第39話

「エルフの集落に入るにあたって、注意事項がある――単刀直入に言おう。エルフと性交するな」


 兵士たちの顔には困惑と緊張の色が入り混じっていた。私の言葉の意味を理解しかねたのと、その声色に若干の不機嫌さが混じっていたのが理由だろう。ちらとマリーを見てみれば、気持ちの整理がついたのか、平静を保っていた。


「……エルフは我々人間から見れば、極めて細身かつ長身で美しく見える……らしい。私はまだ実物を見たことがないがな。ともあれ、優美なる細面の美男美女や柳腰の美少年に心惹かれる者は多かろう」


 想像を膨らませたのであろう、兵士たちの表情がほころぶ。殆どの者が独身者なので、色恋沙汰や――金銭を用いた一晩限りの夢を期待するのは無理もない。しかし私は「だが」と付け加える。


「繰り返しになるが、エルフとの性交は、これを固く禁ずる。正当な恋愛関係であるか、金銭で繋いだ関係であるかは問わず、とにかく性交はダメだ」


 兵士たちは「エェ……?」と困惑と落胆の声をあげる。ヘルマンに至っては、

「はいはい! 抗議する! 背が高くて美人で……長命種ってことはお姉さんじゃん! どストライクなんだけど! なんでセックスしちゃダメなんだよ!!」

などと声を荒らげている。


「我が従士、性欲に忠実すぎるけだものよ、まず長命種とマトモな恋愛が成立すると思わないほうが良いぞ……それに容姿の良さは奴らも理解しているから買うのも高くつく……というのは置いておくとして、理由を説明しよう。エルフは森に住まう種族で、そこは日当たりが悪く、風通しも良いとは言えない」


「じめじめしてそうだな」


「そのとおりだ! おそらくそのせいだろうが、奴らは……端的に言えば、カビを持っている。奴らは耐性があるようなので何ら問題は起きないが、我々人間には影響がある。そうだな、マリー?」


 昨晩彼女がもじもじしながら私に伝えた内容は、これであった。彼女は頷き、私から説明を引き継いだ。


「……『エルフ病』って聞いたことあるかしら。のことなんだけど。エルフとその……性交すると、高確率でインキンになるのよ」


「はいはい! インキンってなんですか!」とヘルマン。


「股間にカビが生える病気よ」


「チンコにカビ!?」


「ちんっ……股間ね、股間。股間に発疹が出来て、うみも出るし……すごく痒くなる病気よ」


 私は咳払いをひとつ、ヘルマンを睨みつける。


「これがエルフとの性交を禁じる理由だ。インキンで股間が痒くて戦闘に集中できないようでは困る。いいか、奴らは美しい見た目に反してその実、カビにまみれた不潔な古木か何かと思っておけ。……ちなみにマリー、イン……エルフ病の治療法は?」


「患部を清潔に保ったうえで、膏薬こうやくを塗る。もしくは神聖魔術でも治せるけど……私は絶対にやらないからね。膏薬も塗らないし、『かの者の陰部からカビを取り除き給え』なんて破廉恥な祈祷文を不滅の神々に捧げるのも絶対に嫌」


 ……他の病気や怪我だったら膏薬を直接塗ってくれるってこと……? と思いつつ。


「……だそうだ。良いか、これは命令だぞ。絶対にエルフと性交するな。破れば幹部だろうが容赦なく処罰するし、インキンになっても治療は施さない。いっときの快楽を求めた結果、鞭打ち刑の痛みと股間の痒みの二重苦に悩むハメになるからな。絶対にやめろよ」


 ヘルマンはしょんぼりしながら頷き、兵士たちは「鞭打ち刑」という言葉に顔を青ざめさせていた。コソドロスが鞭打ち刑にあった様子が、まだ脳裏に焼き付いているのだろう。


 グラシアが「返事ィ!!」と怒声を飛ばすと、兵士たちは背筋を正しながら大声で「了解!」と叫んだ。


 ――大変結構。流石に今回は命令違反を犯すバカは出ないだろうと安堵し、私は小さくため息を漏らす。


「……連絡は以上だ。では行軍を開始する!」



 駐屯していた村を出発してからおよそ3時間後、遠景に森が見えてきた。その手前には、小さなやぐらが建っている。関所だろうか。


「ちょっと声をかけてきてくれ。『アレクシアレスが長子、ディオス王子とその部下が貴集落に立ち寄りたく思っている。許可を願う』と伝えてくれ」


 と年若い兵士に声をかける。15歳の少年兵は元気よく頷き、櫓に向かって駆けていった。


 こういった仕事は本来なら騎兵の領分なのだが、現在我が隊には騎兵が存在しないので、足が早くて体力のある若年者を騎兵代わりに使っている。と言っても伝令と斥候程度の役割であるが。


