第7話 第一次試験終了
「……ううっぐ、頼むから、下がれって!」
「下がれないのよ!」
試験終了時刻まで残り4分。
発破をかけられた受験者は、パニックのドツボにはまっていく。
一方その頃アスドーラはと言えば。
残り4分では、この渋滞を切り抜けられないだろうと、直感していた。
押せば押し返され、怒声が怒声を呼び、パニックが拡散していく群れを見れば、誰しもその結論に至るだろう。
冷静ならば。
そう、アスドーラはたまたま運が良かっただけだ。
遅刻ギリギリに到着したアスドーラの背後には、誰もいない。
つまり背後からのプレッシャーを気にする必要がなかった。
それが冷静さを保たせる要因となった……といいたいところではあるが、世界最強ともなれば、この程度でパニックに陥るはずもなく。
アスドーラは、校舎を見回していた。
群衆をぶち破ることは現実的じゃない。
じゃあ、どうするか。
「走れば間に合うかなあ?」
校舎外を走って回り込めばよくね?
宿から学校までの距離を、数分で駆け抜けた自負があったからか、この窮地を単純化できた。
そしてあながち、この考えは間違いではないことが、実証される。
ちらほらと、中庭後方にある渡り廊下下を潜って行く者がいたのだ。
よし、イケるかも。
アスドーラはくるりと踵を返し、いざ走ろうかと足を踏み出した時だった。
「ア、アスドーラ君」
「……はい?」
「も、もし嫌だったらいいんだけど。あの……」
声を掛けてきたのは、エルフ族のノピーだった。
話すのが苦手なのか、アスドーラの目をチラチラと見ながら、必死に言葉を探している様子。
「なんでしょうか?ちょっと時間がないので――」
友だちを作ることが目的のアスドーラだったが、さすがに、この時ばかりは悠長にしていられなかった。
ノピーの言葉を待たずに走り出そうとした。
そんなアスドーラの様子に、ノピーの箍も外れたようで、意を決したかのように声を張り上げた。
「あの!もしかして、飛べないかな!」
「……飛ぶ?」
「うん、校舎上に試験官の先生がいるでしょ?あの人たちは壁を気にせず動いてるんだ。ほら見て、ああして校舎上を歩いているじゃない」
確かにノピーの言う通り、中庭を囲む校舎の上を試験官たちは制限なく歩いている。
つまるところ、壁があるのは地上だけで、校舎上なら壁を避けられるとノピーは言いたいらしい。
「ここからじゃ壁の様子が分からないから、一度校舎上に登って、それから安全に着地できる場所に降りれば、時間内に――」
「残り3分!」
ノピーの言葉を遮ったのは、時計台前で浮かぶ試験官の声だった。
燃え盛る火の中に、油をぶち撒けたようなもので、受験者たちの混乱は一層強まった。
しかしながら、一分前とは違っと光景もちらほらと表れていた。
『
「うぉぉ!ぶっ壊してやる!オラッオラッ!」
『
『
「落ち着けッ!落ち着いて、一度下がれッ!」
押してもダメなら引いてみろ。引いてもダメなら壊してみろ。
目の前の壁さえなければいいのだろうと、壁の破壊を試みる受験者が現れたのだ。
他にも、一旦身を浮かせてピンチを切り抜ける者や、群衆を先導し始める者まであった。
それを見て、アスドーラは決意を固めた。
「ノピー君、飛ぶってどうやるんです?」
「え、ああ、えーっと、
アスドーラは時計をチラリと見て、何か言いたげなノピーの腕を掴んだ。
「行きましょう!」
「あ、え?」
『
浮遊の呪文によって、2人の体はふわりと浮き上がった。
そしてすかさず次の呪文を唱える。
『
ふわふわと空中に浮かぶ2人は……浮かんだまま。
髪の毛がファサッと揺れる。
『
ノピーの言う通りに、呪文を唱えるアスドーラだったが、一向に動き出す気配がない。
髪の毛がファサッファサッと揺れて、そよ風がなびくだけ。
「残り2分!」
時計台から試験官の声が響き、アスドーラにも少しだけ焦りが見え始めた。
2分で、この人の言う通りに事が運ぶのか?
やっぱり走ったほうが良かったかな?
