第14話 ちっぽけ
空を見てご覧。
君の抱える、不安や心配がバカらしくなるだろう?
人も失敗も悪い思い出も、この星々のようにたくさんある。
だけど空は、全部を優しく包み込むんだ。
空を見てご覧。
みんなの嫌なことを包みこんでも、あんなにキレイなままなんだ。
空は見たかい?
まだ怖いかい?
空を見てご覧。
星が消えて、温かい太陽が昇っているだろう。
そのすべては、世界を見守り世界を滅ぼす竜の御業なのだよ。
四竜教聖典
チグリスの手紙より
※※※
付かず離れずの間隔で、アスドーラとバロムたちは商業ギルドへ赴いた。
「終わったぞ」
バロムは昨日と同じように、受付嬢に声を掛けた。
すると彼女は、面倒がやってきたと言わんばかりに、憎々しげな表情を浮かべる。
バロムにも届く大きなため息をつきながら、引き出しからゴールドを取り出し、受付台の上にジャラリと放り投げた。
「ごめんねー?それ拾ってくれる?」
受付嬢は、転がり落ちたゴールドを眺めながら、ニコリと笑う。
「……ああ」
バロムは受付嬢を睨みつけたが、それ以上は何も言わなかった。
「てめえこの――」
今にも飛び掛かりそうな剣幕で、周囲の獣人に取り押さえられている犬人。
バロムは彼へ「落ち着け」と肩を叩き、大人しく金貨を拾った。
しかし犬人の気は収まらない。
目を充血させて、牙を剥き出しに唸り声を上げている。
犬人も振り上げた拳を下ろせないのだろう。
そう考えたバロムは、妥協点を作る意味で受付嬢へ言った。
「次からは気をつけろよな」
受付嬢は
「ええ」
とそれだけ言えばよかった。
たったそれだけで、何もかもが上手く纏まったはずであった。
そんな筋書きとは裏腹に、受付嬢は目を見開き、バロムの言葉に驚いてみせる。
「はあ!?どの口で……
存在自体が悪のお前たちが、自らを棚に上げて私を糾弾するの!?
アンタたちが、アンタたちさえいなければ……この手の震えだって止まるわよ。
この魔人がッ!」
場は凍りついた。
まるで誰もいないかのように、まるで魔法が音を消したかのように。
受付嬢の一言で、人間のお客も、ギルド職員も、獣人たちも、全員が予感した。
この結末には、必ず血が流れる。
誰かが低く唸りを上げ、誰かがコキコキと骨を鳴らす。
そんな獣人たちを咎めるでもなく、バロムは目を吊り上げ、全身の毛を逆立てた。
「ひ、ひいぃぃぃ。恐ろしい!誰か、誰か騎士を呼んでッ!」
わざとらしく怯える受付嬢を見て、バロムの拳はワナワナと震える。
「……もう一度言ってみろ人間!」
ドゴォンッ!
大きな拳が受付台をぶち抜いた。
それでも受付嬢の表情には、どこか余裕がある。
「ふっ、ふははは!これで立派な犯罪者ね!火炙りにでもされてしまえ、このクソ魔人がッ!」
次の瞬間、誰かの咆哮が轟く。
誰かが飛び掛かろうとして、誰かが止めようとして、互いに揉み合う獣人たち。
一方では受付嬢が、思惑通りに進む展開を澄まし顔で眺める。
「そうか。そうだなあ。どうせくたばるんなら――」
グッと拳を握りしめて、歩き出すバロム。
彼の小さな呟きに誰も気づかなかった。
けれどひとりだけ。
この場でたったひとりだけ、じっとバロムの様子を観察していた者がいた。
「どうしてそんな事を言うんだい?」
「……アスドーラ」
受付嬢とバロムの間にすすっと入り込み、アスドーラは受付嬢へと尋ねた。
「な、なによ貧乏ガキ。さっさと帰りな」
意識の外からアスドーラが現れたために、さすがの受付嬢も面食らったようだ。
「どうして獣人の皆さんを侮辱するの?あなたは差別が好きなの?」
「……さ、差別なんてしてないわ。ただ私は、事実を言っただけじゃない」
「ふーん、そうなんだねえ」
アスドーラは、受付嬢の顔を見つめ、ぐいっと顔を近づけた。
「つまらない人生だねえ。限りある命がもったいないよ」
「……はあ!?」
受付嬢はギリギリと歯を軋ませて、こめかみに青筋を立てる。
仲間内で、もみくちゃになっていた獣人たちも、いつしかアスドーラの言葉に耳を傾けていた。
「貧乏ガキのくせに。手を出さないと思って調子こいてんじゃねえぞ」
アスドーラの言葉がよほど刺さったのか、受付嬢は目を剥いて怒鳴り始める。
「私は……私は、男爵家に縁がある人間なのよッ!?アンタたちとは違う、選ばれた人間なの!」
「……男爵家に縁のある人間は選ばれたバカってこと?」
