第22話 どうぞよろしく

「……ふぇッ」


ドスンと尻もちをついたのは、ノース王国女王エリーゼであった。

王国としての対応を決定する臨時会議が終了した後、大臣や貴族たちが去った会議室で、父ロホスへと国の行く末について愚痴をこぼしていたところだった。


「……え、えいへい、えいへい」


真っ直ぐに何かを見つめながら、口をカクカクさせるエリーゼへと、ロホスは駆け寄った。


「ど、どうしたエリーゼ!大丈夫か?」


「……あ、ああ、あれ、あれ」


エリーゼは何かを指差しながら、みるみる顔が青ざめていく。

先程までは、元気に話していたというのに。

急に倒れ込んだと思えば、うわ言を呟く娘を見て、ロホスは狼狽する。


「体調が悪いのだな?医者を!誰か医者を呼べ!」


汗ばんだ額を撫でて、娘の容態を心配するロホス。

すると、会議室の扉が開かれて騎士がなだれ込んできた。


「医者……な、なななんだ、お、お前は!」


ジャキン!と抜剣する音が響き、ロホスはようやく振り返った。

ちょうどエリーゼが指し示すものへと、視線が行き当たる。


「……」


そして言葉を失った。


この場の誰もが、それをじっと見つめた。


そこに佇んでいたのは、得体の知れない骸骨であった。


白い骨に貼り付く焦げた肉はおまけのようで、しぼんだ眼球がぎこちなく痙攣している。

ほろほろと骨片が床に落ちて、ピクピクと全身が震えていた。


ゴクリと生唾を飲み込み、剣を構えて待機する騎士たちであったが、突然ひとりの騎士がスタスタと歩き出した。


彼らは衛兵である。

女王の身に危険が迫れば、自分を盾にしてでも守らねばならない。

危険でなくとも、女王の前に正体不明の者が居ていいはずがない。


忠義に篤い従順なる騎士は、初見の驚きを克服し、骸骨の背後で斬り掛からんと構えた。


しかし、その意気もついえてしまう。


骸骨に異変が起きたから。


しぼんでいた眼が、ふっくらとみずみずしさを取り戻したのだ。

ぎこちなかった痙攣が、滑らかな眼球運動になり、骨の上から赤い肉がモコモコと表れる。

焦げ付いた肉に赤みが宿り、どくどくと脈打つ血管が表れて、筋肉が皮膚がみるみる再生したのだ。


そしてそこに立っていたのは、世界最強であり不死のドラゴン、アスドーラであった。


「あ、ああ、アスドーラ様?」


口をあんぐりと開けていたエリーゼは、目の前で立ち尽くすアスドーラの名前を口にした。

おぞましいかった何かが、アスドーラであったのだと自分に言い聞かせるように。


ビックリしすぎて目が乾燥しきっていたロホスも、瞬きと共にまともな思考を取り戻た。


(やっべぇ剣向けちゃってるよ。お前!どっか行け!)


