第12話 労働

「人間は難しいねえ」


何が機嫌を悪くさせるのか分からない。

ついついうっかりが、相手の心象を悪くする。

人間は難しい。

会話は難しい。

そして友だち作りも難しいなと、しみじみするアスドーラは、3区から中央区へと入った。

気品と華美な空気感が、否応なくアスドーラの興味をくすぐる。


すれ違うのは馬車だったり、紳士だったり。皆一様に、3区のようなまったりした所作がありつつ、優雅な余裕とも呼べるオーラを纏っている。


「いい匂いだなあ」


そして何より、今まで嗅いだことのない香りを、すれ違う人々から吸い込みながら、ちらりと見える現場へと向かうのであった。


「こんにちは!」


「……ああ」


「働きに来ました!」


「……代わりってお前のことかよ」


髭面のおじさんは、手に持っていた便箋とアスドーラを見比べて、かなり落胆したようだ。


「帰るなら今のうちだぞ。何を考えてるか知らんが、ここはお子さまの職業体験場所じゃないからな」


男は、明らかにアスドーラを敬遠しているようだ。


「いいえ働きます!お願いしますッ!」


「……来い」


ため息交じりに男が向かうは、石材が積み上げられた場所だった。

そこにいるのは、ネネのような獣人たちで、列をなして石材を運んでいる。


「バロム!新入りだ」


「おう」


男が呼び寄せたのは、虎人のバロム。

上背は軽く2メートルあり、鋭い眼光も相まって常人ならば近寄りがたい威圧感がある。


「面倒見てやれ。それから分かってるな?コイツがヘマしたら、コレだからな」

男は首を切る手振りをしてみせると、そそくさと日陰へと去っていった。


「名前は」


ドスの効いた声で尋ねられたアスドーラ。いつものように元気良く答える。


「アスドーラですッ!よろしくお願いしますッ!」


「これ持ち上げてみろ。ムリなら帰れ」


指さされたのは、でんと並ぶ石材だった。

高さはアスドーラぐらいで、幅は目一杯手を広げてようやくというぐらい。

誰がどう見ても、こんな子どもには持ち上げられない。隣で作業を続ける獣人たちは、冷ややかな視線を送っていた。

虎人のバロムも同じ思いだったようで、さっさと帰れとでも言いたげである。


しかしアスドーラはそんな思惑など意にも介さない。


「はいッ!」


そう言うや、地面に置かれた石材の前に屈み、グッと力を込めた。


「……フンッ!」


「んえ?」


虎人のバロムは、あり得ない光景を前にして、思わず驚きの声を上げる。


「……んんーよいしょ!」


幼い声色で気張る少年が、石材を持ち上げているのだ。

肉体的に人間より優れていると言われる獣人ですら、持ち上げられない者がいるというのに。


この少年は……。


「……どこに、置けばいいです?」


持ち上げるどころか、てくてくと歩き出した。

唖然とする虎人のバロム。

周囲で作業していた獣人たちも、手を止めてその光景に驚愕していた。


「……あ、いや、そこに置いとけ。運べとはいってない」


ドスン。


「すみません。あの、持ち上げたので働いてもいいですか?」


「……ああもちろん」


「よろしくお願いします!」


こうしてアスドーラは、職を手に入れたのだった。



材回しと呼ばれる、素材を運搬する作業に従事するアスドーラは、余裕綽々の表情とは裏腹に、意外にも苦労していた。


なんせ人間形態で初めて5割ぐらいの力を出したのだ。

バロムに言われて持ってみたけど、ずーっとミシミシと手やら足の骨が鳴るし、筋肉がブチブチと跳ね回るし。

持ち上げるのはできても、体が耐えきれないことが判明した。

だがしかし、彼は世界最強である。

骨が悲鳴を上げ筋肉が断裂しても、速攻で治ってしまうので、アスドーラは持ち上げるたびにケガをしながら回復し、材回しに精を出していた。


「おっす!」

「うぉっし!」


石材を積んでる場所から、また別のところへと、リレー形式で運ぶ作業が、数時間続く。

