第41話 友だちだ!ムハハハ!
「ありがとうねえ!」
「お気をつけて!」
手を振ってノースから離れたアスドーラは、ラハールの隣町に来ていた。
「おっ母。この人が命の恩人だあ。アスドーラ様だべ」
「あ、あのこれは……何がどうなって」
ペタペタと顔を触り持病が回復したこともそうだが、娘が床に頭を擦り付け、制服姿の彼に対して
「今から学校に戻るので、何もかもルーラルから聞いてください」
「……え、あ、はい」
「行くよルーラル」
ルーラルの腕を引っ張り家の外へ。
陽射しが和らぎ始め、涼しい風が2人の横をすり抜ける。
「アスドーラ様、あの――」
「全部先生に説明して、ノピーにも謝って。それから
「あ、いやアスドーラ様」
「いつまでも君は、人の下に這いつくばって生きるつもりなのッ!?それが楽しいの?幸せなの?」
集落に響き渡るアスドーラの怒号に反応して、人々が軒先から様子を窺っている。
ルーラルはびくびくと体を縮こませ、人々の視線から顔を背けた。
「奴隷になりたいなら、どこかの誰かに頭を下げておいでよッ!体を売りたいんならその辺で売ってきなよッ!
君は抗ったのかい?君は立ち向かったのかい?君は苦しんでいたんじゃないのかいッ!?どうして同じ轍を踏もうとするんだッ!」
「……や、止めてくれだよ。勘弁してけれぇ」
俯きながらボソボソと懇願するルーラルに、まったく態度を崩さないアスドーラ。
彼はもう、怒ってはいなかった。
ノピーが売られたことも、自身が売られたことも、心底どうでもいい。
ただ許せないのだ。
抗いがたい世の摂理があったとしても、捨ててはいけない矜持がある。
ノピーだって、バロムだって、辛く苦しい現実であっても生きていたのは、頭から爪先までしっかりと矜持があったから。
人の端くれならば、生きる矜持だけは捨てちゃいけない。
大地を踏みしめ、大きな声で叫ばねばならないときだってある。
尊厳というのは、そうして守るものなのだ。
いつしか忘れてしまったのだろう。
矜持を粉々に砕き、生きるために人に従い、金に取り憑かれ、そして尊厳までもどこかに売り飛ばしてしまったのだろう。
奴隷になった獣人たちと何が違うっていうんだ。
不条理なこの世の中で、そんな者の辿る末路は悲惨だ。絶望してしまうほどに尽く不条理だ。
だからアスドーラは、叱責した。
「僕がいなかったらお母さんはどうなってたんだい?ノピーがもしも図書館にいなかったら、君はまだステルコスに従っていたんだろう。全部偶然なんだよ。たまたま君は、死なずにこれただけなんだ。それでいいのかい?本当に君は満足なのかい?」
「……そんなことは」
「これだけの偶然が重なったのに、どうして君は気づかないんだッ!今はなんのしがらみもないだろう!全部君が頑張ったからじゃないかッ!全部君が引き寄せた偶然なんだよ!ボソボソ喋ってないでなんとか言ってごらんよッ!君は奴隷なのかいッ!?」
ヨタヨタとやって来た母親は、悲しげにルーラルの背中を見つめていた。
我が子の境遇全てを知っているわけではない。
けれど共に苦労してきた。
苦労をかけてきた。
辛い思いをたくさんさせた。
自分を見捨ててくれと何度も懇願したのに、ルーラルは決して見捨てなかった、
母親にとってもルーラルにとっても、家族の絆が何よりも大切なものだったから。
濡れそぼつ母親は、娘の背中に手を伸ばした。
あまりにも不憫で、あまりにも後ろめたくて。
許しを請うように、その背に触れようとした。
「うるせえうるせえうるせえ!うるせえッ!」
ルーラルの中で、何かが断ち切れた。
その瞬間、これまで押し隠していた憤怒が表出し、目の前のアスドーラへとぶつけられる。
ガシッと襟首を掴み、人目も憚らず馬乗りになって叫び散らした。
「おめえには分かんねえ!ボンボンのくせに上から言うんでねえッ!おっ母のために金を稼いで何が悪いってんだッ!体だって魂だって売ってやるッ!奴隷にだってなってやるッ!」
「もう助かったじゃないかッ!いつまでも奴隷気分でいるんじゃないッ!」
