第30話 お返しだ

でっぷり太った男がフロアを横切った。

アスドーラたちとは反対の方向へと、ちょこちょこ歩いていく。


『アイツかッ……』


今にも走り出しそうな声色が頭で響き、ノピーが慌てて制止する。


『ダメだよ!今暴れたら――』


『ぐっ……分かってる』


ジャックは怒りを抑え込んだ。

優雅な時が流れていたフロアに、焦燥と警戒の臭いが立ち込めたからだ。


『早く追いかけよう!スクムがどっか行っちゃうよ』


アスドーラが促すが、ジャックとノピーは静かに状況を観察していた。


まさに今、受付に走って行ったのは、外で倒れている冒険者を発見し、半狂乱になっていたボーイだ。


さらに後方では、用心深く辺りを見回している女がいた。

廊下で出くわした冒険者だ。

アスドーラたちが『詳明ルクヴィラーレ』の範囲外に出たことで、どうやら見失ったらしい。



事は既に露見したと考えていい。

一刻の猶予もなく、ホテル内は厳戒態勢に入り、危機感を持った宿泊者たちは外出を控えるだろう。


ジャックの頭に、諦めの二文字はなかった。

しかしノピーの魔力を考えれば、これ以上は付き合わせられない。

やはり帰ってもらうしか……。


『アスドーラ君!お願いがあるんだ!』


ノピーの声が二人の頭に響いた。


『受付の人たち全員に『陶酔せよテネフォリア』という魔法をかけてほしいんだ』


『うんいいよ!その後は?』


『その後は……』


『どうしたの?』


一瞬だけ言葉に詰まったノピーだったが、すべてを説明した。

アスドーラはその案に了承し、合図と共に駆け出した。


ジャックとノピーはスクムのもとへ。

そしてアスドーラは受付へ。


ノピーの指示通りに魔法をかけた。


陶酔せよテネフォリア!』


焦った様子で話し込むボーイ。

それを聞く3名ほの受付。


全員に魔法が降りかかる。


途端に彼らはぼーっと虚空を眺め、ボソボソとうわ言を言い始めた。


「帰りたいよー仕事したくない〜」

「大変だーたーいへんだ♪たたた大変何が大変?」

「もももす!とたたたんとす!スス!すぅ!」


『……変なの』


魔法をかけた張本人は、彼らを憐れみで一瞥した後、フロアの中央に立った。

すべてを見渡せるフロアのど真ん中で、ノピーに教えてもらった呪文を詠唱する。


『ファハン20匹ヴェンティ召喚コンヴォカーレ!』


鏡のように煌めく床が、ポコポコ泡立つ。

すると泡の中から、緑色の皮膚がヌッと露わになり、次第に全貌を現した。


禿げ上がった頭部と大きな1つ目の顔に、胸から飛び出した一本の腕。

そして、ぴょんぴょんと跳躍を可能にするのは、筋肉質な1本の脚。


魔物ファハンが20匹、アスドーラの召喚に応じて現れたのだ。


『面白い形だねえ。それじゃあッ!』


走り出すアスドーラ。

するとどこからか絶叫が轟き、冒険者たちがフロア中央へと集まっていく。


「何故魔物が?」

「召喚だろうな、さっさとやるぞ!」

「にしてもファハンかよ。雑魚を喚び出して何がしたいんだか」


例の女冒険者もフロア中央へと意識が削がれ、アスドーラ一行を追うものは誰もいなくなった。


『終わったよ!今どこにいるの?』


『……あ、ありがとう!魔力は大丈夫?』


『うん。大丈夫だよー。ジャックにはできないだろうねえ』


『ああできねえよ!魔力バカッ!』


『ア、アスドーラ君、階段があるからそこを登って来て!』


『おうッ!』


それから数階を駆け上がり、スクムの背中が見えた頃。

ノピーの声が頭に響く。


『これ以上魔法を使い続けるのは危ないから、今から魔法を解くよ!』


まさかの提案にジャックが反論する。


『いやあり得ないだろ。危ないってどういう意味だ』


『あの女冒険者は『詳明ルクヴィラーレ』で対応できないと判断して『解明ルクプリカティオ』っていう魔法を使おうとしてた。

ふたりが使ってる魔法を、強制的に解ける魔法だよ。

さっきは運良く免れたけど、これからは冒険者たちの警戒度がぐんと上がる上に、情報も共有されちゃう。

だからこそ、魔法を解くんだ』


『……待て、意味が分からん。それなら他の魔法を試せばいいんじゃないのか?』


