会話では何も理解できなかった。

ひとつ分かったのは、ノピーのレベルが異常に高いということだけだろう。


「ま、みんなはポイントだけ押さえればいいよー。連結魔法陣なんて日常生活で使わないからさー。いやホント」


先生に言われた通り、教科書に線を引く。

テストに出るらしいので、アスドーラも必死だ。

チラチラとノピーの教科書を見つつ、線を引く箇所に漏れがないかを確認していた。


カチッ――。


そしてちょうど9時になる。


「はい。じゃあ次は連結魔ほぅじぃんの……ま、ほう」


突然のことであった。

話し始めた途端に、ラビの呂律が回らなくなったのだ。

教卓に腕をついて、肩で息をし始める。


クラスメイトたちが、先生の様子に困惑しざわざわとうるさくなりだす。

それとと時を同じくして、アスドーラは隣の異変に気づく。


「ノピー?ノピーッ!?」


「はあ……はあ、あ、あす……どわらかぅん」


ラビと同じく、上手く口が回らなくなっており、呼吸荒く机に突っ伏してしまった。

はじめこそ体調不良かと思ったアスドーラであったが、クラス後方の喧騒で異常事態の発生に勘づいた。


「救護室に連れてこう!」

「先生を呼びに行ったほうが……」

「亜人だけが、なんで?」


最後方の席に座っていた熊人の少年もまた、ノピーとラビと同じ症状で、意識が朦朧としていたのだ。


誰かが言った通り、亜人だけが。


アスドーラは、すくっと立ち上がると、即座に魔力を巡らせた。


この異常の原因を探るため、3名の亜人を見やり、共通する珍妙な様相に首を傾げた。


「魔力が……吸い取られてる?」


湯気のように立ち昇るそれぞれの魔力が、天井を這って同じ方向へと流れ出していた。


一般的に、人の魔力は常に全身から放散するものだ。

ゆっくりとじわじわと、水が乾くように少しずつ外へと漏れ出るのだが、3名の魔力の流れはそれとは違う。

アスドーラが口走ったように、まるで吸い取られるようにして、急速に多量の魔力が頭上から流れ出ていたのだ。


「アスドーラッ!他の教室から先生を呼んで来いッ!」


ジャックの叫び声でハッとしたアスドーラは、教室から飛び出して廊下を走った。

すると隣の教室では、ザクソンが亜人の生徒の異変に気づき担ぎ上げているところだった。


「先生ッ!」


乱暴に戸を開け放つアスドーラへ、ザクソンは胡乱な視線を向けた。


「何をしている授業中だぞ」


「え?」


このクラスには、亜人が一人しかいなかったため、ザクソンはただの体調不良だと思ったらしい。


緊急だと言うのに……。

アスドーラは、ヤキモキしながらも、自分のクラスで起きたことを説明した。

ラビたち亜人が急に倒れ、魔力の流れがおかしいことを。


「この子を救護室まで運べ。それ以外は全員教室で待機していろ。絶対に外へ出るな!いいなッ!」


担ぎ上げた亜人の女の子を、クラスメイトの男に託すと、ザクソンは教室を飛び出した。


「ラビ先生ッ!」

「ノピーッ!」


事態は刻一刻と悪化していた。


ラビは教壇の上でへたり込み、もはや立つことも難しそうな様子であった。


一方でノピーの机からは、ピチャピチャと雫が零れ落ちていた。

アスドーラは机に近づき、すえた臭いに気づくと、慌てて首根っこを引っ張った。


動けないノピーは、机に広がる自身の吐瀉物に顔を埋めていたのだ。


「……ぐぁぁ、がぁぁ、がぁぁ」


喉からは、ごぼごぼと奇妙な音がして、ノピーは苦しそうに呻いている。


「アスドーラ!背中を叩け!窒息するぞ!」


「……ッはい!」


ノピーの横に立ち、両脇に片腕を通して、背中を軽く叩いた。本気で叩くと背骨が折れてしまうので、加減しながらバシバシと叩き続けた。


「……ごぉぉぇぇ、ゴホッ、ゲホッ」


「大丈夫!?ノピー!?」


「はあ、はあ、はあ」


呼吸音は元に戻ったが、依然として容態は変わらなかった。喋ることもままならず、アスドーラが支えていないと倒れてしまうのは目に見えていた。


この光景は、昨日のジャックとまったく同じだ。


これは魔力酔い。


急速に魔力を吸い出され、酷い魔力酔いを起こしてしまっている。


何故!?

