第29話

 名士会は村長の家で開かれた。


 出席者は、会の名の通り名士――自前の農地を持っている農夫や、村鍛冶などの職能持ち――で構成される。人数は村長含めて12人。ここに私とローザが加わって14人での会合だ。村長の邸宅もそこそこ広いとはいえ、流石にリビングはぎゅうぎゅう詰めだ。


 会の目的は、私からアンデルセン商会への領主業務引き継ぎ。


 と言っても成文法で処理できる案件は、その名の通り成文化されているわけだから、法律文を読めば済む話である。――問題は、不文法で処理していた部分である。


「毎年の耕作計画はどのように決めていました? ああもちろん、実務面でのお話です」


 とローザが資料を見ながら質問する。すると間髪入れず村長が答えた。


「ああ、それは我々名士会で計画を策定しまして、それをディオス様に追認して頂くかたちで回しておりました」


 村長はそうだったでしょう? と言わんばかりにこちらを見てくる。


 ローザはそうだったのですか? と小首をかしげながらこちらを見てくる。


 ……なんだかなぁ。私は咳払いひとつ、村長を睨みながら答える。


「それは誤解を生む表現だぞ、村長。『私すなわち領主が、名士会の耕作計画を策定する』が正しい。いいかね、助言だ。助言を聞いたことはあるが、計画そのものを追認した覚えはない。すなわち計画策定の主体は、常に領主だ」


「……名士の方々、異議は?」とローザが尋ねると、彼らは渋々といった様子で首を横に振った。そして全員、恨めしげに私を睨んでくる。


 ――こんなやり取りが延々続いた。


 名士たちは、どうにも自治権拡大を狙っているらしい。


 言葉巧みに物事を言い換え、「領主の指示を仰がず、自分たちで差配できる案件」を増やそうとしているのだ。……私、そんなに統制が厳しい領主だったかなぁ? むしろ、割と緩やかに統治していたと思うのだが。


 ――結局名士会は夕方まで続き、終わる頃には私も名士たちもヘトヘトになっていた。


 ピンピンしているのは、流石商人と言うべきか、ローザだけである。彼女は指で髪をいじりながら、商人の笑顔を満面に貼り付けていた。


「議題はこれくらいでしょうか。皆様、お疲れ様でした……ああ」


 と、彼女は思い出したように続けた。


「ディオス様はこの荘園で、募兵を行いたいのでしたね?」


「ん……ああ、そうだった」


「領主名代として許可致します。法の範疇はんちゅうで、ご自由に」


「恩に着る」


 これはローザとの事前の取り決めである。私としては、やはりお互いを良く知っている荘園領民を部隊に組み込むのが一番良い。ゼロから信頼関係を築く必要がないというのは大きい。ローザはその意図を汲んで、募兵を許可してくれたというわけである。


 ――だがここで、疲弊しきっていた名士たちの目の色が変わった。寄り集まって何事か話し合うと、村長が歩み出てきた。


「……ディオス様。なるほど領主名代殿の許可が出たのであれば、我々としては募兵を拒否することは出来ませぬ」


「うん……? まあ、そうだろうな。強制徴募であれば話は別だが、安心してくれ、そんなことをするつもりはない。穏当に誘う程度だよ」


「そうでしょうとも、その点については疑っておりませぬ。ですから、お願いを申し上げます。募兵は、やめてくだされ」


「……なに?」


「我々も人の親です。山賊退治程度ならまだしも、魔族領域に息子たちを送り込むというのは、少々……」


 ああ……そうだよな。侍従たちの反応を見て誤解しかけたが、これが正しい認識だ。アレクサンドロス大王以後の300年間、人間は魔族から領土を取れていない。攻勢は尽く失敗しているのだ。


 そんな魔族の領土に踏み込み、あまつさえ強力な魔将を討伐する。それが私の旅路なわけだが、大多数の者からしてみれば「自殺の旅」にしか見えないだろう。王都での一件で魔将が討伐可能なことは示したが、あれは魔将――テオドロスが単騎ゆえ可能だった、ともとれる。


 だが魔族領域では、魔将はその名の通り将として軍を率いてくるだろう。危険度は跳ね上がる。


 村長は言葉を続けた。


「……長年お付き合いした仲です、あと20も若ければ、私自らがお供したいくらいです。ですが……」


「いや、いい。いいんだ村長。忠義を疑っているわけではない。そして人の親として、若者を死地に送り出したくないという気持ちも察する」


 失望を覚えなかったと言えば、嘘になる。忠義に期待していたのだ。だが……今日の名士たちの態度を見るに、私はどうも慕われるような領主ではなかったようである。


 きっと農地改革の件と同じで、私が気づいていないだけで何か負担を強いていたのやもしれない。


 募兵はやめよう――と言いかけた時、ローザが「ところで」と割って入ってきた。


「名士の皆様の私有農地は、どのように耕しているのでしょう。いえ、誰が耕しているのでしょう?」


 びくり、と名士たちの肩が震えた。


 ……んん?


