第32話

 私はしばし固まっていたのだろう、気づけばローザと村長の言い合いが始まっていた。


「――名士会裁判所の設置は認めません。その必要がないからです」


「いいえ必要ですとも、領主様の負担軽減という面もありますし、何より我々領民の溜飲が下がりませぬ。……おおい、皆」


 村長が領民たちに呼びかけた。


「此度はエッカルトが被害に遭ったが、神々の気まぐれで、他の誰かが被害に遭ってもおかしくなかったのだぞ! 想像してみよ、ヨソモノに財産を奪われ、妻を傷つけられるのを! 領主様に委ねる前に、罪人はまず第一に我々で裁くべきではないか!?」


 領民の幾人かが怒りに顔を歪め、「そうだ!」と叫んだ。


「領主様の手腕を疑っているわけではない、ただ心ある人として、自らを傷つけた罪人を、まず自分の手で裁きたい。そうだろう!?」


「そうだそうだ!」「ヨソモノを殺せ!」という声が上がる。領民たちの熱気が上がってくる。――これは、まずい。誘導次第で反乱に至る、そういう確信があった。ローザもそう思ったようで、顔を青ざめさせていた。


 急いで止めに入る。


「待て、待て! 気持ちはわかるが、被害者側が冷静に罪人を裁けるわけがなかろう! ヨソモノを嫌う気持ちはわかるし、実際今回はそのヨソモノが狼藉を働いたわけであるが、それでも不当な判決を下せばこの荘園、すなわち君たち自身の評判が落ちるのだぞ!」


「そこは我々名士会が理性を以て裁くのでなんら問題はありませぬ。我々の優れた理性に裏打ちされた指導力と運営力は、ディオス様もご存知ではありませぬか! 我々に任せれば万事解決です! なぁ皆!?」


「そうだそうだ!」「そうかなぁ?」「そうだって言っておけよ、後で怖いだろ」「……そうだそうだ!!」


 優れた奸智なら今嫌というほど思い知らされているがな!!


 ――ダメだ。領民たちの熱気がほとんど下がらない。このまま反乱に至る、という最悪のケースが現実味を帯びてきた。村長としては、この反乱の気配を道具にして要求を通そうとしているのだろうが……どうすれば止められる? 剣を抜いて脅したら、さらに熱気が高まってしまうような気がした。だが自然と手は剣の柄へと伸びてしまう。


「――そこまでよ!」


 りんとした声が響いた。


 騒いでいた領民たちが静まり返り、その中を1人の少女がかきわけてきた。マリーだった。彼女はエッカルトの妻に駆け寄るや、彼女を抱きしめた。


「怖かったでしょう、痛かったでしょう。でも大丈夫、すぐに癒やしてあげる……アポローン並びに癒やしを司るよろずの神々よ」


 マリーが立っている地面に小さな魔法陣が浮かび上がり、彼女の手が仄かな光を帯びた。マリーはその手でエッカルトの妻の頬を撫でる――瞬間、引っかき傷が綺麗に塞がった。


 領民や兵士たちが感嘆の息を漏らした。神官は珍しいものだ、神聖魔法を見たことがない者も多いのだろう。多くの者がその癒やしの奇跡に、目を見開いていた。


 マリーは優しく微笑んだ。


「もう大丈夫よ。痕にもならないでしょう」


 女神かなこいつは? ――そう思ったのは私だけではなかったのだろう、先程まで騒いでいた領民たちも、次々と農具を取り落としてマリーを拝み始めた。


「ありがてぇ……」「俺の母ちゃんもリウマチ治して貰ったんだ、あのお方はマジ女神だぜ……」「私の切れ痔もすっかり良くなった」


 ……もう、反乱の気配はすっかり消え失せていた。領民たちは毒気を抜かれ、マリーを拝み続けている。


 ただ名士会の連中だけが、「企てが失敗した」と額に書いてあるかのように、露骨に苦々しい表情を浮かべている。


 暫くしてマリーが立ち上がり、村長を睨みつけた。


「村長さん。何やら領民たちをあおっていたみたいだけど、それより先にやるべき事があったのではなくて?」


「む、むう?」


「怪我人の保護と治療よ。名士会裁判所とやらの設立は、暴行された婦女をほったらかしてまで強行しなきゃいけないことだったわけ?」


「そ、それは……いや、我々は大局を見据えてですな……」


「へえぇ、大局」


「……」


 村長が口ごもり、バツが悪そうに目をそらした。


 すげぇな、マリーのド正論口撃。ド正論ゆえに、下手な言い逃れをすると無限に追撃される。それがわかっているからだろう、村長はもう何も言えなくなってしまった。


 マリーのやり口に感心していると――彼女は、今度は私とローザを睨みつけた。


「領主代行さん、それに元領主さん? 貴方たちも、言い合いをしている場合だったのかしら?」


 ……色々と言い訳したくなるが、無駄だとわかっているのでグッと飲み込む。いや、論理的には私にも非があったと理解しているの。確かに暴行された婦女をほったらかしたのは、領主云々以前に男として恥ずべき行いである。


「不徳を恥じる限りだ」


「わ、私も」


 目を伏せて反省の意を示せば、ローザもそれに倣った。マリーは満足したらしく、腰に手を当てて平たい胸を張り、私とローザ、それから村長を順に見た。


「さて。もし貴方達が冷静に話し合いたいならだけど……少し時間を開けて会談の場を設けたらどうかしら? ちょっと頭を冷やして、落ち着いて卓につかない?」


 もはや誰も有無を言わなかった。


 こうして、マリー主導で会談の場が設けられることになった。彼女が提示した条件は以下の通りである。


① 会場は領主館の丘の下、広場

② 3時間後に開催する

③ 出席者ならびに見学者は、非武装で来ること。防具も不可。

④ コソドロスの身柄はひとまずディオス王子が預かる


 ④についてはローザと村長が抗議したが、マリーはこう言って黙らせた。


「ローザはコソドロスを拘束する人員はあっても、他者の暴力から守り切るだけの兵力はないでしょ。村長は論外、当事者側が被告を冷静かつ人道的に扱えるわけがないわ。……残るディオス王子はプロの憲兵と、被告を保護する兵力を持っているから適任でしょ」


 ド正論であった。


 村長のみが「せめて各陣営から2人ずつ監視員を出し、協同で身柄を確保するというのは」と粘ったが、「今まさにいがみあっている3陣営で何をどうやって『協同』するの? 喧嘩が起きるのがオチでしょ」とバッサリ斬り捨てられた。


 ド正論であった。


 かくして合意に至り、①から④までの条件を紙に書き起こし、私、ローザ、村長の3人がサインした。


 裁判権闘争はひとまず3時間後に延期されることで確定したのである。政争自体は避け得ないが、完全非武装で話し合うという極めて平和的なものになったのは、完全にマリーのおかげだ。女神かな?

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