第36話 ノピーは知っている
魔物、という存在について、その出自はよく分かっていない。
魔族の子であるだとか、神であるドラゴンが生み出しただとか、そういう俗説は数あれど、多数の賛同を得た説は未だにない。
魔物の一種であると結論付けられて久しい妖精。
人のような姿では有るが、とても小さく食物もまったく異なる。さらにいえば人とはコミュニケーションをとれない。
そのため人ではない。
かといって神に近しい精霊、というわけでもなく。
なので魔物であろう。
そう思われ続けてきたわけだが、実際のところ、妖精を見た事がある者たちは、総じて違和感を感じるはずだ。
魔物というには、あまりにも神々しくそして、魔力に溢れ過ぎていると。
※※※
ひたひたと近づく獣人たちに、言葉は無意味であった。
「おい!不法侵入だぞ!」
「そうよ!今すぐに出ていきなさい!」
他クラスの生徒が声を上げたが、まったく反応がなく、生徒たちは広場中央へと徐々に閉じ込められる。
不気味な無言さもあったが、それ以上に不安を煽ったのは、ルーラルたちの言動だった。
「ど、どうして来てくれねえだ」
「……嫌だ。まだ死にたくない」
「約束通りに連れてきたじゃないッ!」
半狂乱の彼女たちの側では、生徒たちの心情も穏やかではない。
嵌められたと気づいたのなら尚更で、獣人たちよりも、身近にいる裏切り者に対して矛先が向くのは自然な流れであった。
だがそれは、混乱の呼び水であり、言うまでもなく悪手。
「みんな落ち着いて!」
ノピーが叫ぶが、事態は転げ落ちるように悪化する。
「……アンタもそうなんでしょ!」
「そうだ。コイツらの仲間なんだな!」
敵の敵は味方とも言うが、それは敵が明確な敵意を向けた瞬間にのみ意味を持つ。
獣人たちは不気味ではあるし、学校にいる事自体が不審である。
だが、何かをしてくる気配はない。
音もなく忍び寄り、虚ろな目をしているだけで、彼らには敵意が微塵もないのだ。
恐ろしい状況だが、疑わしいだけでは反撃の理由にはならない。
その倫理感が、生徒達に混迷の道を歩ませる。
『聞こえるか?』
とある声が頭の中で響く。
『このほうが良いねえ』
『うん。思念で連携しよう』
ホテルでの戦闘経験がある3人は、早々に他生徒たちへ見切りをつけた。
『一応、確認する。手を出してもパクられねえよな?』
ジャックらしからぬ発言だなと思いつつ、ノピーは返答した。
『警告だけしよう。その後は、魔力を抑えつつ、とにかく時間稼ぐ』
『了解』
『おうッ!』
ノピーは一歩前に出ると、こちらへ近づく獣人へと警告した。
「警告します!5秒以内に立ち止まり、目的を述べてください!」
そしてカウントが始まった。
明確で分かりやすい警告は、混乱していた生徒たちへの指示でもあった。
5秒後、攻撃を開始する――。
ヒリヒリとした空気の中、各々が背を固める。
そして、5秒。
ノピーは魔法陣に魔力を流して上空へ放り投げ、もう一枚を口元に当てた。
「助けてくださいッ!不審者がいますッ!先生、助けてーーッ!」
拡声の魔法陣が発動し、ノピーの声が森に響き渡る。
あちらこちらで鳥の羽音が散っていくほどの、大絶叫であった。
そしてさらに、空が光った。
本来は目眩ましに使うものだったが、上空で閃光が弾けることで、視覚的にも先生の目に留まるであろうと踏んでいた。
だが、お昼時分にはあまり効果がなかった。
むしろ、ジャックたちからクレームが上がる。
『それ先に言え!直視してたらヤベエだろ!』
『ほぉぉ、危ない危ない。目の前が白くなったよ』
『2人共!魔法で拘束して!』
ノピーは心の中で謝罪しながら指示を飛ばし、次の魔法陣に魔力を流した。
その刻印術は、魔力消費を極限まで削るために、環境を利用する陣が組まれていた。
「……ッ!」
もこもこと地面が盛り上がると、うねりながら獣人の腰まで巻き付いた。
拘束された獣人の顔には、初めて表情らしきものが浮かんだ。
『
続けざまに、ジャックが魔法を放った。
アスドーラも、ホテルで聞きかじった魔法を使う。
『
アスドーラたちの呪文詠唱を皮切りに、他クラスの生徒たちも、魔法による攻撃を開始した。
だが、何も起こらなかった。
獣人へ効果がなかったのでも、狙いを外したのでもない。
魔法が発動しなかったのだ。
『……転移だけじゃなく、口頭式が発動しねえってオチか?』
ジャックの焦った声色が脳内に響く。
この場で唯一発動しているのは、ノピーの刻印術だけで、他クラスの面々も含めたジャックたちの口頭式は、ことごとく発動していない。
『……僕みたいに、刻印術のストックを持ってたりしないよね?』
ノピーは自嘲気味に言ってみた。