たらればを考え始めて、にわかに後悔がよぎる。
友だちチャンスだと思って、目曇ってしまったか……。
するとノピーが言う。
「強化の口頭式は、
ビュオオオの風が唸り、ふわふわと浮かぶ2人は吹き飛ぶ。
「ぎ、ぎぃやぁぁ!つ、強くしすぎた!」
魔法を使った本人がこの有り様である。
手を繋ぐアスドーラはと言えば、慌てふためくノピーに対して、素直に感心した。
こんなにいる受験者の中で、誰も思いつかなかった方法で、校舎の上に辿り着いたのだから。
「よっと。大丈夫です?」
「……あ、うん。あ、のありがとうございます」
校舎の上から見下ろしてみると、よーく分かるのが、絶対に壁を突破することは不可能だったことだ。
数名が壁の仕組みを理解し、適切な魔法で穴を開けて進むことができたようだが、最後尾が壁に触れる頃には全ての試験日程が終了していただろう。
「ありがとうノピー君!おかげで、この試験はなんとかなりそうです!」
「……ど、どういたしまして。えーと、行こうか、まだ終わってないから」
「うんッ!」
2人は走る。
三角で斜めになっている屋根は、走りにくかった。
その上、地上から見るよりも広く長い。とにかくこの校舎は大きかった。
時間がない中、2人は無心で走っていた。
たまにすれ違う試験官から「頑張ってー」と応援されたり、こちらから挨拶したりしながら走り続けた。
けれどノピーは運動が苦手なのか、いつ落下しても不思議じゃないヨタヨタ具合。しかも、すでに息が上がっているではないか。
「ひゅーはあ。はあ、はゅー。あ、アズドーラぐん、はあ、先に――」
このままでは、足を引っ張る。そう思ったノピーは先に行けと言い掛けたが、アスドーラはその言葉を遮った。
「手、貸してください!」
「ぜぇ、へえあ?」
ノピーは手を伸ばし、アスドーラはがっしりと掴む。
そして覚えたての魔法を使った。
『
ただでさえ高い屋根から、さらに浮かび上がる2人。そして強化した風魔法が2人の背中を、強く押す。
「ひょーお!」
「あああ、アズドーラぐん!着地が、着地のこと考えでるの!?」
「……着地、う、ううん」
「いやあああああ!ぎゃあああ!」
そんなに疲れてるのに、なんでわざわざ走るのだろう。
校舎の上を走っていたアスドーラは、ノピーの歩幅に併せながら考えていた。
残り時間も少ないのだから、ささっと魔法で飛べばいいじゃないかと、安易にも飛んだ。
飛んでしまったのだ。
着地のことなど、何にも考えずに。
「……ノピー君、どうしたらいいです?」
「ぎゃあああ!風を!風で着地のしょ、衝撃をぉぉぉ」
「分かりました!」
時計台を越えて、本校舎よりも背の低い建物へ急降下する。
「助けてぇぇぇぇ!」
「大丈夫だよノピー君!任せて!」
ノピーはアスドーラにしがみつき、涙と鼻水で顔を汚していた。
一方アスドーラは、至極冷静に魔法の準備を整える。
『
ビュオオオ!
自由落下で勢いづく2人に向かって風が吹き付ける。
「アバババ、だばずけべべべべ」
「あばばばばばば」
喋ることもできない猛烈な風を顔面に受け、体は自然と大の字に広がる。
まるで飛翔生物のように。
自由落下のとめどない力と、強化した風魔法の吹き上げる力が均衡し、アスドーラの鼻先が屋根に触れる寸前。
2人の落下は一瞬静止した。
「ぼふっ」
「ぞゃすッ」
そして魔法が途切れ、2人は屋根の上へと軟着地した。
「あ、あああ、あり、ありがとうね、あ、ああアスドーラぐん」
「……なんかごめんねノピー君」
もともと白いエルフの肌が、今は青くなっていた。
しかもどこかで見たような震え方をしているではないか。
間違って舌を噛みそうな中、命の恩人とばかりに感謝の言葉を繰り返している。
マッチポンプも良いところだ。
アスドーラは気まずそうに謝った。
「残り1分!」
時計台の方からカウントダウンが告げられる。
さて、2人がいるのは時計台よりも奥。つまり、中庭を抜けることはできたということだ。
しかしながら、付近に受験者の姿がない。
「あ、アスドーラ君、ままままずは降りよう。それから、みみみんなと合流すれば、いいよ」
「……うん、じゃあ降りるよ?大丈夫?」
「……ぎっ、ひっ、うぐっ」
「ほいっ!」
「にぃやあああ!」
ボソボソと小さな声で話すノピーはどこへやら。
しかし自然な反応だとも言える。
飛び降りた場所は、校舎よりも背が低いのだが、地面まで5メートル近くはある。
その上、魔法も使わないともなれば、そりゃあビビるだろう。
「ああああ、風、風をぉぉ」
「大丈夫だよこれぐらい!よいしょお!」
ドスン!
と降り立ったアスドーラ。
「ん?」
少しばかり足に痛みを覚えるが、すぐに治る。
そう、アスドーラは世界最強のドラゴンである。
ノース王国王城ですら、豆粒に見えるほどの高度を飛ぶ覇者である。
高さの感覚なぞ、あるわけもなく。
この程度ならば人間の体でも傷つかないだろうと、なんとなく飛び降りたわけだ。
「ああ、アスドーラ君!なんで魔法を……怪我は!?怪我はないかい!?」
がっしりと掴まっていたノピーは、アスドーラから腕を解くや心配そうに全身を見回す。
「僕は頑丈だから大丈夫さ。それよりも、どこに行けばいいんだろうねえ?」
彼らのいる場所は、着陸した建物と本校舎の間にある通路で、前後左右どちらを見ても誰もいない。
残り1分のカウントダウンから何秒経ったか。
さっさと、本来いるべき場所へと戻らなければならない。
「……本校舎の時計台があって、その後ろには魔闘場と大講堂があって、動線は中央出入り口と左右の小規模な出入り口だけだったはず。時計台、時計台は、あそこか!」
なにやらブツブツと考え込み、時計台を見つけたノピーはアスドーラの手を引く。
「こっちだよ!」
そこまで遠くない距離を、ノピーに連れられるままに走り抜ける。
そして辿り着いたのは……。
「危ねえ。ギリギリだったわ」
「痛てて、試験にしてはやりすぎだと思うわ」
本校舎の裏側にある出入り口であった。
「2、1、試験終了!校舎に入れなかった者は失格、校舎内に入れた者のみ合格とする。失格者はこの場から立ち去りたまえ」
遠くから聞こえる試験官の宣言。それと同時に2人は本校舎へと入り、見事第一次試験を突破したのであった。
――――作者より――――
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