第35話 追い込まれた妖精たち
『
ヒョォォ!
突風が吹き体を押し上げる。
アスドーラはバランスを取りながら辺りを見回すが、視界に映るのは青々とした木々ばかり。
「ジャック!もっと高くして!」
「……もう強化したんだよ!」
空高く飛んでも2人はギスギスするらしい。
けれど赤髪の少女が手を握ることで、ジャックの気勢もすぐに和らぐ。
「ジャック君、これを試してみて」
「刻印術か。アイツの真下でいいのか?」
「うん。ほんの少しで良いからね」
「……分かった」
ノピーが手渡したのは、魔法を強化する魔法陣。
魔力量が少ないノピーは、強化の魔法でさえ刻印術にしてしまう徹底ぶりであった。
ジャックは、空中でキョロキョロしているアスドーラの真下に入ると、ニヤリと笑って刻印術に魔力を流した。
すると……。
「ぶびょぉぉぉぉ!」
奇声を上げながら、猛烈な勢いで飛んでゆくアスドーラ。
フッと満足げに笑うジャックと、青ざめるノピー。
「あー。ドーラちゃんがお星になってる!」
ジタバタと藻掻く星は、勢い衰えることなく空高く飛び上がる。
「こら。もう止めなさい、危ないですよ」
一部始終を見守っていたコッホから、ニヤニヤしているジャックに注意が入る。
「魔法を解くから、周りを確認しろよ!」
空に向かって叫ぶと、ジャックは魔法を解いた。
すると、空へと向かっていたアスドーラは浮力を失い、急速に落下し始める。
「……ごでょぉぉぉぉぉぉ」
頬をプルプルさせて、かっ開いた口からよだれを撒き散らし、アスドーラはみんなの待つ地面を目掛けて落ちてくる。
普通なら周りの様子を見ている余裕などないだろう。
だが彼は世界最強のアースドラゴン。
空を飛ぶのなんてお茶の子さいさいなわけで、滑空もお手の物。
人間の体では自由が利かないが、落ちることに恐怖はなかった。
眼球が乾きすぎて目に痛みが走るが、アスドーラはなんとも健気に森を見渡し、そして地面へと一直線。
アスドーラが点から人の形として捉えられるほど迫ってきた頃。
ジャックはパノラの手を引いて落下予想地点から距離を取った。
そして魔法を発動する。
『
優しさのかけらもない強烈な水流が、轟音を上げてアスドーラにぶつかる。
バシャン!
アスドーラと水の柱が触れた瞬間、大きな飛沫が飛び、近くにいたノピーたちはびしょ濡れ。
ジャックとパノラは、少しだけ濡れたが大きな被害はない。
先生は魔法で水を防ぎながら、彼らの様子を静観している。
「ゴボボボボ」
水の中を落下するアスドーラは、肺の空気を吐き出しながらも、みるみる速度が落ちていく。
そして水の魔法が解かれると、うつ伏せのまま地面に着地した。
「だ、大丈夫?」
ノピーが駆け寄ると、アスドーラは徐ろに立ち上がって悪そうな笑みを浮かべた。
「ムハハハ。その程度かねジャックよ!」
「……ふん。森の全体は把握できたか?そのためにぶっ飛ばしてやったんだ」
「もちろん!」
なんだかんだ仲は良い。
アスドーラも全然怒ってはいないようで、ノピーは胸をなでおろした。
「向こうに大っきな水溜まりがあったよ。それから――」
アスドーラの言葉をメモ帳にまとめるノピー。
魔闘場を背にして右方向には、背が高く枝葉の広い木があったという。
それから正面には、大きな水溜まり。左方向には禿げ上がった地面が広がっていたとのこと。
「一番近かったのは水溜まりだよ」
次に近いのは大きな木、一番遠くて森の奥にあるのが地面が剥き出しになっている左方向。
メモ帳には簡単な地図が出来上がり、ノピーは顎に指を当てて黙り込む。
ただの水溜まりなら、木々に阻まれて視認はできないはずだから、上空からも見える水溜まりとなれば、湖だろう。
それならば精霊はいるはず。
大きな木の方は、一般的には樹齢の長い木だと思うけど、もしかしたら成長速度の速い木という可能性もある。
左側の禿げ上がった広場は……よく分からない。
妖精が集まる目ぼしい物もないだろうし。あるとすれば魔石?
