第34話

 約束の時間がやってきた。


 私は領主館を出て、兵士たちを伴って丘を下ってゆく。既に兵士たちはグラシアと下士官たちの手によって武装解除されており、完全に丸腰だ。最後尾を進むのはリタとリナで、彼女たちの前を縛られたコソドロスが歩く。


 丘の下の広場には、既に領民たちが集まっていた。中心にいるのが名士会――そして村長。彼らの視線は敵対的なものだったが、領民たちのそれはまばらだ。興味深げに見ている者。無関心そうな者。好意的な者、敵対的な者……。


 流石に名士会も、マリーに毒気を抜かれてしまった領民たちを3時間でまとめ上げるのは困難だったようだ。世論を掌握出来ていない――いや、と私は目を細めた。


 彼らに近づいてゆくにつれ、幾人か「そこに居て然るべき人物たち」の顔ぶれが無いことに気づく。


 名士会の連中の子弟たちが、いない。


 跡継ぎとして、あるいは補佐役として政治経験を積ませたいのなら、この会合には出席させるのが道理というものだろう。だが、いない――どこかに隠しているな。


「まあ、こちらも人のことを言えたものではないか」


 そう独りごちる。私の傍には、従士たるヘルマンの姿がない。それにマルコ伍長もいない。彼らは奥の手として隠してある。


「そうね」


 と冷ややかな声でマリーが応じてきた。


「だが論理的には問題ないだろう? 道徳的にも」


「そうね。初期案よりはマシ」


 ――ローザとの打ち合わせの時。私が持ち込んだ案は、マリーにひどく咎められた。ローザもちょっと顔が引きつっていた気がする。……そんなにマズかったかなぁ? まあ打ち合わせを進めるうち、今の「論理的にも道徳的にも問題ない」案にたどり着いたので、もはやどうでも良いことだが。


 私が広場に到着して暫くすると、配下の商人たちを引き連れたローザがやってきた。それを確認すると、マリーが一同の前に歩み出た。手には、私とローザと村長の署名がなされた宣誓紙。


「会合の条件を再確認するわね。まず『①会場は領主館の丘の下、広場』……ここで相違ないわね。次、『②3時間後に開催する』……遅滞ないわね。次、『③出席者ならびに見学者は、非武装で来ること。防具も不可』……はい、全員上着をたくし上げてベルトを見せて」


 全員が言われた通りに、上着をたくし上げてベルトを見せた。こういう場合でも貴族のみは帯剣が許されているので、私だけはベルトに剣を吊っている。他の全員は完全非武装、領民たちも武器と見なされかねない、農具の類は持っていなかった。


 だがマリーは眉根を潜めた。


「……全員、日用ナイフを外しなさい」


 ――ああ、言われてみれば確かに全員、日用ナイフは吊っている。パンを切ったり歯をせせったり、服のほつれ糸を切ったりと文字通り「日用」の物なので、武器という認識ではなかったのだ。まあ勿論、喧嘩に使ったりもするので武器と言えば武器なのだが。


 名士の1人がマリーに反論した。


「これは成人の証ですぞ。つまり、議論の場に参加する資格があるという証です。これを手放すのは受け入れがたい」


 これは一理あった。人間は成人式の折、親から日用ナイフを贈られる。それを以て、様々な公式の場で発言する権利を得ると見なされるのだ――アレクシアレスは当然ながら私にそんな贈り物をしてくれなかったので、私の日用ナイフは……ああ、そうだったな。村長が贈ってくれたのだった。


