第31話
駆けつけてみれば、我が隊の17人の兵士が、わらわらと集まってきた農民たちに包囲されていた。農民たちは皆先ほどまで農作業をしていたせいで、鍬や鋤、ピッチフォークを持っていた。兵士たちも既に抜剣しており、双方殺気立って罵声の応酬をしている。
「ナメんなよ農民ッコラー!」「ザッケンナヨソモノッコラー!」「どこに盗んだ証拠ッコラー!?」「ソイツのポケット見せろッコラー! ダー!」
どう見ても暴力沙汰になるのは時間の問題である。素早く介入を決断し、大声を張りながら農民たちを押しのけていく。
「どけ! どけ! 何事か!」
1週間前まで私が領主だったのである、農民たちは私に気づくや道を開けながら、状況を説明してくれた。
「ディオス様! そこのコソドロスとかいう男が、エッカルトの家から財布を盗んだんです!」
農民たちの間を通り抜け、我が隊の兵士たちのもとにたどり着く。兵士たちの中心には、顔にアザを作ったコソドロスがいた。
「事実か? コソドロス」
そう尋ねてみると、彼はぎょろりとした目を
「ご、誤解ですディオス様……お、俺は盗む気はなかったんです、だッてのに、奴ら大声を上げて飛びかかってきやがったもんで……」
要領を得ないな。苛立ちが募ってくる。農民の中からエッカルト――中肉中背の男を見つけ、声をかける。
「状況を整理しよう。前提として……エッカルト、コソドロスがきみの家に押し入るなり忍び入るなりした、ということで良いか?」
「いえディオス様、俺は新領主様の命令に従って、そのクソ野郎をウチに泊めていたんです」
ああ……兵士たちを領民の家に泊めてやるよう要請したのは私で、許可したのはローザだ。いよいよ体裁が悪くなってきたぞ、と頭から血の気が引いてゆく。
「……俺ぁ農作業がありますからね、畑に出てたンですが、そのクソ野郎は家でくつろいでやがって……しばらくして家から妻の『泥棒!』って叫び声が聞こえてきましてね、駆けつけるや否や、家からコソドロスのゴミカス野郎が飛び出してきたじゃありませんか!」
ここで、数人の農婦に付き添われた女――エッカルトの妻が姿を現した。髪は乱れ、頬には引っかき傷がついている。彼女は泣きながらコソドロスを睨みつけ、叫んだ。
「こいつ! こいつよ! 棚に置いてあった旦那の財布を盗む瞬間を、アタシは見たのよ!
――そこから先は、余程混乱していたのだろう、言葉がグチャグチャで理解するのに苦労したが――財布を取り返そうと揉み合いになり、頭を叩かれ、頬を引っかかれた。そういうことらしい。
そして次は駆けつけたエッカルトとコソドロスの揉み合いになり、騒ぎを聞きつけた農民と兵士たちが集まってきて今に至る、と。そういう状況だったようだ。
――最悪。最悪だ。
十割がた非はこちらにあるじゃないか。どうしてこう、募兵してる最中の荘園で狼藉を働けるんだ。
そもそも私、荘園に入る前に言ったよな? 私の元領地だし、今は懇意にしてるアンデルセン商会の領地だからお行儀よくしてろって。
ぶち殺してやろうか。
――いや、と頭を振る。私は貴族だ。王族だ。法の番人だ。まずは事実確認をしなければならない。胃の底から噴き上がってくる殺意をギリギリのところで飲み込み、コソドロスを睨みつける。
「ここまでの話に、異議はあるか」
「誤解! 誤解なんです! お、俺ぁ、棚に置いてあった袋が気になって、何かなッて調べようとしただけなんです! その瞬間、あの女が叫んで飛びかかってきやがって、俺も混乱して、とりあえず逃れようとしていたらですねぇ……」
「財布は?」
「さ、財布は……いえ、財布だとは知らなかったンですが……」
コソドロスはポケットを探り、皮の財布を取り出した。麦穂の刺繍が施してある――エッカルトの妻が施したものだろうな。
「……そのぅ、揉み合いになっているうちにですね、いつの間にか入っていたようで」
「ほぉう。偶然というわけか」
「ええ、はい、全くその通りで。ひどい偶然で、『確認』が『盗み』と誤解される事態にですね……」
それが自分が抜剣した音だ、と気づいた頃には、私は駆け寄ってきた下士官連中に羽交い締めにされていた。マルコ伍長が叫んでいる。
「隊長! 隊長! 落ち着いてください!」
「離せ!! 私の領民から盗みを働いたばかりか手傷を負わせ、挙げ句にこの聞き苦しい言い訳で私の耳を汚したんだぞ!! 殺して何が悪いか!!」
「お気持ちは察しますが本当に落ち着いてください!! ――マズいですよ、貴方は隊長なんですよ、我々の! 厳正に裁かにゃ、兵たちからの信頼を失いますよ……!」
「信頼だと!?」
「隊長ッてのは父親なんですよ! こんなことで子をブチ殺す父親を、誰が信じられましょうや……!」
父親、という言葉が琴線に振れ、頭頂にまで登っていた怒りの奔流が、ストンと腹に落ちた。
父であるアレクシアレスに理不尽な判決を叩きつけられた私は、父をどう思っている?