「簡単に抜けるわけねえっペ、こんたわけッ!世の中そんな甘くねえんだ!オラたちは毎日必死こいて生きてんだッ!金なんかありゃしねえッ!んだども残飯食って、生きてんだッ!おめえにごちゃごちゃ言われたくねえッ!」
「世の中は変わる。絶対に変えるよルーラル」
「嘘つけクソがッ!おめえらはいっつもそうだ!綺麗な言葉を並べ腐って、やってることは人以下でねえかッ!貧乏人を見つけちゃ罵って、そのクセ一丁前に男ぶりやがる!汚えゴミ虫はおめえらだろッ!」
「ルーラル後ろ」
「黙れッ!おめえには名前を呼ばれたくねえッ!汚え口を閉じやがれッ!」
「ルーラル」
「……ッ!?」
優しく彼女の名前を呼んだのは、他の誰でもない。
彼女の大切な人である。
「……おっ母」
「おいで」
「オ、オラ。ちげえんだ。オラはただ」
「ルーラル。お願いよ。母ちゃん寒いんだ」
「……」
人の所業とは残酷である。
愛し愛される普通の親子を、こうもズタボロにしてしまう。
ルーラルの言っていた通り、世の中は甘くない。
魂まで売り払うと言わしめるほどに辛い世の中だ。
けれど人には変えられない。
ずーっと変わってこなかったから、普通の少女に業が押し付けられてしまった。
悔しいだろう。
アスドーラも悔しかった。
だからこそ変える。
せめてこの国だけでも。
せめて北の諸国だけでも。
ノース王国が、いやノース竜皇国が背を押してくれるのだ。
皆、幸せに生きたいだけなのだ。
人が変えられない節理があるのなら、出るしかない。
世界最強たるドラゴンが。
滂沱の涙を流し、赤子のように母に抱かれ、そして互いに抱擁した親子は、別れの準備をしていた。
今生の別れではない。
一時の、ほんの少しの別れである。
そしてこれまでとは違う、新たな別れだ。
「アスドーラ君、ありがとなあ。恩人だ」
「いえ、お気になさらず。じゃあ学校に戻ります」
母親に感謝を受け、アスドーラも丁重に頭を下げた。
隣にいるルーラルは、とても気まずそうである。
馬乗りになって、泣きながらつばを飛ばしまくっていたのだから、当然だ。
むしろあっけらかんとしているのアスドーラの方がおかしいとも言える。
「ん、んじゃあオラ、行ってくるだよ」
「ちゃんと、謝ってくるんだよ」
「……うん。すぐに帰えってくるだよ」
「こっちは気にしなくていいから。たくさん勉強してきなさい」
「……うん。じゃあ、うん。行ってくるだ」
残念ながらアスドーラは、間とかタイミングとか空気とか、そういうものの知識が乏しい。
それらは普通、日常生活や社会生活で体感するものだが、44億年間出不精だったアースドラゴンともなれば致し方ないとも言える。
母親とルーラルは互いに見つめ合い、アスドーラはキョロキョロと2人をみやる。
最強たるアスドーラの大失態であった。
「早く転移するだよッ!変な感じになるでねえか!」
「あ、え?そうなの?じゃあさよならー」
ルーラルの母親は、二人が転移するまで、笑顔で手を振っていた。
とりあえず救護室にやってきたアスドーラとルーラルは、ここで正解だったなと思う。
「はいそこどいて!」
「黙って飲めい!」
多数の怪我人で救護室は満杯。
廊下まで溢れかえっていた。
その中にはジャックもいて、アスドーラと目はあったが……。
「ぉぇぇぇぇ。はあはあ、あおおえぇぇぉ」
たらいを持って空嘔を繰り返していた。
背中をさするパノラの表情曰く、喋れる雰囲気ではない。
「アスドーラ君!」
キョロキョロしていると、救護室の中からノピーの声がした。
そこにいたのかと視線を向けるとノピーは制服ではなく、何故か白衣を着ている。
しかも、血のついたガーゼを持ったまま走ってくるではないか。
「……どうしたの?」
「なにが?」
「それ」
アスドーラがガーゼを指差すと、思い出したように大きく頷いた。
「人が足りないって言うからさ、僕も手伝ってるんだ!て言っても、医者じゃないから簡単な処置しかさせてもらえないんだけどね。ほんとはもっと切断した腕とか見たかったんだけど」