「だが、武器になり得るのも事実だ」


 そう言いながら、私は日用ナイフをベルトから外し、マリーの足元に投げた――じっと、村長の目を見ながら。が、通じると良いのだが。


 彼はナイフを一瞥してから、無表情で私と視線を合わせた。何も言おうとしない。


 私は続けて、剣をベルトから外して放り投げた。ここでやっと、村長が口を開いた。


「……尊きお方が範を示したのだ、我らも従うのが道理だろう」


 そう言って村長がナイフを外すと、名士会の連中も渋々といった様子でナイフを外した。他の領民たちや、私の兵士たちもだ。


 村長はずっと、私を探るような視線で見ていた。


 全員がナイフを外したのを確認すると、マリーは頷いた。


「最後。『④コソドロスの身柄はひとまずディオス王子が預かる』だけど」


「憲兵隊」


 呼びかけると、2人がコソドロスを前に引き立てた。


「裁判が終わるまで、引き続き私が預からせて頂こうと思うが。如何かな?」


 そう問えば、事前協議が済んでいるローザは「構いません」と首肯した。名士会は苦々しげな顔をしているが、村長だけは無表情で頷いた。


 ――そうだよな。村長は理解しているのだ、私の優位性を。コソドロスの身柄が欲しくとも、プロの兵士たちの手から強奪するのは難しい。そもそも純粋な戦闘能力で私単騎に勝てる者は、この場には誰一人として居ないのだから。私の訓練風景を見ていた村長は、よく知っている。


 だから彼は、募兵許可のカードを切って私を懐柔しにかかったのだ。おそらくこの会合で、他のカードも出してくるだろう。


 ローザに目配せすると、彼女は咳払いをひとつ、話し始めた。


「さて、最初にこの会合の目的を確認しましょう。この会合は、『窃盗を働いたコソドロスを誰が裁くべきか』を決める場だと私は認識していますが、相違ないですか?」


 私と村長が頷く。


「村長は『名士会裁判所』の設立を求め、まずはそこで裁くべきと考えている。間違いないですね?」


「いかにも。害された領民の代表者たる、我々名士会が第一に裁くべきです」


「一方、ディオス様は?」


「……コソドロスが貴領において罪を犯し、人と財産を傷つけたのは事実だ。彼は我が隊の一員であり、私は隊長として深く謝罪し、適切に賠償する心づもりだ」


 だがコソドロスは私以外の誰にも裁かせはしない――という言葉を意図的に隠す。一旦棚上げにする形だ。ローザは私から視線を外し、名士会を見た。


「そして領主名代たる私は……いえ、結論として申し上げましょうか。私は領主裁判権を誰にも渡す気はありませんし、それを犯しうる下級裁判所の設立も認める気はありません」


 名士会の表情が厳しくなる。村長が一歩歩み出る。


「ローザ殿、先にも申し上げましたが――」


「貴方がたの主張は理解しています。しかし、ですよ」


 とローザは村長を遮る。


「そもそも私は、名士会裁判所を構成する名士の方々に、人を裁く権利があるのか甚だ疑問なのです。は、いかなる論理の上からでも容認できないでしょう」


「……なんですと? 我々が……罪人?」


「侮辱なさるおつもりか!」と名士たちが騒ぎ始めるが、ローザは涼しい顔で1冊の帳簿を取り出した。荘園の経営帳簿だ。


「帳簿を確認したところ、脱税の兆候を発見しました。まず村長さん、麦の収穫量とビール生産量、及びその販売量の差に疑義。また、勘定項目を移動することによって税を回避している箇所が2つ……」


 ローザは村長をはじめ、名士たちの納税記録についた疑義をつらつらと読み上げていった。


「いや、それは家内消費ですので……!」と名士の1人が何やら反論すれば、


「そうなると昨年の収穫量との整合が取れませんね」とローザがばっさりと切り捨てる。


 ――納税額にも殆ど影響が出ないような、些細な計算ミス。「その気になればつっつける程度の瑕疵かし」だと彼女は言っていた。だがそれを公衆の面前で、資料をローザだけが握った状態で、糾弾する。しかも、商人という数字のプロがだ。この状況において、名士会が論戦で勝てる道理がなかった。


 誰がどう見ても名士たちが劣勢――「名士たちは本当に脱税をやっているのではないか?」という疑惑が、領民たちの間で渦巻き始めていた。


 名士の1人がたまりかねたのか、「待って頂きたい! 妻に帳簿を持ってこさせます、それで疑惑は晴れるはずだ!」と叫んだ。


 ――ローザの口角が、わずかに。本当にごくわずかに、吊り上がった。


「いいえ、奥方の手を煩わせることはありません。というより、奥方も共犯の疑いがかかっておりますので……この場で名士会の全員を拘束した上で、強制捜査を行おうと思います」