――理解出来てしまった。
兵士たちに理不尽を押し付けたとしよう。アレクシアレスのように、圧倒的な武力で反発を押さえつけることは出来よう。私の戦闘能力なら十二分に可能だ。
だが私は、理不尽な父親に抱く感情を知っている。どんなに憎いか、ブチ殺したいか、知っている。その感情が私に向けられるのは――嫌だ。「やはりアレクシアレスの子だな」と思われるのは、嫌だ。
――最低でも鞭打ち、最大でも手首切断刑。それが妥当な判決だろう。死刑はやりすぎだ、明確に。
「……よろしい。理解した。よく止めてくれた」
そう言うと、下士官たちは私を解放してくれた。剣を鞘に収め、咳払いして兵士たちに向き直る。
「あまりの怒りに我を忘れ、見苦しい姿を見せたことを謝ろう。そしてこれより、厳正にコソドロスを裁くことを誓おう。彼はどうやら罪を犯したようだが、その罪が全て
すかさずグラシアが叫んだ。
「聞こえなかったのか! 剣を収めろ!!」
兵士たちは一斉に、剣を鞘に突っ込んだ。
「……また、領民諸君も安心してもらいたい。双方が納得する判決を下し、適切に賠償を行うと約束する。だから今はどうか、矛を収めてくれないか」
農民たちは「ディオス様がそう仰るなら……」と相互に顔を見合わせ、農機具を握る手を緩めてくれた。――名士会はともかく、一般領民たちからは信頼されていたのだろうか。少しだけ心が軽くなった。
ならば、あとは裁判を執り行うだけだ。冷静に、冷静にだ。
大きく息を吸い込み、開廷を宣言しようとする――その時、ローザの声が響いてきた。
「ここはアンデルセン商会の領地です」
声の方向を見やれば、隊商の商人たちを引き連れたローザが、こちらに歩いてきていた。緊張した、しかしどこか当惑が
「領内で起きた犯罪行為について裁判権を持つのは、その土地の領主です。ご存知ですよね、ディオス様?」
――あ。
怒りと勢いで、すっかり頭から飛んでいたが――ローザの言葉は、正しい。領主裁判権。領主の基本的な権利にして、領民支配の要ともいえるものだ。
「そして現領主は我が父ですが、
反論のしようがない。完全にローザの言い分が正しい。私は隊則に基づいて兵士を裁けるが、どこかの領内で起きた事件では、当地の領主裁判権が優先される。当然のことだ。
思わず頷こうとしたが、誰かに肩を叩かれた。振り向いてみれば、それはグラシアだった。低く押し殺した声で呟いてくる。
「絶対引き渡しちゃダメっすよ」
「……何故だ?」
「小領主程度に兵の身柄を引き渡したら、隊の誰もアンタを信用しなくなるからスよ。……傭兵はヤクザ稼業、どこに言っても鼻つまみ者だ、特に領主なんてアタシらのことを使い捨ての駒くらいにしか思ってねぇ……でも隊長だけは守ってくれる。そう信じてッから兵はついていくんスよ」
「ッ……」
兵士たちを見る。ある者は私を試すような目で、ある者は信頼の目で、私を見ていた。
――これは、マズい。
どう考えても、法的にはローザに裁判権がある。
だがローザの裁判権を認め、コソドロスの身柄を渡してしまえば、兵士たちからの信頼を失う?
「じゃあどうしろと……?」
思わず漏れてしまったその言葉をどう解釈したのか、グラシアはニッと笑った。
「暴力で黙らせりゃイイんスよ、小領主なんか。アタシがエッボを
「いいわけないだろうが!?」
本当に、それは、ダメだ! ローザ、ひいてはアンデルセン商会は現在唯一のパトロンなんだぞ!? それをこんなところで失いたくはない。兵士たちからの信頼を勝ち得たとして、資金源を失っては何もできなくなるのだから!