剣を振り上げた騎士は、幸いにもアスドーラの背後にいたので、表情と身振り手振りで伝えようとした。

ギリギリバレてない今なら、何事もなかったように騎士を下がらせることができるからだ。


騎士は怪訝な表情を浮かべながらも、ロホスの意思を汲み取ろうとしていた。


けどまったく伝わらなかった。


「……あ、オホンッ!衛兵は下がれ!」


仕方なく命令すると騎士たちは、スッと鞘に剣を収めて会議室から去っていく。


そうして暫く、アスドーラを見つめるふたり。

なにか用があってきたはずなのに、アスドーラは黙ったまま佇んでいる。


こころなしか震えているのは、服を着ていないせいか。

瞳が揺れているのは、なにか不安があるからなのか。


様子がおかしいアスドーラに、エリーゼが語りかける。


「ど、どうしたのですアスドーラ様。そのような格好で」


すると我に返ったように、アスドーラの瞳がきゅーと縮まった。


「……ノピーはどこ?」


「治療させております」


「会いたいから連れてって」


「そ、それは構わないですが――」


アスドーラはくるりと踵を返して、廊下へと出ていった。

それはもう堂々たる歩みで、並ぶ騎士たちも自然と頭を下げたほどだ。


その後を慌てて追うのは、エリーゼとロホスである。

全てを丸出しにして歩くアスドーラに、どうしても何か着せたいエリーゼであったが、なんか切羽詰まってるみたいだし、様子も変だしで、少し不安だった。

だからといって、さすがにプラプラさせたまま友だちに会わせるのは気が引ける。


「お父さん、それ貸して!」


「なっ、エリーゼそれは……」


「いいから!」


「あ、え、いやん」


ロホスのガウンを無理やり引き剥がしたエリーゼは、アスドーラの隣に並びゴニョゴニョと耳打ちした。

服を着せる口実をつけて、アスドーラをうまく説得したらしい。


スッと父のガウンを肩から掛けようとしたら、アスドーラの魔力が全身から滲み出た。

そしていつものような、ごく一般的な服装に早変わりする。


「お召し物まで作れるのですねアスドーラ様」


「……うん。早く行こう」


「かしこまりました」


恭しく返事をしたエリーゼは、ロホスのガウンをふぁさッとぶん投げ、そそくさとノピーのいる部屋へ歩いてゆく。


騎士たちもそれに続いて廊下を駆けていき、残ったのは無残に投げ捨てられたガウンと、メッキを剥がされた肌着姿のロホスである。


そこには宰相たる威厳も、男としての力強さもなく、肌を擦りながらトボトボと歩く様は、トイレに起きた老人のようであった。


ロホスは無言でガウンを拾うと、大仰に裾をなびかせて袖を通し、そして独りごちる。


「女王陛下万歳」



長い廊下を進み、突き当りを曲がってまた長い廊下を進み。

とても広い王城内を歩くこと数分。

エリーゼはとある部屋の扉を開けた。


「こちらです、アスドーラ様」


そこには白衣を着た者が数名おり、横たわるノピーに治癒魔法を掛けている最中だった。

救護室にいる時よりも回復傾向にあるようで、黒ずんでいた皮膚には白味が戻っていた。

けれど、かつての肌には程遠く、作りの悪い人形のように引き攣った皮膚が痘痕のようになっている。


「設備も人員もない学校では、手の施しようがなかったのでしょう。

ここにつれてきて正解です」


とエリーゼは言う。


するとアスドーラは無言のまま治療室に足を踏み入れた。


医師たちが慌てて止めようとするが、女王に視線で制される。


アスドーラは横たわるノピーを見つめて言う。


「僕が治すよみんな離れてて」


「……しかし」


エリーゼは反論しようとした。

ここに揃うのは、ノース王国でも指折りの医者なのだ。

彼らに任せれば必ず治る。

中途半端に治療を止めてしまうのは、患者であるノピーに余計な負担をかけるだろうと。


だがアスドーラの決意は固いようで、ノピーに魔法を掛ける医者を押しのけて、自身の手に魔力を集めている。


その様子を見たエリーゼは、医者たちに命令した。


「部屋から出なさい」


医者もエリーゼも去って、ふたりっきりになった治療室。

アスドーラはノピーへと治癒の魔法を使った。


引き攣っていた皮膚がピンと伸びて、シワシワになっていた体に潤いが戻り、肌にはキメがでた。

世界最強のアースドラゴンにかかれば、この程度は容易く、一瞬のこと。


するとノピーの瞼がゆっくりと開いた。


けれど次の瞬間には、全身がブルブルと震えて、眼球がグラグラと揺れだした。

下瞼に溜まった涙がつつーッとこぼれ、ノピーは硬く目を閉じる。


アスドーラは、その光景にネネを重ねた。

恐怖に支配された人が見せた、骨の髄からくる震えを。


溶岩は、とても熱かった。

呼吸も苦しくて、焼け爛れる痛みを、ただひたすらに受け入れるあの瞬間は、言い表せない苦痛だった。

王城に転移してすぐは、何も見えなかったし、何も感じなかった。

けれど、感じないはずなのに、じんわりと続く痛みが心を蝕んで、骨の髄から震えた。