当然ながら、返答はない。
よっぽどのマニアか、常に身の危険を感じている者、職業として魔法を使う者以外、魔法陣を持ち歩く人はいない。
それが普通なのだ。
バリバリ――。
その刻印術さえも、獣人の前では脆く崩れ去る。
ただの土程度では、怪力を誇る獣人を拘束するにはまったく足りない。
ノピーは歯噛みして、正面から来る獣人二人をみやる。
生半の拘束は魔力を無駄に消費するだけで、口頭術も使用不可。
「誰から操魔術を使える人いますか!」
叫んでみるが、芳しい応答はない。
つまり、こちら側には武器がない。刻印術が使用できるならば、おそらく魔道具も使用できるだろうが、戦闘向きな魔道具を常時携帯している人間など、刻印術のストックを持っている人ぐらい珍しい。
このままだと、純粋な腕力勝負になる。
怪力と名高い獣人と。
背後には他クラスの生徒が固まり、その奥からも獣人たちが迫っており、着実に中央に押し込まれている。
背後にいるのは、よく知らない他クラスの生徒たち。しかもさっきまで、混乱していた者たちだ。
背中を預けるには、不安しかない。
なんとかして包囲網から突破しなければ。
少なくとも、一網打尽になる可能性は消しておかないと。
『アスドーラ君、ジャック君。走るよ』
『え?』
『あ?』
有無を言わせず、切り取った紙片へと魔力を流し込み、獣人たちの足元へと放り投げた。
ガッ――。
虚ろに歩く獣人たちは蹌踉めいた。
小さな出っ張りに足をぶつけたためだ。
『今だ!走って!』
その瞬間ノピーは合図をした。
誰よりも真っ先に、蹌踉めく獣人二人の間を目掛けて走り込む。そして、魔力を流し込んだ紙片を空中に投げた。
ビョォォ!
すると獣人たちの背中を、吹き下ろしの風が押す。
倒れるには至らないが、意識を削ぐには十分過ぎる効果であった。
バランスを取りつつ伸びてくる手を、ノピーはうまく交わして包囲網から脱出。
バッと振り返り、後続の援護に切り替えた。
『……え?』
『……』
『……』
ノピーだけではない。
ジャックもアスドーラも言葉を失っていた。
「に、逃げたらダメだ!殺すだよ、この子を殺すだよ!」
ルーラルがあの引き攣った表情で、パノラの喉笛にナイフをあてがっていたのだ。
何が起きたのか。
それはノピーが走り出した時のことだった。
ジャックも続けざまに駆け出そうとしたのだが、すぐに足が止まった。
繋いでいるジャックの手に、強い抵抗があったのだ。
その直後、小さな悲鳴がしてアスドーラも足を止めた。
目にしたのは、怯えて固まったパノラの首に、震える刃をあてがうルーラルの姿だった。
「アスドーラ、ジャック。おめえらはここにいろ!どこにも行くでねえ!」
震える小さな指。
恐怖に歪む顔。
兄には、それらすべてが絶叫に聞こえた。
けれど一歩も動くことはできなかった。
リングに魔力を流せば、魔道具を作動することはできる。
そして間違いなく、瞬殺する自信もあった。
「大人しくしてるだよ!」
だが彼女は、本気だった。
パノラの身長に合わせて屈み、盾にしたのだ。
「……嘘でしょ。何してんのよ」
「そこまでやるか、お前ら!」
背中合わせでくっついていた、他クラスの生徒たちにも動揺が広がる。
彼らをここへ誘い出した裏切り者たちが、ルーラルと同じような行動に出たからだ。
ルーラルの行いに触発されたらしく、計画性はまったくない。
けれど、沈静化したはずの混乱を再燃させるには、十分過ぎる動揺だった。
生徒たちの混乱に乗じるでもなく、ひたひたと一定のリズムで距離縮める獣人たちは、不気味であった。
着実に迫る彼らを前にして、ただの子どもに冷静さを求めるのも酷な話だ。
「ふざけやがって!」
「触らないでよ!」
他クラスの面々は、内紛を始めた。
ノピーはその様を見て思う。
彼らは、無理だと。
守ることも、そして団結させることもできない。
そんな余裕もない。
諦めたと同時に、すべての思考を仲間たちへと向けた。
『二人共、ルーラルと話し続けて』
『……クソッ』
『必ずチャンスを作るから、従順なフリをして目的を聞き出して!』
『分かったよノピー。任せて!』
苦しそうにするジャックであったが、アスドーラがなんとか補佐をしてくれそうである。
向こうの状況も心配ではあるが、今は何よりも対処しなければならない問題が目の前にある。
距離は数メートル。
30秒も経たないうちに、接触する。
彼らの目的は?
不明だ。
彼らはどこから?
不明だ。
ひとつ分かるのは、狙いが僕たちだということ。
ルーラルたちを、内通者や裏切り者と呼称するならば、彼女らの裏には黒幕がいるはず。
だがここには、まだ来ていない。
どこからか見ている?