手渡す前に、声を掛けて、渡される方も声を掛けて。リズムよく石材が運搬されていく。


アスドーラも単調な作業に慣れてきた頃、日が暮れてバロムの声が上がった。


「よし、今日はあがりだ。続きは明日にするぞ」


「おうッ!」


バロムの声に、獣人たちは豪快に答える。

アスドーラも、遅れて返事をして、その日の業務は終了となった。


「おうッ!」



中央区から3区のギルドまで、獣人たちに囲まれながら歩くアスドーラ。

出会った頃の冷ややかな視線はどこへやら。

皆、アスドーラに興味津々のようだ。


「ホントに人間か?」


「ど、どうですかねえ」


「にしても小せえ。いくつだ?」


「えーと、10歳です」


「将来有望だなあ」


「ありがとうございます!」


わいわいと歩く一行を見るや、中央区の人々は素早く距離を取る。

アスドーラが一人で歩いていた時は、普通にすれ違ったのに、今では獣人たちに道を明け渡すほど、遠巻きに見つめている。

その様子を知ってか知らずか、獣人たちは気に留めた様子もなく新入りのアスドーラを質問攻めにする。


そうして3区の商業ギルドへ到着。

皆で中に入ると、受付前に陣取っていた商人たちがハッとした表情を浮かべて、道を開ける。

獣人たちから少しでも離れたいのか、壁に張り付く者もいれば、受付に「また明日」と言い残して去っていくものまで。


アスドーラは変な空気を察したが、その正体が分からず困惑する。


一方バロムはというと、慣れた様子で受付に声を掛けた。


「終わったぞ」


そこに居たのは、アスドーラを現場へ派遣した受付嬢だった。

鬱陶しそうにバロムを見上げて、気だるそうにトレーを差し出す。


「さっさと帰りなさいよ。臭くて他のお客さんに迷惑よ」


受付嬢はわざとらしく鼻をつまみ、出てけと手を振った。


「……」


バロムは受付嬢を睨みつけるが、特に何も言わず、トレーから金を受け取り踵を返す。

皆も順繰りに金を受け取って、とうとうアスドーラの番が来る。


「……6ゴールドね」


トレーの上には金貨が6枚。

なんか他の人より少ないなあと、怪訝な表情を浮かべると受付嬢は言った。


「3時間しか働いてないんだから、計算は合ってるわよ。まさか私を疑ってるんじゃないわよね?」


「あ、いえ」


「さっさと帰れ。シッシッ」


アスドーラは金貨を握りしめ、ギルトを後にする。

生まれて初めての給金であったが、それよりも、受付嬢の嫌味な態度について、とても不思議に思うのであった。


ギルドから出ると、獣人たちが待っていた。


「お前どこに住んでるんだ?」


虎人のバロムが尋ねる。


「2区の宿ですッ!」


「ほー2区か。良いじゃねえか」


バロムはそう言うと、通りを歩く制服姿の子どもに視線を送った。


「3区にゃ、学校に通えるボンボンもいるってのに。世知辛えよなあ。薄給の俺らにもちょっくら金を寄越してほしいぜ」


ガハハと笑ったバロム。

通り掛かった少女が、アスドーラと同じぐらいの年齢だったので、気を使ったらしい。

貧乏ぐらいでへこたれるなよと。

子どもながらに働くアスドーラを思っての、バロムなりのジョークであった。


「僕、明後日から学校に行くんですけど。ボンボンなんですかねえ」


「……学校なあ、学校!?」


突然声を荒げるバロム。

獣人たちも、驚いた様子だ。

どうやらバロムたちは、2区に宿を取るぐらいだから、貧乏人だと思ったらしい。


「なんで働いてんだよ」


「え?うーんと、知り合いに働いたほうがいいと言われまして」


「いや、わざわざ俺たちのとこで働かなくても……ああ、ヤツが振り分けたのか。ったくどうかしてるぜこんなガキにまで」


バロムがブツブツ言うのでアスドーラは首を傾げる。


「受付の女がいたろ。金でしか人を見れない性悪だからよお、ってこんな話はいい。別のところで働いたほうがいいんじゃねえか?学校行くぐらいなら、オツムの出来もいいんだろ?」