んー、魔石ほど高価なものがあるなら、とっくに掘り出してるだろうから……。
「一番近い湖――」
すべてを言い終える前に、ノピーの言葉は遮られた。
「あ、あすこに行くだよ。ま、魔石が埋まってるって言ってただ。行くだよッ!」
今までずっと黙りこくっていたルーラルが、突然割り込んできたのだ。
それも、必死の形相で。
アスドーラの腕を引っ張り、強引にグループを誘導しようとしていた。
不思議そうに彼女を見つめ、石のように動かないアスドーラはノピーに尋ねた。
「湖と広場はどっちがいいの?」
「湖の方が妖精に会える確率は高いと思う。第一、広場の方は遠いんでしょ?なおのこと湖で良いんじゃないかな」
「じゃあ湖に行こうよ。ね?ルーラル?」
頑ななルーラルを引き離そうと、アスドーラが彼女の手に触れた瞬間だった。
彼女は顔を上げた。
その表情から感ずるは、狂乱であった。
目には涙と負の闇を。
引き攣る笑みは痙攣していた。
パノラが驚き、兄の背に隠れるのも頷ける。
彼女の表情は、平常とは言い難い狂気が満ちていた。
「……どうしたの?」
アスドーラが尋ねると、奇妙な音がした。
それは、すり減らした奥歯が欠けた音であったが、ルーラルはおくびにも出さない。
「ど、どうもしてないだよ。ほら、向こうに行くだよ。アスドーラ、オラたち……友だちだろ?」
友だち。
その言葉を聞いてしまったアスドーラは、有頂天になる。
「うんッ!そうだねえ。友だちだねえ」
喜びに小躍りするアスドーラを見て、また奥歯が欠けた。
目にはより一層の負が宿り、そして涙が溢れる。
「……じゃあいぐだよ」
苦しそうに声を絞り出す。
するとアスドーラは、彼女の手に優しく触れた。
「分かった。行ってもいいけど、どうしたのか教えてよ。友だちの僕が助けてあげるからさ!」
彼女はまた、奥歯を噛み締めた。
それでも足りなくて、唇まで噛み締めた。
それでもどうしても足りなくて……。
心に嘘をついた。
「な、なんでもねえだよ。ただ、ちょっと……おっ母に会いたくなっただけだ。ほら、早く行くだ」
「……いつでも僕に相談するんだよ?必ず助けるからね。なんたって友だちだから!」
彼女を安心させてやろうと、表情を柔らかくして親指を立ててみせた。
その横で彼女は涙を拭き、吹っ切れたように笑顔を浮かべた。
2人のやりとりを眺めていたジャックとノピーは、視線で互いの心理を読み取っていた。
ススッと近づき、小声で話し合う。
「どうするよ」
「どうって、どうするの?」
「そりゃあ、救護室行きじゃねえの?まともじゃねえよどう見ても」
「……先生は何も言わないし。どうしようか」
するとジャックは、パノラの手を引いて歩き出す。
背後の木陰で一連のやり取りを見ていたコッホのもとへ。
「救護室に連れてったほうが良いんじゃねえの?」
コッホはニコリとしながらも、残念そうに首を振った。
「彼女の母親はご病気らしくて、昨日連絡があったのですよ。どうしても会いたいのでしょうね。でも今は、皆さんといるほうが気が休まると思います」
「……」
ジャックは眉間にしわを寄せ、何も言わずにその場を立ち去った。そしてノピーの耳元で囁く。
「アイツの母親から病気だって連絡があったから、心配でこうなってるらしい。しかも救護室には行かせないとさ」
「……そっか」
「変だ」
「え?何が変なの?」
「アイツの母親は、隣町に住んでるって言ってた。それなのになんで会いに行かねえんだ?おかしいだろ」
「隣町?誰から聞いたの?」
「ルーラルだよ。前に、髪を千切られた時あったろ。そん時に聞いたんだよ。隣町に帰りたいって」
「……とりあえず、様子見だね。アスドーラ君は向こうに、行く気満々だし」
「ちっ。あのバカ」
2人の真剣な会話をよそに、アスドーラは満面の笑みであった。
仲よさげに腕を組み、さながら付き合いたてのカップルのようで。
「おーい。早くおいでよ」
完全に浮かれていた。
「先生!向こうに行っても大丈夫ですか?みんなと離れちゃうんですけど」
