第45話 必ず来てくれる
白い棺――。
意識を失ったラビ――。
血を流すプジラ――。
目に映る命の輝きは、くすみ始めていた。
ノピーはどこにいるのだろう。
「はあ、アスドーラ……ぅぷっ」
ザクソンはジャックの手を振りほどき、口を抑えてうずくまった。
彼は最後の魔力を使い切ったため、魔力酔いに陥っていた。
「……はあ、はあ。『
「『
アスドーラは、白い棺を前にして少しばかり恐怖を感じていた。
魔力を反射し、光すらも反射する棺の中にノピーはいるのだろう。
もしも……。
もしも生命の輝きがなくなっていたら……。
「……ア、アスドーラ。早く、しろ。この棺が、本当に機能しているのか、私も、自信がない」
アスドーラは躊躇いがちに頷き、目の前の棺へと手をかざした。
『
生徒たちが固唾をのんで見守る中、棺の周囲にはキラキラと透き通る空気の層が表れた。
ジワジワと棺を飲み込んでいく。
これでいいのか?
アスドーラの視線にザクソンは頷いた。
そうして現れた、エルフの少年。
白い肌が青ざめていて、ピクリとも動かない。
そんな彼の全身をアスドーラの魔法が包みこんだ。
そして、スゥッと消えていった。
「ノピー・ユーノマン!起きろッ!」
ザクソンは、床を這いずりながら少年の肩を揺らした。
「起きろ!起きて名前を言えッ!」
何度も揺らし、耳元で叫ぶが、彼の目は開かない。
「大丈夫。まだ大丈夫」
ザクソンの側で、アスドーラは言った。
彼の目には映っていたのだ。
生命の輝きが。
魂が。
「……ぁ」
胸が荒く上下して、ノピーのくぐもった声が小さく響く。
「ノピー!?」
すると突然ガタガタと震えだし、全身が硬直した。
目を見開いて、ギリギリと歯がこすれ、首には青筋が浮かび上がり、顔が真っ赤に染まる。
「アスドーラ、『
ザクソンの声を受けて、アスドーラはすぐに魔法を使った。
『
ノピーの全身がぼんやりと光を帯び、次第に震えが収まり、硬直が解けていく。
呼吸は浅く早く、苦しそうなままであったが、ゆっくりと瞼が開き、焦点の合わない目がアスドーラを捉えた。
「名前だ。名前を……言わせろ。はあ、はあ」
アスドーラは頷くと、ノピーの手を取った。
「ノピー。名前を教えてよ。もちろん、僕は知ってるけど、大丈夫か確認のためにさ」
「……ノピー・ユーノマン」
生徒たちの中から、ポツポツと拍手が起きた。
良かった。助かって良かった。
まばらだったそれは、次第に大きくなる。
ザクソンもほっと胸をなでおろし、とうとう起き上がることもできなくなってしまった。
けれど、生徒を助けることができて、心底安堵していた。
「……どうした」
唯一、気づいたのはジャックだけであった。
手を握ったまま、動こうとしないアスドーラの異変に、眉をひそめていた。
アスドーラは何も言わず、ノピーを見つめていた。
生命の輝きは確かにある。
ゆらゆらと不安定だが、そこにある。
けれど……とても小さくなっていた。
しかも、今もなお、頭上から吸い取られ続けている。
とても危険な状態で、何度魔法を繰り返しても、対症療法にしかならないことを悟った。
「ノピー。僕を信じてくれるかい?」
世界最強のアースドラゴンでさえ、失われた生命の輝きを取り戻すことはできない。
全てが世界に還ってしまえば、もう二度と取り戻すことはできない。
だから今、決断した。
唯一と思える方法を、試すことにした。
上手くいくのか分からない賭けであった。
ノピーに信じてもらえるなら、必ずやり遂げる。
「……頼むよ。まだ、僕は、死にたぐな゛い゛。だずげでよ゛。アスドーラぐん」
「……任せて」
アスドーラは、笑顔をみせる余裕もなかった。
唇を震わせ、頷くことしか……。
『
少しでも苦しむことがないように眠らせた。
そしてアスドーラは、収納魔法という名の亜空間に友だちを閉じ込めた。