 しばらくすると、少年兵が1人のエルフの男性を伴って戻ってきた。


 女と見紛う細面に、ピンと伸びた笹耳。身長はヘルマンと同じ180cmほどだろうか。整った顔立ちをしているが――左頬についた大きな刀傷と、やや陰鬱な印象を与える目元のせいで、年齢は判然としない――人間でいえば30代か40代に見えるのだが。


 彼は弦を外した弓を持っている――「敵対の意思なし」という意味だろう。彼は優雅に一礼してから話し始めた。


「お目にかかれて光栄です、ディオス王子。我らが『イルヴィシュ』に立ち寄りたいとのことですが、ご用向きを伺っても?」


「兵の休養と……」


 弓兵を募集しに来た、と言おうと思った瞬間、バルトルードが割り込んできた。


「王子殿下はエルフの弓の業をご覧になりたいとお考えです」


 するとエルフの男性は口元に小さな笑みを浮かべた。


「なるほど。それはきっと有意義な滞在になることでしょう。『イルヴィシュ』は貴方様を歓迎致します。ご案内しますので、どうぞ着いてきてくださいませ」


 そう言って森のほうへと歩き始めた。


「……バルトルード? 今のは?」


「エルフはあまり直裁的なやり取りを好みません。段階を踏んで、少しずつ意図を汲ませるようになさるべきかと」


「なるほど、助かる。お前はエルフの文化にも詳しいのだな」


「伊達に紋章官を名乗っておりませんとも。ご用命とあらば、通訳として常にお側にお付きしますが、如何なさいますか?」


「通訳? エルフには人間の言葉が通じないのか?」


「いえ、イルヴィシュでは我々の言葉は不足なく通じます。しかし文化の違いと申しますか、彼らは大変婉曲的な表現を使いますので……」


「ふぅむ、意図を読み違えかねないと?」


「そのとおりでございます」


 考えてみれば、相手は400年の寿命をもつ種族だ。時間感覚も違うだろうし、コミュニケーションも遠回りなものになるのだろう。


「わかった、そういうことなら通訳として傍についていてくれ」


「御意に」


 バルトルードは一礼し、私の馬の横を歩き始めた。


 案内されながら歩いてゆくと、道は森の中に入った。人がぎりぎり2人並んで通れる程度の幅しかなく、鬱蒼うっそうと茂る木々が太陽を遮り、薄暗い。道を覆っている落ち葉も湿り気を帯びている。……こんなところで生活していれば身体にカビが生えかねない、というのは納得できる気がしてきた。


 ふと、案内役のエルフが苦笑混じりでこちらを振り向いた。


「お見苦しい風景で恐縮です。森の外縁部までは整備の手が回っておりませんで。本来ならもう少し間伐すべきなのでしょうが……」


 すかさずバルトルードが囁く。


「今のは『人間はんたちとの戦争で人口が減ってもうて、森の整備に手が回りまへんわぁ』の意です」


「……そんな嫌味籠もってた?? あとなんで訛ってるんだ」


「仕様です」


「なんの仕様だよ。……ともあれ案内役殿、てっきりこれは意図的にこうしているのだと思っていたよ。なんせ……」


 周囲を見渡す――何か、じっとりとして嫌なものを感じる。暗いから、じめじめしているから、というわけではない。何者かに注視されているような不快感だ。殺気……まではいかないが、緊張感のようなものを感じる。だが、どこから見られているのか判然としない。


