第二章:駐留しても問題は起きる
第27話
杞憂だったのだ。盗みなぞ起こらなかった!
野営地を撤収し、行軍準備が整ったので、集結した兵士たちに声をかける。
「諸君、忘れ物はないかね? 財布は確認したか? 荷物は全て持ったか?」
兵士たちがそれぞれ、財布や荷物を確認する。困惑や驚きの声は聞こえてこない。むしろ「小うるさい隊長だなぁ」という苦笑が
「大変結構。いやなに、中には野犬に財布をくれてやろうという仁士がいるやもしれんと思ってな!」
兵士たちの間から「そんな奴ぁ傭兵なんざやってねぇですよ」という声があがり、皆がゲタゲタと笑い出した。――うんうん、だいぶ打ち解けたな、と二重に私は満足する。
盗人の疑い、それも「きっとアイツはやるに違いない」というひどい嫌疑をかけられていたコソドロスが気の毒に思えてくる。まあ、下士官連中に
「それもそうだ。……では、本日の予定を説明する」
間髪いれずグラシアが「傾注!」と声を張り上げ、緩んでいた空気が引き締まった。……なるほどな、命令や通達を下知するときはこうしたほうが良いのだな。緩急だ。グラシアのさりげないフォローに感謝しつつ、私は言葉を続ける。
「3時間も歩けば私の……元荘園にたどり着く。ここで私の荷物を回収しつつ、募兵を行う。1日か2日の滞在になるとは思うが、その間諸君は村人たちの家に泊めてもらえることになった」
ローザが控えめに歩み出て一礼した。彼女はアドルフから、私の元荘園の「領主名代」に任じられていた。証書もある。
兵士たちを村人の家に泊めてやれないか相談したところ、ローザは快諾してくれた。
「これについてはアンデルセン商会、ならびにローザに感謝するように」
そう言うと、兵士たちの間から「ほぉ」という感嘆の声が上がった。……彼らの視線の向く先は、ローザへが半分、私へが半分といった具合だ。
純粋にローザに感謝している者が半分、ローザに要求を通した私に感謝している者が半分、といった具合か。私とローザの力関係は、評価がわかれているようだ。これはこれで都合が良いことだ。
「さて、新領主殿の厚意も賜ったことだし、そもそも荘園は私が手塩にかけて育てたものでもある。言うまでもないが、乱暴狼藉は厳禁だ。わかったな?」
兵士たちが「わかってますよ」と言わんばかりにヘラヘラ笑いながら頷く――グラシアが間髪入れず「返事ィ!!」と怒号を飛ばすと、「了解」の唱和が鳴り響いた。
「……では諸君、行軍開始だ!」
◆
行軍開始してから暫くすると、監督を終えたグラシアが馬を寄せてきた。
「昨日と同じように行軍させてます」
「大変結構。……どうだろう、私は甘すぎるかな?」
指揮官としての態度を問うてみる。今日は2度もグラシアにフォローしてもらったからだ。だがグラシアは首を横に振った。
「いんや、隊長さんはそれで良いと思いますよ。隊長が穏やかなら士官と下士官で引き締める、隊長が厳しければ士官と下士官がこっそり緩めてやる。そんなもんでしょ」
「なるほどね」
多少無茶をやらかしたが、グラシアを雇っておいて良かったなと思う。歴戦の傭兵が1人いるだけで、部隊がこうも円滑に運営できるようになるとは。
「……でもねぇ隊長さん、士官に対してはもうちょっと厳しく……」
我が隊で士官待遇は、ヘルマンを除けば従軍神官と歩兵小隊長しかいない。歩兵小隊長はエサを待つ犬のようにだらしなく頬を緩め、熱の籠もった視線を向けてきた。私はにっこりと笑ってやる。
「もう少し兵卒の頭数が集まったら訓練を始める。そうなれば嫌でもお前に怒号を飛ばすことになるだろうよ」
「……れ、練兵プレイ……」
グラシアは股ぐらを押さえた。何かを察した彼女の乗騎が歩速を緩め、彼女は遠ざかっていった。
マリーがぼそっと呟いた。
「わざと訓練の手を抜いたりしないかしら、彼女」
「……それだけが心配だ」
どうしてこう、次から次へと問題が浮かび上がってくるんだろうな。頭痛を堪えながら、私は馬を進めた。
◆
牛車の速度に合わせてのんびりとだが、着実に歩みを進めること3時間。
ついに我が荘園に帰り着いた。麦畑の下草を刈っていた農夫たちが私に気づき、駆け寄ってきた。
「ディオス様、おかえりなさいませ! 随分と遅かったので心配していたのですよ!」
「ああ、伝令の一人も寄越さなかったのは悪かった……その余裕すら無かったものでな。積もる話は村長たちに……」
