第30話

 翌朝。


 ローザは「今日は台帳を確認します」と荘園台帳とにらめっこを始めた。


 台帳には荘園領民の戸籍情報から納税申告内容などが記録されている。さらには税金の使途も記録されているので、結果的に私の家計帳も兼ねている代物だ。私自身は脱税などやましいことは一切していないが、商人という「数字のプロ」に見られるのは少し緊張する。計算ミスが発覚したらちょっと恥ずかしいしな。


 一方、マリーは「困っている人がいないか見回ってくるわね」と散策に出かけてしまった。


 これで客人の過半数の手が塞がり、暇しているのはグラシアだけとなったのだが。


 私はそのグラシアを連れて、朝から募兵活動を行っていた。暇そうにしていたヘルマンも引っ張っていく。


 名士会の「非公式のお願い」はガン無視である。


 名士会の面々は、私と共に村の運営を行ってきた仲である。


 だがもう、彼らへの友愛は薄れていた。私に同情して、ちょっとは協力してくれ――と思わなくもないが、そこまでいかなくとも、せめて私の邪魔にならないよう振る舞ってくれても良かったではないか? そういう思いが強くなったのだ。


 そんな心持ちなので、私はやや攻撃的な足取りで村を練り歩いていた。私の後ろにはバルトルードが続き、やかましく行軍ラッパを吹いている。


 そしてバルトルードの後ろに、完全武装したヘルマン、グラシア、さらに歩兵下士官たちがぞろぞろと続く。一歩歩くごとに甲冑から金属音が漏れる。剣や槍の穂先が揺れ、陽光を受けてきらきらと光る。


 農夫たちの作業の手が止まり、この「募兵行列パレード」へと注目が集まった。頃合いだなと思い、私は声を張り上げる。


「我が隊は兵士のなり手を募集している! 来たれ、勇敢な若者! 給金は年俸にして大金貨4枚! 4人扶持ぶちだ! これだけのカネがあれば何が買える!?」


 すかさず、応えるようにヘルマンが吠えた。


「女!」


 さらにグラシアが続く。


「美少年!」


 ……きみたち、他に何か若者が欲しがりそうなもの思いつかなかったわけ? いや、性欲も立派な生きる動機ではあるけどさぁ。


 まあ、殆ど打ち合わせなしのぶっつけ本番だから仕方ない。グラシアに相談したら「こういうのはノリっすよ。そのほうが真実味あるし」と言われたので、ノリでやっているのだ。


「格好いい甲冑も買えるかなぁ!?」と下士官の一人が声を張り上げた。


 それに対して、別の下士官が応える。


「大金貨2枚もありゃ兜と胴鎧が買えるぜ! 半年勤めりゃ誰でも『鋼鉄の戦士』になれるって寸法よォ!」


 うんうん、これは良いんじゃないかな。下士官連中の甲冑は己の戦闘スタイルに合わせて様々な様式が混在していて、甲冑の見本市のような状態になっている。こういうのは男の心に刺さるだろう。


 実際、年若い農夫たちは目を輝かせていた。


 ここで、下士官の1人がおどけた口調で声を上げた。


「でも僕、兵隊未経験どうていなんですけどぉ! 雇ってもらえるかなぁ?」


 これに対して応えたのは、マルコ伍長だった。


「大丈夫だよキミ! 優しい下士官たちが丁寧に指導するからな! 槍の使い方からの使い方まで……おっとこっちは余計なお世話かな、ダハハッ」


 ――やや下品だが、これは中々うまいな。マルコ伍長は背の低いがっちりとした体型で、顔立ちは気の良い親父か商人か、といった感じだ。こうして冗談を飛ばしている限り、本当に優しい下士官に見えてくる。――下士官が優しいわけないだろうが、と他の下士官連中はニヤニヤと笑っているが。