「……ホテルでは、気絶してたよね。てっきり苦手なのかと」
「そりゃあもう!すんごく気持ち悪いよ!でもいつ腕が取れるかわからないでしょ?今のうちに慣れとかないとね」
開ききった瞳孔を見て、なんとなく察した。
どうやらハイになっているらしい。
何が起因してこうなったのか判然としないが、今日はとにかく色々あったから、そのどれかだろう。
いやもしかしたら、救護室の薬品にあてられたのかもしれない。
「あのー、ノピー?お話できないかなあ?」
「え?ああうんいいよ!その前に、擦り傷の処置してくるね!すぐ戻るよッ!」
ノピーが戻り、三人で中庭へ向かった。
救護室から魔闘場まで、生徒が溢れかえっており、教師や騎士たちも慌ただしく走り回っていたからだ。
どうやら、広場以外の校舎や森方面でも獣人たちが闖入しており、数百名近い生徒が怪我を負い、教師陣もその対応に追われていたそうだ。
残念ながら、そのうちの何名かは命を落とし、数名の教師は拉致されたそうだ。
コッホの、いやミッテン統一連合の主目的が、優秀な生徒の拉致であるならば、数名の教師の拐われたのも頷ける。
駆けつけた騎士の奮戦もあり、事態は見事に沈静化したが、あまりにも被害が大きく、国家間の問題に発展する公算は高い。
「最近、亜人の受け入れを強化したでしょ?それが問題だったって騒ぎそうで、ちょっと恐ろしいよ」
現に、今回の襲撃に参加した獣人の殆どが、受け入れ強化で入国した者たちだったらしい。
しかもご丁寧に、襲撃犯全員に奴隷刻印が施されていたとか。
コッホひとりでどうこうできるレベルを超えていて、裏には確実に国が動いているだろう、というのがノピーの見立てである。
「不穏だよ。人間同士の国でこんな事が起きるなんてさ。賛同はしないけれど、亜人の国とのいざこざならまだしも、一体どういうつもりなんだろう」
ミッテン統一連合は、急先鋒の亜人廃絶国家である。対してラハール王国は、大国三国に囲まれており、難しい均衡を保つため、基本的に中立の立場を取り続けてきた。
今般のミッテン側の行動は、大きく均衡を崩す動機になりうる。
ラハール王国へと、口実を与えてしまったわけである。
拉致された者の数を数えれば、均衡を崩して孤立する損失のほうが大きく見えてしまう。
だからこそ、ノピーのいう不穏が耳朶にこびりつく。
「……さあて、話ってルーラルのことかな?」
中庭の端っこに座り込んだ途端、ノピーは早速本題に切り込んだ。
「……ほら。ちゃんと謝ってごらんよ」
アスドーラが肘で突くと、口を固く閉じていたルーラルが立ち上がった。
「すみませんでした。オラがステルコスに売っただよ。まさかあんなことになるなんて、思ってもなかっただ」
「とりあえず座って。それから、詳しく話してくれないかな?今回の件も全部絡んでいるんでしょ?」
「……分かっただ」
ルーラルはノピーの前に座り、包み隠さずすべてを明かした。
学校に入学する前、どこからともなく現れたコッホが、母親の治療費と入学費もろもろ全てを支払うから、指示通り動けと言われたこと。
怪しく思い断っていたが、これまでの悪事をバラすぞと脅されたこと。母親の命を引き合いに出され、とうとう断れなくなったこと。
本当は隠したいはずの、全てを明かした。
それは、話せと言ったノピーですら顔をしかめる内容もあった。
全てを話し終え、全てを聞き届けたふたりは再び向き合う。
「本当に、すみませんでした」
ルーラルは頭をつけて謝罪した。
「……もう、大丈夫なの?お母さんは」
「アスドーラに治してもらっただよ」
「そうか、治って良かったね。うん、分かったよ、辛いことも話してくれてありがとう。あの日のことは全部忘れるよ」
「……」
「仲直りってことで、はい」
ノピーは手を差し出した。
仲直りもなにも、もとから直すような仲ではなかった。
これは、全て忘れて初めからやり直そうというノピーの意思の表れだった。
「……殴ったりしねえだか?」
