第21話 爛れ
寮に戻ったけれど、部屋の真ん中に教科書の残骸があるだけで、ノピーはいなかった。
今日は働く気分じゃないけれど、ノピーに言われたんだ。働いたほうがいいと。
現場に行ったけれど、バロムさんに怒られた。
「そんなんじゃあ怪我しちまうぜ。今日は帰んな」と。
寮へ帰ると、いつもよりたくさんの人が出歩いてて、血相を変えた先生たちが廊下を走り回っていた。
部屋に戻ると、ジャックは居なかったけれど、何故かルーラルが青ざめた顔で僕に縋ってきた。
「ノ、ノピーが大変だ!」
ノピーが?
ボーっとしたままルーラルに連れられて、魔闘場に面する廊下へ来た。
生徒たちがたくさん集まっていて、先生たちが「寮へ戻れ!」と声を張り上げている。
指示に従ったほうがいいのではないか?と思ったけれど、ルーラルが強く引っ張るので仕方なくついて行った。
人の波に逆らうようにして、歩いていく。
そこまでして何がしたいのか分からない。
それよりもノピーが大変ってなんだろう。
そんなことを考えていると、先生たちが代わる代わる出入りする救護室の前にたどり着いた。
ルーラルが、震えた指で中を差すので、チラリと覗いてみた。
そしたら、ベッドには真っ黒い人形が横たわっていた。
白衣の人々が魔法を掛けて、先生たちが薬品を掛けたり本を開いて魔法陣を描いたりしている。
そしたら、白衣の人が驚くことを言った。
「ノピー君頑張るんだ!」
目を凝らして黒い人形をよく見ると、生命の輝きが、小さな炎が悲しく揺れていた。
まだ生きている。
でもあの言葉が引っかかる。
まさかあれが、ノピーなわけない。
救護室に入っていた先生たちは、人形の横で怒号を飛ばしていた。
「明らかに憎悪犯罪だ!何故騎士団を呼ばない!」
「本人は決闘と言っていたのだ。死ぬ可能性も織り込み済みだろう」
今度は隣の救護室から、ザクソン先生とコッホ先生が出てきた。
ふたりとも僕を見て、目を逸らしたのが、不思議だった。
そしたらその後ろから、校長と一緒にステルコスたちと取り巻きが出てきた。
いつものように横柄な態度で、先生たちの後ろにくっついていた。
そして僕を見つけると、いつものように嘲笑うような笑みを浮かべた。
……いやもしかしたら、ルーラルを見ていたのかもしれない。
「なんでこんなことに……」
ルーラルは震える声で溢していたから。
僕は何が何だか分からなかった。
「ノピー君頑張るんだ!」
この言葉が耳にこびりついて離れなかった。
いつの間にか僕は部屋の中にいて、ジャックは珍しくベッドで腰掛けていた。
僕を見ていた気がする。
いつも怒ってばかりのくせに、とても悲しそうな顔をしていたと思う。
「一遍、里に帰るだよ。ステルコスはおめえにも目を付けてるだ。でえれえことになる前に、田舎でおっ母の仕事手伝って、みんなが忘れた頃に戻ればええだよ」
ぼんやりとしていた僕が聞いてないと思ったのか、肩を揺すって、頬をパシパシと叩いていたけれど、全部聞こえてる。
「『
そしたらルーラルは、またあの言葉を言った。
何回も聞かされたあの言葉を。
「悔しいなあ。悔しくても帰れ。王族を相手にしてバカを見るのは、オラたちだべ」
誰もいない、何もいない岩床へ帰れと言うのか。
王族も貴族もしがらみもない岩床へ?