「お前……何してんだ」
狼狽するジャックに、アスドーラは答えた。
「これしかないんだよ。これできっと、魔法から離れられるはずなんだ」
「確かなのか?」
「たぶん……」
アスドーラはこれまで、何度も収納魔法を使ってきた。そして何度も転移魔法を使ってきた。
亜空間という存在について、人よりも多くを体験していたから、分かることがある。
亜空間には、魔力があるのだ。
とても濃い魔力がある。
そしてアスドーラは、その魔力の主を知っていた。
この世界を創ったドラゴンのものである。
どういう理屈か、どういう仕組みかは分からないけれど、亜空間にはドラゴンの魔力が満ちている。
そうであるならば、それは、この世界で瘴気と呼ばれる存在であるはず。濃い魔力は人にとって毒であると、いつかノース王国のロホスが言っていた。
生物は耐えられないはずなのだ。
本来は。
ノピーが語っていた、トランクケースに迷い込んだ少年の話。
彼は恐らく、半日はドラゴンの魔力にあてられていたはず。
それなのに死んではいなかった。
つまり、亜空間に満ちる魔力は、この世界でいう瘴気とはならずに、別の何かになっているのだろう。
アスドーラはそう推測し、自分の魔力を信頼した。
ノピーを苦しめる魔法から、必ず守ってくれるだろうと。
自分の魔力を信頼し、亜空間に閉じ込めた。
トランクケースの少年の話から導いたタイムリミットは半日。
それを超えれば、廃人どころではなくなるかもしれない。
だから、半日位内にすべてにかたをつける。
「まあ、他に手はないしな。次はどうする?」
ジャックの切り替えの早さに驚いたが、今はその方が助かる。
誰も正解など知らない中、暗中模索して出口を見つけなければならないのだ。
しかも時間というおまけ付きで。
アスドーラは、カチカチとうるさい時計になんとなく目を向けた。
次は何をすべきか。
時間はない。
時間は……。
「学校だけじゃないってことは、あり得る?」
アスドーラは自問していた。
まさかそんなことはあって欲しくないと思いつつ、可能性を排除するために。
そんなことはつゆ知らず、ジャックが答える。
「町全部がこうなってるって?さすがにそりゃあないだろ。どんな大魔法だって話だろ」
そうであってほしい。
でもよく考えると、そんなはずはないのだ。
亜人たちが死にかけている折に、騎士団がアスドーラを殺しに来た。
勅命で――。
そう、国王の命令なのだ、
意図は分からないけれど、国王が学校だけを狙うなんてことあるのだろうか。
町全体なんて小規模な話ではなく、国全体ですらあり得る。
アスドーラは中庭へ走った。
校門を抜けて、町の様子を見るべきだと思ったからだ。
「……そんな」
だがその必要はなかった。
空を見上げると、まるで雲のように大量の魔力が流れていたのだ。
「おい、まじかよ。パノラ見るな!」
遅れてやって来たジャックは、パノラの目を塞いだ。
中庭を埋め尽くす死屍累々を、パノラの目に入れまいとした。
「何がどうなってんだよ!アスドーラ!」
半狂乱になりながら、呆然とするアスドーラへ向けられた、やり場のない不安。
それはアスドーラも同じだ。
教室の時計は9時15分を指していた。
45分後には、ネネが出発する。
流れる魔力を見上げ、唇をかみしめた。
頼むから間に合ってほしい。
アスドーラは振り返った。
「ごめんジャック。みんなは助けられないや」
「は?」
本当はみんなに謝りたかった。
倒れている亜人たちへ、ごめんねと言いたかった。
君たちは何も悪くない。できることなら助けたい。
でも無理だ。
だからごめんねと、ジャックに告げて転移した。
※※※
「ネネ?おはよう」
「……おはよう。おばさん」
いつものように朝ごはんを食べ、いつものように掃除をして。
