第19話 ステルコスの横暴

制服に袖を通すが、着慣れない服に手間取る。そんな互いの様子に、朝から笑いが溢れた。

なんとか、朝の会が始まる前に、教室へ到着したアスドーラとノピー。

たくさんの教科書が入ったカバンを、後ろの荷物置き場に入れて、席につく。


続々とクラスメイトが集まってくる中、野太い声が廊下の先から聞こえてきた。


「ハハハ、よくできた娼婦だろ?5ゴールドだぞ?」


朝から卑猥な会話をしながら教室に入って来たのは、ステルコスとその取り巻きであった。何やら機嫌が良いようで、はつらつとした笑顔で取り巻きたちと会話している。


サッと顔を伏せたノピーであったが、ステルコスたちは見向きもしない。

それよりも後ろにくっついている、彼女に意識が向いているようだ。


「あんまデケェ声で言わんでほしいだよー」


そこにいたのは、そばかすがあどけないルーラルだった。

ステルコスに握手を求めるほど熱狂的なファンであったが、仲間入りに成功したらしい。


「ああそうだな。ほれ」


ステルコスは何かを手から溢すと、床からチャリーンと音がした。


「前払いだ」


まるで食べかすでも払うように落としたゴールド。

それを拾うルーラルは、笑顔で返事をした。


「分かっただ」


その光景を、不思議そうに眺めるアスドーラとは違って、生徒たちは顔を顰めていた。

身分に関わらず学び、何人も差別を受けない。

初等学校が掲げていた教育理念が、目の前でお題目と化しているのだ。


剣呑とした雰囲気が充満し始め、ステルコスたちが席についた頃、鐘が鳴った。


キーンコーンカーンコーン。


時刻は8時半。

カツカツと足音がして、コッホ先生がやって来た。


「ヴォッホ。おはようございます。制服が似合ってますね。今日は授業が詰まっていますから、頑張りましょう」


出席確認、連絡事項の伝達、鐘が鳴る前に教室に入っておくことなど、初日の注意点などを一頻り聞かされて、朝の会は終了。


教室から出ていこうとしたコッホ先生は、何かを思いついたように立ち止まった。


「ルーラルさん、お話があるので来てもらえますか?」


一気に視線がルーラルへ集まる。


「オラか?分かっただ」


ステルコスたちとのやり取りを見ていたクラスメイトたちは、シンと静かになり、先生とルーラルの言葉を聞き漏らすまいと耳をそばだてる。


しかしふたりはどこかへ行ってしまい、教室はまた、友だちとの楽しい会話に花を咲かせるのであった。



一時間目の授業が始まる前、ルーラルは戻ってきた。少しだけ目が充血していたのが、クラスメイトの噂話となってしまった。


午前の授業もつつがなく終わる。


アスドーラはノピーに助けてもらいながら、授業を楽しんだようで、まったく知らなかった世界の歴史や、文字の成り立ち、文字の種類などに触れて、どんどん賢くなっている気がしていた。


「アスドーラ君、お昼はどうする?」


「昨日は食堂に行ったから、今日は売店に行こうよ」


「そうだね。売店にはお菓子も売っているらしいよ」


「ほぉ」


お菓子という甘美な響きに、アスドーラは思わず唸る。

食べたい気持ちを抑えきれず、椅子を引いて3階へ向かおうとした時だった。


「昨日はあんなに尻尾振ってたくせに、なんだって!?何ができねえんだよッ!」


何やら揉め事のようだ。

しおらしくうなだれているルーラルに、ステルコスが怒鳴っている。


「……きょ、今日は行けねえだよ」


「金払ったよな?そんで、昨日のことも覚えてるよな!?」


「イヤでも――」


「言い訳ばっかすんじゃねえ下民が。言いふらしてやろうか?ああ?」


がなり立てるステルコスは、ルーラルの髪を鷲掴みにして乱暴の振り回す。


「汚え髪だな!どうりで臭えと思ったわ。全部引っこ抜いたほうが良いんじゃねえか?」


「いい、痛ッ。痛いだ、やめてけろ、やめて――」


声にならない声で悲痛な叫びを上げるルーラルであったが、ステルコスはお構いなしに振り回す。


ブチブチッ!


教室内に嫌な音が響いた。


「ぐっうぅ、うゔ」


痛みに悶えるルーラルは、膝から崩れ落ちる。


ボトリと髪の束が床に投げ捨てられ、ステルコスはホコリでも払うように手を叩いた。


顔を覆って、床に頭を伏せるルーラルであったが、教室にいる誰も手を出さなかった。


みんなだんまりを決め込み、ステルコスたちから目を背けている。


唯一アスドーラは、目を逸らさずにその光景を目に焼き付けていた。

きっと痛いだろうに。

ステルコスだってそれは承知しているだろうに。

同じ人間なのだから。

それなのにどうして、痛めつけるのだろう。

差別とは違う理由がある、そんな気がしてじっと見守っていた。

それに、ノピーが腕を掴んでいて、動けなかったというのもある。


すると誰かが、パタンッと本を閉じた。

アスドーラの横を通り過ぎて、堂々とルーラルに近づき、膝をついた。

それは、赤髪のジャックだった。


治癒せよルクタテム


ふわりと魔力が広がり、ルーラルの頭部から流れる血が止まり傷が癒えていく。

けれど髪が元に戻ることはなく、頭皮が丸く露わになっていた。


一部始終を見下ろしていたステルコスは、鼻で笑いながら言った。


「あれ?今は下民だっけか、元伯爵のジャック君よお」


そう言われてもジャックは無言を貫き、魔法を止めた。これ以上回復させることはできないと判断したらしく、ルーラルの肩を抱いて立たせると「救護室に行くといい」と言った。


