第20話 心は怪我をする
「ったく肝が冷えたぜ。いきなり立ち止まるんだからよお」
「すいません!」
「まあいいさ。飲め飲め」
場所は1区の、寂れた屋台。
どこもかしこも木々が茂っていて、突然現れる集落が1区であった。
無計画に切り倒した空間に立ち並ぶ掘っ立て小屋が、獣人たちの家らしく、さらに奥へ行くと屋台やら空き地やらが雑多に並んでいた。
バロムの知り合いの店らしく、今日は屋外も開放してくれたそうだ。
といっても、空き地に椅子とテーブルを並べて、ランタンを置いただけだが。
「へいアスドーラ!飲んでるかー?」
「おうッ!」
「ゲヘヘへ。そうだこれも食えー」
犬人がめちゃくちゃ絡んでくるのだが、そのたびに、猫人がパンチを繰り出して注意してくれる。
その様子をバロムは笑いながら見ていて、アスドーラもゲラゲラ腹を抱えた。
未成年だとか関係がなく、酒は労働者の特権らしい。
とにかくみんなに飲めと勧められるので、アスドーラはグビグビと飲み干す。
そしたら串に刺さった肉やら、干した肉やら、とにかく肉を出されるのでパクパクと食べる。
お酒としょっぱい肉のコンボをアスドーラは大いに楽しんだ。
ワイワイガヤガヤ、獣人たちの酔いが回り声のボリュームも狂った頃、ふらりと人間がやって来る。
みんな顔なじみのようで、アスドーラの歓迎会から、ただの酒宴に変わった。
飲みっぷりが良くてバクバク食べるアスドーラは、すぐに気に入られて、人間たちとも仲良くなる。
雰囲気よくうるさかった酒宴も、ジョッキの数が増えていくごとに落ち着いていった。
獣人と人間が仲良く笑い、時には殴り合って、そして仲裁されて酒を飲んで、眠って泣いている、どんちゃん騒ぎを見ていたアスドーラは、とてもいい場所だなあと、心底思った。
「どうしてみんな、こんなに仲がいいんです?」
アスドーラは素直に尋ねた。
するとバロムは、目の焦点を彷徨わせながら答えてくれた。
「1区にいる奴は金がねぇ。住むところを追われて明日の食うものにも困ってる奴らしかいねえ。
いってみりゃあ、裸一貫、生きようとしてる奴らだ。
種族なんかどうでもいいんだよ。
ただ食うもの食って、明日また仕事できればそれでよお。
分かるかアスドーラ!
分かんねえなら酒を飲めい!」
なるほどなあ。
アスドーラは得心したが、バロムがジョッキを滑らせてきたので、いただきますと言って飲み干した。すると何故かバロムは満足そうな表情をして、額をテーブルにぶつけた。
金があればなんでもできると、いつか露天商が言っていた。けれど、こんな楽しい日を捨てて金だけ求めるのって、もったいない。
貧乏って、なんだろなあ。
しみじみと考えながら、お酒をゴクゴクと飲み干したのだった。
それから数時間後。
獣人たちはバロムを起こし、みんなで金を出し合っていた。
どうやら、バロムひとりのあぶく銭ではまかないきれなかったようで、みんなでカンパするらしい。
それならばと、アスドーラもテーブルの上にゴールドを置くと「いらねえよバカ」と突き返された。
「ええ?僕、たくさん食べたし飲みましたよ」
「いらねえよ。俺らが乞食に見えんのか?」
「え、でもみんな、お金に困ってるんでしょ?」
すると一瞬、目を丸くして、ガハハと笑い出した。
バロムだけでなく、全員が涙を流して笑っている。
「あのなあ、金には困ってるが、生きることに困ってねぇんだよ。
どうせ明日も働いて、今日の分ぐらいすぐ稼げるんだ。
だからこのはした金は、友だちか彼女か、どっちでもいいからソイツらと遊びに行く金にしろ」
みんな口々に言う。
「また働かなきゃなあ」
「酒を飲んだらすぐに金がなくなるぜ」
「金に困ってるってよお。ブハハハ」
「図星じゃねえかよ」
「アスドーラめえ!酒を飲まんか――ぶへっ」
「お前は少し黙れ」
