第42話 ドラゴンが好き
結局、ノピーの腹筋はつった。
苦悶の表情で海老反りしながら、笑いと痛みで泣いていた。
アスドーラも、笑いながら治癒魔法をかけてなんとか回復したものの、互いに数分間はまともな空気にありつけなかった。
「もう、暗くなるよ。ネネさんのとこ行きなよ」
「そうだねえ。はあ。明日にはいなくなっちゃうしねえ」
「……ん?どういうこと?」
「あ、言ってなかったっけ」
アスドーラは、かくかくしかじか説明した。
結論としては、明日出発する予定であることを伝えると、ノピーは唖然としていた。
「なんでこんなとこで油売ってるんだよ!早く行ってきなって!」
「ええ?ど、どうしたの急に」
「どうもこうもないよ!転移転移!ほら早く!」
「あ、うん。じゃあねえ!」
ノピーの剣幕に気圧されて、ネネの家の前へ転移した。
「うわっ!」
「ひょわっ!」
ばったり出くわしたのはネネだった。
いつもとは、なんだか様子が違っていて、今日は随分とめかしこんでいた。
毛並みがツヤツヤしていて、服装もいつもの地味な半袖半ズボンではなく、キャミソールが透けるレース地の長袖と、ひらひらしたスカートで。
なんだか、いい香りも……。
「……アスドーラ」
「お、あれ?どうしてここに?」
「……待ってたんだけど」
待ち合わせの時間なんて決めたっけなあと考えていると、見透かしたように鋭い言葉が飛んでくる。
「時間は決めてないよ?でも、もっと早く来てくれると思うじゃない。だって明日、私帰るんだよッ!?」
アスドーラはたじたじであった。
ネネの目には涙が溜まっていて、何をどうしたらいいのやら。
ここはとりあえず謝罪だと考え頭を下げるが……。
「もういいッ!バカみたいッ!」
バタムッ!
「ぇぇぇ」
後の祭りであった。
扉がキツく閉められて、中からは乱暴に鍵を閉める音まで。
「ぇぇぇ」
寒風にも似た細い声しか出てこなかった。
ネネがあんなに怒ったのは初めてだ。
第一、なんで怒っているのかまったくわからない。
仮に早く来ると思っていたとして、遅れたのは謝った。
そしたらバカみたいって……。
「ぇぇぇ」
世界最強のアースドラゴンも、女性の前では、かたなしであった。
怒り返す理由もないし、でもなんかモヤモヤするし。
明日には帰ってしまうからどうしても遊びたいし、でも家の中に引っ込んでしまったし。
ああ、どうしよう。
ノピー!
思念で助けを求めようとしたら、家の中から鍵をガチャガチャする音が。
「ああ、もう壊れちゃってるな。おーい、外してくれる?」
「はいはい」
バキンッ!
「後で修理だなあ。ほらネネ、機嫌を直して行ってきなさい。お友だちも謝っていたんだろう?」
「そういう問題じゃないのよね?男はこれだから。アナタは向こう行ってて」
「お、おう」
扉の前で立ちすくむアスドーラは、戦々恐々であった。
こんなことなら、
「ネネ?意地を――ダメよ――してみなさい」
「――え?――それで――」
「うん。絶対にね。分かった?」
何やらゴニョゴニョと会話をしていて、うまく聞き取れなかった。
バタムッ!
