第35話

 衝突まであと50m――その瞬間、両陣営の間に1本の矢が突き立った。「ズドッ」という重い音が響き、砂利が飛び散る。


 名士会の子弟たちは思わず足を止め、矢が飛び来たった方向――領主館の丘を見上げた。


 館の屋根の上に、弓を構えたヘルマンが陣取っていた。彼こそが、私の最後の隠し札。もしも反乱が強行された場合、反乱兵どもの士気を挫くための最後の一手。


 既にヘルマンは次の矢を番えて引き絞り終えており……放った。その矢は子弟たちの先頭にいた者の爪先、その10cm先に突き刺さった。


「ヒイッ!?」


 先頭の者だけでなく、周囲の者たちまで後ずさる。深々と地面に突き刺さった矢は、「自分の身体に刺さったらどうなるか」を想像させるのに十分過ぎた。


 私は声を張り上げる。


「おい、そこの武装した領民たち! 我が歩兵たちと矛を交えたいのなら止めはしないが、その間にも無慈悲な矢がお前達を貫き続けるぞ! あるいはヘルマンを排除しようと試してみるのも良い。丘を登り切るまでに何人死ぬか、ここで賭けをして待っていてやろう!」


 息継ぎして、少しだけ低い声を出す。


「……降伏せよ。いま武器を捨てた者には、助命請願してやる。ローザ」


「認めます。直ちに武装解除すれば、罪には問いません」


 ……子弟たちは、次々と農具を地面に置いた。正面にプロの兵士たち、側面に弓兵。どう考えても勝ち目がない、無駄死にだと理解したのだろう。


 私はつかつかと村長に歩み寄り、喉元に剣先を当てた。


「まだ、やるか?」


 村長は力なく笑い、首を横に振った。


「やはり無かったではないですか、我々を殺す覚悟なぞ」


「……そうだとも。その覚悟が無いという1点に貴方が賭けてくることは、予測できた。だからその上で手を打っておいた」


 村長はなんらかの武力を用意し、けしかけてくるはずだ。だからこちらも即座に武力を回復させ、士気を挫く。そのためにマルコ伍長に武器を運ばせ、ヘルマンを弓兵として高所に配置した。


「我々は賭けに勝って、勝負に負けた、ということですな。どうやら貴方様を見くびっていたようです」


「12歳の少年のままだと思っていたのか?」


「……成長なさいましたな。きっと、良い方向に。……降伏致します」


 村長が両手を上げて膝をつくと、他の名士たちも観念したのか、彼に倣った――反乱は終わったのだ。起きた直後に、死傷者ゼロで。



 名士会の連中を拘束した後、ローザの指揮下で強制捜査が始まった――結果、10人の名士のうち4人が、本当に脱税していたことが発覚した。


 もちろんそれらの脱税は私が領主であった頃に行われたものだが、私は全く気づけていなかった。名士たちが上手だったのか、あるいはローザの目が鋭かったのか。


 ともあれ「反乱の煽動」「脱税」の2点について、名士たちはローザの裁きを受けることになった。


 再び領民たちが広場に集まり、その中心に、縛られた名士たちが並んだ。彼らを前に、ローザが判決を読み上げる。


「――まず、村長。貴方は不当な権利を主張し、その実現のため若者たちをたぶらかし、不正に武装させ、領主並びにその協力者に矛を向けさせました。わたくしローザは貴方を反乱の首謀者と認め、ここに……絞首刑による死刑を宣告します。異議申し立てはありますか?」


 村長は、落ち着いた様子だった。穏やかですらあった。


 こんな小さな荘園だ、反乱は「鎮圧されるか・されないか」は問題にならない。「いつ鎮圧されるか」だけが問題だ。つまり時期はわからぬにせよ反乱は鎮圧され、首謀者として村長は死刑になる。


 おそらく反乱というカードを準備したその時に、覚悟は済ませていたのだろう。村長は抵抗のそぶりすら見せなかった。静かに首を横に振った。


「ありませぬ」


 ――村長と協力し、時には助言をもらい、時にはいさめられながら、共に荘園を運営した思い出が、私の脳裏を駆け巡った。成人の折、父アレクシアレスに代わって日用ナイフを贈ってくれたことも。


 少なくとも私が流刑に処されず、荘園を売り払うような事態になっていなければ、今回の事件は起きなかっただろう。私の「甘い統治」に慣れていなければ、アンデルセン商会の統治を警戒し、ここまで態度を硬化させることも無かったのだろう。


 ……悔やんでも後の祭りだ。私のせいと言い切れない、複合的な要因もある。私の甘さにつけ込んで策を練り、あまつさえ武器を向けたことは許しがたい。


 だが私は堪えきれず、挙手して発言の許可を求めた。ローザはやや困惑した様子だ。


「……ディオス様?」


「これは元領主としての意見だ。村長の罪状について異議はない。……だが、彼が長年荘園を支えてきたのは紛れもない事実だ。その功を斟酌しんしゃくしてに処することを進言する」


