第36話
村長の処刑が終わると、見物していた領民たちの多くは去っていった。もう日も落ち始め、西の空に茜色がにじみ出していた。
私がコソドロスに対する罰を宣告するのは、ちょうどその頃であった。兵士たちが車座になったその中心に私が立ち、私の前には縛られたコソドロスが膝をついて項垂れている。
「――問おう、コソドロス。貴様はエッカルトの家から財布を盗み出し、見
コソドロスは観念したのか、小さく頷いた――そして
「ち、違いありません……つい、出来心で……」
「ほぉ、違いないか。貴様は捕まった直後の尋問では『棚に置いてあった袋を調べようとしただけ』だとか『財布は揉み合いになっている時にたまたまポケットに入った』だとか抜かしていたが。それは虚偽だったと?」
コソドロスはぶるぶると震えだした。だがその顔は、なおのこと媚びの色が強まっていった。
「申し訳ありません! 申し訳ありません! 本当に反省しています! 一生をかけて償います! この通り……!」
彼は両肘と額を地面につけ、祈るように両手をがっしりと組んだ。あまりにも無様だ。兵士たちを見渡し、同情を買っていないか確認する――彼らの顔に浮かんでいるのは、コソドロスに対する嘲笑だけだった。
悟られぬよう小さくため息をつき、私は努めて冷たい声を出す。煮えたぎる怒りが漏れぬよう、漏れぬよう。
「――判決を下そう。私は本件を強盗致傷とは扱わない。もとより貴様はエッカルトの妻に暴行を加えるつもりはなく、窃盗が発覚したがゆえにやむを得ず暴行に至った、と考えられるからだ」
エルフの刑法なら事後強盗として扱われるが、王国法にその罪状はない。
「よって本件は窃盗と婦女暴行の組み合わせとして考え、それぞれに罰を与えるのが適切に思う」
王国法では、強盗致傷だと最低でも片脚切断刑からになるので、それを避けるための論理を組み立てたかたちだ。
「窃盗に対して鞭打ち3回、婦女暴行に対して鞭打ち3回。また、私がエッカルト夫妻に支払った示談金は、給与からの天引きとする」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
思ったより軽い刑罰だったからだろう、エッカルトは顔面に喜色で染め上げて何度も頭を下げた。
――ここまでが一般的な裁判の判決だ。ローザに代わって私が下すべき「社会的に適切な制裁」だ。
だが私は一軍の指揮官で、部隊の規律を守るため、私的に兵を罰する権利を持つ。
「だが」
そう付け加えると、コソドロスが凍りついたように固まった。
「そもそも私は、この荘園に入る前に伝えたはずだ……『荘園は私が手塩にかけて育てたものでもある。言うまでもないが、乱暴狼藉は厳禁だ』と。貴様はこれに違反した。命令違反である」
コソドロスだけでなく、彼を嘲笑していた兵士たちの雰囲気も固いものになったのを感じる。
「また事情聴取の際に貴様は聞き苦しい言い訳をし、それが虚偽であったと先ほど認めたな。貴様は指揮官に対し虚偽の報告をした……これは重大な背信行為だ。考えてみろ」
両手を広げ、兵士たちを仰ぐ。
「虚偽報告の結果、指揮官が誤った判断を下した時に危機に陥るのは誰だ? ……ここにいる全員だ。今回も実際、領民たちと乱闘になりかけたな? コソドロス、貴様は全員の命を危機に晒したのだ」
「お、俺はそんなつもりは……!」
「貴様にそのつもりがあったかは関係のないことだ。貴様のせいで――」
結果的に村長が死んだんだぞ、という言葉を飲み込む。
「……もうよい。命令違反に対し鞭打ち10回、虚偽報告に対し鞭打ち20回を言い渡す。窃盗ならびに婦女暴行と合わせて36回だ。憲兵隊、やれ」
リタとリナがコソドロスを立たせ、脱税名士たちが吊られた木に彼の両手両足を縛り付けた。
コソドロスが「お慈悲を! お慈悲を!」と叫ぶなか、リタが寄ってきて私の耳元に囁いた。
「加減は如何なさいますか」
――標準的な鞭打ちなら、10回も打てば数日は立てなくなる。それ以上の場合、死に至ることが多い。
だがこれは、あくまでも「標準的な鞭打ちなら」の話。結局のところ鞭を振るうのは人間なので、力加減が可能なのだ。36回の鞭打ちでも、死なないように打つことは可能だろう。
――規律違反は、今回でもう最後にして貰いたい。2度目を防ぐには。
リタの耳元に囁く。
「30回目までは気絶させるな。悲鳴を上げさせ続け、見ている兵士たちにたっぷりと恐怖を刻み込め。可能か?」
「容易いことですわ。残りの6回は?」
「殺せ」
リタは頷き、コソドロスの背後に回った。腰帯代わりに巻いた鞭を解き、手に持つ。
準備が出来たリナに、私は小さく頷いた。
「コソドロス、神々が慈悲を垂れ給うなら生き残るだろうよ。せいぜい祈れ。――執行せよ」
鞭が空気を斬り裂く音の後、コソドロスの悲鳴が響いた。
リタは1打1打、丁寧に丁寧に鞭を振るってゆく。少しずつコソドロスの服が裂け、赤らんだ皮膚があらわになり、やがてその皮膚も裂けてゆく。悲鳴が荘園に響き渡る。何度も、何度も。
――日が沈むと同時、35打目でコソドロスは事切れた。見事な鞭打ちの技だった。
ボロクズのようになったコソドロスの死体を放置し、私は兵士たちに向き直った。
「……
処刑や刑罰で血が流れた時は、犠牲獣の血で以て清めるのが慣例だ。ヘルマンは頷き、家畜を飼っている領民のもとへ走り出す――のを、マルコ伍長が止めた。
「犠牲獣は私が無償で提供しましょう――おぅいお前たち、連れてこい!」
彼がそう声をかけると、彼の雇った牧童たちが牛を曳いてきた――どこかで見たことがある牛だな?
「……ああ!」
やりやがったなコイツめ! 私は口角が吊り上がるのを必死にこらえた。
この牛は、マルコ伍長が持ってきた牛車を曳いていた牛だ! 私が代金の1/3を補填してやったものだ!
「……本当に無償で良いのかね?」
「兵に規律を守らせることが出来なかったのは、下士官にも責任があります。その償いと思って頂ければと」
「なるほど。恩に着る。下士官諸君、その心意気で励んでくれたまえよ」
「勿論でございます」
マルコ伍長はにんまりと笑った。私とマルコ伍長の取引を知らぬ兵士たちは「マルコ伍長は太っ腹だなぁ」などと囁きあい、下士官たちは「こりゃ奴に借りが出来たな」などと言っている。
身勝手で連れてきた牛を、仲間からの尊敬を得るために利用したのだ! しかもこれは私にも利がある、なんせ実質私は犠牲獣を定価の1/3の値段で買えたことになるのだからな! まったく、とんだ食わせ者である!
「……さて。犠牲獣の儀式となれば、従軍神官殿に任せたいと思うが」
刑死者たちに祈りを捧げていたマリーにそう声をかけると、彼女はそっぽを向いた。
「まあ、神事なら断る理由はないわね?」
……ご機嫌はまだ斜めのようである。どうしようかな……。
ともあれマリー主導のもと犠牲獣の儀式は執り行われ、焼かれた牛は我が隊全員で平らげた。鞭打ち刑を見て竦み上がっていた兵士たちも、焼けた牛肉の香りの前には緊張をほどいていた。
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