第34話 課外授業
とある3区の家にて。
夜風を取り込むために、薄く開かれた窓。
虫には広いが、鳥には狭い隙間だ。
家主の思惑通りに涼しい風が吹き込み、室内の古びた空気が一新される。
再び風が吹くと、スゥーッと滑るように、影が窓から飛び込んだ。
「……うん?」
家主は床に落ちていた封書を訝しげに拾い上げる。
どうやら、家主宛で間違いないようで、封を切って便箋に目を通していた。
「……やはり。時期を早めて良かった」
ボソリと呟くと、便箋を封筒へと戻してから灰皿の上へと乗せた。
『
便箋がくゆる。
仄白く崩れ、息を吐くだけで飛びそうな灰が、皿に残った。
翌朝。
家主は身支度をしてから部屋を見回し、フッと笑った。
「ようやくおさらばか」
小さく言葉を吐き、中央区へと続く道の先へと向かっていった。
「ゴホッ。ゔぅん」
職場に到着してそうそう、喉の違和感を気にしながら階段を上る。
立ち止まったのは、とある部屋の前。
慣れた手つきで、ガラガラと扉を引き、いつものように挨拶をした。
「おはようございます」
ペコリと一礼し、決まった席へと腰掛ける。
すると、珍しく話しかけてくる者があった。
「おはようございますコッホ先生。今日の課外授業の件ですが、パノラさんも参加ですか?」
「おはようございッブォン!失礼。ええ、ジャック君から引き離すのは心苦しいものですから」
「コッホ先生が企画なさった授業ですから、よくご存知でしょう?魔の森の入口付近だとはいえ、危険は排除しきれません。
申し訳ないですが、パノラさんは教室にて別授業を受けてもらうということでよろしいですか?」
「……ゴホン。失礼ながら、パノラさんを入学させるために奔走したのはザクソン先生でしたよね?
よっぽどご執心でしたから、彼女を生徒としてキチンと扱っていただけるものだと思っていたのですが?」
「ですから教室で別授業をと言っているのです」
「……ではどうでしょう。私がパノラさんの面倒を見ます。常に側にいるようにさせます。これなら問題ありませんね?」
「……そういうことなら、ふむ。良いでしょう。手が回らないなどあれば、すぐに報告をください。応援に向かいます」
「ありがとうございまズォッホ。失礼」
「病院は行かれましたか?」
「アハハ、出不精な上に医者嫌いなもので。なかなか出向く気にならないのですよ」
「……そうですか」
※※※
昼食後の教室。
可愛いらしい同級生がやってきたことで、クラスメイトたちは浮足立っていた。
「かわいー。パノラちゃんこっち向いて」
「パノラちゃん髪が綺麗だね」
「今度お洋服持ってこようか?妹のがあるんだ」
とにかく女子にモテモテなパノラだったが、人に囲まれるのも距離を縮められるのも、まだトラウマが残っていた。
「悪い。まだ慣れてなくて緊張してるんだ」
女子たちから隠れるようにして、ジャックの胸に顔を埋めたパノラ。
そんな彼女の頭を撫でながら、ジャックは素直に謝罪した。
いかつい容姿で、人を寄せ付けなかった彼が、妹を怖がらせないようにと、優しい声色で謝ったのだ。
それがどうにも、堪らなかったらしい。
「……う、うん。いいよ」
「怒ってないよね?べ、別に」
「……好き」
ポウッと顔く赤くした女子たちは、キャッキャしながら席へと戻っていった。
「賭けようぜ。今日の授業の内容」
「魔闘訓練!」
「魔の森で……昆虫採集!」
女子だけでなく、男子も浮足立っていた。
その理由は、パノラではない。
何を隠そう今日が、課外授業の日だからだ。
外で何を学ぶのだろうか。
そんなのはどうでもいい!
