第28話

 私の屋敷は荘園中央の小高い丘に建っており、荘園全体を見渡すことができる。


 丘のふもとにある広場には兵士たちを待機させてあり、今晩泊まる家が割り当てられるのを待っている。広場の周囲には農民たちの家が並び、そこから細長い畑が列をなして伸びている。典型的な三圃さんぽ式農園だ。全100戸ほど、人口800人前後の中規模農村だ。


 昔は畑の区分がごちゃごちゃで、まるでモザイクかパズルのような有り様だったのだが、私の治世下で整理したのだ。土質を考慮して畑の大きさを決め、どの区画を割り当てられても収量が同じになるように区切り直したわけだ。


 最初は反発も大きかったが、「毎年どこを割り当てられても収量が同じだ」と実感すると、反発もなりを潜めた――収量がいつも同じなら、数年後を見据えた家計運営が出来るからだ。ようは生活が安定したのである。


「ディオス様、おかえりなさいませ!」


 馬丁の少年が駆け寄ってきたので、乗騎の手綱を預ける。


「ただいま。馬たちは変わりなかったか?」


「ええ、全頭元気です!」


「大変結構」


 馬丁の頭を撫でてやると、彼は誇らしげに目を細めた。屋敷に併設された厩舎きゅうしゃを見やれば、馬車馬たちがのんびりと干し草を食みながらこちらを見ていた。


「馬車を持ち出すことになる、準備しておいてくれ……ああ、これは後でいい。少し話があるから、すぐに屋敷の方に来てくれるか?」


「かしこまりました!」


 馬丁は私の乗騎の手綱を引き、厩舎のほうへと駆けていった。


 会話を聞きつけたのか、屋敷から侍従や侍女たちが飛び出してきた。


 質問攻めに合うが、「すぐに話すから」と受け流し、屋敷に入る―― 一緒についてきた、ヘルマン、マリー、グラシアの3人……すなわち部隊の幹部連中と、パトロンであるローザ……それにリタとリナを振り返る。


「手狭で申し訳ないが、上がってくれ」


 マリーが「手狭……?」と屋敷を見渡しながら呟いた。


 実際、私の屋敷は一般的な平民のそれと比べれば大きい。暖炉のあるリビングを中心に、専用のキッチン(平民なら暖炉をそのままキッチンとして使うだろう)、侍従たちの部屋、ヘルマンの詰め所(彼には丘のふもとに畑つきの私邸も与えている)が並ぶ。


 階段を登って2階には私の私室の他、客間が3つある――3のだ。貴族の屋敷としてはかなり控えめと言えるだろう。なんせこの規模では、貴族を2人も招いたら満室になってしまう(貴族1人につき1室をあてがい、その侍従たちをまとめて1室に放り込む計算だ)。


 まあ、今まで貴族の客を招いたことなど殆どないので、これでも持て余してはいたのだが。


「貴族の屋敷に来るのは初めてか?」


「そうじゃないけど。ほら、王都だと」


「ああ、なるほどね」


 王都はバカみたいに地価が高いからな。大貴族でもない限り、あまり広い屋敷は買えない。おそらくマリーは、部屋1つ1つの広さに驚いているのだろう。


 マリーたちに部屋をあてがい、彼女らが荷解きをしている間。私は侍従と侍女、それに馬丁を集めて「これまでの事情」を話した。


「――というわけで、私は魔族領域へと向かうことになる。大変申し訳ないが、今日付けできみたちは解雇となる」


 侍従たちは絶句していた。


「……もちろん、新領主たるアンデルセン商会に雇ってもらえるよう頼んである。ここは代官屋敷となり、きみたちは代官に仕えることになる」


 これはアンデルセン商会との取り決めだ。侍従たちを魔族領域の旅に連れ出すのは酷なので、ローザの後にやってくる代官に雇ってもらい、荘園に残れるよう取り計らっておいたのだ。