グループ毎に動いているとは言え、クラスメイトたちは先生の目が届く範囲に固まっている。
それがコッホの言っていた注意事項のひとつだからだ。
「構わないですよ。ザクソン先生に伝えてきますから、先に行っていてください」
「分かりました。行こうかジャック君」
「……ああ」
そうして5人は、目的地へと向かうのであった。
他クラスの横を通り過ぎて久しい。
ガサガサと、道なき道を真っ直ぐに進み続きける。
まさか迷ったか?
先頭でウキウキしながら、ルーラルと話すアスドーラは当てにならない。
ノピーは不安になり、隣のジャックを見やる。
「最悪、アイツを星にすればいい」
ジャックも同じ不安を抱えていたらしく、乱暴ながらも妥当な提案で、とにかく歩き続けることに。
それから数分もしないうちに、開けた場所に出た。
アスドーラが言っていた通り、木々はなく下草も禿げ上がり、剥き出しの地面が露出していた。
森の中には不似合いであった。
綺麗に整地されており、明らかに人の手が入っている痕跡がある。
やはりと、ノピーは思った。
この場所には、魔石か何かが埋まっていて掘り返したのだろう。だから木が生えていない。
その後に硬く整地をしたから、草が一本も生えていない。
つまり妖精が寄り付くような、自然物がないのだ。
「ルーラル」
ノピーは目を細め、ルーラルの背中に声をかけた。
「……な、なんだ?」
上ずった声で振り返った彼女は、どうにも落ち着きがない。
呼び止めたのはノピーなのに、辺りに目配せをしている。
「
静かだが厳しい口調であった。
いつもとはまったく違う様子に、アスドーラもジャックも眉をひそめた。
「……な、なんにも、なんにもねえだよ?
ルーラルの態度は明らかに、常識から逸脱していた。
質問者であるノピーからは目を逸らし、仲よさげくっついていたアスドーラからも離れて、必死に首を回している。
まるで、広場を囲む木々の奥へと、助けを求めるように。
「君だろ?ステルコスたちに僕を売ったのは」
「……はあっ、分かんねえ。分かんねえだよ。はあっ、はあ」
呼吸を浅くして、額の汗を拭う。
もうノピーすら見ていない。
彼女は、縋るように木々の奥に目を向けていた。
「……ノピー?どういうこと?」
事態のおかしさに、ようやく気づいたアスドーラ。
ノピーの真剣な眼差しを見て、ただ事じゃないと感じ取ったようだ。
「あの日僕は図書館で隠れてたんだ。ステルコスに蹴られた後、部屋にも戻れなくて、どこに行ったら良いのか分からなくてさ。
そしたら彼女がやってきたんだ。
息を切らしてこう言った。友だちが来るからここにいろって、いつもの訛りでね」
「はあっ、はあっ。知らねえだよ、オラそんなこと言ってねえだッ!」
「彼女が帰ってから数分後には、ステルコスたちがやってきた。つまり彼女は僕を売ったんだよ」
広場には、ルーラルの息だけが響いた。
浮かれていたアスドーラの顔からは表情が消え、視線鋭くルーラルを見つめる。
「でも全部忘れるよ。だから教えて。何を企んでいるの?」
「……はあっ。はあっ。企んで、ない。オラは何も、オラじゃないんだ!オラじゃない!オラじゃない!」
髪を振り乱し、ボリボリと頭皮を掻きむしる。
「オラじゃない」と繰り返す様は、まともとは言い難く、質問したノピーでさえ顔をしかめる。
ガサガサ――。
ルーラルが狂気に苛まれる中、草木の擦れる音がした。
ハッと全員の視線が向けられる。
ガサガサ――。
次は別の方向から音が。
「……誰だ?」
ジャックが言うのも無理はない。
それぞれ別の所から姿を現したのは、同じ制服を着た別クラスの生徒たちだった。
グループ単位でここにやって来たようだが、どうにも様子がおかしい。
「なあ。先生に黙ってきていいのかよ」
「こんなところに妖精なんていないわよ?」
愚痴をこぼしながらやって来た彼らと、アスドーラたちのグループが互いに見合う。
こんなところで何をしているんだ?