解決法は無いかと頭を巡らせていると、新たな
村長が咳払い1つ、話しかけてくる。
「お話は聞かせて頂きましたぞ。まったくけしからん事件です」
今ここで割り込んできて何がしたいのだこの男は? そう思ってきょとんとしていると、彼は目尻を下げ、ローザに語りかけた。
「領主代行様。これはこの荘園内で起き、その領民が被害に合った事件です」
「そうですね?」
「なるほど確かに領主に裁判権はあります……しかしですぞ、もう一度申し上げますが、領民が被害に遭ったのです――我々が、被害に遭ったのです。これは、我々自身が裁かねば溜飲が下がりませぬ」
「……はぁ?」
何を言っているのだこいつは。領主裁判権への挑戦か? 今ここで? 当惑している間にも、村長は話し続けた。
「重ねて申し上げますが、領主裁判権を否定するつもりはございませぬ。ただ……我々の要求は1つ、下級裁判所として、そうですなぁ……『名士会裁判所』の設立を認めて頂きたいのです」
「……意味が、わかりません」
「第一審を『名士会裁判所』でやらせて頂きたい、ただそれだけです! もちろんその判決に不服があれば、領主様に上訴することになります。つまり領主裁判権は侵されませぬ」
――人口数万人を抱える王都では、村長が言うような下級裁判所……すなわち市参事会の裁判所は、存在している。ようは市民たちのガス抜きのため、一定の自治権を認めているのだ。流石に数万人規模の都市が反乱を起こすと面倒だし(アレクシアレスは武力を背景に好き勝手裁いているが。私にしたように)、王がいちいち裁いていては業務過多になるからな。
だが人口800人程度のこの荘園で、下級裁判所を設置する意味はない。反乱が起きてもたかが知れているし、そもそもこの人口規模では裁判自体も稀なので、領主1人で捌き切れる業務量なのだ。
――そして何より。領主は法を通じて領民を支配するものだ。圧倒的暴力で私闘を阻止し、万人に法を押し付けられるから、秩序の守護者として君臨出来るのだ。
「あっ」
気づいてしまった。ローザには今、法を押し付けられるだけの暴力がない。後から正式な代官が来ることになっているし、代官はそれなりの兵士を連れてくるのだろうが、今はいない。暴力の空白期間。
いや待て、ローザと私が懇意にしていることは、名士会の連中も知っているはずだ。いざとなれば私が暴力装置としてローザに協力するであろうことは、想像するに難くないよな?
――村長は私に向き直り、口角を釣り上げた。
「ディオス様。元領主として我々を憐れむ気持ちをお持ちでしたら、是非我々に協力して頂きたい……ディオス様からもどうか、『名士会裁判所』の設立をローザ様にお願いしては頂けませんか?」
――これは離間策だと直感する。私とローザを分離するために何を差し出す気なのだ、こいつは。
「もしご協力頂けるなら、募兵を許可致しましょう。なんせ危険な旅路です、若者たちの命を
「ッ……」
30人の兵士。私との信頼関係がある、30人の兵士。正直、喉から手が出るほど欲しい。
「……念の為聞いておこう、その『名士会裁判所』とやらが設立されたとして、コソドロスの身柄はどうなる?」
「それは勿論、裁判主宰である我々に引き渡して頂かねば」
却下だな。結局、ローザに引き渡すのと同じ問題が生じるじゃないか。むしろローザに引き渡すよりも悪い、「農民ごときに兵の身柄を引き渡した」となれば兵士たちからの心象は最悪だろう――いや待てよ? 今いる19人の兵士たちから信頼を失ったとして、信頼関係が既にある30人を雇えれば……むしろプラスではないか?
再びグラシアが囁いてきた。
「乗っちゃってもイイんじゃないスか?」
「……だ、ダメに決まってるだろう、村長案でも資金源を失うのは同じなのだから」
「カネが問題なんスか? そんなの行く先々で脅して取りゃ良いじゃないスか」
「いいわけないだろう!?」
「エェ……?」
グラシアは困惑していた。「怒られたい」という破廉恥な動機からの演技ではなさそうだった――はたと気づく。
歴戦の傭兵とは、こういうものか。暴力でぶんどることに慣れすぎている。
なるほど圧倒的暴力さえあれば、法を侵さないギリギリの範囲でカネやモノを手に入れることは可能だろう。良心が許すなら、だが。あるいは合法的に傭兵団として活動するのも選択肢に入る――「王族がカネで動いた」という醜聞はつくが、食いつなぐことは出来よう。
「…………」
まずい、本当にどうすれば良いのかわからなくなってきた。
ローザにコソドロスの身柄を引き渡せば、兵士たちからの信頼は失う。だが資金的には安泰だ。
村長案に乗れば、今いる19人の兵士からの信頼は失うが、代わりに30人の信頼できる兵士が手に入る。だが資金源たるアンデルセン商会との関係は悪化する。
そして誰にもコソドロスの身柄を引き渡さず、私が裁く場合。19人の兵士からの信頼は繋ぎ止められる。だが資金源を失うのは村長案と同じ。
――そして資金の問題は、グラシアが言うように、暴力を背景にして稼ぐことで解決は出来る。良心と外聞は失われるが。
どれも一長一短で、何かを得れば何かを失う。どれを選ぶのがベストなのだ?
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