「いやー。字も読めないし魔法も下手なので。明日も来ていいですか?」


「……俺は歓迎だがよお」


奥歯に物が挟まったような言い方であったが、アスドーラは気にしない。

素直に言葉を受け止めて、いつもの明るさで言うのであった。


「よろしくお願いします!」




翌朝、入学手続きのため学校へ向かうと、校門の前にはノピーが立っていた。


「お、おはようアスドーラ君」


「おはようッ!」


昨日と同じく中庭へ向かうと、長蛇の列が幾つもあった。人が溢れて先が見えない昨日とは違い、列の先では長机を挟んで、ローブ姿の先生たちが書類を書きながら入学生と話をしている。


順番が来るのを待つべく、アスドーラとノピーは、近くの列の最後尾に並んだ。


「あ、あのさ」


「ん?」


長い待機時間。

晴れた空をボーっと眺めていたアスドーラに、ノピーが話しかける。


「ひ、ひひ筆記用具を、そ、そのー買いに行こうと思ってるんだ」


「え?今?」


「にゅ、入学手続きが終わってからだよ。あと1時間もすれば終わると思うんだ。そ、そそそそそれでどうかな?」


「……えーと、どうってなにが?」


「い、一緒に買いに行かないかい?」


「……ほうほう」


微妙な返事をするアスドーラは、筆記用具の必要性に疑問を感じ、人間サイズに縮んだ脳みそをフル回転させる。

試験でも必要なかったのに、学校で使うのだろうか。

使うにしても、読み書きができないんじゃあ、持ってる意味がないのでは。


だがしかし!


これは大きなチャンスである。

ノピーと友だちになる、大きなきっかけだ。

試験日以来交流を続け、これからは親睦を深める段階へと移行するだろう。


アスドーラは【第一回友だち作りに関する会議】にて、とある重鎮が述べた言葉を思い出す。


「一見すると無駄で野蛮な愚行に思えても、ともに行動し感情を共鳴させることが、友情を深めます」


買い物はいいイベントになりそうだ。

心の中で呟いたアスドーラ。


「……い、嫌だったら」


「行こうッ!筆記用具をたくさん買うぞぉぉぉ!」


「おー!じゃなくて……えぇっ!いいいいの?」


そうこうしていると、アスドーラの番が回ってくる。

長机の向こうに座ってるのは、兎人のラビ先生だった。


「おっすー!君覚えてるよーいやホント。名前はなんだっけ?」


「こんにちは!アスドーラです!」


「アスドーラねー。アスドーラ!?ホント?」


名前を聞くと、ハッとして顔を覗き込む兎人のラビ。


「はい。ホントです!」


「出身は?」


「……ノース王国です」


「王様の名前は?ちなみに


「エリーゼです」


「……おう、いやホントかー」


ラビは驚きつつも納得した様子で、書類に載せられたペンを動かした。


「アスドーラ君、学費は払わなくていいからねー。それから教材費だとか制服も、ぜーんぶノース王国が支払うんだってー。もしかしてアスドーラ君て超大物なのかなー?」


足りない学費はノース王国に催促しようと思っていたアスドーラだったが、用意周到に先回りしてくれていたようで、感謝というよりも驚きが勝つ。


なぜなら、ノース王国で決めた身の上の設定では、ただの一般市民だったからだ。

王国が学費全般を肩代わりをしてくれる、ただの一般市民など存在するだろうか。

疑問に思いつつ、どうやってはぐらかそうかと思案するアスドーラだったが、ラビは返答を待たずに言葉を続けた。


「……まっ、どうでもいいやー。学校に入ったら身分は関係ないしねーいやホント。ところで学科は決まってるー?決まってないと困るんだけどね、いやホント」


「……はいッ!魔法科でお願いしますッ!」


「魔法科!ワタシ魔法科の先生なんだーいやホントよろしくね。じゃあ明日、クラス発表と入学式があるから遅刻しないでねー。あ、あと君は寮生活だねー、荷物は忘れずに持ってきてよね?いやホント」