愚痴を言うけど、全然辛そうじゃない。
むしろ楽しそうにしている。
金には困ってるけど、生きることには困ってない。
ホント楽しそうに生きている。
何故かネネの顔が頭に浮かんで、無性に会いたくなたった。
お金がなくても楽しいし、お金がなくても友だちは友だちだ。
好きで貧乏を選んでるわけじゃない。
頑張って普通に生きているだけ。みんなと同じように。
お金がないから、貧乏だからと無神経なことを言ってしまった。
友だち作りにおいて大切な相手の心というものを忘れていた。
ネネが学校にいなくたって、僕が会いに行けばいい。
ネネが学校に行きたいなら、何か方法を考えればいい。
一緒にいる時間が長くなればと思って、つい言ってしまった言葉だけど、バカなことしちゃったなあ。
愉快な獣人と人間たちを見て、心底反省した。
知識も経験も言葉も配慮も、何もかもが足りなかったと。
学びを得たアスドーラは、深く頭を下げた。
「ごちそうさまでしたッ!」
すると獣人たちは、揃って親指を立てる。
「おうッ!」
ヘロヘロになった獣人たちに見送られ、アスドーラは寮へ戻った。
ガキひとりじゃあ危ないから送ってくぜ、とバロムに言われたが、どう考えても酔いが回ったバロムの方が危ないので、丁重にお断りして全力ダッシュで振り切った。
中庭に到着して、時計台を見ると9時50分だった。
門限は10時なので、ギリギリ間に合った。
校舎に入って、タタタッと階段を下っていくと、何やら荒れた声がした。
なんだろうか。
ひょっこりと顔を覗かせて廊下の先に目を向ける。
そこには見慣れた後ろ姿があった。
ステルコスと取り巻きが、誰かと口論しているらしい。
またかと辟易しながらも、関わってはマズイので階段に身を隠しながら様子を窺う。
だがその余裕もすぐに消えた。
「ジャックはどこに行ったって聞いたんだよ耳長ァッ!」
ドシャ!
誰かが引き倒されて、床にへばりついている。
取り巻きたちのせいで、それが誰なのかは判別できなかった。
けれど、心臓はバクバクと脈打つ。
嫌な言葉のせいで、息が荒くなった。
耳長――。
まさか、そんなはずはない。
心の中では大丈夫と言い聞かせていたけれど、息が荒くなり、指先が冷たくなっていく。
「アイツに用があるんだよ!こっちは腹の虫が収まってねえんだ。隠し立てするんならお前から消してやろうか?」
ぐりぐりと、誰かのどこかを踏みつけて、取り巻きたちは楽しげに笑っている。
アスドーラは逡巡していた。
絶対にダメだと言われたことを、やってしまっていいのだろうか。
バロムさんも、ノピーも言っていたじゃないか。
「関わったらダメだ」と。
碌なことにならないから。
もしも関わったらどうなる?
この国にいられるのか?
学校にいられるのか?
人間として生きていけるか?
ノピーと友だちになれるのか?
「立てって言ったか!?ああ?さっさと答えろ!」
ガスガスと地団駄のように、ステルコスは誰かのどこかを踏みつけている。
すると、か細い声がした。
「や、止めてよ……本当に、し、じらないんだ……」
「泣いてんじゃねえよ気持ち悪い」
ガスッ!
躊躇いもなく足が振り抜かれ、くぐもった声がした。
どうしよう。
どうしたらいいんだろう。
バクバクと胸の音が速くなり、キィーンと全てをかき消す音がした。
体がおかしい。
体調が悪いのかもしれない。
行かないほうがいいんだ。
関わろうとするから、本能が止めてるんだ。
踏み出しかけた足を下げた。
するといつの間にか、背後に人の気配があった。
慌てて振り返ると、そこにいたのは顔にケガを負ったジャックだった。
怪訝そうアスドーラを見ると、廊下から流れてくる異音に気づいて飛び出した。
「おいッ!何してんだ」
「ああ?ああ!お前を待ってたんだ。コイツがお前の居場所をなかなか言わなくてよお」
ガスガスッ!