外には一体どんな冒険が待ち受けているのだろうか。
さながら、未開拓地へと赴く冒険者のような意気込みの男子。
お外で仲良しのお友だちとキャッキャして、思い出を作るチャンス!と捉える女子。
とにかくみんなソワソワしていた。
もちろんアスドーラも例に漏れない。
いや、逆に例に漏れているかもしれない。
それほどソワソワしていた。
「……ふぅ~。ノピー大変だよ。課外授業が始まっちゃうよ」
「うん。楽しみだね、何をするんだろう」
「さあねえ。さっきからワクワクが止まらないんだ。胸がドキドキしすぎて破裂しそうだよ」
「お、落ち着いて。深呼吸だよ深呼吸」
「すぅ~ふぁ~。すぅ~ほぉぉぉお!ノピー!深呼吸ってどうしたらいいの!?」
アスドーラはクラスで一番、舞い上がっていた。
だから気づかなかった。
ひとりだけ奥歯を噛み締め、震えを必死に抑え込む者がいることを。
ガラガラ――。
「ブォッホン!失礼。さて、昨日お伝えした通り午後は課外授業です。その前にいくつか注意事項を説明しますので、集中してくださいね」
カツカツと
そこに書かれていたのは、本日の課外授業の目的と、注意事項であった。
「課外授業では妖精の観察を行います。普通に生活していると、絶対に見ることはできませんが、実は木々の多い森や山にはたくさん生息しています。
学校には、魔の森と呼ばれる小規模な森林があり、そこでは様々な妖精が生息していますので、容姿や生態について学んでいきましょうね」
ニコニコしていたコッホは、黒板の注意事項を指さして真剣な眼差しを生徒たちに向ける。
「ただし!魔の森には魔物も生息しています。森の真ん中へ進めば進むほど、危険な魔物がうようよしています。ですから、グループのメンバーからはぐれず、常に先生の目が届くところにいてくださいね。よろしいですか!?」
「はいッ!」
魔物と聞いてビビった生徒もいたようだが、アスドーラはまったく意に介していなかった。
元気すぎる返事で、ノピーの片耳を麻痺させるぐらいだ。
「それじゃあグループを作って、私の後をついてきてください!」
授業中の一般科を横目に廊下を進む。
さらに魔闘場の中を抜けると、下草が生い茂る広場に出た。
ざわざわと木々が歌い、湿った土の香りが立ち昇る。
今日は晴天。
眩しい日差しに目を細め、鮮やかな空気が生徒たちの胸を高鳴らせた。
どうやら魔法科3クラスのみの課外授業らしく、引率する先生の人数は4名のみであった。
「傾聴ッ!直ちに整列!」
ザクソン主任の号令が飛び、生徒たちは軍隊のように整列。
言われてもないのに、前後の間隔まで整える規律の正しさは、じっとりと威圧的な視線のせいだろう。
「各担任からも注意事項として説明があったはずだが、私からも再度説明する。
この森には魔物が生息しているが、深く侵入しなければ害されることはない。
絶対に奥へは行かず、担任の目が届く範囲に留まることを遵守しろ。
以上だ」
それだけ言うと、今度は先生たち同士の話しが始まった。
コソコソと生徒たちには聞こえないように、打ち合わせを行っている。
「では、生徒の安全を第一に行動してください。何かあれば、必ず報告をお願いします」
各クラス担任は、生徒たちを連れて森へと進み、ザクソンは、生徒たちの背中を見つめ森の外で待機となった。
広い森だがあまり分散せずに、クラス同士が目視できる程度の間隔を空けて散策が始まった。
引率する各クラスの担任は、コッホとラビ、そして入試の第二次試験でアスドーラの手を折った筋骨隆々の男、ボルドであった。
「はーい。みんな座ってください」
森に入って十数秒。
コッホの指示で、生徒たちは下草をクッションに腰を下ろした。
「まずは妖精の生態と住処について説明しますね。その後は各自で妖精を見つけましょう」
「はいッ!」
元気の良いアスドーラの返事に、鳥たちがピピピッと飛び立った。
「妖精とは、手のひら程度の大きさで、人のような姿をした、魔物の一種です。ただ、皆さんが想像する魔物とは違って人には攻撃してきません。それどころか、とても友好的でよく懐く可愛い生き物です。
よくいる場所は、太く高い木の周辺や水辺、それから大きな石の周辺です。稀に魔石が埋まる土壌付近にも姿を現しますが、ここで質問。どうして妖精は特定の場所によくいるのだと思いますか?」