『僕たちは3人、敵は何人?十名なのか二十名なのか分からないけど、魔力も体力も僕たちの数十倍はある。

上位魔法を迎え撃つために上位魔法をって繰り返してたら、先に疲弊するのは僕たちだよ』


『ノピー?僕は大丈夫だよ?』


『アスドーラ君ごめん、一旦黙ってて』


『……あ、うんごめん』


初めて怒られたアスドーラは、少ししょんぼり。


だが今回ばかりは、ノピーも譲れなかった。

何度も転移して、召喚の口頭術までしてのけたアスドーラの魔力は、もはや異常。

それは確かに頼りになるが、一般人であるジャックや魔力貧者のノピーと同じ土台に並べて語るものではない。

だからこそノピーは、一般人であるジャックのために、異常値アスドーラを省いて説明を続けた。


『だから魔法を解く……』


『うん。ここからは魔法じゃなく、演技が物を言うんだ。僕たちは宿泊者になりきって、冒険者の目を欺きそして、スクムの部屋へ侵入する!』


『マジかよ』


『マジだよ。あ、スクムが』


ぜえぜえと肩で息をしながら、5階の宿泊フロアに入ったスクム。


『よし!じゃあ魔法を解くよ!』

『……ああ』

『おいしょお!』


階段の踊り場で3人は姿を現し、スクムの後を追って歩き出す。


「はあ、はあ」


長年の運動不足が祟ったか、階段を上っただけで、かなり苦しそうなスクム。

自身の背後にいる少年たちには、気付く気配もない。


スクムはゆっくりと歩き、はたと立ち止まる。

自身のポケットに手を突っ込むが、下がりきったズボンのせいで奥まで手が届かず、だんだんと苛立たしさが表情に表れる。


3人は、じっとスクムを見つめながら背後を通り過ぎた。


『部屋番号は覚えたぞ!アスドーラ!お前は面が割れてるんだから顔を伏せとけ!』


『やってるよ!いちいちうるさいな君は』


『スクムが部屋に入ったら、僕たちも突入しよう!』


てくてくと廊下を歩き、背後の音に耳をそばだてる。鍵を取り出して解錠し、扉が開閉するまでの音を聞き漏らさないように。

ピリリと張り詰める中、ようやく待望の時が来た。


ガチャリ――。


『よし!スクムの野郎をとっちめるぞ。もしもの時はアスドーラ!寮へ転移しろ!』


『ふーむ。まあいいでしょう』


『行こう!』


ノピーの合図で振り返り、走り出したちょうどその時、階段の踊り場から一人の影がやってくる。


『だ、大丈夫!上手く誤魔化せば切り抜けられるよ!一番上等な服を着てるジャックに懸かってるからね!』


『なっ、ここに来てそれ言うかよ。日和ったなお前!』


『だだだだってそうじゃないか!アスドーラ君は平民丸出しで、僕はエルフだよ!?君の方はなんか、御曹司みたいだ!うん!すごく御曹司!』


『おい適当言うな!さっきまでの威勢はどこ行ったよ!』


頭の中で言い争いを始めたノピーとジャック。

珍しく当事者ではないアスドーラは、やってくる冒険者をじっと見つめ、何かに気づいた。


『……なんかさあ。あの人、僕たちのことをスゴい見てるよ』


『……き、気のせい気のせい。気のせいだよ』


『……いや、見てるだろ。ものすごく』


冒険者と3人の距離が、互いの顔がよく見える程になった時。

バタンと扉の閉まる音が響いた。


すると冒険者の男は、まるできっかけを探していたかのように、3人へと言葉を投げ掛ける。


「じゃあ始めるね」


スラリと抜き放たれる銀色の剣。

そして3人のもとへと突っ込んだ。




少し時は遡り、ファハンを退治した一階フロア。

冒険者たちは、死体となったファハンを収納魔法に放り込み、辺りを検分しながら召喚者を探っていた。


『一階で魔物が召喚された。各階、警戒を強めろ』


とある冒険者は、同僚たちに思念を飛ばして警戒度を高めた。

すると、彼のもとへ女冒険者がやってくる。

眠りこけた冒険者を背負って。


「……マーテル、それはなんだ」


「誰かにやられたみたい。この件の犯人と同じよ、きっと」


「起こしてやれ。何か分かるかもしれん」


マーテルと呼ばれた女冒険者は、背中に背負っていた男を乱暴に床へ転がすと、腹にドスンと尻を乗せた。

そして、眠りこける男の頬をバチンッ!と叩く。