アスドーラの言葉は、受付嬢の血圧をますます上昇させた。
鼻息荒く、開ききった瞳孔でアスドーラを睨みつける。
「くッ……くく」
獣人たちの堪えきれない笑い声。
それが彼女の、理性を焼き切った。
プツンッ。
受付嬢は胸ポケットのペンを握りしめて、アスドーラへと飛びかかる。
「ガキが大人ナメんじゃねえッ!」
だがしかし、所詮はただの人間の攻撃だ。
アスドーラは冷静に、その腕を掴んで、引き倒す。
その立ち居振る舞いは、まるで日常の所作。
一方受付嬢はと言えば。
「ぎぃやあや!」
と奇妙な裂帛で立ち上がるが、明らかに運動慣れしていない。
動きがぎこちないというか、へなちょこというか。
アスドーラは、降り掛かってくるペンの攻撃を、腕で軽く払い、とても軽めにビンタした。
ガクン。
当たりどころは、見事に顎。
格闘術のお手本であった。
受付嬢はガクリと膝から崩れ落ち、白目を剥いて倒れた。
「おお!うぉぉぉ!」
その光景に獣人たちは歓声を上げる。
だが、バロムだけは渋い顔をしていた。
「……アスドーラ、治癒魔法は使えるのか」
「怪我したんです?」
「いや、コイツを治せ」
まさかの指示にアスドーラは驚いた。
なんでこんなヤツを治すのか。
限りある命を差別という悪意で費やし、誰かの我慢と誰かの恨みでしか生きる意味を見いだせないような、くだらない命など、いらないだろう、と。
すると、壁際で怯えていた誰かが言った。
『
ヒュン!と赤い何かが獣人たちの横をかすめ、ギルドの出入り口から飛んでいった。
それから数十秒後、ガチャガチャと音がして入り口の方を振り向くアスドーラと獣人たち。
やって来たのは、銀色の鎧を纏う騎士だった。
赤い便箋を顔近くでペラペラさせながら、ゆっくりとギルド内を見回す。
「送ったのは誰だー?」
便箋を掲げると、壁際の男性が恐る恐る手を挙げた。
「俺の目が腐ってなきゃ、獣人が人を殺してると書いてある。で?どこに死体があるんだ?」
威圧感たっぷりに騎士は尋ね、壁際の男は、倒れ込む受付嬢を指差す。
「……退け、邪魔だ」
騎士の一言で、獣人たちは道を開ける。
受付嬢の側で膝をつき、じっと顔を見つめると、少しだけ険しい顔をした。
かと思えば次の瞬間には、革手袋を脱ぎ、受付嬢の鼻のあたりに手をかざす。
すると騎士は、腹の底からため息をつき、受付嬢の頬を叩いた。
「……な、あれ!?騎士様?」
意識を取り戻した受付嬢は、膝をつく騎士を見るや心底驚いていた。
「……誰にやられた」
受付嬢は、眉間にしわを作りアスドーラを指差す。
「魔人です!あ、あの、子どもの皮を被った魔人です!」
ヒステリーに騒ぎ立てるが、騎士は至って冷静。
というか、終始面倒くさそうにしている。
「獣人ではないと」
「あ、え、ああ、そうです。でも!喧嘩を売ってきたのはそいつらです!」
騎士はまた、深いため息をつく。
「今一度、言っておく。亜人に対する、いかなる差別行為も憎悪犯罪として取り締まる。
それからッ!くだらない喧嘩で騎士を呼ぶな!」
それだけ言うと、ぶつくさ文句を言いながらギルドを出ていこうとする。
だが、その道を塞ぐ者があった。
――バロムだ。
「なんだ?」
バロムもなかなかの上背だが、騎士も負けてない。相対すると、空気がピリリとする。
「ヤツは男爵家に縁があると言っていた。その辺を調べてくれないか」
バロムの言葉を聞いた途端、騎士の表情がゆっくりと歪む。
すると、さっきまでの面倒くさそうな態度はどこへやら。
くるりと受付嬢のもとへ戻り、いきなり髪を引っ掴んだ。
「男爵家の名前を出したということは、この件の責任はその家にあるということ。
当然、貴族家も憎悪犯罪の処罰対象に含まれる。
吐け。どこの家だ?」
騎士の詰問に受付嬢の目が泳ぎだす。
「い、いやーその――」
「貴族家の名を騙ることは、憎悪犯罪と並び重罪だ。お前はどちらの罪を被る?選ばせてやろう」
全てを見透かしたように、騎士は淡々と、それでいて悪鬼を食い殺すような視線を向ける。
「……すみません。出来心だったんです。許してください」
事の重大さに気づいたのか、受付嬢は、子どものようにおんおんと泣き出した。
すると騎士は、掴んでいた髪から手を離して立ち上がる。
受付嬢は、その騎士へ縋る視線を向けたのだが……。
ゴスッ!