 農夫たちに視線を巡らせてみれば、キラキラとした瞳で――しかし何か踏ん切りがつかなそうな様子で――こちらを見ている農夫がいることに気づいた。


 記憶を巡らせる。荘園領民の顔と名前はだいたい覚えている――そうだ、トビアスという名だったなと思い出す。名士の畑で小作をやっている男だ。声をかけてみよう。


「トビアス、興味があるのか?」


「えっ、あっ、は、はい」


「どうだ、勇気を出して一緒に来ないか? 先も言った通りカネは弾む。そうだ、確かご母堂の名は……」


「クラーラです。ひどいリウマチの」


「そうだ、そうだったな。具合は?」


「最近はもう、立つことすら出来なくて……」


「そうか、お気の毒に……だが私に雇われれば、薬代くらい楽に出せるようになるぞ」


 トビアスは、この言葉にかなり心動かされたようだった。――だが、はて。どうしたことか、彼は顔を真っ赤にし、目尻に涙を浮かべ始めた。


「……どうしたんだ?」


「実は昨晩、名士の方々が小作人連中を集めて、こう言ったんです。『ディオス様の募兵に応じるなよ』と」


 名士会の連中め。もう手を打っていやがった。


 だが「応じるなよ」と言ったところで、法的拘束力はない。それなのにトビアスがこうも思い悩んでいるということは……。


「脅されたのか?」


「……いいえ、明確には。でも『一度荘園を出た奴はもうヨソモノだからな』とか、そういうことは言われました……」


 ――クソが。ようは言外に村八分を匂わせて脅したわけだ。この程度では裁判を起こしても簡単にかわされてしまうだろうし、摘発が難しい。実に嫌らしいやり口をしてくるものだ。


 残念だが現状私に打てる手は、ない。現領主に委ねるべき案件だ。


「……事情はわかった。そういうことなら無理強いは出来ないし、もとよりするつもりもない。むしろ、恐ろしい思いをさせてしまったことを申し訳なく思う」


「いえそんな、ディオス様のせいでは……。それによくよく考えたら、脚の悪くなった母を残しては行けませんしね」


「……そうか。大切にしてやれよ」


 そう言い残して、私は立ち去ろうとした――その時、近くの家から叫び声が聞こえてきた。


「――立った! クラーラが立った!」


 何事かと思っていると、その家から1人の中年女性が出てきた――トビアスの母、クラーラであった。それに続いて、マリーが出てきた。


「……マリー? 何をしているんだ?」


「ひどいリウマチの人がいるって聞いたから治療に来たのよ」


 ふんすと胸を張るマリーを、クラーラが拝み始めた。


「神聖魔法ってのはすごいんだねぇ。まだちょっと痛むけど、動けるようになったよ……それどころか、こんなべっぴんさんに治療して貰ったとありゃ、あたしゃ若返るような気持ちだよ」


「もう、調子良いんだから!」


「それにしても、本当にお代はいいのかい……?」


「いいのいいの。言っちゃなんだけど、そんな余裕ないでしょ? こういうのはお金持ちからふんだくって帳尻合わせるから、それでいいのよ」


「おお、貴女とヘルメスに感謝を……」


 クラーラとトビアスに拝まれながら、マリーがこちらにやってきた。


 私は財布を開き、銀貨を掴んでマリーに手渡した。彼女はきょとんとしていた。


「……いや、別に貴方からふんだくろうとは思ってなかったんだけど」


「純粋な感謝だ、それも二重の意味でな。受け取っておいてくれ」


「よ、よくわからないけど、ありがとう?」


 ……トビアスの母親の問題は解決した。となれば残るは名士会だ。とにかく奴らをどうにかしなければ、他の小作人たちも募兵には応じないだろう。


 ひとまずローザに相談してみるか……と思っていると、1人の兵卒がこちらに駆けてきた。必死の形相だ。


「ディオス様、大変です!!」


「どうした?」


「こ、コソドロスが領民たちにリンチされかけています! 今は他の兵卒たちで守ってますが、領民どもがゾロゾロと集まってきまして、抑えきれるか……!」


「はぁ!? 何故そんな事態に!?」


 尋ねながら、私は既に兵卒がやってきた方向へと駆け出していた。兵卒は並走しながら答えた。


「それがどうも、コソドロスが盗みをやらかしたらしく……!」


 ――あのクソバカめ!!!!

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