何度も何度も、何度も。


「……可哀想」


起こせと言った張本人がポツリと溢すほど、マーテルは加減せずに引っ叩く。


「……はぅ……ぐっ……ちょ……いた……痛い!」


すると、横たわっていた冒険者はぼんやりと目を覚ました。


「何してんのよアークム!アンタ失神させられてたのよ!」


「……あ、ああ。だからこんなに魔力酔いしてるのか。誰がやったんだ?」


「それを聞くために起こしたのよ!バカ!」


「お、怒るなよマーテル。ちょっとどいてくれ、胃の中身が出そう」


「何よ。重たいっての?」


痴話喧嘩の様相を呈する二人に、指揮官である冒険者は、ため息をついた。

この分じゃあ大した情報は得られそうもないなと、諦めかけていたら、また次のがやってくる。


「おーい!サボりを連れてきたぞー」


今度は、入口の方から冒険者を背負う冒険者がやってくる。

ドサリと男を降ろすと、例の如く、頬にキツイ一発をぶち込んだ。


すると「ううっ」と呻きながらも、すぐに目を覚ました。


「……ここは、ん?ああ、俺はやられたのか」


周囲を見回して、得心したように呟く男を見て、指揮官の眉尻は上がる。


「相手を見たのか?」


「……3人の少年だった。1人はエルフ、1人は赤髪で顔にピアス、そしてもう1人は……俺をやったソイツは、黒髪でぽやぽやした顔をしてた」


「なんだあ?ぽやぽやって」


「なんというか……トロい顔とでも言えばいいのか?何も考えてなさそうな、ぼんやりした腑抜けみたいな顔だったが、アイツは強い」


「具体的には」


「転移を使う。それに失神もな。戦闘中にいきなり強制系の魔法をカマしてきやがるんだぜ?」


「目的は?」


男は首を振った。


指揮官の男は、腕組みをして思案する。

転移を使う魔力と胆力。

警戒していたA級冒険者に、強制系の魔法を使って成功させたイカれ具合。


要注意だが、危険だとは考えなかった。

何故なら死人が出ていないからだ。

2人共眠らされただけで、暴行された様子もない。


人数をかければ捉えるのは容易い。

そう考えたところ、マーテルから追加の情報が上がる。


「……ごめん、報告が遅れたけど私も戦ったわ。2人だと思ってたけど、3人だったなんて」


「情報は?」


「1人は操魔術を使うわ。しかも頭が切れる。他の2人は認識阻害の上位魔法を使ってたわよ」


「……実力のある少年たちが、このホテルに忍び込むか。どこぞから派遣された暗殺者の可能性もあるな。他には?情報はないか?」


すると今度は、受付の方から奇妙な声が響く。


「らりらりらりらりほーほーほーほー」

「仕事したくないよー。支配人ーお休みくださいよー」

「変が大、大が変♪大が変変、変が大♪」


「お、お前たちどうしたのだ?」


支配人に群がる3人の受付と、虚空を眺めるボーイを見て、指揮官の男はすぐに察する。


「……精神系・強制系の魔法がよっぽど得意なようだ。マーテル、アークム叩き起こしてやれ」


指揮官の男は、受付が引っ叩かれるのを見ながら、各階の冒険者へ思念を送る。


『召喚の件について情報を更新する。犯人は少年3人だ。繰り返す少年3人だ。暗殺者の可能性が有るため、警戒度は高とする。即時捕縛を実行しろ。

1人はエルフ、1人は赤髪で顔にピアス有り。もう1人は黒髪で特徴のない顔。

操魔術、転移魔法、精神・強制系魔法を使用し、上位の認識阻害魔法で潜伏している可能性が高い。

それから、司令塔はなかなかに頭が切れるようだ。

特に精神系魔法の効きはS級と考えていい。冒険者とホテルマンが数名やられている。

操魔術、障壁、結界等の使用を徹底しろ。

決して情報共有を抜かるな。

以上』




時は戻り、5階フロアにて。


『下がれ!』


ジャックの声で、2人は後ずさる。

だがA級冒険者の踏み込み速度は、常人の認識を凌駕する。


「遅いなあ。それでも暗殺者?」


ブンッと剣が振り抜かれ、先頭にいたノピーの腕にパックリと傷が開く。


『あ、ありがとう』

『ヤバかった。今のはマジで、ヤバかった』


間一髪、ジャックが服を引っ張ったおかげで、ノピーの傷は皮膚を裂くだけで済んだ。

もしも遅れていたら?