「寮、ですかあ。分かりましたッ!」


「ハイ次!」


寮生活だというのは初耳のアスドーラだったが、もとより家を持たないので、特に問題はなかった。


ノピーの入学説明も終わり、時刻は朝の9時である。


「買い物行こうッ!」


友だち作りにおける第二フェーズに、ワクワクした様子で買い物へと足を向けるのであった。


ふたりが歩くは、中央区でも比較的大衆向けと言われる、だ。

異国情緒漂うスパイシーなごはん処があれば、学問書から幼児向け本まで扱う書店があり、その隣には刻印術用インクや一般・絵画用紙、鉛筆まで扱う文房具店まで、なんでもござれの賑わいぶり。


同じ中央区ながらアスドーラが働く現場とは違い、気品溢れる御仁がちらほら。

どこもかしこも庶民的な気安さがある。


「アスドーラ君は何を買うか決まってる?」


「なんでも買うよ!何がいいかな!」


とりあえずついてきたが、欲しい物があるわけではないアスドーラは、ノピーに全部丸投げしようと画策する。


「あ、えーと、そうだなあ。鉛筆とかペンとか、魔法陣を描く紙だとかインクだとか、寮生活に必要な日用品だとか色々とあると思うんだけど。どうする?」


「じゃあ全部買おう!」


「……う、うん」


ノピーは何やら言いたげであったが、全てを飲み込み、まずは文房具店へ入るのであった。


「いらっしゃい」


精算台の後ろでちょこんと座るおじいさんが、優しい声でふたりを出迎える。


「ふぉお」


店に入るや思わず感嘆の声を漏らすアスドーラ。

初めて嗅ぐ匂いに包まれながら、丁寧にそれでいて目を引くように並べられた商品に、キョロキョロが止まらない。


数ある商品から、まずアスドーラが手に取ったのはつけペンだった。

まるで燃え盛る火を氷に閉じ込めたようなグリップと、新緑が芽吹く大地を表現したペン先。

持ってみると、確かな重みがあり、それでいて疲れを感じさせない軽やかさを併せ持っている。


心惹かれるペン。

買うならばコレがいい。

いわゆる一目惚れをしたアスドーラは、ポツリとこぼす。


「これいいねえ」


ニンマリするおじいさん。

はたまた顔を引き攣らせるノピー。


「ア、アスドーラ君、値段は見たの?」


「ううん、見てないよ。でもこれいいねえ」


「ここにほら、書いてあるから」


ノピーは、商品と共に棚に置かれている値札を指さした。

そこに書かれていた金額は……。


「うーん、読めないなあ。ごめんノピー、幾らだって書いてあるの?」


「……500ゴールドだよ」


「ふーん。500かあ。500!?」


アスドーラは金額を聞いてたじろいだ。

今までなら、だから?と言っていたかもしれない。

けれど昨日、初めて給金を得たのだ。

いかに大金か、身に沁みて分かる。


「……ノピー間違ってない?」


「う、うん。間違いなく500だよ」


所持する金額は、約2500ゴールド。

買えなくはない。

買えなくはないのだが、買ったところでどうだろう。


確かに綺麗で、肌見放さず持っていたいと思わせる代物だが、触れてみた感じだと耐久性に問題がありそうだ。


もしも落としたら?

もしも力を込め過ぎたら?

もしも盗まれたら?


何日も働かないと稼げない金額が、一瞬でなくなってしまう。


このペン一つと、何日も重労働をした給金が等しいとは、思いもしなかった。


果たして、手に入れる価値があるのだろうか――。


アスドーラは、慎重にペンを戻したのだった。






――――作者より――――

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