誰がどうやって。


どうしたらいいのか分からない。

ひとまず治癒魔法だろうか。

ドラゴンの力で、完全とはいかないが魔力酔いを軽減させることはできるはず。


あれやこれや考え込んでいると、ラビを介抱するザクソンの指示が飛んだ。


「アスドーラ。中庭に出て今から言う呪文を唱えろ。騎士団から騎士が駆けつけてくれるはずだ。火の鳥へ風を与えよイグイミタビスミクスヴェントス


「……イグ、ミビス、ヴェ」


「ゆっくりでいい。火の鳥へイグイミタビス風を与えよミクスヴェントス


火の鳥へイグイミタビス風を与えよミクスヴェントス。はい!」


アスドーラは、呪文を忘れないようにブツブツ繰り返しながら中庭へ出た。

広い庭の真ん中に立つと、先生に教わった呪文を唱える。


火の鳥へイグイミタビス風を与えよミクスヴェントス!』


ズォォォッ!


アスドーラの直上には、巨大な火の玉が浮かび、全方位から集まる風で火勢が増す。

すると、みるみる膨れ上がる火球から、ぴょこっと棒状の火が飛び出した。

火球の上側は果実の皮のようにめくれ、炎は次第に細長く伸びて形を変える。

そして上空には、長い尾羽と精悍な顔つきの、大きな鳥が姿を現した。


ビョョォォ!


強まった風に乗り、火の鳥は羽ばたいて行った。


ザッザッザッ――。


小さく地面が揺れ、独特のリズムで近づいてくる足音に、アスドーラは視線を向けた。

中庭の入口の陰から出てきたのは騎士だった。

それも数十名からなる大所帯で、規律正しく行進しながら中庭へ入ってくる。


「こっちでーす!騎士さーん!」


アスドーラは手を振り、校舎へ誘導を試みたが、騎士の行動に違和感を感じる。


ザッザッザッ――。


無言のまま全隊が中庭へ侵入すると、ハンドシグナルで隊列が広がり、そして剣を抜き放ったのだ。


「……あの、何をしてるんです?」


確かに騎士の到着は早かった。

きっと、異常を察して駆けつけたとか、事前に情報を掴んでいたとかそんな理由だと思った。

だが、放たれる殺気が全てを否定する。


「アスドーラ殿。抵抗せず我々と共に来たまえ」


「……どうして?今はそれどころじゃないんだけど」


「王族の拉致誘拐は反逆罪だ。来たまえ」


「……それは、解決したでしょ?王様と話したよ」


「これは勅命だ。抵抗するなら、その場で処刑することも許されている」


勅命、それはつまり、王の命令。

ノース王国との約束事をなかったことにして、ここで殺そうとしている。

その理由は?


アスドーラは無言で思考を続けた。

にじり寄る騎士たちなどどうでもいい。

彼らの殺意など、微塵も気にしていなかった。


亜人が倒れ、騎士がアスドーラの命を狙い、そして勅命があったと。

偶然が重なっただけとは思い難い。


もしかしたら昨日の騒動さえも関わっているのではないかと勘ぐってしまう。

だがそれはないだろう。コッホはミッテン統一連合からの刺客なのだから、この件とは無関係のはず。


亜人だけ。

亜人だけが倒れた。


これが意味するのはやはり、人間と亜人の関係を思えば察しがつく。

でもおそらく違う。

それだけではない。

ノース王国との約束を破ってまで、アスドーラに手を出そうとしていることが証左だ。

差別だけで、自国を窮地に陥れる意味がない。


ラハール王国は、ノース王国の脅しに屈服するしかなかったのに、こうして手のひらを返したのは、脅しが脅しでなくなったから。


つまり、ノース王国は脅威ではなくなった?


どうしてだ。

三国に挟まれるラハール王国は、綱渡りのような外交で生き残ってきたのではないのか?