間違いなく腕が切断されていただろう。


「今のはただの幸運だよ?」


コテリと首を傾げた冒険者は、再び踏み込み肉薄する。

瞬きすら許さない猛攻に、3人が思考する間もなかった。


シュッ!

ブンッ!


ジャックは歩速を緩め、冒険者の剣をひたすらに躱し続ける。

二人が距離を稼ぎ逃げられるように……。

しんがりのつもりであった。


だがA級の冒険者の剣技を無傷でとはいかない。

避けても避けても、すべてが間一髪。

すんでのところで致命傷を避けられただけ。

斬撃が皮膚を裂き、突きが筋繊維に触れ、蹴りが、拳が、重たく骨に響く。


『ジャック』

『……』


『ジャァァック?』

『……』


冒険者を相手に、喋る余裕などなかった。

ひたすら無言で、目の前の剣に集中する。


『ジャャャャャァァァァァァァァック!』


『ああああぁぁぁあ!うるっせえわッ!頑張ってんだから無言で逃げんかいッ!』


アスドーラは、ずーっと無視されていたので、思わず叫んだ。


「……なんか弱いなあ。3人まとめて来たら?」


冒険者はピタリと剣を止めて、3人を挑発する。


『ジャック!その人を引きつけといてね!』


『……アレをやるのか?』


『ムハハハ。やってやるぜえ!』


アレとは、アレ。

すなわち失神である。

もはやアスドーラの十八番おはことなりつつ有る、失神の魔法で、倒すというのだ。


引きつけろ。


十中八九、転移してから失神させる腹積もりであろうが、ジャックは結構精一杯。

だがアスドーラのアレが、唯一の勝機であることも理解していた。


『任せるぞアスドーラ』


『ムハハハ。任せとけい!』


ジャックはポケットに手を突っ込み、ある物を取り出した。

冒険者は少し首を傾げたが、特に気にした様子もない。


「おいザコ剣士。品のない騎士みたいなツラしやがってよお!ああ!それってただの野盗かあ。だからこんなに貧乏くせえんだな」


「……煽ってる暇があるなら、準備したら?それ、切り札なんでしょ?」


「……うるせえな。言われなくてもやってやるよボケがッ!」


啖呵を切ったジャックは、手に持っていた2つのリングを両手に嵌めた。

人差し指の第二関節辺りでリングを止めると、すかさず魔力を流した。


するとリングに嵌めこまれた石と魔力が反応し、微かな光が漏れ出る。

そしてすべての指に橋が架かるように、分厚い金属が伸びてゆく。


「ナックルダスターか。剣とは相性が悪そうだね。ナメてる?」


「ああ、死ぬほどナメてるぜ。だってお前の剣、全然当たらねえもん」


「あそ」


一瞬であった。


今までよりもずっと速く、そして的確に肉を抉り、筋肉にまで切っ先が食い込む。


「……っぐ」


肩口に刺さった剣は、さらに深く沈み込む。

身幅の太い剣身が傷口を無理矢理こじ開けながら、ズブズブと体を突き抜けた。


「ザッコ。本気出せよ」


ニヤリと冒険者が笑うと、ジャックも負けじと笑みを返した。


「ふっ。お前の負けだバカ」


間近に迫った冒険者の顔……の下。

ジャックはナックルダスターを構え、ブンッと振り抜いた。


ドゴォォン!


「……バレバレだけど?」


しかし、その攻撃を察するのは容易い。

敢えて攻撃を受け入れ、近接戦用のナックルダスターで、一撃を与える。

その程度は察した上で、冒険者は突進していたのだ。


ただ唯一、意外だったのはその威力。

天井に穴を開けた、強烈な一撃であった。


「良い魔道具だね。後で買った場所教えて?」


冒険者はニコリ笑みを浮かべると、膝を付いたジャックの首元に剣身を当てた。


その時だった。


やや遠巻きに事を見守っていたアスドーラが、姿を消したのだ。

それに気づいた冒険者は、即座に魔力を放出する。


失神せよテネコーペ!』


アスドーラは冒険者の背後を取り、そして失神魔法をぶつけた。

確実に当てたはずだが、魔力の層に阻まれて自身の魔力が霧消していることに気づく。


「お前か。転移するってやつ」


「……うっ」


次の瞬間には、アスドーラの鼻先で剣が振り抜かれていた。


ギリギリで躱したが、見物するのと体感するのでは別物であった。


『……ごめんみんな。僕は間違えた。完全に忘れてた。ホテル入口で倒した冒険者が、僕たちの顔を見てるってことを。

間違いなく情報共有されてる。

他にもアークムって人とか、女冒険者とか、全部共有されてる!