 ――意味のない情けだとは理解している。死に際の苦痛があるか無いか、それだけの差ではある。だが私を指導してくれた村長が苦しんで死ぬと考えると、胸が苦しくなるのだ。


 ローザはしばし考えた後、頷いた。


「受け入れましょう」


「恩に着る」


 村長を見やれば、彼は私に目礼した。小さく頷き返す。


 ローザは気を取り直し、裁判を再開した。


「……では続いて、脱税を働いた名士4人について。貴方たちは不埒ふらちな動機、すなわち脱税を隠すために反乱を利用しようとし、共謀したと考えられます。強制捜査に強く反発していたのがその証左でしょう。酌量の余地はありません。私有農地を没収のうえ、絞首刑に処します。異議ありますか?」


 脱税名士たちは涙を流しながらわめき出した。


「そのような動機ではなかったのです! 村長に、村長に誑かされたのです! ……ディオス様、我々とて共に荘園を運営した仲ではありませんか! 村長と同じように、いや、彼に誑かされた我々は、彼以上に酌量を受けるべきです! どうか弁護を!」


「……はぁ? 嫌だよ。私が領主やってる間に脱税働いてた奴らにかける慈悲が、毛ほどでもあると思っているのか? 黙って死ね」


 脱税名士たちは、ある者は絶望の表情で崩れ落ち、ある者は震えながら失禁した。なんとも見苦しい奴らである。


 ――次に、脱税していなかった名士たちは鞭打ち刑と私有農地没収に処された。私有農地の保有こそが名士たる資格なので、彼らは名士の座から転落することになる。だが命があっただけマシと言えるだろう。名士たちも貴重な労働力であるので、ローザは死刑による労働力の損失を嫌い、ここで打ち止めたかたちである。


 そして、最後に。


「……さて、後回しになってしまいましたが。事の発端である、コソドロスの処遇について決めましょうか」


 ローザと目が合う。これは事前に打ち合わせていたことだ。


「コソドロスはエッカルト夫妻の家から財布を盗み出したうえ、その妻に暴行を加え、逃走を試みました。これは強盗致傷にあたります。しかし……ディオス様、質問です。貴方様はコソドロスの上官として、エッカルト夫妻に適切な賠償を行う用意がありますか?」


「ある。傷害の治療費として大金貨1枚、慰謝料として大金貨1枚。合計で大金貨2枚を以て償おう」


 エッカルトの妻が負った傷についてはマリーが治療してくれたので、払わなくとも良いと考えることも出来る。だがこれはコソドロスに対して監督責任を追う私の誠意であり、元領民への心からの謝罪のあらわれでもある。


「……エッカルト夫妻? 額に不満はありますか?」とローザが夫妻に視線を向けると、夫妻はお互いに顔を見合わせたあと、「い、いえ……」と言った。若干喜色が浮かんでいた。


 大金貨2枚、2人扶持。夫妻が1年間働かずに食っていける額である。あるいは小さな私有農地を買える額でもある。どう使うのか、私の預かり知らぬところではあるが……少しでも生活が上向いて欲しいと願う。


 ローザは私に向き直る。


「これを以て、適切な賠償はなされたと見なします。……そして。我々は思い起こさねばなりません、今回の反乱はディオス様の協力があったからこそ、死傷者ゼロで鎮圧できたということを。ディオス様は金銭は必要ないと仰いましたが、何らかの形で謝礼を成さねば、私ならびにアンデルセン商会は不道徳者であると見なされかねません」


 よって、とローザは一瞬だけ間を置く。


「――ディオス様の部下であるコソドロスに恩赦を与えることを以て、謝礼としたく思います。もちろんこれはディオス様の功を称えての恩赦であって、コソドロス当人がなにがしかの善行を積んだがために与える恩赦ではありません」


「つまり、コソドロスは誰かから制裁を受けるべき立場であることには変わりがない、という認識でよろしいかな?」


「はい」


「ではその任は私が引き受けよう」


「誰が制裁を加えるかは、私の預かり知らぬことです。ともあれ、この謝礼を受け入れて頂けますか?」


「ああ」


「では、そのように」


 私とローザは固く握手を交わした。


 ――私が武力を以てローザを脅し、彼女の裁判権を無視したのではない。またローザ、ひいてはアンデルセン商会も武力に屈したわけではない。あくまで、領地の治安維持に功績のあった者に便宜を図っただけ。