ノース王国の挙兵は確実に脅威であるはず。


「……だんまりか。まあいい、捕縛しろッ!生死は問わんッ!」


火よ風よイグニスミクスヴェントス

泥沼ミクスウォラゴ

逆巻く鉤爪ミクスウングジーテ

暗雲瘴テネヌビディーレ


種種の口頭術が放たれ、操魔術の奔流が襲い掛かる。


「ぅぉぉぉ!」


両翼の騎士たちも走り出し、魔法と肉弾戦のリンチが始まる……。


はずもなく。


失神せよテネコーペ


アスドーラの魔力が弾け、全ての魔法を食い破る。

そして騎士に触れた瞬間、失神の魔法が意識を強取した。


騎士たちはバタバタと倒れ伏す。

だが、知りうる限りの情報が共有されていたこともあり、失神を見事に防ぎきった者もあった。


「くっ……躊躇するなッ!殺せッ!」


魔力に当てられ、ブルブルと震える騎士に喝を入れる。

これは勅命なのだ。

何が何でも、果たせねばならない。


決然とした態度が、騎士たちを突き動かした。


「ぅおぉぉお」


隊列は乱れ、乱戦の様相を呈す。

日々の鍛錬、個々の力が発揮され、魔法や刃が肉薄した。


ブシュ――。


「今だ!つづ――」


とある騎士の刃がアスドーラの喉へと突き刺さった。

興奮のままに、仲間へと追撃の指示をしようとした。


そして彼は、命を失った。


バシュッ――。


赤く飛び散る鮮血。

みずみずしい果実が地面に叩きつけられたように、頭部が弾け飛んだ。


「あんまりバレたくないけど、もう躊躇わないよ」


アスドーラの小さな手は、まさにドラゴンであった。

禍々しい爪、分厚い皮膚、そして全てを跳ね除ける鱗。


グッパッと感触を確かめる。

鬼気迫る表情で猛進する騎士たちをよそに、アスドーラは思案していた。


魔力だけで終わるのか?と。


「ぅぉぉぉお!」


死地に飛び込む騎士たちへと、手向けの花を贈りながら、不安な未来に立ち向かう方法を模索していた。



中庭の騒がしさに気づいたザクソンは、事態の深刻さに焦燥していた。

嘔吐を繰り返すラビは、まだいい。

ノピーや熊人の方は、魔力が枯渇し呼びかけにも応答せず、浅い呼吸を繰り返していたのだ。

ただの魔力酔いでないことは、明白だった。

いや、正確に言えば魔力酔いと重なり、何かが今起きているのだ。


「先生!息がありませんッ!」


「……くっ。私が代わる。ラビ先生についてくれ」


熊人の呼吸が止まった。

魔力酔いで、人は死なない。

たとえ魔力が枯渇しても、人は死なない。


何故だ。


快癒せよコンナティオ!』


熊人の胸が仄かに光る。

蘇生等に用いられる中位の魔法であるが、耳を近づけてみても呼気は戻っていない。


回復せよアディクペレティオ!』


欠損すらも完治させる上位魔法で、蘇生を試みる。これがもしもダメならば……。

ザクソンは祈るように熊人を見つめる。


「プジラ・ブロンクスッ!起きろッ!」


ザクソンの悲痛な叫びに、幾人かの生徒は泣き出した。

極度の緊張状態にあって、さらにクラスメイトが死にかけているのだ。

誰も彼女らを責めることはできない。


ザクソンはふぅっと息を吐き、横たわる熊人プジラの胸に手をかざした。


蘇活せよアディズシタティオ!』


キラキラと透き通る空気の層が、プジラの全身を包みこんだ。

一般的には使用されない、この蘇生の魔法を用いたのは、生徒を救いたいと強く思うあまりの行動だった。


「プジラッ!」


「……ゴフッ」


目を開けたプジラは、苦しそうに口を閉じていたが、堪えきれずに吐血した。


「……ひっ」


誰かが恐怖に声を漏らす。

蘇生したプジラの目からは赤い涙が流れ、鼻や口や耳、粘膜から出血していた。


回復せよアディクペレティオ


ザクソンはすかさず、治癒魔法を施した。


助けたいと思うがあまりに使用した魔法は、とても危険な魔法であった。

使われないのには理由がある。


蘇活せよアディズシタティオ』は、ほぼ確実に蘇生できる魔法であるが、その反面、肉体へのダメージが大きく、半分の確率で後遺症が残ると言われている。

さらに言えば、消費する魔力が大き過ぎるため、一般の医者が使うには向いていなかった。

そして、もっとも危惧されるのは魂の毀損である。


「プジラッ!返事をしろ!名前を言えッ!」


人は死ぬと、魔力と魂が世界へと還るのは、誰もが知るところだ。

魂とは人を人たらしめるものであり、魔物や虫や動物と人とを分け隔てる、決定的差異でもある。


人は死ぬと、はじめに魔力が喪失する。