いつの間にかルーラルは居なくなってた。
ジャックは何故か、本を読まずに座ったままだった。
けれど、居づらくなったのか部屋を出ていった。
部屋でぼーっとしてたら、不意に胸が苦しくなった。
ずっと体調が悪い。
どうしてだろう。
そしたらふと、ノース王国のエリーゼが頭に浮かんだ。ロホスや偉い人たちの顔も浮かんだ。
僕に友だちの作り方を教えてくれた人たちが、頭の中に浮かんだ。
やっぱり人間のことは、人間に聞かないとな。
『
転移したのは、友だちの作り方を教えてもらった、ノース王国の会議室。
明かりが消えていて誰もいない。
廊下に出てみるけど、やっぱり真っ暗だ。
どうしようかなと、人を探す方法を考えたけれど、ここなら問題ないこと思い出した。
だってここのみんな、僕が人間でないことを知っているのだから。
魔力はちゃんと抑えて、人の気配を探してみると、数人が固まっているところを見つけたので転移した。
会議室とは違って、ポツンと間接照明が仄かに灯っていた。
そして、眠っているエリーゼの顔を照らしている。
「エリーゼ、エリーゼ」
肩を揺すって起こしたら、眠気眼でむにゃむにゃ言っていた。もう一度肩を揺らしたら、目を見開いて絶叫した。
扉がバタンッ!と開け放たれて、騎士の人が剣を向けてきたけれど、エリーゼが止めてくれた。
「エリーゼ、相談があるんだ」
そう言うとエリーゼは、とても動揺していた。
シーツを体に巻き付けて「頼むから着替えさせて」と何度もお願いするので、僕は会議室で待った。
コンコン。
着替えたエリーゼがやって来た。
前に見た、女王らしい服装だった。
その後ろからロホスもやってきたけれど、彼はとてもラフな格好だった。
ふたりが向かいに座ったので、僕は素直に全部話した。
体の調子が良くないことを。
そしたらふたりから、いくつも質問された。
ノピーのことを聞かれたので答えようとしたら、何故か分からないけれど、言葉に詰まった。
とても胸が苦しくなった。
そのこともちゃんと伝えた。
色々と質問されて、全部答えて。
ロホスは言った。
「彼のことが心配なのではないですか?ノース王国から医者を派遣して治療に当たらせましょう」
それは嬉しいけれど、僕の体は治らない。
だって心が辛いんじゃなくて、体の調子が、おかしいんだから。
するとエリーゼが躊躇いがちに口を開いた。
とても慎重に言葉を選んでゆっくりと話してくれた。
「それは罪悪感です。彼を守らなかったことに対する罪の意識が、アスドーラ様の体を蝕んでいるのです。
そして同時に不安を抱いている。
彼に嫌われてしまったのではないかと。
我々には彼の心情を推し量ることはできません。ですからアスドーラ様は、彼と話すべきです。腹を割って心の全てをさらけ出すつもりで」
「……何を話せばいいのかな」
「彼が苦しんでいる状況をどう思いますか?
彼のいない学校は楽しいですか?
アスドーラ様は彼をどう思っていますか?
そして彼が殴られている時、何を考えていましたか?
何故助けなかったのか。何故何も言わなかったのか。
全てを素直に打ち明ければよろしいかと存じます」
「僕は……」
「ここで話す必要はありません。
誰よりも先に、ノピーさんにお話すべきです。
それからその、王族の件ですが、どうするおつもりです?我々が抗議しましょうか?」
「いやいいよ。聞きたいことがあるからね」
「もう行かれるのです?」
「うん、今日中に片を付けようと思う」
「いつでもお待ちしております。あ、できれば私が起きてる時間でお願いいたします」
「分かった」
アスドーラは、学校へ転移してから救護室へ向かった。
暗い廊下を歩いていると、救護室の前には、ぼんやりと灯る明かりがあった。
そしてその下で、椅子に座る影がひとつ。
「……え?な、なに!?いやホントやめて?」
耳をピンと立てて驚いていたのはラビ先生だった。
「どうも。ノピーに会いに来たんですけど」
「怖っ。びっくりしたー。就寝時間だよ?まあいいけどさあ。意識は戻ってないよー?いやホント」
「ありがとうございます」
お礼を言ってノピーのもとへ。
