第33話

 私は一旦、領主館に引き上げた。ローザは気を利かせたのか、あるいは利害の対立が明確になったからか、配下の商人たちを引き連れてどこかへ行ってしまった。館のリビングには、マリーとグラシア、それに下士官たちが詰める。


 今回の騒動の中心たるコソドロスは、リタとリナに縛らせた上で厩舎きゅうしゃに放り込んである。


「ヘルマンはいいの?」とマリーが尋ねてくる。


「あいつは頭を使う作業には全く向かないからな、ひとまず兵士たちの監視をさせている」


「そう」


 監視。ようは気が立った兵士が領民たちに喧嘩をふっかけにいかないか見張らせている――という面もあるが。実際は、ヘルマンには兵士たちの心情調査を命じてある。ようは駄弁りながらコソドロスやローザ、そして村長や私への印象を聞き出してきて貰おうという寸法である。ヘルマンは誰とでもすぐに悪友になれるので、この手の任務は適任だ。


 ――ともあれ、である。


「どうするのが良いと思う?」


 皆に尋ねてみる。


 マリーのお陰で平和的な会談に持ち込むことは出来たが、裁判権を巡った利害関係は何ら解消していないのだ。


「先ほどは大変世話になったが、世話焼きついでに助言を頂けないかな、マリー」


「……うーん。順当に法に則るなら、領主裁判権はローザが握っているわけだし。それに従うしかないんじゃない?」


 するとグラシアが反論した。


「さっきも言ったけどそりゃダメだぜ、小領主ごときに兵士の身柄渡して裁かせるなんざ。アタシは村長と組むのが良いと思うよ」


「村長にコソドロスの身柄渡すのは良いわけ?」


「良くねぇよ、だからそこは交渉だよ。なんかアレだよ、ローザが嫌がることすりゃ譲歩してくれるんじゃねぇ?」


 ――それはもう、アンデルセン商会との関係が決定的に悪化するルートだ。資金源が失われる。資金については、前にグラシアが言っていたように暴力でどうにかしたり、傭兵団として食いつなぐことは出来るだろう。やりたくはないが。


 下士官連中に尋ねてみる。


「きみたちはどう思う?」


 彼らはしばらく協議したあと、代表としてマルコ伍長が答えた。


「やはり兵士の身柄は誰にも引き渡すべきではないでしょうなぁ。隊長、あなた様はあらゆる権力から兵士を保護しなければなりません」


「……それが命令違反を犯したうえ見苦しい言い訳を吐いたカスであってもか?」


「そうです。その上で、あなた様が厳しく罰を与えねばなりません。父親としてね」


 グラシアもうんうんと頷いた。


 ――なんとなくわかってきた。彼らの言う「父親」とは、先ほどまで私が想像していた、血縁上の父親のイメージとはかけ離れているのではないか? ギャングのボスだとか、山賊の親分だとか、そういうイメージなのではないか?


「一応聞いておくが。『おかみごときに裁かれちゃ名がすたる、身内の恥は身内でそそがにゃナメられる』とか、そういう心持ちなのか?」


「まさにそのとおりです。お上から保護したうえで、従順な犬になるまで殴る。それが大事なのです」


 ギャングじゃん。いや、傭兵なんて稼業に身をやつしていればそういう価値観になるんだろうけどさぁ……。


 ――その時、ヘルマンがリビングに入ってきた。


「よぉ、終わったぜ」


「どうだった?」


「まずコソドロスについてだが、兵士たちはかなり軽蔑してるな。盗みなんて男らしくねぇし、農民に捕まった時点で最高にダセぇ。そういう意見が多かったぜ」


「ふむ、ふむ。それは……嬉しいな。どうだろう、それならローザや村長に引き渡しても大丈夫じゃないか? 軽蔑すべきカスが、誰に裁かれようと関係なかろう?」


「いんや、それはダメそう。……なんつーか、アレだよ。まず村長から話そうか、村長って名士だなんだって言っても結局は農民じゃん?」


「うん」


「兵士たちさぁ、みんな農民嫌いなんだよ」


「うん……!?」


 今雇っている兵士は全員、農村出身者である。王都で募兵した時、わざわざ都市出身者を弾き、農村出身者だけ雇ったのだから。農村出身者のほうが足腰が強いから、という理由だ。


「ようはさ、みんな故郷では、威張り腐ってる名士にヘコヘコしながら土いじってたわけだよ。名士のことは『同じ農民のくせに威張りやがってよぉ』って思ってるわけ。だからマジで名士嫌いだし、農民自体も嫌いなんだよ。昔の自分を思い出すんじゃねぇ?」