 だが、侍従の1人が「嫌です!」と叫んだ。


「僕はお供しますよディオス様!」


「気持ちは嬉しいが、命の保証は出来ない旅だ。その危険に見合った給金を払ってやることも出来ないんだ、考え直してくれ」


 高給を支払えるのは、あくまでも前線で命を賭けて戦う兵士たちまでだ。侍従たち――すなわち補助人員には、屋敷で普通に働くのと同じ給金しか支払えない。兵士たちと同額支払ってやるだけの余裕はないし、そんなことをすれば兵士たちから反発が出てしまうからだ。


 だが侍従は譲らない。それどころか、侍女や馬丁らも口々に同調し始めた。


「私もお供しますよ。私がいなかったら誰が料理や洗濯をするのですか!」


「僕も行きますよ、馬のことを一番良くわかっているのは僕なんですから」


 彼らのかたくなな態度に、正直困惑した。いや、嬉しくもあるのだが。私とて貴族として、あるいは隊長として、恥にならない程度の補助人員は抱えていかねばならない。彼らがついてきてくれるなら、それに越したことはない。


 だが、安直な忠義や楽観でついてこられては気の毒である。


 彼らは荘園の農家から雇った、12歳から25歳までの男女だ。ずっとこの安全な荘園で暮らし続けたせいで、外の危険――それも魔族領域の――がわかっていないのかもしれない、とすら思った。


 ああ、あるいは? 1つ思い当たることがあり、試してみることにした。


「繰り返しになるが、命の保証は出来ない旅だ。はっきり言うが、補助人員は敵からしてみれば『柔らかいまと』だ。魔族にとってみれば、手軽な食料にも見えるだろう。行軍中に狙われるかもしれないし、本隊が敗走すれば補助人員も戦闘に巻き込まれるだろう」


 死ぬかもしれんぞ、と脅す。2度目の脅しである。


 たった一度死の恐怖をあおられた程度で「はい、では解雇されます」と受け入れては、忠義が薄い――周囲にそう思われるのが嫌で彼らは抵抗しているのだと、私は考えたのだ。だが「2度も、死ぬかもしれんと脅された」という実績があれば同情も買えよう。不忠だとは見なされないはずだ。


 ――しかし侍女は首を横に振った。


「もちろん死ぬのは怖いです。ですがそれ以上に、新しい代官様にお仕えすることのほうが怖いのです。少なくともディオス様より良くしてくださるとは考えづらいのです」


 ……これは私の罪か? 確かに私の屋敷は、職場環境としては最高だろう。なんせ私は独身なので、小うるさく家事を取り仕切る嫁もしゅうとめもいないのだ。そして私自身も、恥にならない程度に屋敷を整えておいてくれれば、何の文句も言わないタチだ。侍従や侍女にとって、これほど働きやすい環境はあるまい。


 だが次にやってくる代官がどういう人物なのかはまるでわからない。不安なのだ。


「いや、それは……アンデルセン商会は私と懇意こんいにしてくれている、代官もそう酷い扱いはしないと思うが……」


 ここで馬丁が私の話を遮り、窓の外を睨みながら呟いた。


「そもそも僕はこの村に残りたくないです」


「は?」


 全く予測していなかった言葉に、思わずきょとんとしてしまう。だが侍従たちは口を揃えて「わかる」と唱和した。


「……えっ。何、きみたちこの荘園嫌いだったの……?」


 手塩にかけて育ててきた荘園なんだけど? 反発もあったが、全員が豊かに暮らせるよう心を砕いてきたつもりなんだけど!? とショックを受けていると、侍女が話を引き継いだ。