この時初めて、恐怖というものを味わった。


ああ、もう痛いのは嫌だ。


そしてずっと抱えていた、体の不調もようやく理解できた。

ようやく身に沁みて、理解できた。


自分の境遇を変えるために努力して、言い訳せずに真面目に生きようとして、そして、内気な彼は怯えながらも、立ち向かった。


楽しい昼食の時間に、侮蔑と嘲笑で僕のトレーを盛り付けたステルコスに、ノピーは震えながらも抗った。


ステルコス相手に、何かをしようとすれば、ノピーは必ず僕を止めた。

分からないことを親切に教えてくれて、言いたくなさそうな事も話してくれて、そして間違ったことは指摘してくれた。


これが友だちでなかったら、僕の友だちってどんな人なのだろうか。


そんな彼に僕は何もしていない。


あの日階段で、君を傷つけたことを後悔している。

人が作った面白くもない鎖に、いつの間にか囚われていた僕に腹が立っている。


溶岩よりも苦しい。

友だちを見捨てた事実。

仕組みは、恐怖が体を硬直させるのと同じだ。

ノピーに対する深い後悔が自罰的に体を苛める。


優しいノピーの代わりに、きっと指摘してくれてるんだと思う。


間違っていたと思うのならば、謝れと。



アスドーラは、ノピーの震える手を握りしめて、できうる限りの魔法を発動した。

王城にいる人やノース王国の人に迷惑が掛からない程度の魔力で、なおかつノピーを癒せる魔法を。


部屋の中にはアスドーラの魔力が行き渡り、彼の意思に応じて仄かな煌めきが生まれる。


神聖とは、まさにこのことであった。


空気が澄み渡り、充満する魔力が、ポツリポツリと精霊を生み出し、精霊たちは自然と調和しながら魔力属性へと分化していく。


世界の再現――。


聖域と化した治療室で、ノピーは、はたと目を開く。


「アスドーラ君……」


震えは落ち着き、隣で佇んでいるアスドーラに視線を向けた。


アスドーラは言う。


「ごめんなさい」


「ええ?な、なんで謝るの?」


「奴らが君を踏みつけにしてる時、僕は何もしなかったから。

君は食堂で、僕を庇ってくれたのに」


「あー」

ノピーは少し考えるような仕草をみせた。


「怒ってないよ。相手は王族だもんね」


「それは関係ないよ。って、口で言っても意味がないから、もう殴られないように、今度は絶対に助けるッ!」


ノピーは照れた様子で頬をかいた。


「う、うんありがとう。でも……もう学校は、ちょっとなあ。お金はもったいないけど、またこんな風になるのは嫌だし」


「……ノピーが居なかったから、今日はとてもつまらなかったんだ」


「……へ、へえ。そそそ、そうなんだ」


「君に嫌われたかもしれないと思って、1人ぼっちの気分だったよ」


「そそそ、そうなんだー。べべ、別に嫌いじゃないよ。う、うん。む、むむむしろ――」


「僕は……あんまり、人と関わってこなかったから、よく分からなかったんだけど。ノピーはもう友だちなのかもしれない」


「お、え?友だちって言った?」


「そう。友だちってお互いに了承し合うものだと思ってたけど、どうにも違うんじゃないかって思うんだ。

もしもノピーが僕のことを友だちじゃないと思ってるならお願い。僕と友だちになってください」


「……えっ!?いいのかい?僕はエルフだよ?」


「どうしたの?ステルコスみたいなこと言って。僕はノピーと友だちになりたいんだ。エルフなんて関係ないよ」


「そ、そう?そ、そういうことなら、いいよ。とと友達だね」


「どうしたの?汗がすごいけど」


「い、いやー、僕50歳なんだけど、初めて友だちができたよ。びっくりだなー」


「そっか。でも僕なんて、ちょっと前にさ、初めて友だちができたんだ」


「えー?でもまだ10歳でしょ?」


「……ま、まあ、今はね」


「なにそれ。ハハハ」


「ムハハハ」


「なにその笑い方。ハハハムハハハハ」


「ムッハハハハハ」



一方その頃、学校では。


ラビの耳がピクリと動き、まんまるな目が、影の先にいる誰かを捉えていた。


「おーい、誰だー?就寝時間だぞーいやホント」


その言葉に観念したのか、出てきたのは、そばかすが幼いルーラルであった。


「ノピーが気になって来ただよ。会わせてくんろー」


「おー仲間思いはいいことだねー。中にアスドーラもいるから驚かないでねーいやホント」


ルーラルは頷いて救護室に入るが、何かを探すように辺りを見回す。

しかしお目当てのものが見つからないのか、救護室をぐるりと回り、救護室の入口まで戻ってきた。


「先生?ノピーとアスドーラが居ねえだ」


「なわけないじゃん。いや……ウソーッ!」


怪訝な表情で、ノピーがいるはずのベッドを覗いたラビは、驚いて目を見開く。


「……どこ行ったの?いやホント」


そして大騒動になるのであった。






――――作者より――――

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