「あー……」


 では、村長にコソドロスの身柄を引き渡すのだけは絶対にダメだ。下手したら協力するだけでも反感を買うかもしれない。


「ではローザに対しては? 兵士たちはどう思っている?」


「ローザ自体は好かれてるよ? 大人しめだけど気立てが良くてしっかり者だし。でもあれだよ、結局村長と同じなんだけど、みんな領主嫌いなんだよ。威張り腐りながら税金取りやがるカスだと思ってる」


「……」


「いやディオスはうん、大丈夫だと思うぜ。貧乏人に優しかったし、割と好かれてたよ領民には」


「割と、ね。うん」


「落ち込むなよぉ。……まあ話を戻すと、やっぱローザに引き渡すのもダメだよ。確かにコソドロスはゴミクズ野郎だけど、それでも一応仲間だから、領主野郎に引き渡すのは許せねえッて雰囲気だ」


「……詰んでない?」


「そうなのか?」


「そうだよ!! ローザに引き渡すのもダメ、村長に引き渡すのもダメ、じゃあ私がコソドロス裁くとしよう! ローザはキレるだろうな! 私は一体誰にカネの無心をすればよいのだ!? それとも歩兵1個中隊だけで魔族領域に突っ込めと!?」


 グラシアがまあまあ、と肩を叩いてきた。


「しましょうよ、略奪。あるいはテキトーな村の周囲を意味もなくグルグル回ってりゃよ、そのうち向こうからカネ差し出してきて『頼むからどっか行ってくれ』って言ってきますよ」


「ダメに決まってるだろう!?」「ダメに決まってるでしょ!?」


 私とマリーの叫びが重なった――そうだよな、暴力に訴えてカネを巻き上げる手法をマリーが許すわけないよな! そして咄嗟に叫んでしまったということは、私自身もこれは理屈を超えて、心の底からダメだと思っているのだろう。


 だがこれもダメとなると。


「やっぱり詰んでるよこれ! ……いや、待てよ」


 叫んで若干すっきりした脳が、急速に回り始めた。


「……いっそ裁判をうやむやに出来ないかな……」


 マリーが目を細めて私を見てきた。


「……すごく嫌な予感がするんだけど、何考えてるか教えてくれる?」


「ちょっと待ってくれよ、今計画を組み立てるから……なぁヘルマン、お前、弓の遠射はかなり得意だよな?」


「おうよ」


 私とヘルマンはその身に武芸百般を叩き込んでいるが、私よりもヘルマンのほうが優れている分野が幾つかある。魔法は才能の差なのだろう、ヘルマンのほうが圧倒的に上手だし、それを別にしても、体格差のせいでどうしても私が勝てない分野が存在する――その1つが、弓だ。


 ヘルマンのほうが腕が長くて太いぶん、強い弓を引ける。バカみたいな威力の矢を、遠くまで飛ばせるのだ。


「ヘルマン、この領主館の丘から射撃すると想定してくれ。下の広場あたりの、動く標的に当てることは出来るか?」


 丘からふもとの広場までの距離は150mほど。打ち下ろすかたちになるので、ヘルマンの腕力ならかなり鋭い軌道で矢を飛ばせるはずだ。


「直線で、一定の速度で動いてくれるならイケると思うぜ」


「そこは課題だな……いや、ここからなら400mは飛ばせるよな? 数射浴びせるチャンスはある……」


 ちょいちょい、とマリーが袖を引いてきた。


「本当に、すごく、嫌な予感がするんだけど。何考えてるの??」


「……。例えばだよ、コソドロスが何らかの方法で拘束を解いて脱走したとしよう」


「うん」


 私はろくろを回す仕草をしながら説明を続ける。


「この時点で彼は脱走兵だから、問答無用でブチ殺しても問題ないわけだ。流石に脱走兵相手なら問題ないよなマルコ伍長?」


「エェ? まあ、はい」


「よし。つまり、こうだ。コソドロスにはこう言うとしよう、『私は全ての兵士を愛している、お前も例外ではない――鞭打ち刑にするのは忍びない。今のうちに逃げるのだ』……そして拘束を緩めてやる。彼は逃げる。脱走兵だ! ヘルマンが撃つ! 万一の保険として、私は急いで馬に乗って追いかける! 斬り殺す! 完璧だ!」