涙を拭きながら出てきたネネは……まだ怒っていた。
扉の向こうで手を振っているおばさんの尽力も虚しく、まったく機嫌は直っていなかったが、遊びに行く気にはなったらしい。
「何してるの?日が暮れるでしょ!」
「ああ、うん」
誰が気づくであろうか。
猫人の少女の後ろで縮こまる少年こそ、世界最強のアースドラゴンであると。
素性を隠すという意味では、もっとも上手く機能しているカモフラージュであった。
アスドーラは能天気なきらいがある。
それはひとえに、世界最強だから。
大体のピンチは乗り切れるし、死ぬこともない。
もしもの時は本気を出せば、そのほとんどが片づいてしまう。
だから深く考える必要がなかった。
けれど、友だちを作るに際しては細心の注意を払ってきた。
色々と失敗もしたけれど、きちんと学び次へ活かす意欲と向上心がある。
その結果が今である。
「……」
「……」
互いに無言を貫き、付かず離れずの変な距離で、通りのど真ん中を闊歩している。
スッと人々が避けていく。
そして、怪訝な表情でアスドーラたちを見送る。
普通に邪魔だった。
普通に迷惑であった。
何故アスドーラは話しかけないのか。
それはネネが怒っているから。
どうして怒っているのか?いつものように尋ねまくれば、火に油を注ぐと学んでいた。
だから、必死に考えていたのだ。
どうして怒っているのだろうと。
一方ネネは何を考えているのか。
怒った手前、どうしたらいいのか分からなかった。
振り下ろした拳をどこに着地させていいものか。
気合を入れてめかしこんだのに、待てど暮せどアスドーラは来ない。
確かに待ち合わせの時間は決めていなかったけれど、学校が終わり次第すぐに来ると言っていたはずなのに。
遊べる日は今日だけなのに、どうしてもっと早く来てくれなかったのか。
こんな時間からなんにもできない。
気合を入れて待っていた自分がバカみたいだった。
今日だけなのに。
どうしてこうなるんだろう。
ふたりの共通した思いだった。
あてもなく歩き続け、夕日は地平線の向こうに沈みかけていた。
雰囲気は、これ以上の底がないほどに最悪だった。
そこでアスドーラは、ハッとする。
自分がいつも思っていることを、自分が忘れていた。
人の時間は有限だ。ほんの短い人生なのに、こんなくだらないことで、ギスギスするのはバカみたいだ。
そう思い口を開いた。
「ネネ!ごめんね!」
「……なにが?」
「分からないけどごめん。本当にごめんと思ってる」
本人も認める通り、アスドーラは嘘が苦手だ。
だから素直に謝った。正直に、怒っている理由が分からないと告げた。
アスドーラはどこまでいっても、素直で正直で、それでいて友だちが好きだ。
それはネネも分かっている。
なんといっても、アスドーラの初めての友だちなのだから。
出会った頃、あの牢屋の中でまったく空気が読めていなかった少年。
アスドーラは、ずっと素直で正直だった。
寂しさを紛らわすつもりで話しかけると、他の誰とも違う性格で、とても新鮮で、すぐに興味が湧いた。
初めこそ子供っぽい弟のように見ていたけれど、どうしてだか惹かれた。
それは、絵本のお姫様のように、救ってくれたからかもしれない。
言動の端々に、友だちへの想いが溢れていたからかもしれない。
単純に、優しいからかもしれない。
たまに余計なことを言うけれど、それも全部素直だから。
そういうところも含めて、好きになったのだと思う。
絶対にアスドーラは、気づいていないと思うけど。
今日は、気づかせてやろうと意気込んだ。
楽しい思い出を最後にしたかったのに。
素直に待ち合わせの時間を言えばよかったのに。
楽しみにしている、待ち切れないって言えればよかったのに。
「ゔぅぅ、私もごめん……。怒ってないぃぃ」
「どぅ、えっ!?な、なんで泣くの!」
「ゔえーん、アスドーラごめーん」
「よ、よーしよし。泣かないでー、泣かないでー。なんで泣いてるのぉぉぉぉ」
路上で大泣きする猫人の少女と、背中をさすりながら困惑する少年。
行き交う人々は2人を避けながら、優しい笑みで見送った。
トボトボ歩き続けた。
大泣きするネネが泣き止んだのは、夜が訪れた時分。
アスドーラは困惑しきりで、泣き止んでくれた頃には、すっかり精神をすり減らしていた。
「ネネどうしよう。もう暗くなってるよ」