「保有地を耕しながら、私有農地まで耕すにはかなりの人手がいると思うのですけど」


 保有地とは、例の農地改革で手を入れたところ――領民の義務として共同で耕す部分――である。名士たちは、これとは別に私有農地を持っている。それを耕す労働力は。


「小作人だな」


「でしょうね。そしてその小作人のなり手は?」


「……各家の食いっぱぐれ者だな」


 末男末女。産まれすぎてしまった、扱いされている者たち。


 ……あー。


 名士たちは、貧農たちから見れば「裕福に暮らしている嫌な奴ら」であると同時、「ウチのいらない子に職をくれた恩人」でもある。その恩があるから、名士たちは村で大きな顔が出来るのだ。つまり小作人たちは、名士層の権勢の源と言える。


 ――そして小作人の生活は苦しいので、募兵に応じる公算は高い。


「……つまり、なんだ、名士諸君。小作人が引き抜かれるのが嫌なのか」


 小作人いなくなったら、貧農たちに権勢振るえなくなるもんね。


 村長は肩を震わせ、


「関係ありませぬ! 私は若者たちを憐れんで申し上げているのです! ……不愉快です、帰らせて頂く!」


 と吐き捨てて家を出ていってしまった。……いや、ここお前の家だが。どこに帰るというのだ。


 名士たちもバツが悪そうにしながら、ぞろぞろと村長の家を出ていった。


「……私たちも帰りましょうか?」


 とローザが言うので、頷いて席を立つ。私の屋敷に向けて歩きながら、礼を述べる。


「助かったよ。情に流されて募兵を中止するところだった」


「いえいえ、これはアンデルセン商会にとっても益のあることですので」


「……名士層の弱体化が目的か?」


「はい。今いる小作人たちを引き剥がして、代わりに我が商会が斡旋する小作人を押し付ける体制にするのがベストと考えています。これは後から来る予定の代官が発案した策ですが」


「えげつないな……」


 お手柔らかに、と言おうとしたが、どうにも私は名士たちに同情する気が薄れてきていた。


 何か理由があるのだろうが、ああも小賢しく自治権拡大を画策されると、流石に気分が悪くなってくる。


 彼らの自治権拡大は、アンデルセン商会にとっての不利益である。そしてアンデルセン商会は私のパトロンである。流刑にされる私を憐れんで、せめてパトロンの心象を良くするよう協力してくれても良かったじゃないか……と思わなくもない。


「しかしまあ、彼らもあんなに策をぶってくるとはな。ああも自治権が欲しくなるほど、私は苛烈な統治をしていたのだろうか」


「いえ、経営日誌を拝見した限りでは逆ですね」


「逆?」


 ローザは経営日誌をぱらぱらとめくりながら頷いた。


「私財を投じての公共事業、貧困層を中流に押し上げる政策、全階層から意見を聴取する姿勢……間違いなく善良な統治者ではあるのですが」


「はっきり言ってくれ」


「では申し上げます。です。……善政だったものの、締めつけが足りなかった。これが率直な感想です。結果的に領民たちはしまった。甘さに慣れてしまった、と言えるでしょう。そして名士たちはアンデルセン商会の統治がここまで甘くないのを察しているので、彼らはいま先行して権益を確保しようとしている。私はそう読みますが」


「……」


 私は父親のカスのような所業から生まれた男だから、善人であろうと努めてきたわけだが――善政と甘さは表裏一体、締め付けが足りなかった、かぁ。


 色々とショックだが、それはさておき確認しておかねばならないことがある。


「今こうして実際に領民たちと接してみて、この荘園を商材としてどう思う?」


 ローザは困ったように笑った。


「転売対象ですね。少なくとも私は、ここの領主や代官になりたくないです。ここまで甘やかされた領民の統治は……骨が折れるでしょうね。今さら下手に締め付けたら反乱が起きるでしょうし」


「そうか……」


 手塩にかけて育てた荘園が知らない者の手に渡り、私が蒔いた種のせいで反乱が起き、領民が死ぬ――そんなことになったら、いたたまれない。


 これについてはもう、私はどうすることも出来ない。私の罪として、永劫私の心に残り続けるだろう。だが今回の件は、私の部隊運営への重大な示唆を含んでいるように思えた。


 ――私は、私の兵士たちに対してどう振る舞うべきか? 厳格な指揮官であるべきか? それとも温和な――甘い――指揮官であるべきか? グラシアは「指揮官に合わせて士官・下士官が調整する」と言っていたが、彼女らに頼り切るわけにもいくまい。


 厳格過ぎては兵士たちの心が離れよう。甘すぎてはつけあがるだろう。その中間、丁度良いところに収まるべきなのだろうが――そのさじ加減は、具体的にどのあたりなのだ?


 一晩悩んでも、わからなかった。経験不足だ。

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