次に魂が喪失する。


魂の喪失が始まると、『回復せよアディクペレティオ』以下の治癒魔法は効果を発揮しない。すなわち手遅れになる。


だが『蘇活せよアディズシタティオ』は、魂が完全に喪失するまで、効果を与えることができる。

たとえ魂が毀損していても、生還することができる。


ただし、世界へと還った魂は決して戻らない。

魂が毀損した状態の人を蘇生した場合、毀損の度合いにもよるが、一般的には理性を失うと言われている。

つまり魔物や虫や動物のような、人ではない、名もなき生物に近づく。


「プジラッ!」


「……せ、んせい」


「名前を言え!お前の名前はなんだ!」


「……プジラで、す」


「家族の名前があるだろう!」


「……プジラ、ブロ、ンクスで、す」


ザクソンは、汗を拭い大きく息を吐いた。

彼はまだ、人のままであった。


そして、ひとつ。

プジラ・ブロンクスという熊人の蘇生に伴って、とても重大な事実を発見することができた。


回復せよアディクペレティオ』を使用しても、効果がなかったということは、魂の送還が始まっていたということだ。

つまり、亜人の身に起きているのは、死である。


死があって初めて、魔力と魂が世界へと還るはずだが、亜人たちの様子から勘案するに、死の順に逆転が起きている。


「……っく、ノピー!おい起きろッ!」


ジャックの叫びでハッとした。

彼も今、魂の送還が始まったのだろう。

完全に喪失すれば、訪れるのは死。


「……っくそ」


ガラガラッ――。


ザクソンは急ぎ立ち上がったが、机をなぎ倒しながら崩折れた。


彼の疲労は、もはや限界を超えていたのだ。


昨日の戦いでは、獣人たちから生徒を守り、校舎内に押し寄せる獣人たちを捕縛し、そして広場に残されていた生徒の救出へ誰よりも速く向かった。


そして今、上位魔法を連続使用し、『蘇活せよアディズシタティオ』まで行った。


魔力量が多いザクソンならば……。

昨日の戦いさえなければ……。


「先生ッ!」


「……今行く」


魔力酔いで、視界は揺れていた。

疲労と恥をかなぐり捨て、這々の体でノピーのもとへと向かうが、もう一度『蘇活せよアディズシタティオ』を使う自信はなかった。


けれど、そんなことはおくびにも出さない。

恐怖と不安に押しつぶされそうな生徒たちに、これ以上の絶望を与えないように。

大人として教師として、何もかもを振り絞った。


蘇活せよアディズシタティオ


教室はシンとする。


ザクソンは生唾を飲み込み、もう一度魔法を使った。


蘇活せよアディズシタティオ


「……先生、まさか魔力が」


輝く空気の層がノピーを覆うはずであった。

しかし目の前では、呼吸が止まった少年が横たわっているだけ。


なんとかしなければ。

私以外、誰がノピーを救えるというのか。


ザクソンは、もう一度魔法を使おうとして、手を止めた。


いた。


たった一人。


ノピーどころか、亜人たちを救える者が。


ザクソンは、思考を切り替えた。

今すべきことは、救うことではなく、死を遅らせること。

魂について、あらゆる記憶を掘り返した。

聞き齧りの伝承、魂を題材としたの神話。

そしてふと思い出される、父の葬儀。


これしかない。

知識は中途半端で、自信もなかったけれど、これしかないと思った。


聖者の棺ルクサンクトロス


聖職者にしか許されていない魔法であった。

頻繁に使う魔法でもなく、使える者も限られている魔法。


「……くっ、おいッ!まだ死んでねえよッ!早く解け!」


ノピーを包み、そして真っ白な棺が閉じられる。

その様を見て、ジャックは激怒した。

座っているのもやっとなザクソンに掴みかかり、拳を振り上げた。

助けるどころか、葬儀の真似事をされて黙っていられるはずもなかった。

まだ死んでいないはずだと、なんの確証もない自信が、彼をここまで駆り立てる。


「魂の送還はこれで止まる……はずだ」


ボソリと溢れたザクソンの言葉に、ジャックの拳は止まった。


「算段がついてんだな?助けるんだな!?」


「私にはできない」


「じゃあ誰が――」


その瞬間、魔力が全てを包みこんだ。

教室のみならず、学校全てに広がる魔力。


それは神のものであった。


「ノピー……生きてるよねえ?」


赤く染まった神の手は、震えていた。






――――作者より――――

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