するとステルコスは、ルーラルのお尻を蹴りつけた。

ルーラルはバランスを崩して、前のめりに倒れ込む。


「俺に汚えケツを向けるんじゃねえよ、アバズレが。ああそうだ、昨日ので孕んだら殺すからな?せいぜい身籠らないように頑張れよ下民」


ギャハハと嘲笑うと、ジャックはギロリと強い視線を向けた。

しかしステルコスは気にした様子もなく、ドカッと席に座る。


ジャックは何かを堪えるように大きく深呼吸をすると、目を瞑った。

次にはルーラルの側で何かを言って、立ち上がらせると、教室から出ていった。


「……お、王家の血縁なんだ。しかも王位継承権まであるんだよ」


ノピーはそう言うと、掴んでいた腕を放した。


「絶対に関わっちゃダメだよアスドーラ君」


いつも、おどおどしてて、喋るのも勇気を振り絞っているようなノピーが、アスドーラの目を真っ直ぐに見て言った。

昨日も今日も、震えながらアスドーラの腕を掴んでいた。


そんなノピーの忠言を断ることなどできるはずもなく、アスドーラは素直に頷くのであった。


それから昼食時間が終わり、次の授業が始まる前、ジャックとルーラルが戻ってきた。

ルーラルの髪の毛は元に戻っていたけれど、泣き腫らした目までは治っていなかった。


続いてやって来たのは、コッホ先生とザクソン先生だった。


「傾聴ッ!」


教壇に立ったザクソン先生は、険しい表情でクラスを見回した。


「我が校において、身分による強要は許されていない。例え王族であってもだ!いいなステルコス」


ザクソンの視線がステルコスを捉えるが、当の本人は納得できないとばかりに反論した。


「売春は許されてるんですか?ザクソン先生」


アスドーラはその表情を見て、ゾワゾワと背中を伝う何かを感じた。

ネネを襲ったあの男だ。

彼を前にした時に感じた、気持ちの悪い感覚がぶり返す。


「いいわけがないだろう。馬鹿者ッ!」


ステルコスに反省の様子など微塵もなく、舌打ちをしてザクソンの背を睨みつけていた。



午後の授業は、陰鬱な雰囲気のまま終了。

アスドーラとノピーは寮に帰った。


「じゃあ行ってくるよ」


「あ、うん。頑張ってね」


アスドーラは、さっさと仕事に向かった。

今日の獣人たちは、みんな元気いっぱいで、仕事への打ち込みがいつも以上だった。

どんどん石材が積み上がり、建物らしい壁がそれなりの高さになってきた頃、バロムの声で業務は終了となった。


「明日から天井だ」


すると獣人たちが愚痴を言う。


「また材回しかよ」

「はあ。まあいつものことだ」

「おいおい、今日は飲み会だぞ?一旦忘れようぜ」


めんどくさそうにしているが、雰囲気はよかった。

どうやら元気だった理由は、仕事終わりの飲み会だったようだ。

いつもより早い足取りでギルドへ向かっていると、珍しく騎士が集まっている。


アスドーラは気になったが、バロムが騎士たちを避けるようにして路の端っこを歩くので、遠目からはよく見えない。


このまま通り過ぎてしまうなと思っていると、聞き慣れた声がした。


「所詮下民だろう!さっさと連れて行け!」


「いやしかし、証拠もなしに連れて行くと問題になります」


「どいつもこいつも、俺の言うことが聞けないのか!」


とうとう足を止めて、騎士たちの輪の中をじっと見つめる。

そこにいたのは、ステルコスだった。

いつもの取り巻きもいて、一人の騎士に詰め寄っているようだ。


「お前みたいなヤツが王族とは、この国もおしまいだな」


「貴様ッ!」


ボゴッと拳を振り下ろし、誰かが倒れたようだが、足先しか見えず、何者か判然としない。

けれどアスドーラには、この声も聞き覚えがあった。

宿に泊まっている時から聞いてきた声だから、間違うはずもない。


「お止めください。これ以上は醜聞が立ちますぞ」


「……ふんっ!お前たちが連行しないからだ!もういい、行くぞ」


騎士の輪が崩れて、ステルコスたちが去っていく。

すると騎士たちも、続々とどこかへと歩いていき、残ったのは詰め寄られていた騎士と、顔を腫らしたジャックだった。


「大丈夫ですか?デラベルク様」


騎士が手を差し伸べると、ジャックは手を払って自力で立ち上がった。


「行け。俺はただのジャックだ」


「……申し訳ありません」


「早く行け」


何が起きているのやら、アスドーラにはよく分からなかった。

けれどジャックが、偉い人だったということは分かった。

教室でステルコスが「元伯爵のジャック」とも言っていたし、騎士が恭しくしてるぐらいだ。

彼にも何かしらの過去があるんだなあ、とぼんやりと考えていたら、バロムがアスドーラの腕を引っ張った。


「さっさと来いバーロー」


「……あ、すいません」


虎人にズルズルと引きずられている少年は、アスドーラたちが思っているよりも目立つもので、ジャックの視線がアスドーラと交錯する。


「ツレなのか?」


するとバロムが、小さな声で尋ねた。


「……いえ、まだ知り合いです」


「だったら関わるな。貴族の喧嘩なんざゴブリンでも食わねえぞ」


なんとも言えない視線は、ふと逸らされた。

そしてジャックは、トボトボとどこかへと歩いて行った。






――――作者より――――

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