「誤解なさらないでください、荘園自体は良い土地だと思うのですが……実家に近すぎるんですよ、ここは」


「実家……?」


 彼女たちは荘園の農家から雇った、12歳から25歳までの男女だ。大抵は末っ子で――


「……ああ、なるほど……」


 納得した。彼女らは大抵は農家の末っ子で、扱いされている。


 農作業はとにかく人手がいるので、農家は子沢山だ。だが1つの畑で養える人数にも限界はあるので、あまり子が多すぎると、どうしても余剰人員が出てしまう。


 そういった余剰人員は、荘園内の人手が足りていない畑で小作をして生きていくか、あるいは他の村で小作をするか、はたまた都市に働きに出る。


 こうして追い出されてしまう者を(たとえ少数でも)救うため、領主がこうして侍従や侍女、馬丁として雇ってやるのだが――彼らにしてみれば、この小さな荘園は「自分を追い出した実家と近すぎる」ということになるのだろう。嫌でも、自分を追い出した両親や兄弟と顔を合わせることになる。


「なるほどな……」


「……半分くらいはディオス様のせいですからね?」


「え?」


「農地改革、やりましたよね」


「うん」


 全ての区画で収量が同じになるよう、畑を区切り直したのは私だ。侍女は私をじとっと睨んでいた。


「あれのせいで私、家を追い出されるハメになったんですからね」


「……なんで?」


「改革前は、収量が多い農地を割り当てられた年には人手がいるから、それに備えてどの農家も1人か2人は余剰に子ども抱えていたんですよ。それが毎年収量が同じになったから……」


 あー。


 あー!?


 そうか、改革前は「人手が必要な年に備えて、ひもじくてもとりあえず人手を抱えておく」状態だったんだな。それが改革後は「毎年必要な人員は一定なので、余剰人員を切る」ようになったのか。


 ……私のせいじゃねえか!


「もちろん、あの改革で豊かになりましたよ? 実家は。毎年安定してが食事にありつけますし、間作で小銭を稼ぐことすら出来てますね。実家は。実家は!」


「……ごめん」


 改革過渡期の被害者、というわけだ。今後は各家が計画的に子を生むようになるので、こういった事態は減るのだろうが……改革によって「いらなく」なってしまった者もいたのだ。皮肉にも……いや、気づいて然るべきだったのだが……私はそういった者たちを雇っていたようだが。


「悪いと思っているなら雇用継続してください。あと婿の手配してください」


「いや、婿の手配はしたよな? でも断ったじゃないか……あっ」


 年頃の侍従や侍女たちには、嫁や婿の手配をしてやった。


「……断ったのはそういう理由……?」


「はい」


 荘園内で結婚すれば、「恨めしい実家」との距離は嫌でもまた近づいてしまう。なんせ迎える婿や嫁は、この狭い荘園内では「恨めしい実家」との近所付き合いが必ずあるのだから。


 その時、荷解きを終えたヘルマンがリビングに入ってきた。


「つまりこうだ、お前たちの要求は――『ディオスの旅についていく。旅先で良い結婚相手を見つけるから、支援してくれ』――そうだろ?」


 侍従たちが一斉に頷いた。年若い馬丁だけが「ぼ、僕はまだ結婚とか……」ともじもじしていたが。


 侍女が恐ろしい笑顔で、ずいと寄ってきた。


「私ら忠実な下僕たちへの婚資、はずんでくださいね。ね?」


 侍従や侍女の婚資を出してやるのは貴族の務めである。その額は、それまでの働きを考慮したものになるが……。


「……善処する……」


 気圧されたように頷くと、それで納得したのか、侍女たちは各々の仕事に戻っていった。


 私の政策の弊害と罪が明らかになったが、ともあれ私個人の補助人員は確保できたわけである。喜ばしい……と言うには苦みが強すぎるが、ひとつ問題は解決できた。


 ほっとため息をついていると、ヘルマンが肩を叩いてきた。


「俺の婚資もはずんでくれよな」


「……相手が見つかったらな」


「もう見つけた」


 まだグラシアのこと諦めてないのか……いや、むしろ好都合だが。あの変態は早くヘルマンに預けてしまいたい。


 しばらくすると、客人全員が荷解きを終えてリビングに降りてきた。それと時を同じくして、名士会の準備が整ったという知らせも届いた。


 家庭内の政治の次は、村の政治というわけである。頭と胃が痛い。

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