「だってアスドーラが……ううん。遊びたかったよアスドーラと」
「……ごめんよ。うーんと、話したいことがあるんだけど、帰りながら聞いてくれる?」
「う、うん。なんか変だよどうしたの?」
行きの道をただ戻るだけという、あまりにも残酷なデートであった。
これも社会の不条理か。
いや、ただの情報共有不足である。
てくてくと歩きながら、アスドーラは重たい口を開いた。
「僕はネネが友だちだと思ってる。でももし、ネネが嫌だったら、友だちは止めてもいいんだ」
「……何言ってるの?嫌じゃないよ?」
「僕がさ、その」
ノピーの時は事前に魔法を見せて、それでいて打ち明けられる雰囲気があったから、すんなりと言えた。
つまり今とは、まったく状況が違った。
互いに落ち込み、互いに申し訳ないと言い合い、遊ぶはずが散歩になってしまった帰り道。
そんな最悪の状況で打ち明けるのとは、まったく違った。
アスドーラは、ゴクリと生唾を飲み込み、意を決して秘密を語ろうとしたが、ネネに先を越された。
「いいんだよ?無理に話さなくても」
「……ううん、友だちにはちゃんと伝えておきたいんだ」
「そっか」
するとネネは立ち止まり、振り返ったアスドーラの両手を取った。
「頑張って話してみて」
その表情を見て、アスドーラの心はフッと軽くなった。
不器用な作り笑いから、彼女の緊張がひしひしと伝わった。
自分だけではない。
相手だって、何を言われるのか不安になるのは当然だ。
これだけ口ごもれば、言いにくくさせている原因が自分なのでは?と思うかもしれない。
だから彼女は、笑ってくれている。
こうやって、思いやりをくれる人に、やはり嘘はつきたくない。
アスドーラは、小さく息を吸い込んだ。
「僕はドラゴンなんだ」
暫く無言が続いて、アスドーラの表情はみるみるしぼんでいく。
ああ、やってしまった。
もう友だちではいられないんだ……。
「私も伝えたいことがあるの」
「……う、うん。いいんだ。仕方ないよね」
「アスドーラ、こっち見て」
「……うん」
ネネの顔に笑みはなかった。
その代わりに、どこかで見たような覚悟があった。
だからアスドーラも、言い訳せずに向かい合う。
「……ドラゴンに、好きだって言ったら変かな?」
「え?ううん。別に変じゃないよ。僕も好きだもんネネのこと」
「……そうじゃなくて」
「そうじゃないの?」
「……うん、違う」
そう言ってネネは、ふぅと息を吐いた。
ちょっとだけ冷たくなった手から、緊張が伝わってくる。
アスドーラは、ようやく察した。
彼女も、何か秘密があって伝えようとしているのだと。
「頑張ってネネ。大丈夫、僕は嫌いになったりしないから」
「……じゃあ、目を瞑って?」
「うん分かった。これで――ッ?」
どこかで茶化すような歓声が上がった。
嫉妬にも似た小言や、控えめな拍手もあった。
秘密は秘密のままであったほうがいいと、誰かは言うかもしれない。
心は脆く儚いから、軽々に曝け出すのは危ないと、誰かは言うかもしれない。
若く初々しいキスは、つまらないデートの帰り道であった。
曝け出した心が重なり、報われた瞬間である。
好きな人、大事な人の前では、せめて正直でありたいと思うのはごく自然なことだろう。
緊張と不安がないまぜの中、重ねた唇は多くを語らないけれど、揺るぎない確かなことだけは伝わった。
「……好きの意味、分かってくれた?」
アスドーラは目を瞬く。
「……とっても好きってことは、分かったよ」
「それならいいよ。帰ろ?」
「うん。あのー、ドラゴンの件は――」
「分かってないじゃん!気にしないってこと!早く行くよ!」
「あ、はい」
恋も愛も好きも大好きも、アスドーラにはまだ難しかった。
人の機微に触れてようやく分かる言葉もあるから。
そして今日、その機微に触れた。
「……一応、言っとくけど」
「うん?」
「友だちだから、したわけじゃないよ?分かってる?」
「……ええ?ノピーともチューした方がいいのかと思ったよ」
「ダメ!ダメに決まってるじゃん!誰ともしたらダメ!」
「そうなんだ。うん、分かったッ!」
たぶん、分かってくれたはずだ。
そう願うネネであった。
――――作者より――――
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