「んなっ!?」


「構いませんよね? 本当に名士会の皆さんが、人を裁くに足る潔白な方々であるならば……何も出てこないはずですし?」


 これはちょっとした賭けだった。「そのとおりですね、どうぞ」と言われたら、こちらが困る。強制捜査の結果、本当に潔白だったらローザが面目を失って不利になる。


 だが。


「……ローザ殿、小賢しい真似はやめて頂きたい! 我々を拘束している間にくだんの裁判を執り行い、事態を有耶無耶にしようという魂胆が見え見えですぞ!」


 村長が怒りを露わにそう詰め寄った。だがローザは涼しい顔だ。


「まさかまさか、そんな。それで……抵抗、なさるおつもりで? 何かやましいところが?」


「やましいところなぞございませぬ! ですがこれは明白に横暴な措置です。不当な逮捕と捜査には、強く抗議させて頂く!」


 抵抗を抗議へと巧みに言い換えた村長は、私のほうに向き直った。


「……ディオス様、我々を憐れんでくだされ。貴方様の後任領主によって今、我々は恐ろしい辛苦を味わおうとしております。ほんの少しでも、共に歩んだ日々を慈しんで思い出して頂けるなら……」


「村長」


 彼の言葉を遮り、冷ややかな視線を向ける。苦々しい内心が顔ににじまぬよう努力しながら。


「あなたの勝ち筋は、結局のところ『私をほだす』その1点にしかない。だから泣き落としにかかる。募兵許可のカードも切る。次は募兵に応じる若者たちに武器甲冑を買い与えるだとか、そういうカードを切るか?」


「……」


「その結果、そうだな、少なくとも……私が兵を率いてこの場を立ち去るか、傍観するようにしたいのだろう。そうなれば、3人の部下しか引き連れていないローザに対しては、暴力の脅しが効くようになる。そういう魂胆だろう」


 ――だがローザを脅して一時的に権利を勝ち得たとしても、アンデルセン商会の財力は巨大だ。すぐに十分な私兵なり傭兵なりを送り込んで、勝ち得た権利を取り消しにかかるだろう。それは村長も承知しているはず。


 だが村長が見ているのは、その先だ。


 そもそも兵の派遣にはカネがかかる。あくまで商人であるアンデルセン商会にとっては、避けたい出費であるはず。そして軍がやってきて緊張がエスカレートし、反乱に至った場合――最悪だ。


 農業は人が資本だ。戦闘で領民が死ねば、それだけ畑を管理する人数が減る。手間を惜しんで浅く耕せば作物の根張りが悪くなり、小まめに雑草を抜かねば作物は痩せ、収穫量が減る。税収が下がる。


 商人にとっては受け入れがたい損失だろう。反乱だけは絶対に避けたいはず。だからこそ交渉の余地がある、そう踏んでいるからこそ、ここまで強気なのだ。


「だが、そういう脅しが効かないとしたら? ローザを脅すどころか、反乱をも未然に阻止されるとしたら?」


「……どういう意味です」


 私はローザに向き直る。


「さてローザ、逮捕にも強制捜査にも人手が要るものだが、きみにはそれが不足しているように思える」


「遺憾ながら事実ですね」


「もし良ければ、私の兵を貸そう」


「ありがたいことです。そうして頂けるなら、十分な謝礼をお支払い致しましょう」


「カネはいらんよ。『ディオス王子はカネで雇える』などと思われたくない。これは、私の元領民たちをはかなんでの行動だ。名士会の無謀で彼らが命を落とすのは忍びない」


 報酬は棚上げ。カネ、いらない。


「かたじけないです。では善意に甘えまして――名士会の方々を逮捕、拘束してください」


「承知した。――総員、名士会を包囲せよ」


 グラシアを先頭に、兵士たちが名士会へとにじり寄ってゆく。名士会は気圧されたようにじりじりと下がる。


 荒事を予感したのか、他の領民たちは遠ざかっていった。――やはり名士会は、この場の領民たちは掌握しきれていない。


「これが答えだよ村長。頭を狩れば反乱も起こせまい」


「道理ですな。ですが……ディオス様。覚悟はお持ちか」


 村長は苦虫を噛み潰したような顔で、右手を高く上げて振った。


 すると、100mほど離れた場所にある村の倉庫から、ぞろぞろと若者たちが出てきた。手には鍬やピッチフォークなど、武器になりそうな農具を持っている。――名士会の子弟や、その子分たちだ。数は40ほど。倉庫前に集合し、その場で停止している。


