第三章:熾火
第38話
荘園を出発して1ヶ月半が経った。
目的地であるエルフの集落までは、荘園から6日程度の道程である。……何も盛大に道に迷っていたわけではなく、新兵どもの訓練を行っていただけである。
今も
「全ッたぁぁぁぁーーーーい! 止まれ!」
歩兵小隊長たるグラシアが馬上からそう号令をかければ、兵士たちは「いち、に!」と声を出しながらピタリと停止する。
続いてグラシアは兵士たちから見て右側に移動し、大剣を振り上げた。
「起点、アタシ! 横陣組めェ!」
すると歩兵伍長たちが駆け出し、グラシアの左側に横一列に並び始める――兵卒たちはその後を追い、自分の直属の上司である伍長の後ろに並ぶ。殆ど淀みない動作だ……いや、遅れた兵はリタとリナが斧の柄で尻を引っ叩いてせかしてはいるが、全体としては問題ないと言えるレベルだろう。
かくして、伍長を先頭に兵卒4~5人が並ぶ縦隊が、横に10個(伍長9人+グラシア隊)連なって横陣が形成された。実戦ではグラシアの右隣に私が立ち、その背後にヘルマンやマリー、鼓笛手のバルトルードが連なるので、横幅は合計11列になる。
「構えーッ!」
グラシアが号令をかければ、一列目の伍長たちが思い思いの武器を構える。二列目の兵卒はその肩越しに槍を突き出し、三列目の兵卒はその頭上に盾を掲げてやる。四列目、五列目は直立不動で待機だ。
「……如何ッスか、隊長殿」
とグラシアが私を見る。私は笑顔を浮かべる。
「大変結構――兵士諸君、今この瞬間を以て君たちが『軍隊』になったことを認めよう。農具を手に個々人が戦う、みすぼらしい反乱農民とはワケが違う。諸君らは戦友たちと肩を並べ、連携しながら殺人技術を振るう一個の『軍隊』となったのだ」
兵士たちの手には槍と盾が握られており、腰にはショートソードも吊ってある。……殆どの新兵は着の身着のままで募兵に応じたので、私が私費で貸与したかたちである。無論、その代金は給与から天引きであるが。
「……それもこれも、諸君らが厳しい訓練に耐えたがゆえに実現した話である。農民から軍隊に――兵士になるのは並大抵の努力では成し遂げられないことだ。その努力を賞して、次の逗留先であるエルフの集落では3日間の休養を与えよう」
そう言うと、兵士たちは「イヤッホォオオオゥ!!」だとか「やっと休暇だ!!」とか叫びながら諸手を上げた。
無理もないことだ、なにせこの1ヶ月半というものの、ひたすらに移動と訓練しかしていないからな!
「では本日は解散! 明朝には行軍を開始し、昼前には集落に到着する予定だ。出立の準備をしておくように」
そう言い残し、私は本部軍幕へと向かった。
◆
しばらくすると、士官と下士官が本部軍幕に入ってきた。エルフの集落に入る前の最終会議だ。
最初に口を開いたのはグラシアだった。
「あんなもんで良いんスか? 本当に、本当に最低限軍隊としてのテイを保ってるだけですよ現状は。本当に戦える部隊にするためにゃ、もう1ヶ月半は欲しいスよ」
歩兵下士官たちも頷いた。今現在は「戦える部隊」ではない、と言っているのだ。
――事実である。そもそもどだい無理な話なのだ、1ヶ月半程度で農民の群れを軍隊に仕立て上げるなど。
この点についてはグラシアや歩兵伍長たちと話し合い、最も手早く「戦闘機動が出来る部隊」に仕立て上げる方法を追い求めた。それが現在の、「伍長を先頭に立てて、その後に兵卒を連ねる」という形式だ。
これなら兵卒どもは伍長の背中を追って移動するだけで良い。横の連携は伍長たちの間だけで行われ、兵卒たちはそれに従うというわけだ。
こうして行進訓練は最低限で済ませつつ、浮いた時間を個々人の戦闘訓練に充てたのだが――それが不十分だとグラシアたちは言っているのだ。だが私は手をひらひらと振る。
「構わないよ、今はエルフたちに『話にならん』と見放されない程度の機動と規律が保てていればそれで良い」
これが1ヶ月半程度の訓練で一区切りをつけた理由であった。だがグラシアたちは納得していないようだ。
「エルフどころか、人間でも見る奴が見りゃ『こりゃ最低限だな』って気づくレベルですよ?」
「だが最低未満……つまり『農民の群れ』ではなくなっているだろう? 東部辺境に到達するまでゆうに2ヶ月はかかるんだ、『到着までには仕上がるだろう』ということが伝わるなら、それで良い。……そもそもだ、本気で『エルフのお眼鏡にかなう精強な軍隊』を作るとしたらどれだけ時間がかかると思う? 400年の寿命をもつ奴らだぞ?」
そう言うと、グラシアたちは「あー」と遠い目をした。
……無理なのだ、どう考えても。