アスドーラは、踊り場の壁に背を預けていた。
荒くなる息に、たくさん流れてくる汗に怯えながら、廊下を覗くことすらしなくなった。
「俺は今帰ったとこだ。ソイツはなんも知らねえよ、放してやれ」
「わーったよ。わーった。
ジャック、明日のこの時間、魔闘場に来いよ。決闘しようぜ」
そう言うと、ステルコスと取り巻きたちは自室へと戻っていった。
ジャックは、早足でノピーのもとへ駆け寄る。
「大丈夫か?今、治癒魔法を――」
膝をついてノピーに魔法をかけようとしたが、ノピーはすぐさま立ち上がり、廊下を駆けた。
脇目も振らず走り抜け、階段の踊り場に足を踏み入れた。
そこで、交錯する2つの視線。
綺麗なブロンドの髪は、赤茶色にくっついていて、片目は酷く充血していた。
新品の制服もボタンが外れ、靴の跡がくっきりとついていて、お世辞にも大丈夫とは言えない様相だった。
アスドーラは何も言えず、ノピーは腫れた唇をきつく噛みしめる。
互いに何も言わずノピーは階段を駆け上がり、アスドーラはその背中を見送ることすらできなかった。
続いて走ってきたのはジャックだった。
ノピーを追ってきたようだが、階段から見えなくなってしまい、踊り場で立ち止まる。
「……ちっ。終わってんなお前。ツレじゃねえのかよッ!」
俯いていたアスドーラに、ジャックは怒号を飛ばした。
けれど何も言い返さない様子を見て、忌々しいとばかりに顔を歪めた。
「……クソが。お前みたいな奴が1番嫌いだ」
アスドーラは、体の不調に不安を抱いていた。
今までならすぐに治ったのに、まったく治る気配がない。このままではどうなってしまうのだろう。
柄にもなく怯え、けれど、いずれ復調するはずだと確信しながら、踊り場で突っ立っていた。
心の中では、ふらりとノピーが戻ってきてくれることを期待していたけれど、逆に戻ってきてほしくないとも思っていた。
それでも階段から目が離せず、じっと段差を見つめていた。
それからどれほどの時が経ったか。
アスドーラは、落ち着きを取り戻し部屋へ戻る。
扉のノブに手をかけるが、ジャックに何を言われるのか不安で、なかなか踏ん切りがつかなかった。
数分間固まった後、深呼吸をして部屋へ入ると、見るに堪えない光景が広がっていた。
ビリビリに破られた教科書が散乱し、一緒に買いに行ったメモ帳は靴で踏みしだかれている。
カバンも私物の洋服も何もかも引っ張り出されてめちゃくちゃにされて。
みぞおちのあたりがチクチク痛くなった。
「亜人だからって、侮られないように生きるためには、やっぱり学が必要だと思うから。勉強は続けるよ」
教科書の残骸を見て、またみぞおちが痛くなる。
けれど治らない。
どうして治らないのだろう。
考えれば考えるほど、余計に痛くなる。
ふうふうと息をしながら、自分の席に腰掛けた。
どうしてだか、綺麗なままだ。
振り返ってみると、ジャックの本も綺麗なまま。
狙われたのは、ノピーだけらしい。
ふと頭をよぎる。
「ツレじゃねえのかよッ!」
ジャックはそう言っていたけれど、本当にそうなのかな。
僕はずっと、ただの知り合いだと思っていた。
友だちになりたかった、ただの知り合いだと。
アスドーラはボソリと呟く。
「ツレだったのかなあ」
ベッドで横になるジャックは、何も言わなかった。
それから数時間後。
ジャックの寝息がし始めた頃。
アスドーラは椅子から立ち上がり、散乱した教科書を拾い集めた。
『
治癒魔法を掛けてみたけど、教科書が元に戻ることはなかった。
やはりこういうのはノピーに聞かないとな。
そう思いながらノピーを待つ。
しかしその日は帰ってこなかった。
翌日の朝。
ジャックが起きたのは朝4時で、ベッドに腰掛けるアスドーラを見てギョッとしていたが、特に何も言わなかった。
それから、アスドーラは一人で教室へ行った。
ボーっとしてしまい、授業に身が入らなかった。
クラスには人がたくさんいる。
友だちになりたい人がたくさんいるけれど、ちっとも話しかける気にはならなかった。
ずっと続く体の不調が食事で改善するのかもしれない。そう思い、食堂へ行ってみる。
トレーによそって食べてみるけれど、味がしなかった。無味無臭で、見た目通りの粗雑な物体を口に放り込んでいるような気がして、一口目を吐き出して教室へ戻った。
何もかもが興味深くて楽しかったのに、全然楽しくない。
ルーラルがたまに声をかけてくれるけれど、口を開くことも億劫だった。
寂しくない。そこまで怒ってもない。悲しくないし、嬉しくない。
僕に何が起きてる?
何もわからぬまま、授業が終わった。
ルーラルが話しかけに来てくれたけど、やっぱり何も言えなかった。心配そうな顔をしていたけれど、彼女はようやく諦めてくれて、自席へ戻ろうとした。そしたらステルコスがやってきて彼女に何か耳打ちしていた。
ルーラルは驚いた表情を見せて「ホントだか?」と言うと、ステルコスは「ああ嘘はつかねえと」と笑っていた。
そしたらルーラルは教室を出ていった。
午後の最後の授業が始まっても、全く聞く気になれなくてぼーっとしていたら、ルーラルがやってきて、先生に遅刻を咎められていた。
するとステルコスが「どこだ?」と尋ねルーラルは「図書館にいるだ」と言った。
会話の意味はまったく分からないし、興味も湧かなかった。
ステルコスが立ち上がり、体調が悪いと言って教室から去っていったけれど、僕には嘘に思えた。
だって去り際に、言ってたんだ。
ジャックへ逃げるなよ、と。
僕なら言えない。
口を開く気力すら起きないんだから。
――――作者より――――
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