 案内役のエルフは不気味なほどの無表情。こちらの出方を伺っている? ――気の所為ではないと考えて良いかな、この不快感は。


「……ヘルマン、わかるか?」


 ヘルマンは勘が良い。ほとんど獣並みと言って良いほどに勘が良いので、こういう時に役に立つ。


「んんー……確かに視線っぽいのは感じるんだが、位置まではわかんねぇな」


 素のヘルマンではわからないか。だがこういう時、ヘルマンの勘をブーストさせる方法は心得ている。


「よしお前、ちょっとおっぱいのこと考えろ」


 ヘルマンは勘が良い。理性が働いていない時は獣以上と言って良いほどに勘が良くなる。そして性欲で理性を後退させるのが一番手っ取り早い。


「うん、考えた」


 ヘルマンの股間が膨らんだのを確認し、もう一度尋ねる。


「おっぱいのこと考えたまま、周囲の気配を探れ」


「……あそこと、あそこだわ」


 ヘルマンは遠い目をしたまま、森の木々の上部を2個所指さした。私もじっと見てみるが、何もないように見える……ふと、案内役のエルフがため息をついた。


「敵いませんな……いや、方法はその……独特すぎて予想もできませんでしたが。おーいお前たち、出てきて良いぞ」


 そう声をかけると、ヘルマンが指さした箇所の木々の枝が動き、2人のエルフが現れた。樹皮に近い色合いの服を着て、枝葉を幾つか身体にくくりつけている。なるほど、手の込んだ潜伏だな。


 案内役のエルフは深々と頭を下げた。


「伏兵を潜ませていた非礼をお許しください。しかし貴方様を狙っていたわけではなく、これが平常の防衛体制だということはご理解頂きたく」


「常に伏兵に見張りをさせているわけか?」


「そのとおりでございます。鬱蒼と茂る木々こそ城壁で、そこに陣取る伏兵が城兵とお考えください」


「独特だな……」


 そう言いながら、伏兵たちを見やる。彼らは器用に枝から枝へと飛び移り、下に降りてきた。――なんとまあ、あの速度で樹上を移動できるのか!


「かなり優秀な兵士たちに思えるな」


「まさか! 彼らはまだ100歳にも達していない若造たちですよ。気配も殺しきれていなかったですし、エルフ兵としては及第点にも達しておりません」


 降りてきたヘルフ兵たちを見れば、人間の感覚では20歳前後の青年に見えた。腰の丸みから察するに片方は女性のようだ。どうにもすらりとした体型と整った顔立ちのせいで、性別もわかりづらいな。


「……失礼かもしれないが、彼らの年齢を教えてもらっても?」


「72歳と77歳ですよ。ちなみに私は210歳です」


「なんとまあ……」


 72歳で若造呼ばわりかー。しかもそれで及第点にも達していないと。人間なら身体能力的には20代で絶頂を迎え、技術や知識的には50~60代で円熟し、そこからは老いが襲ってくる……というのが常だが、やはり長命種は感覚が違うな。違いすぎる。70代からまだまだ伸びしろがあるのか……。


 案内役のエルフは微笑を浮かべた。


「我々は若枝……失礼、30歳頃までは人間とほぼ同じ速度で成長しますゆえ、見分けがつきづらいでしょうが、それ以降は簡単な計算で年齢を推測できますよ。人間の尺度なら、見た目の年齢に4か5をかけた数字がエルフの年齢になります。大まかに、ですけれどね」


「なるほど」


 20歳前後に見えたエルフ兵たちは、4をかければ80歳。実年齢72歳と77歳はギリギリ近似値と言えるか。確かに参考程度にはなるな。


 ――それにしても。


 エルフ兵たちを見て、気付いたことがある。どうにも彼ら、私たちへの視線が穏やかではない。だが奇妙なのは、その視線が案内役のエルフにも向いていることだ。敵意? 嫉妬? あるいは不満――そうだな、例えば人間を集落に案内しようとしているのを快く思っていないとか? わからないが、良好な仲とは言い難い雰囲気なことだけは確かだ。


 そんなことを考えていると、案内役のエルフは「さて」と道の先を見た。


「参りましょうか。……ああ、申し遅れましたが私はオイゲンといいます。ええと、人間の言葉だとエウゲニ……エウゲンのほうが発音しやすいでしょうか? どうお呼びになっても構いません」


「いいや、オイゲンでしっくりくるよ」


「そう……ですか。では、そのように」


 ……んん? なんだろう、何か含みがあったように感じたが。バルトルードに視線をやるが、彼も肩をすくめるだけだった。

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