「何も完璧じゃないんだけど!?」


 マリーが私の首根っこを掴み、ぐいぐいと揺らした。


「自作自演の騙し討ちじゃない!」


「だがコソドロスは死ぬ!」


「死んでも裁判は避けられないけど!?」


 それは事実である。私が王都でブチ殺した悪漢どもの死体が法廷に運ばれたように、死者でも裁判は受けることが出来る。被告であれば、強制的に死体が法廷に運ばれ、裁かれる。


「だがもはや死体だし、脱走兵ともなれば兵士たちの愛想も尽きよう。誰に裁かれようと関係なかろうし……そもそも裁くといっても、もはや死人には罰の与えようがないのだから、裁判は賠償内容を協議するだけのものになるだろう。そうなれば私が小金を払って終わりだ。完璧!」


「何ッひとつ完璧じゃない!! 不道徳!!」


「なら!!」


 思いのほか大きな声が出てしまったが、激情の奔流を止められなかった。


「道徳で私を救ってくれよ!! 他にどうしろというのだ!?」


「落ち着いてよ、冷静に考えればまだ道があるはず!」


「落ち着いていられるものかよ、あと3時間もないのだぞ!? 3時間! 3時間で!! 我が身と我が隊の未来が決まるんだぞ!?」


 ――急に、視界が白くなった。


 それは神官服の色だ、と気づく。鼻腔をくすぐる甘い香り。温もり。


 マリーが、その小さな胸に私の頭を抱きとめていた。


「……落ち着いて。時間がないからこそ、冷静に考えるのよ。ごめんなさい、私には良い案は思い浮かばないけど……落ち着いて考えれば、少なくとも、後でひどい後悔はしないで済むはずよ。そう信じましょ」


「……」


 私は母の胸の温もりを知らぬ。彼女は産褥さんじょくで逝ってしまったからだ。


 それゆえだろうか、今はとても新鮮な気持ちだった。女の胸とは、いかに肉付きが悪くとも、かくも心地よいものなのか。ちょっとごつごつしているが、それすらも愛おしく思えてきた。落ち着く。


「……ね、一旦今ある選択肢を全て捨ててみない? ゼロから考えてみるの。新しい選択肢が見えてくるかもしれないわよ」


「ゼロから? だがそれじゃ……取っ掛かりがなさ過ぎて、思考が滑る」


「なら土台を作りましょう。貴方が一番捨てたくないものは?」


 それでも随分とざっくりしているが、頭を巡らせてみる。命……とか、そんな根源的な話じゃないよな。じゃあカネか? 部隊か? ……どちらも違う気がした。私が本当に捨てたくないものは……。


「……良心」


 マリーの手前、ということもあるが。良心を捨てたら、あのアレクシアレスと一緒になってしまう。それだけは絶対に嫌だった。


 良心を捨て、武力をチラつかせてほうぼうからカネをせしめれば、アンデルセン商会の助けがなくとも部隊は維持できよう。だが私は「あの暴虐っぷり、やはりアレクシアレスの子だな」と後ろ指を差されるだろう。それだけは、絶対に、嫌だ。


「――じゃあ、コソドロス暗殺案もなしよね?」


「うん」


「じゃあ良心に従うなら、コソドロスはどう扱えば良い?」


「法を尊重する。ローザに引き渡す」


「……うん」


 だがそうすると兵士たちの心が離れる――また問題が堂々巡りを始める。やはりここがネックなのだ。ここを解消しないことには、どうにもならない。


 ……それにしても、だ。


 マリーには大変申し訳ないが、額が痛くなってきた。肋骨かなこれ。硬い。おっぱいというクッションがないと、かくもダイレクトに骨の感触が伝わるものなのだなぁ。


「……んん?」


 何かが引っかかった。


「クッションが、ないと……? 1クッション、挟めないか? ない……そうだ、ローザには今動かせる兵力がないから。村長はそこにつけ込んで離間策を」


「ディオス王子……?」


 がばとマリーの胸から顔を引き剥がす。


「そうだよ、ローザにとっても村長にとっても、邪魔でもあり有用でもあるのが私の兵力だ。実力では私からコソドロスの身柄を奪うことが出来ない、だからローザはパトロンとして無言の圧力をかけ、村長は交渉を試みた。兵力だけが私の優位性だ。取引材料だ。1クッション挟むことを強要できる」