「はいッ!」
「はいアスドーラ君」
「その場所が一番落ち着くからです!」
「ん〜、惜しい!もっと本能的な理由からです」
ヒントをもらったアスドーラは、すぐに手を挙げた。
「はいッ!」
「どうぞ」
「その辺りにご飯があります!」
答えを聞いたコッホは、ニコリと笑みを浮かべて、拍手を送った。
「大正解!妖精は精霊を食べて生きています。その精霊は、ドラゴンの濃い魔力から生まれますから、長らく自然に残っているような、古い物の近辺を漂っています。だから妖精の住処は先ほど言った物の付近になるわけですね」
「ほおほお」
ドラゴンであるアスドーラでも知らなかった。
精霊がまさか、自分の魔力から生まれているなど。
ふと想像するのは、死の岩床と呼ばれる北の果てだ。
真っ赤な大地と曇天に黒く閃く空。
制限など掛けずに魔力を放出しまくっていたから、あの辺には精霊がいるはずで、であれば妖精もいるはずだが、言わずもがなずーっとひとりぼっちだった。
質問しようかと手を挙げかけたが、コッホの仕切りで、妖精探しが始まってしまった。
「皆さん、妖精探しは自力で頑張ってくださいね!私に聞いてもヒントはあげませんよ。それから遠くまでは行かないように!」
あらかじめ作っていたグループがそれぞれ散っていく。
アスドーラグループも、事前に決めていたメンバーが集まり、どこへ行こうかと会議を始める。
ホテルでの事件直後だ。勝手知ったる司令塔から何か提案があるだろうと、当たり前のようにノピーを見つめるアスドーラとジャック。
「……やっぱり、偵察からだと思うんだ。この森の全体像を把握するのが、妖精を見つけるのに一番手っ取り早いと思う」
「ほうほう。偵察の魔法があるの?」
「うーん。精霊は魔力の塊だから、魔力を探知する魔法で探すのは簡単だと思う。だけど、この森の広さがわからないから、無闇に魔法を使うと魔力を消費する……」
ノピーはすべてを言い終える前に、何かに気づき、躊躇いがちにアスドーラを見やる。
普通なら、魔力の消費量と相談しながら魔法を使う。
普通なら、魔力は限られているからだ。
だがアスドーラならば?
転移の魔法をバンバン使い、A級冒険者にも失神の魔法を成功させる、魔力量と才能がある。
魔力探知の魔法を森全体に使用するぐらい、容易いのではないか。
「ん?魔法やっちゃおうか?」
ぽやぽやした表情で簡単に言ってのけるアスドーラを見て、彼ならばできると確信に変わった。
だからこそ、頼るのは止めようと思った。
「ううん。探知魔法は止めて、目と耳で探してみよう。風魔法で浮けば高い木が見えるだろうし、水音も拾えると思うんだ」
「……それが良いな。コイツばっかりに頼るのも癪だ」
ジャックの言う通りではないが、あながち外れでもいない。
アスドーラに頼れば簡単に片付くけれど、それじゃあグループの意味がない。
だからみんなで協力したい。
それがノピーの考えだった。
「ふんッ。僕がいないとダメなくせに。強がっちゃってさあ」
「キッショ。なんだコイツ。森の奥に蹴り飛ばそうぜ」
「やってみなよ」
売り言葉に買い言葉となり、2人はまた喧嘩寸前。
アスドーラは笑いながら手招きして、ジャックは顔を引き攣らせている。
ノピーは、大きなため息をついて仲裁に入ろうとしたら、可愛らしい声が2人の空気を和らげた。
「妖精さん観に行こうお兄ちゃん。ドーラちゃん」
「……あ、ああ。でもアイツが」
「……ドーラちゃん。いいねえ。僕はドーラちゃんだよー」
わちゃわちゃする三人を眺めていたノピーは、もうひとりのメンバーを、あえて視界の端に留めていた。
ずっと俯き、輪に入ろうともしない彼女が、楽しそうにしていなくとも、気にはしないように努めた。
それは、半ば確信に近い疑念があったからだ。
アスドーラもジャックも知らない、誰にも相談していない不確かな疑惑である。
もしも疑惑が、真実だったならば、人として付き合うことはできない。
それほどの決意を抱かせる疑念があったから、輪から外れて震えている彼女に、優しくはできなかった。
小刻みに震える彼女の手が、疑念の真相を物語っているようで、なおのこと負の感情を隠すことはできなかった。
――――作者より――――
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