勝てないよ。

アスドーラ君の失神の魔法も対策されてんるんじゃ、打つ手がない!

そもそも作戦に穴があったんだ。前提が間違ってたんじゃ、作戦なんて呼べない。今から一か八かでA級冒険者と戦うのは無謀なんだ。だから逃げよう!アスドーラ君転移――』


『落ち着けッ!』


ジャックは頭の中で叫んだ。


『ノピー!対策考えてよ、こっちは相手をしておくからさ!』


アスドーラは人間の肉体を最大限にまで動かし、限界値を超えてもなお動かし、そして回復し、常人とは思えぬ身のこなしで剣戟を避け続けていた。


本来の魔力を使い、人が構築した魔法理論から外れ、アースドラゴンとして戦えば当然勝てる。

だがそれをしては、もう人としてはいられない。

ノピーに正体を見抜かれるわけにはいかない。


「……んっ!しょっとぉぉ!」


「避けるのが上手いなあ。でもジリ貧じゃない?」


ゴンッ!


迫りくる切っ先から体を捩り、滑らかに移動する刃に仰け反ったのだが、後頭部に強い衝撃が走る。


「はい終わり」


いつの間にか壁際に追い込まれていた。

剣戟を避け、敵の動きばかりを見続けていたことで、視野が狭まり周囲の把握ができていなかった。

壁にぶつけた後頭部がジンと痛むが、すぐに回復する。


そして、視界の端から刃が迫る。


スパッ!


その瞬間、アスドーラは直情的な動きをみせた。

こんな狭っ苦しいところで逃げ続けるなんて嫌だ、と。

それだけの理由で、突進を試みたのだ。

壁に足を当て、できるだけ素早く捉えにくく、敵の懐目掛けて飛び込んだ。


ガスッ!


上手く刃は躱せたが、突進の動線上で交錯した敵の肘が、こめかみにめり込んだ。

しかし勢いは止まらず、アスドーラの肩口が敵のみぞおちに痛撃を与える。


「ゴフッ」


息を吐き出した敵。

ようやく一撃を与えた。

反撃のチャンス!


アスドーラは腕を回し、思い切り力を込める。


「……ぎぃゃはッ」


バキバキと肋骨が砕ける音がして、声にならない声が漏れる。

アスドーラの勢いに押され敵は後ずさる。

しかも剣を振り抜いた勢いそのままに、体は回転。

不意を突かれて体の制御ができていないようだ。


今なら効くか!?

アスドーラは失神の魔法を試みる。


失神せよテネコーペ


魔法は間違いなく発動した。

しかし効果が見られない。

肌が触れ視認せずとも感じたのは、自身の魔力が敵の魔力に跳ね返される抵抗だった。


ならばと、さらに追い討ちをかける。

肩口を押し込みながら腕を絞り上げた。


「……かッ」


もはや息すら出ない。

敵はふらふらと回りながら、背を壁にぶつけた。

だらりと垂れる剣。

目をかっ開き、白目を充血させる。


確かに、肉体的にはアスドーラの優位であった。


肉体的には。


ズワッ!