それとも、直接手をかけずに目的を遂行しようとしている?
それにしても、先生が遅い。
あれだけ単独行動をするなと言っていたのに。すぐに追いつくと言っていたはずなのに。
まさか先生が?
あり得ない。
どうしてあり得ない?
どうしてあり得ない。
……あり得る?
生徒たちの中から、裏切り者を作り出した。
生徒たちの中から、僕たちを選んだ。
何かをするために、この作戦を実行した。
生徒を観察できるのは、学校にいる者だ。
国も種族もバラバラな僕たちの情報を抜き出すのなら、先生が一番しっくりくる。
どの先生だ?
コッホ先生?
ザクソン先生?
ラビ先生?
ボルド先生?
他クラスまで横断的に情報を得るとすれば、ザクソン先生だろうか。
それとも、一向に姿を見せないコッホ先生?
いや、それを考えたって現状を打破する材料にはなり得ない。
……狙いは僕たち、なのか?
僕ひとり、獣人たちの背後にいるというのに、どうして彼らは見向きもしない?
僕を人質に取るなりすれば、生徒たちの意思を挫く事が出来るだろうに。
僕も攻撃対象ならば、すぐさま手を下すだろうに。
「アスドーラ、ジャック。おめえらはここにいろ!どこにも行くでねえ!」
ルーラルの言葉だ。
僕だけは見逃すけれど、二人は、二人だけはここにいろ。そうとも取れる。
そういうことなのか?
口頭術を無力化した上、腕力勝負に持ち込むあたり、魔法を警戒していることは明白だ。
ここに集まる者が、強いと知っていたからでは?
つまり強い者を集めた。
僕ではなくて、アスドーラ君やジャック君のような強い者が狙いなのではないか。
少なくとも、無抵抗ならば殺す気はないと思う。
大掛かりな魔法で口頭術を封じる技術があるのに、ここへ来た時点で殺されなかったことが、裏付けになる。
目的は、拉致?
拉致なのか。
……だとしたら、抵抗しなければ。
今の状態はマズイ。
一度に捕まれば、そう簡単には逃がしてくれないはず。
これだけの労力を掛けて、寸前で逃すなんて失態は絶対に起きないだろう。
だから、僕たちが失態を起こさせないと。
『ノピー!?獣人たちが近づいてるよ!』
アスドーラ君……。
人質が取られている以上、できることは限られるんだ。
よっぽどの奇策じゃないと。
一手で形勢をひっくり返せるほどの奇策。
アスドーラ君だ!
『アスドーラ君!収納魔法の口頭式を知っているかい?』
『んえ?そんなの知らないよ』
やっぱりだ。
そうだよ。ずっと彼は、そうだった。
収納魔法を使うのに、一般的な、誰でも知っているような口頭式を知らない。
転移魔法を使えるのに、転移魔法がいかにレベルの高い魔法かを知らない。
刻印術も、操魔術もなにも知らない。
けれど、何でもできる。
教えれば必ずできた。
普通じゃそんなことは起きないんだ。
どんなに凄腕の魔法使いであっても、初めて聞く魔法を使うなんてできない。
何度も見て何度も練習して、ようやくできる。
それなのにアスドーラ君は、その魔法がどんなものか見なくても魔法を使えた。
僕が初めて教えた魔法が、そうだった。
つまり彼は知っているんだ。
学問として技術としての魔法は知らないけれど、知っている。
魔法の真髄を。
『アスドーラ君。僕の言う通り想像して』
『うん。任せて!』
収納魔法は、空間魔法の一種で、転移魔法と大して変わらない。
亜空間に何を入れるか、そしてどこからか出すかという違い以外は。
『手を後ろに回して、ルーラルに気取られないようにしてね』
『いいよ!』
『収納魔法に手を入れて、そして想像するんだ。この奥には、目の前で見ているナイフがあると』
『……どういうこと?』
『僕を信じて想像してみて。君にしかできないんだ!』
『……この奥には、ルーラルの手があってナイフを握ってるんだね』
『そう!そしてナイフを掴むんだ!』
『……』
アスドーラは無言でイメージした。
視界に広がる光景を頭の中のイメージと繋げる。
収納魔法に入った自分の手の先に、ナイフを握るルーラルの手があるのだと。
「……ッ!?」
『掴んだッ!』
ニュッと現れた手が、ナイフを握る手を掴む。
ルーラルは抵抗したが、ピクリとも動かない。
当然だろう。
獣人を舌を巻くほどの怪力なのだから。
アスドーラは、パノラの喉元からナイフを引き剥がした。
『パノラを頼む』
その瞬間、ジャックは妹を引き戻し、入れ代わるように自身が飛び出した。
そして、握りしめた拳を、全力で叩き込む。
「死ねやボケが!」
バゴンッ!
鈍い音と共にルーラルは倒れ込んだ。
そんな彼女へ向けて、ジャックは怒りをぶつける。
「ただじゃ済まさねえからなッ!この恩知らずが!」
――――作者より――――
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