容赦はなかった。
金属で覆われた足を振り抜いたのだ。
「ゲブっ」
受付嬢は顔を手で覆って、声にならない声で悶絶した。
「次はない」
そう言い残し、騎士はギルドを去っていった。
「俺たちも行こう」
バロムはそう言って、獣人たちと外に出ようとしたが、ふと立ち止まり振り返った。
「お前も来い、アスドーラ」
「……お、おうッ!」
付いていって良いものか。
迷っていたアスドーラは、バロムの呼びかけで、足取り軽く駆けていった。
昨日と同じ帰り道。
色々とあった今日だったが、わだかまりが解けて心を軽くする。
すると突然、誰かが笑い出した。
「ブッ、ハハハ!いや、スカッとしたぜ!」
「ハハハ、そうだな」
「よくやったなアスドーラ!」
褒められて悪い気はしない。
素直なアスドーラは、褒められるとかなり調子づくきらいがある。
ホクホク顔で「おうッ!」と言いながら、親指を立てみせると、犬人に頭をひっぱたかれた。
「調子のんじゃねえよバカ野郎」
そして直後には、頭をぐじゃぐじゃと撫でられて「ありがとな」と小さな声で言われた。
こんなに痛快な表情になるのなら、自分たちでやり返してしまえばよかったのに。
そう思ったアスドーラは、バロムに尋ねた。
「なんで我慢してたんです?」
するとバロムは、アスドーラを見下ろして答えた。
「この程度、我慢できなきゃ食えねえんだよ。他の国よりも、ここはずーっとマシだからな。
我慢さえできれば金が手に入る。
我慢して我慢して、俺らは小さな自由を謳歌できるんだ。
その我慢ができなきゃあ、まあ死ぬしかねえわな」
そう言いつつも、バロムの表情は少し楽しそう。
小さな自由って、そんなにいいものなのかなあ。
アスドーラの疑問も、獣人たちのくだらない会話でかき消された。
そして到着した、2区の宿。
じゃあなと手を振り、獣人たちは去っていく。
「追いつくから先行ってろ」
だがバロムは、ひとり残ってアスドーラの耳元に近づいた。
「今回はたまたま貴族の縁者じゃなかったから良かったが、次からは絶対に手を出すな。
関わらず逃げろ。
貴族と関わっていいことなんて、ひとつもねえ」
「……分かりました」
アスドーラは素直に頷いた。
差別されてきた獣人たちの言葉に、疑問を挟む余地はなく、経験に裏打ちされた処世術だと肌で感じたから。
「アスドーラ」
バロムは去り際、突然立ち止まり振り返った。
「あんがとな。体張ってくれてよ」
アスドーラは親指を立ててみせる。
そして声を張り上げた。
「おうッ!」
するとバロムはひとつ笑って、背中で手を振った。
世界最強のアースドラゴンには、ちっぽけな背中で、ちっぽけな人生に見えた。
あの受付嬢も、獣人たちもバロムも。
皆一様にちっぽけだ。
ちっぽけな身分に、ちっぽけな差別に、ちっぽけな時間。
ちっぽけな彼らの争いは、途方も無くくだらない。
44億年生きてきたアースドラゴンよりも、確かにちっぽけな命だけど、断言できる事があった。
生きることを楽しんでいる。
45億年目にして、人間たちと交流して得た、現状の結論であった。
――――作者より――――
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