ベッドに横たわる彼には痛ましい傷が残っている。
焼け爛れた跡は未だ治っておらず、白くきれいな肌が黒く焦げていた。
ノピーを目の当たりにして、ズキズキと胸が痛む。やっぱりエリーゼが言ったことは、間違っていなかったようだ。
ノピーと過ごす学生生活はとても楽しかった。
色々と教えてもらったし、助けてもらった。
とてもくだらないことで、腹を抱えて笑った。
なるほど。
僕はどうしても、ノピーと友だちになりたいみたいだ。
アスドーラはそっとノピーを抱えて『
そこはまたもや王城会議室。
何故か人が増えており、寝巻き姿の大臣や貴族が真剣な表情で何やら話してる。
「正式に抗議すべきです。アスドーラ様にまかり間違って手を出す生徒が現れるかもしれません!」
「しかし、他国の干渉を真に受けるかどうか……」
「だから厳重に抗議するのだ!罷り間違えば世界が滅ぶ――」
議論に夢中で気づかれなかったアスドーラは、机の上にノピーを寝かせて、エリーゼに言った。
「また後で来るからノピーを頼むよ。エリーゼ」
そう言ってアスドーラは転移した。
何が何やら。
嵐が去ったように、室内は静かになる。
残された全員は、唖然としていた。
いきなり現れたアスドーラに対してもそうたが、横たわるノピーの傷についてもだ。
子どものお遊びで済む傷ではない。明確な殺意が見て取れる。
しかもこの子は亜人だ。
大臣や貴族どころか、女王の心はその場で決まった。
「すぐに医者を呼びなさい!」
アスドーラは魔闘場の前に転移していた。
昨日ステルコスがジャックに言っていた「明日のこの時間」がきていたからだ。
扉に手をかけると、ちょうど中から、聞き慣れた笑い声がした。
中へ入ってみると、決闘はどこにいったのか。
いつもの取り巻きを背後に従え、ステルコスはジャックに対して魔法を繰り出していた。
『
それでもジャックは善戦しており、3人の魔法を掻い潜りながら、強力な爆炎に対して守護魔法で対抗する。
『
守護魔法と炎とがジリジリとぶつかりあい、閃光が弾けて魔闘場に広がった。
互いに睨み合い、魔闘場には息切れの音だけがこだましていた。
するとタイミングよく、扉がパタリと閉じた。
ヒリヒリとした闘いで、神経がいつも以上に過敏だったようで、彼らの視線が一気にアスドーラへと集まる。
「ここで何し――」
ステルコスが何か言いかけた。
けれど、全てを聞くほどアスドーラに余裕はない。
『
転移したのは、44億年過ごした北の果て。
雷鳴轟き雷光が閃く。
止まらない強雨が溶岩を叩きつけ、天界の如く雲海が全てを覆い尽くす場所。
死の岩床――。
「はっ……かぁっ、があっ」
熱波が気道を焼き、呼吸すら絶望的な場所だ。
濃い魔力が瘴気となり、魔法を使うこともままならない。
アスドーラは、じだばたともがき苦しむステルコスたちを空中に浮かせて問う。
「ノピーを殺そうとした理由は?」
けれど答えは返ってこない。
喉に爪を立てて、真っ赤な目をアスドーラに向けるばかりだ。
アスドーラは、ようやくハッとする。
久しぶりに魔力を解放して、自分が無傷だったから気づかなかった。
ふっと手を振るい、彼らを魔法で覆い、熱波や瘴気などのあらゆる害からの守りを施し、再度尋ねた。
「ノピーを殺そうとした理由は?」
すると取り巻きのひとりが、目を剥いてがなり立てる。
「今すぐに寮へ戻らせろッ!こんなことして、ただで済むと思ってるのかッ!」
「答えてくれないのかい?」
「うるさいッ!さっさと寮へ――」
言い終える前に、アスドーラは魔法を解いた。
ドボンッ!
がなり立てた取り巻きは、真っ赤な溶岩に体が浸る。
下半身が沈むと、喉の奥から金切り声を上げていた。
次には熱い鉱物が口から流れ込み、物言わぬままに全身が沈んだ。
アスドーラはもう一度尋ねる。
「とうしてノピーを殺そうとしたの?」
するともうひとりの取り巻きが、我先にと声を張り上げた。
「ステルコスがやったんだ!俺たちは、命令されてヤツを動けないようにしただけなんだ!」
答えを聞いたアスドーラは、顎に手を当てて、首を傾げた。
「答えになってないよ」
ドボンッ!