歴史書から紐解く限り、古代に行われたエルフとドワーフの戦争……『天上戦争』の時代、エルフの精鋭軍は兵卒1人1人が士官並の判断力を持ち、各個に散開しても連携を失わずに戦えたそうだ。
そこから人間との戦争、魔族との戦争……『大洪水』を経て人口減少とともに練度は下がってゆき、現代では「10人隊単位で有機的に動ける軍隊」程度におさまったようだが、それでも脅威ではある。なにせ人間の軍隊だと50人から100人に1人士官……つまり小隊長が配置された隊が、有機的に動かせる最低限の単位だからだ。
そういった状態なので、我が軍がエルフ軍並の練度を手に入れようとするなら、まずグラシア並の指揮能力を持つ人材をあと8人ほど集めるか育てるかしなければならない。訓練はそれからということになる。この時点で、時間的にも人脈的にも金銭的にも無理なのだ。
「ともあれ、エルフのお眼鏡にかなう精鋭である必要はない。そんな精鋭でなくとも、エルフやドワーフ、それに魔族に勝てることは歴史が証明していることだしな」
今現在、この世界の覇権を握っているのは人間である。イカれた練度を持つエルフ軍やドワーフ軍を圧倒し、魔族軍さえも退けたからこの地位に居座っているのである。
ヘルマンが小首をかしげた。
「疑問なんだけどよ、なんで人間がエルフに勝てたんだ? だって奴ら、練度は高いし弓の名手なんだろ?」
「……お前は私と一緒に戦史の勉強しただろう……?」
「寝てた」
「そっかぁ。……エルフやドワーフ、それに魔族などの長命種は繁殖力が弱いからな、人口の差で圧殺できたというのも大きいが。一番の要因は、長命種の頭の固さだって言われてるよ」
「バカってこと?」
「お前と一緒にするな……ちょっと想像してみろ、例えば70歳くらいの鍛冶職人に『今までのやり方は古い、新しいものに変えろ』と言って受け入れられると思うか?」
「キレられそう」
「そういうことだよ。奴ら400年生きるんだ、一番脂の乗ってる年頃の戦士でさえ200歳の爺さんだぞ? 200年やってきたことをすぐに変えられるか、という話だ。そんな具合だから我々の先祖たちはいくらでも対策を打てたわけだ。奴らが伝統に縛られてる間に、伝統破りの戦術をぶつければ良いというわけだな」
「なるほどね……」
ヘルマンが「バカ」と評したくなる気持ちも、わからなくもない。古くなった戦術はすぐに改めれば良い。特に戦争という殺し合いの話であれば、早急に改めねば人が死に国が滅ぶのだから。
だが我々人間でさえ様々な伝統や道徳に縛られているわけだし、それを破ろうとすれば必ず抵抗を受ける。いわんや400年の寿命をもつエルフなら、という話だ。
「……なぁディオス、その理屈でいくと」
「なんだ?」
「エルフって人間のこと滅茶苦茶嫌いじゃねぇ? 伝統ガン無視で先祖ブッ殺した奴らの子孫ってことじゃん、俺ら」
「……。良い線突くじゃないか……。だが今回に限ってはその点は心配ない。バルトルード」
声をかけると、鼓笛手伍長かつ紋章官であるバルトルードが慇懃に頭を下げ、説明を始めた。
「今回訪問するエルフの集落『イルヴィシュ』は、殿下の父上であらせられるアレクシアレス王への『大反乱』にも
「……という具合だからな。少なくとも表面的には友好的だし、年若いエルフなら人間への反発も少ないんじゃないか……と踏んでいる。雇うならそのあたりが狙い目だな」
ヘルマンは「なるほどなぁ」と言っているが、私は「執政官」という単語が出てきたあたりで彼の目が遠くなってきたことを見逃していない。本当に政治とか歴史が嫌いだなコイツは。
「……ともあれ、他に質問や伝達事項は?」
一同を見渡してみるが、全員が首を横に振った。
「では解散」
ぱんぱんと手を叩くと、全員がぞろぞろと出ていった……マリー以外は。
「マリー? 何か話でも?」
と促してみるが、彼女は少し顔を赤らめ、もじもじしている。快活な彼女らしくない態度に、いや恥じらう乙女のような姿に、少し胸が高鳴ってしまう。
「マリー……?」
「……ど、どうしても伝えておかないといけないことがあって……」
「……。とりあえず、腰掛けてくれ」
折りたたみ椅子を勧めながら、私の胸の高鳴りは大きくなっていった。これは……。
腰掛けたマリーはしばらく口ごもっていたが、辛抱強く待っていると、彼女は意を決したように大きく息を吸い込んだ――
◆
翌朝。私は整列した兵士たちを前に、ゆっくりと歩きながら話していた。朝礼である。
「エルフの集落に入るにあたって、注意事項がある。……単刀直入に言おう。エルフと性交するな」
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