いつもとは違う服を着て、いつもとは違うカバンを壁に立てかけた。
この家とも、おじさんおばさんとも最後の日。
そして、アスドーラとも会えなくなってしまう日。
「ネネ?ちょっと買い物を頼まれてくれない?」
「……え?うん。いいよ」
「お願いね」
追い出されるようにして外に出た。
しかも一人で。
「……うん?」
いつもなら、必ず誰かがついて買い物に行くのに、今日は一人。
ネネは首を傾げながらも、メモに書かれたリスト通りに店を巡った。
ああ、この町ともお別れか。
買い物カゴを持ち、いつもの帰り道を歩く。
店の軒先を眺めていると、湧き上がる愛惜の念で、足取りが重くなる。
アスドーラと行った店。
アスドーラと歩いた道。
アスドーラと出会った場所。
アスドーラとキスをしたこの町。
トボトボと歩き続け、見慣れた家が近づいてくる。
いっそのこと逃げたい。
身を隠して、アスドーラに匿ってもらったら。
なんて思ってみるが、彼を困らせるのは本意ではない。
「あ……忘れた」
小走りですれ違う騎士を見てハッとした。
また登録証を忘れてしまった。
つい先日も、登録証を忘れて冷や汗をかいたのに。
あの時はアスドーラが守ってくれたけれど……。
「しっかりしなきゃ!」
しっかりしなきゃダメだ。
ボーっとしてちゃだめ。
最後はちゃんと笑って、さよならをしたいから。
気合を入れて歩を進めた。
「おい。おいッ!」
「大丈夫か?」
「こっちもだ!」
背後から突然、怒声にも似た叫びが上がった。
「あなた!」
「医者だ!医者を早く!」
「どうなってんだ一体!」
四方八方から上がる、どよめきにネネは不安を覚える。
ドサリ――。
「……ぇ」
目の前を歩いていた獣人が、突然倒れた。
「おいそこどけ!」
「誰か助けて!」
家や店から飛び出した人々が、通りを歩く誰かに助けを求める。
けれど誰も助けようとはしない。
「……亜人か」
「余計なことはしねえほうがいいや」
人間たちは、見て見ぬふりをして、その場から離れていく。
目の前の獣人は、小さくうめき声を上げながら、地面を這い、近づいてくる。
ネネは呆然としていた。
家から這いずって来る獣人。
店から引きずり出されたエルフ。
助けようとする人間に運ばれる亜人。
「亜人には近づくな!病気かも知んねえぞ!」
人間はそう言うと、道の真ん中に立つネネを睨みつけた。
「失せろ魔人が!どっか行け!」
一体何が起きているのか。
倒れているのは亜人ばかりで、人間は誰も倒れてはいない。
ハッとして駆け出した。
「おばさん!」
きっと大丈夫だ。
たまたま亜人が倒れただけで、おばさんは大丈夫なはずだ。
ノブに手をかけ、引っ張ってみるが、鍵が掛かっていて開かなかった。
どうして鍵なんか。
焦燥するネネは、ノブを思い切り引っ張る。
それでも開かない扉に、怒りを滲ませて強く引っ張った。
バギッ――。
獣人の怪力で鍵は壊れ、扉が無惨に揺れる。
「うわっ!ネネ?なんで扉を……」
おじさんが血相を変えて駆け寄ってくる。
「おばさんは!?」
「え?ああ、ちょっと体調が悪いって寝てるよ」
おじさん越しに目に飛び込むのは、飾り付けられたテーブルとたくさんのお菓子だった。
いい香りがする。
きっと高かったろう。
なぜ外に出されたか分かった。
最後の日だから、こうしてお別れをしてくれようとしたんだ。
「……内緒だったんだけどなあ」
ネネはおじさんに買い物カゴを無理やり押し付け、寝室に駆け込んだ。
「おばさん!?」
「……ねねら、いりょふろ」
呂律が回らず、顔が真っ青になっていた。
これのどこが、ちょっとなのか。
ギリギリと奥歯を噛み締め、おじさんを呼びつけた。
「どうしたんだネネ」
「おばさんを医者に見せないとッ!」
「だからちょっと体調――」