「得意じゃないんだそういうの。アスドーラ君かジャック君のほうが上手いよ」
「怒鳴ったりしねえだか?金をせびったり体で払えって言ったりしねえだか?」
「……僕って、そんな悪人に見えるかな?自分で言うのも変だけど、優しい顔してると思うんだけどなあ」
「そ、そうか。じゃあ、お言葉に甘えて、よろすくだす」
「うん。よろしく」
ぎこちなく握手を交わした後、ルーラルはその場を後にした。
「ションベンがしてえ」と言っていたけれど、単純に気まずいだけだと、アスドーラとノピーにはバレていた。
ふたりも人の気持ぐらいは分かるから、無理に引き止めることもなかった。
日暮れが近づいていた。
だんだんと空に赤みが差し込み、長かった一日の終わりを感じさせた。
ルーラルがいなくなって、ぼうっと空を眺めていた。
こういう時は誰から話し出すんだろうと考えつつ、互いに互いの言葉を待っていた。
そして切り出したのは、ノピーだった。
「アスドーラ君て、ドラゴンの子どもなの?」
「え?いや違うよ」
「コッホ先生が言ってたじゃん。竜の子ってさ」
「うーむ、竜の子は僕も知りたいところなのだ。少なくとも僕はドラゴンの子どもではないぞよ」
「それ誰のマネ?」
「将来のノピーのマネですな」
「ハハハ。そんな喋り方しないと思うのじゃ」
「ハハハ。ムハハハムハムハムハムハハハ」
「ハハハッ、それ、本当に卑怯だね。誘い笑いブフォッ」
ゲラゲラと笑い合い、ノピーの腹筋がつりそうになった頃。
互いに停戦合意することで、一旦ボケるのは禁止となった。
「正直、アスドーラ君が何者でもいいんだ」
ノピーは赤焼けた空を見上げてポツリとこぼす。
「だから、話したくないなら話さなくてもいいよ。それとごめんね。無理矢理、魔法を使わせちゃって。今まで本気の魔法を使わなかったのは、正体がバレるからだったんでしょ?」
「うん。そうだねえ」
「じゃあ部屋に戻ろっか。今日もネネさんのところに行くんでしょ」
立ち上がったノピーは、ぼうっと空を見上げたままのアスドーラに手を差し伸べた。
けれど、アスドーラは赤焼け空に目を奪われているのか、まったく動こうとしない。
不思議に思いつつも、ノピーはまた隣に腰掛けた。
大して忙しい用事もない。
たまにはぼうっと空を眺めるのもいいじゃないかと。
「ノピー」
「ん?どうしたの?」
「僕はドラゴンなんだ」
「……ドラゴン?」
「アースドラゴン。知ってる?」
「……もちろん。北域の支配者、大地神様でしょ。みんな知ってるよ」
「友だちを作りに人の世界に来たんだ。僕がドラゴンってバレたら、みんな僕のことを友だちとしては見てくれなくなるから、隠しとけって言われたんだ」
「……うん」
「でもさ、今日はなんだか色々あってさ。色々と考えさせられた。それでふと思ったんだよ。隠すのは限界だなあって」
「今まで上手くやってたよ」
「友だちがピンチの時、力を隠すことは弊害が多い。ルーラルのように自分を押し殺し続けたら、人は人でなくなる。隠すのはいいことがあんまりないなあって」
「でも、ドラゴンだってバレたら大変だと思うよ。道端で拝まれたりして」
「ひけらかすつもりはないよ。でもさ、うーん。正直に言うとさ、隠し事は得意じゃないんだ」
「知ってるよ」
「だか……えっ!?」
「え?知ってるよそれぐらい。嘘が下手だもん」
「あ、ああれそうなの?ああ、うん。えーと、隠し事は得意じゃないし、そもそも好きじゃない。特に、友だちには正直でいたいし、そのほうがずっと楽ちんだからさ」
「だから話してくれたんだね」
「そうだねえ」
「友だちだよもちろん。チラチラ見なくても、僕たちは友だちだよ」
「……そ、そう?よぉぉぉし!」
「だから一個、友だちとして頼んでいい?」
「うん、なに?」
「我輩を世界の支配者にするのじゃぁぁぁ!」
「ブフォッ。なにそれ……ムハハハ」
「ムハハハ」
「ムハハハ」
――――作者より――――
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