敵は魔力を放出した。

全身から溢れ出し、瞬く間に体を包み覆い尽くす。


アスドーラの怪力が体を絞り上げ、回した両腕の指先はくっつきかけていたが、魔力の層によってみるみると離されていく。


「……すぁぁぁあ、はあ、はあ」


魔力はどんどん膨張し、締め上げているはずの腕は広がり、密着していた体も離され、アスドーラは全身の動きが鈍いことに気づく。


足も腕も頭さえも、重たい泥に拘束されたかのように動きが遅くなる。それは次第に強くなり、果ては完全に制御が効かなくなった。


「……ぺっ。折れた、骨が。殺す気だったろ、このガキ!」


血反吐を吐き出し、敵冒険者に初めて表れた怒気。

ギリリと奥歯を噛みしめると、魔力がうねりだす。


纏わりつく魔力がアスドーラの体を完全に拘束。まるで処刑を待つ罪人のように、空中で磔にされた。


「殺す気はなかったよ。でも仕方ないよね、お前が殺気いろけを出したんだから」


ふぅーと息を吐きながら、一撃に沈めんと剣を構える。


「死ね」


銀色の光沢が残像の軌跡を描き、切っ先がアスドーラに触れようかという瞬間。


「……なにっ!?」


ガクリと足を踏み外し、アスドーラを目の前にして落下していく。

驚きを浮かべる彼は、眼下に死を見た。


そこには、血を流しながらニヤリと笑う、赤髪の少がいたのだ。


いつの間に………。


「お返しだクソがぁぁ!」


ジャックの拳が直上に突き上げられた。


ドゴォォォン!


ナックルダスターに込められた魔力が弾けた。

拳は敵冒険者の腹部にめり込み、まるで人形のように吹き飛ぶ。

ジャックが拳でぶち抜いていた天井をすり抜け、冒険者は6階の天井に激突。

そして、ジャックが待ち構えていた4階へと落下した。


「……ぜぇぜぇ、ゴボッ」


冒険者は、息も絶え絶えに、血を吐いた。

ズズズと腕を動かすが、ジャックに踏みつけられて、近くに落ちていた剣も放り投げられる。


「こっちだってマジなんだ……」


ジャックは申し訳なさそうに冒険者を見下ろす。


「悪いが治療はしてやらない。でも死ぬな」


それだけ言うと、ポケットから1枚の紙切れを抜き出した。


「おーい!上に行くから離れてろよな!」


上を見上げ、穴の端でひょこっと顔を覗かせていたアスドーラが離れると、紙切れに魔力を流す。


「……ぅぉッ」


ひょぉぉぉおと風が巻き上がり、ジャックの体がふわっと上昇、そして二人の待つ5階へと着地した。


「どうするのあの人。このままだと死んじゃうよ?」


アスドーラは穴を覗き込み、隣りに降り立ったジャックへ尋ねた。


「A級なら、簡単には死なねえだろ。第一治療しちまったらまたやり直しだぞ?」


「うーむ、確かに」


アスドーラは、ズルズルと床を這う冒険者を眺めながら、助けられない理由に納得した。


ジャックは、申し訳なさそうに冒険者を一瞥した。


殺す気はない。

いや死なないはずだ。


死んでしまったら、などとは考えない。


何故ならやるべきことがあるのだから。


「……早く妹さんを助けよう!そしたらあの人も死なずに済むんだから!」


ふらふらしながらノピーがやってきた。

もともと白かった肌が、血色悪く青褪めている。


「ノピー、気分が悪いの?」


「……もう魔力がないよ。あっちの穴を作るのに全部使っちゃった」


指さしたのは、ジャックが肩を刺された場所だった。

そこには、目の前の大穴よりも何倍も小さな、人一人が通れそうな穴がぽっかりと空いている。


「魔力が切れると、魔力酔いするからな。もう少し我慢してくれ」


「……う、うん。良かった、作戦が上手くいって」


「そうだねえ。やはりノピー先生は頭が良いッ!」


「て、照れるなぁ……ヴォォェエ」


「お、おい吐くなよ!近づくな!」


三人は大きな穴を避けて、スクムのいる部屋へと向かう。


しかしここは、警備の厳しいセントラルグランドホテルである。

これだけの騒ぎを起こし、警戒度も高まっている今、そうやすやすと何もかもが終わるはずもない。


「あーりゃりゃあ。でっけえ穴空けちゃってえ。そういうお年頃かコノヤロー」

「……アイツらだ。俺に失神の魔法をかけたのは」

「ようやく顔を拝めたわねアークム」

「こんな子ども……可愛いな。イタズラ盛りだ」


三人は踊り場からやってきた冒険者たちを見て、放心した。


頭の片隅では、分かっていた。

きっと仲間が来るだろうと。


だが考えなかった。


満身創痍の今、決して勝てないから。


縋る想いで、仲間が5階へ来ない未来を想像していたというのに……。


すると三人の背後から、乾いた声が響く。


「ペリーロを治療してやれ。死にかけだ」


先程倒した冒険者を抱えて、4階から5階へと着地した男。

今までのどの冒険者とも、明らかに違った雰囲気が滲み出ている。


「俺はS級だ。決して勝てないから、抵抗は止めておけ」


三人は前後を囲まれ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。






――――作者より――――

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