「違うんだってば!通りでみんなたおえてうんはお」
「……ネネ?」
「……はあ、あ、あら、お、おいさん」
突然だった。
舌が回らなくなり、おじさんの顔がぐにゃりと歪み渦のようにねじれたのだ。
血の気が引いていくような感覚の後、足から力が抜けた。
「ネネッ!ど、どうした?ネネ?ネネ!」
「……お、おいあさんに」
どんどんと力が抜けて、全身に金属でも流し込まれたように重たくなる。
どうしてか、何もしていないのに魔力が出ていってしまう。
「な、どうしたんだ2人して……まさか、獣人だけ?嘘だろこんな。ちょっと待ってろ!」
おじさんは、壁にぶつかりながら走り去っていく。
その後ろ姿も、ぐにゃりと歪んでいた。
キューッと視界が狭まり、呼吸が苦しくなっていく。
水にインクを垂らすかのように、途方もない恐怖が広がって、涙が溢れた。
だらりと空いた口で、何度も何度も叫ぶけれど言葉にならない。
自分の声が、恐怖を増大させてしまう。
本当に、このまま死んでしまうのではないかと。
それでも叫ばずにはいられなかった。
アスドーラ、助けてと。
叫ばずにはいられなかった。
「あーーーー!ゴホッゴァッ」
仰向けのまま叫び続けたせいで、唾液が気管に入り、弱っていた呼吸が一気に苦しくなる。
胸から奇怪な音がしたが、ネネは叫び続けた。
「がぁぁ!ゴォホッ、ゲホッ。あぁぁぁ!」
そしてついに彼は来た。
「ネネ!」
※※※
ネネの家の前に転移したアスドーラは、周囲の悲惨な状況に歯噛みしたが、すぐに気持ちを切り替える。
贖罪は後でいい。
今はネネを助けたい。
扉を開けようと正面に目を向けると、パタパタと扉は揺れていた。
床には壊れた鍵が落ちており、買い物カゴと食材が散乱している。
「がぁぁ!ゴォホッ、ゲホッ。あぁぁぁ!」
まさかと思い家の中へと飛び込んだ。
この機に乗じて暴漢が侵入したのかと思ったアスドーラであったが、家の中には誰もいない。
飾り付けされたテーブルとお菓子しかない。
首を傾げて、開け放たれた隣の部屋を覗き込むと、ベッドにはネネのおばさんが横たわっていた。
そして床には、浅い呼吸で苦しそうにしているネネがいた。
「ネネ!」
アスドーラはネネの体を起こして、背中を強く叩く。
吐瀉物はないが、念の為の処置だ。
「……ゴホッ、ゲボッ、ぉえぇぇ」
ネネの体が屈曲し、胃の中身を吐き出そうと震えた。
背中をさすりながら、耳元に口を近づけ、決然とした声色で語りかけた。
「必ず助けるからね」
「……ぉぇぇぇ。はあ、はあ。来て、くれたゆ、だへ」
「おやすみネネ。『
ぐらりと項垂れたネネを抱き上げ、亜空間に入れようとした時。
ネネの表情を見て、手が止まった。
彼女は笑っていた。
本当に自然な笑顔だった。
「……必ず助けるよネネ」
アスドーラは唇を噛みしめ、亜空間へと彼女を押し入れた。
ドタドタッ!
家の中に飛び込んで来た足音に身構える。
だが、そこに立っていたのはネネのおじさんだった。
「医者はダメだ!教会に……君は。どうしてここに」
息を切らしながら、いるはずのない人物を目にして動揺しているようだった。
「助けに来ました」
「助けにって一体……」
暫く見つめ合い、アスドーラはおじさんを失神させた。
説明する時間も、不審に思われる時間も、何もかもが無駄だから。
「ごめんなさい」
眠っているおじさんに頭を下げて、家を出ようとしたが、踵を返してベッドに横たわるネネのおばさんを抱き上げた。
「おばさんも助けますので、待っててください」
もう一度頭を下げてから、おばさんを亜空間へ入れる。
そしてまた、学校へと転移した。
――――作者より――――
最後までお読みいただき、ありがとうごさいます。
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