 そういう論理である。誰の威信も傷つかず、不利益もない。これが今回私が選んだ「武力の売り方」である。あるいは「1クッション挟む」である。ありがとうマリー、きみの肋骨の上に無駄な肉が無かったから思いつけたよ。なんか物凄い剣幕で私を睨んでいるけど。あとでご機嫌取らなきゃな……。


 そんなことを考えているうち、ローザが両手を打ち合わせた。


「ではこれにて閉廷とします。刑の執行は……」


「うちの憲兵を貸そう。手間賃は私を通さず、憲兵隊に直接支払ってくれ」


「恩に着ます」



 荘園の端にある、大きな木。その枝に、脱税名士4人の死体がぶら下がっていた。既に絞首刑を執行したのである。


 今は領民たちが見守る中、最後の刑が執行されようとしていた――村長の斬首刑である。


 斬首台という名の切り株の前に、村長がひざまずく。その両隣に、斧を持ったリタと、木槌を持ったリナが立つ。


 私は手で憲兵2人を制しながら、村長に歩み寄った。小声で話しかける。


「最後に教えてくれないかな」


「……何なりと」


「反乱という最も過激な手段を取るのが、性急すぎたように思える。普通は折衝に折衝を重ねて、それでも折り合いがつかないからやるものだろう? 何故あんなに急いだんだ?」


「ひとつは焦り、ですな。急な領主交代に、皆焦りました。急いで新領主……アンデルセン商会にナメられぬよう、行動する必要がありました。そこに脱税していた者たちの意図が乗ったかたちです」


「……脱税野郎どもは置いておくとして、穏当に現状維持を願うことは考えなかったのか? アンデルセン商会とて、私との関係を鑑みれば過激な統治は避けるだろうよ」


 アンデルセン商会――その商会長たるアドルフとその娘ローザが私を支援するのは、いつしか私をアレクシアレスに代わる王に頂くためだ――ということは村長は預かり知らぬだろうが、協力相手の旧領を痛めつけて不興を買うような真似は、普通するまい。


 そう思ったのだが、村長は申し訳無さそうに笑った。


「その関係による保証が続くのは、ですぞ」


「……。ああ、そうか。私が死ぬと思っているのだな、魔族領域で」


「恐れながら、はい」


 現状たった39人の軍隊。そこに荘園領民という素人集団を足して、これから鍛え上げる。そして魔族領域に侵攻し、魔将どもを討ち取る。――村長たちは、不可能だと判断したのだ。実際に私が魔将を討ち取ったのを見たグラシアや、彼女に説得された者たちは「可能だ」と判断したのだろうが……そうだ、グラシアを抱き込むまでは、誰も募兵に応じなかった。あれと同じ状況が起きているのだ。


「……まっとうな判断なのだろうな」


「そうでしょうな。募兵に応じたがっている小作人たちは多いですが、ようは後が無い者か、後先考える脳の無い者が殆どです。もちろん貴方様に惚れ込んでいる者もおりますがね」


「この先の募兵が思いやられるな……」


「心中お察し申し上げます」


「察してくれるのなら、もう少し私に慈悲をかけてくれても良かったんじゃないか? そうすれば、こうはなっていなかっただろう」


「ほっほっほ……本当に、そうすべきだったのでしょうな。貴方様を死ぬものと考えて利用するのではなく、協力すべきでした。……想像よりずっと、貴方様は成長しておられた。知略と人徳を備えた、英傑の振る舞いを身に着けておられた。今は『ディオス様なら、本当に成し遂げるやもしれない』と思っております。世辞ではありませぬぞ」


「……。もう1つだけ聞いておきたいことがある。反乱を起こすにも口実は必要だ。今回はコソドロスの窃盗をきっかけに口実を作ったわけだが……」


「ああ、あれが無ければ口実は作れませんでしたな。あれのせいで。『やるなら今しかない』と焦りが加速してしまった」


「……そう、か」


 胸中に渦巻く思いを、なんとか奥にしまい込む。どう声をかけるべきか迷ったが――結局私は村長に背を向け、「今までありがとう、村長」と言い残して彼から離れた。


 リタとリナに目配せする。2人は村長の背中を押して伏せさせ、斬首台の上に彼の首が乗るようにした。


 そしてリタが村長の後頚部に、斧の刃を押し当てる。片刃の斧だ。リナがその上に、そっと木槌の頭を置いた。彼女はかたわらに立つローザに視線を送った。


 ローザはやや緊張した面持ちだった。おそらく、血を見ることに慣れていないのだろう。だが彼女は意を決したように大きく息を吸い込み、瞑目し、ゆっくりと目を開けた。


「――執行してください」


 リナが木槌を振り上げ、振り下ろした。


 木槌で押し込まれた斧の刃が、一撃で村長の首をはねた。転がった首に浮かんでいた表情は、穏やかなものだった。

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