「たとえ武装していても、この場に来ない限りは協定違反ではありませんな?」


 ――出席者ならびに見学者は、非武装で来ること。


「まあ、そうなるだろうな。だが来させるのだろう?」


「貴方様次第ですよ、ディオス様……確かに彼らは所詮農民、戦闘のプロではありませぬし、武器もお粗末です。ですが相手が素手なら、多少は戦えましょう。いかに剛勇無双たる貴方様が奮戦しようが、所詮は1人。その間に貴方様の兵の幾らかは損なわれるでしょうな」


「そして領民たちも損なわれる、と」


 お互いに無傷では済まない。私の兵も、私の元領民たちも、命を落とす。


「然り。その覚悟はお持ちですか」


「……あるとも。むしろ、こちらからも問いたい。戦う覚悟はあるのか?」


 私は右手を上げた。


 それを合図に、丘の上の厩舎きゅうしゃから馬車が飛び出し、広場へと猛進してきた。御者台にいるのはマルコ伍長だ。


「どけどけーッ!」


 彼はを巧みに扱い、泡を食って逃げ出す領民たちを避けながら、兵士たちの前で馬車をドリフトさせて停止した。


 直後、荷台から荷役夫たちが立ち上がり、荷台に積まれていたもの――武器を、兵士たちに向かって放り投げた。兵士たちはそれを掴み取ってゆく。またたく間に「素手の集団」が「武器を持った歩兵小隊」へと変わってゆく。


「……これで形勢逆転だな、村長? あの若者たちに、武器を持ったプロの戦士たちと戦う覚悟はあるのか?」


「こッ……これは協定違反では!? 武装を……!」


「今更問うのがそれか? だが答えよう、協定は『出席者ならびに見学者は、非武装で来ること』だったな。だがまでは禁じていないよな?」


「へ、屁理屈をー!?」


「理屈だよ。文面から無理なく解釈できる範疇だと思うが?」


 マリーからの冷ややかな視線を感じたが、努めて無視。さんざん咎められたが、この協定文を起草したのはマリー本人なので、結局彼女は「商人みたいね」と言い放って黙認してくれた。嫌われたかもしれない。


 だがまあ、それは追々対処するとして。


 私は先程放り投げた自分の剣を拾い上げ、鞘を払った。切っ先を村長へと向ける。


「まだやるかね」


「……」


 遠目に見ても、名士会の子弟たちは明らかに動揺していた。おそらく「非武装の奴らを包囲するだけだから」とでも言い含められていたのだろう。だが話が違うじゃないか――と動揺していることだろう。


「……私は」


 村長は震えながら、右手を高く上げた。


「貴方様の良心を、慈愛を、信じます」


 そして彼は右手を振り下ろしながら、叫んだ。


「相手は甲冑をつけておらんぞ! 勢いよく突っ込めば、負傷の恐怖に怯えて逃げ出すじゃろうて! 我慢比べじゃ、農民の根性見せてやれッ!!!!」


「「「お、オオーッ!?」」」


 子弟たちはまばらなときの声を上げ、突進してきた。村長が哄笑する。


「ふはははは、さあ退きなされ! 貴方が愛した領民の血が流れようとしておりますぞ!!」


「バカが……! グラシア!!」


 グラシアが「横列組めーッ!」と叫び、下士官を先頭に横列が組み上げられる。


 領民が。荘園で共に過ごした領民たちが、武器を取ってこちらに向かってくる。ひとたび白兵戦が始まれば、死者が出るのは避け得まい。一番避けたかった事態が、迫ってくる。

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