取り巻きは溶岩に沈む。
そして、ひとり残されたステルコス。
何か秘策でもあるように、この状況に対する怯えなど皆無。
彼はいつもと変わらぬ態度で、アスドーラを睨みつける。
「王族を手に掛けるか下民」
怒りに顔を歪めて、忌々しいとばかりに吐き捨てた。
「その下民って、どんな人のことなの?」
「お前のように、身分のない賤劣な人間だ」
「身分があって高貴な人間が君ってこと?」
「当然だ!俺は王族だぞ」
「ふーん」
アスドーラはかねてより疑問だった。
非力で矮小な生物の、命に対する価値観が。
本能がそうさせているのならまだしも、生きるためだというのならばまだしも。
お金だとか身分だとか、それこそ種族だとかに囚われているのが、面白くもない冗談に思えた。
自分たちを鎖で縛っているだけではないか。
ちっぽけな命だからこそ、手を取り知恵を出し合い、1秒でも長く生き、少しでも楽しいことをすればいいのに。
自由に世界を謳歌すればいいのに。
どうして軽々しく、生命の輝きを奪うのか。
どうして軽々しく、己の時間をムダにするのか。
すぐに死んでしまう、ちっぽけな命なのに。
「それで、ノピーを殺そうとした理由は?」
ノース王国の前王もそうだった。
人を下民と嘲り、命を軽々しく奪おうとした。
その理由がずっと気になっていたのだ。
理由によっては、人への扱いを変えないといけない、とさえ思っていたから。
「ヤツは亜人で俺は王族だ」
アスドーラは心底安堵した。
堂々とした彼の言葉に、嘘偽りは感じられない。
だからアスドーラは、胸を撫でおろした。
見かけによらず人という生物には、血と闘争を求める本能があるのではないかと思っていたからだ。
けれど彼が証明してくれた。
本能は関係がない。
鎖のせいで、面白くもない冗談に付き合わされているだけなのだ。
ただ生き体人たちが。
「……ふう。それなら良かった」
ステルコスは相変わらずの不遜さで、アスドーラを睨んでいた。
腸から昇る殺意を、瞳の奥に隠して。
「金だ。金をくれてやるから解放しろ」
そう言いながらも、彼は自力での脱出を目論んでいた。取り巻きが溶岩で燃やされた時から、自身の魔力を発散させ続け、アスドーラが施した結界内に、じわじわと魔力を満たしていたのだ。
今自分を囲んでいるのが、守護魔法を応用した結界ならば、障壁魔法で制御をできなくすることは簡単だ。
結界さえ崩れれば、後は一か八か転移をして脱出。
きっと追ってくるであろうアスドーラを捕まえて、絶対に殺してやる。
そう考えていた。
「うーむ、解放はしないよ。殺すからねえ」
ステルコスの策には、重大な勘違いがあった。
そもそも結界は、彼を封じているのではなく、守っていること。
ここへ連行された時点で、交渉の余地は一切ないこと。
そして、世界最強たるアースドラゴンを目の前にして、アースドラゴンの住処において、人間ごときが魔法を使えるはずもないこと。
全てにおいて、ステルコスが生き延びる術はなかった。
どれだけ策を巡らせても、慎重に魔力を発散させていても、アースドラゴンにとっては児戯に等しい。
「……ふっ。ナメるなよ!こんな守護魔法で、俺を閉じ込めた気になりやがって!『
ステルコスが呪文を唱えると、結界内に充満した魔力に伝播して、強力な障壁魔法が展開された。
ピタリと結界に張り付き、結界に織り込まれたアスドーラの魔力をじんわりと変質させていく。
アスドーラは、その光景を黙って見ていた。
何が起きるのか、彼は何がしたいのか、少しだけ興味をそそられた。
しかし、待てど暮らせど変化は見られない。
いつものアスドーラならば、きっと尋ねただろう。
「何がしたいの?」「何が起きる予定だったの?」
けれど、アスドーラにはそんな余裕はなかった。
今ここで、ステルコスの発動した魔法の行く末を見守るよりも、やるべきことがあったから。
アスドーラは「……もういいや」と呟くと、ステルコスを守っていた魔法を解いた。
「な、何故だ。ただの守護魔法じゃ……はがっ……ぐがっ」
喉を掻きむしり、苦しそうに悶えるステルコス。
その体に掛けられていた、最後の魔法はすぐに解ける。
ドボンッ!
「ッッァァアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
終わりはとても呆気ない。
取り巻きたちと何一つ変わらぬ最期だった。
アスドーラの思った通り、身分などくだらない冗談であると証明された。
ポコポコと粘質な灼熱が弾け、チカチカと雷光が空を這う。
強い雨が蒸気となり、視界も呼吸も難しい、安住の地をぐるりと見回した。
いつかこの場所が、緑に溢れる日が来るのだろうなと、なんとなく妄想する。
そこにいるのは、ネネとノピーと、まだ見ぬ誰かと。
空を見上げながら笑っている。
そんな日があるとすれば、僕がやるべきことはひとつだけ。
ノピーと友だちになる。
決意したアスドーラは、ぶくぶく泡立つ溶岩に近づいた。
黒ずんだ岩を真っ赤に溶かして、湿った空気すらも燃やし尽くす熱波を立ち昇らせている。
溶岩のギリギリまで近づくと、アスドーラは深く息を吸い込み、魔力を体の内に引っ込めた。
そして一歩、踏み出す。
ドボンッ!
――――作者より――――
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