そう言いたげに。
ノピーは胡乱な目を向けた。
彼女は確実に何かを企んでいる。
あの焦り、あの動揺が全てを物語っているではないか。
そして今なお、何かを期待して木々の奥を見つめている。
なんだろう。
この妙な胸騒ぎは。
……あれ?
そういえば、先生遅いな。
「……ッ?誰だ?」
ジャックの言葉で、ノピーは思考の海から顔を上げた。
広場の端から、ひたひたと歩いてくる獣人の男がひとり。
「えっ!?だ、誰なの?先生、じゃないわよね」
「知らん。初めて見る顔だ」
また別の方向から、そしてまた別の方向から。
ポツポツと突然現れる。
広場中央を取り囲むようにして獣人たちは、無言で歩み寄る。
彼らからは生気が微塵も感じられず、まるで精神系の魔法に掛けられたように、虚ろであった。
「……ヤバくねえか?」
ジャックはパノラを背に隠して、ノピーに視線を送った。
「学校関係者以外が堂々と侵入なんて、ヤバすぎるよ。それにこの人数と、この場所に現れたってことは……」
「嵌められたか。アイツだな?」
顎をしゃくり、ルーラルを指し示した。
ノピーは、まだ何かを探し続ける彼女を見て、身を固くする。
導いてきたはずの彼女が、どうしてああも怯えているのか。
こうなると知っていながら、誘導したわけではない?
いや、違う。
彼女は、獣人には目もくれず、今もなおずっと何かを探している。
なんだ?
……あの時の表情。
もしかして、彼女も嵌められた被害者なのか?
僕たちをここへ誘導するよう、誰かに強制されている、とか?
だから怯え、だから探している。
彼女に指示したであろう、この件の黒幕を。
「固まろう。きっとホテルの二の舞いになるよ」
ノピーは、分かる者にだけ伝わる言葉で合図をした。
ホテルの二の舞いとはすなわち、死闘である。
「マジかよ」
ジャックは忌々しげに言葉を吐き捨て、ポケットからリングを取り出した。
アスドーラも血相を変えてノピーたちと肩を並べた。
「アスドーラ君、転移できるか試してみて」
「うん?できるよ。『
キョロキョロと視線を彷徨わせて、もう一度転移を試みるが、不発に終わる。
おかしいなと、不思議そうに首を傾げるアスドーラであったが、ノピーは違った。
想定内だとでも言いたげに、ポケットからメモ帳を取り出した。
「ここって、似てるんだ。魔法陣の外周に」
大きな円形を描く広場。
そのど真ん中に集められた生徒たち。
「逃げられないように細工してある。どうやら、やらなきゃダメみたいだ」
ビリリと一枚破り取り、ふうと息を吐く。
そして、戦友である二人へと発破をかけた。
「先生が来るまで、とにかく耐えるんだ!」
――――作者より――――
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