 独り言が止まらない。舌が思考に追いつかず、もどかしいくらいだ。急速に計画が組み立てられていく。


「ディオス王子? 思いついた計画については後で説明してくれるでしょうから今はいいけど……先に1つ質問良いかしら?」


「なんだい。今ちょっと頭が忙しいんだが」


「おっぱいのこと考えてた?」


「……。よぉし考えがまとまった。おーいヘルマン、ローザを呼んできてくれ。商談がしたい」


「ねえ、おっぱいのこと考えてなかった? 『クッション』とか『ない』とか。それまでの問答とは全然関係ない単語よね? どこから着想得たのかしら?」


「何をボサッとしているんだヘルマン、早くローザを呼んできてくれ」


「ディオス王子テメッコラー!!!!」





 私、ローザは焦っていた。


 こんなところでディオス王子との関係が悪化するのは、全く望んでいない。


 だが商人として、あるいは領主として、誰にも裁判権を譲るわけにはいかないのだ。これはアンデルセン商会全体の問題に波及しうる。


「アンデルセン商会は武力に屈した」あるいは「アンデルセン商会は反乱を恐れて農民どもに裁判権を与えた」などと噂が立てば、商会がナメられる。商会が保有する荘園全てが、「反撃されない餌場」と見なされかねない。ならず者たちが押し寄せたり、農民たちが気楽に反乱を起こすようになる可能性がある。


 ちらと配下の、3人のたちに視線をやる。


「いっそ暗殺とか出来ませんか? 名士会を」


 商人もどきたちは天を仰ぐ。日はまだ高い。11時を回った頃だろうか。


「……この真っ昼間じゃあ無理ってもんですよ、お嬢」


「コソドロスも?」


 領主館の丘を見上げる――厩舎の近くに、兵士たちがたむろしていた。


「厳しいでしょうね」


「……ですよねぇ。聞いてみただけです」


 ――この商人もどきたちは、実のところ武力担当者である。より正確に言えば、暗殺担当だ。ディオス王子が商会にとって致命的な害になった時、寝首をかくのが仕事だ。


 最低限の算術と簿記は叩き込んであるが、それだけだ。参謀にはなり得ない。私が考えなければならない。


 ――私は武力を持っている。ただし3人だけ。しかも真正面からの戦闘には不向きで、使い所が限られる。たぶん今回は使えないだろう。なら順当に、商人らしくいくしかないか?


「……やはりこう、お金で買い取るしかないのでしょうか」


 ディオス王子にカネを渡し、コソドロスの身柄を渡してもらう――ダメだ。たぶん兵士たちからの反感が大きすぎる。こんなところで部隊が瓦解がかいされては困るし、そもそも王都から徒歩1日の距離――で、ディオス王子にカネを渡したくない。あの神の如き王に睨まれるのだけは避けたい。


「ああもう、どうしてコソドロスは、よりにもよって今日やらかしたのかしら……! 名士会をつっつく材料は見つけたのに……!」


 ――ディオス王子から引き継いだ経営帳簿。そこには領民たちの納税記録も載っていた。よくよく精査してみて気付いたのだが、名士会の面々は、脱税している可能性があった。あるいは脱税までいかなくとも、些細な計算ミスだとか、勘定項目のミスだとか、「その気になればつっつける」程度の瑕疵かしがあった。


 だが、現段階ではその程度だ。弱い。強制捜査に踏み切れば決定的な証拠が出てくるかもしれないが、今はそのための兵力がない。下手すれば、気が立っている名士会が反乱を起こしかねない。そして何より、なんとか名士会を排除したところで、ディオス王子との間の係争が解消するわけでもない。


「……」


 本当にそうか?


 商売の基本は、ギブ・アンド・テイクだ。サービスには対価を支払う。


 この場合の「サービス」は――と、そこまで思考が巡った丁度その時。ヘルマンがやってきた。


 彼に連れられて領主館に入ると、何故かマリーが下士官たちに拘束されていたが、ディオス王子はそれを無視して「商談」を始めた。


 ――数分後、私とディオス王子は握手を交わしていた。


 なんとも心地よい瞬間であった。「ギブ・アンド・テイク」と「1クッション挟む」。表現も違うし、持ち込んだ計画案の細部も違えど(ディオス王子案のほうが悪辣あくらつだった)、思いついたことの方向性は同じ。同じ方向を見て、擦り合わせ、高みに至る。これこそ商売の愉悦だ、と少し恍惚としてしまった。


 ……それにしても、マリーが凄まじい形相でディオス王子を睨んでいたのは何故なのだろう。また「墓穴掘り・死体すり替え作戦」並のトンデモ計画を思いついて、咎められたのだろうか?

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