「もう伝令が走っておりますよ」
「大変結構」
「……それで、そのぅ……後ろの兵隊さん? はなんなんですか?」
農夫は恐る恐る、といった様子で私の軍を見やった。40人にも満たない軍勢ではあるが、王都近傍ということもあり大規模な盗賊団も、それに対する討伐軍も見たことがない彼らにとっては、この規模でも恐怖の対象になるのだろう。
「私が雇った者たちだ、これこそまさに『積もる話』でな……」
と宥めていたところ、村長や名士たちが急ぎ足で駆けてきた。荒い息をつきながら、村長が馬上の私の脛にすがりついてきた。
「心配したのですぞ!! せいぜい3日かそこらで帰って来ると思っておりましたのに、9日も!」
「悪かった、悪かったって……」
まるで孫を心配する祖父のような村長の姿に、思わず苦笑してしまう。実際彼は、村人全員から祖父のように慕われている人物だ。面倒見が良く、それでいて締める時には厳格で、難事の時に頼れる知恵袋。
身分の差こそあれど、私も彼に可愛がられ、時に
「……ややっ、後ろの者たちは? 物騒な出で立ちですが……まさか王都で政変でも?」
「まあ政変と言えなくもないが。歩きながら話そうか」
私は馬から降り、村長たちと目線を合わせて歩きつつ、王都で起きたことをかいつまんで話した。
「――というわけで、私は流刑を解除するため魔族領域へと向かう。私は既にここの領主ではない。必要なものを回収し、いくらか休んだら発つつもりだ」
「なん、と……」
村長も名士たちも、野次馬の農夫たちも絶句していた。
長年付き合ってきた村人たちに、アレクシアレス王への愚痴をこぼしたい気持ちもある。だがそれは無益なことだ。先にやるべきことがある。
「実務の話をしよう。荘園はアンデルセン商会が引き継ぎ、その名代もついてきている。差し当たっては――」
後方から、少女の足音が近づいてきた。ローザだ。
「――紹介しよう、アンデルセン商会のローザだ。彼女が新領主名代だ」
「御機嫌よう皆様。アンデルセン商会長アドルフが娘、ローザです」
栗色の癖毛をもつ少女はスカートの裾をつまみ、腰を折って頭を下げた。その所作は素朴ではあるがそつがなく、よく訓練されていることがわかった。
そもそも私に追いつくのにしても、馬車から降りてわざわざ徒歩で駆けてきたというのは、彼女が「わかっている」証拠だ。私が下馬しているのに、彼女が御者台に乗って現れては、村人たちからの印象が悪くなるだろう。よく観察した上で、計算して動いている。
「ご、ご機嫌よう、ローザ様」
村長が小さく腰を折って礼をすれば、村人たちもそれに
無理もないなと思う。アンデルセン商会がどんな統治をするのか、不安で仕方ないのだろう。場に緊張が走るが、無言によってその緊張が高まってくるより先に、ローザが口を開いた。
「村長殿。早速ですが名士会を開いて頂いても? 状況の説明と、引き継ぎのために」
「もちろんですとも」
「それと、ディオス様の兵士たちを各家に泊められるよう、準備を」
すると村長が眉根をひそめた。彼が何事か言おうとする一瞬前、ローザは懐から1枚の証書を取り出した。
「こちら、私の領主名代としての身分を保証する証書です。父アドルフのサイン、それに証人たるディオス様のサインをご確認ください」
村長は目を細めて証書を確認し、渋々といった感じで頷いた。
「……確かに。委細、承知致しました。……では我々は準備に取り掛かりますので」
村長たちは足早に去っていった――ちらちらと、ローザへ不穏な視線を送りながら。
ローザはふう、とため息をついて私を見てきた。
「一筋縄ではいきそうにありませんね?」
「不躾な奴らで申し訳ない」
「いえいえ、そんな」
そう言いながらも、ローザの顔には「商人としての笑顔」が張り付いていた。
――正直、私のほうは驚いていた。
まず、村人たちのローザへの反発がここまで強いとは思っていなかった。……村長はおそらく、兵士たちを家に泊める件についてゴネようとしていたのだ。
確かに見知らぬ男たち、それも武装した男たちを家に泊めるのは嫌だろう。村長はこう反論しようとしたのではないか? 「領主名代としての証がなければ、その命令は受け入れられません」と。
ゆえに、証書を見せられた段階で素直に引き下がった。
そしてローザもローザで、こういう事態を想定していたからこそ、懐に証書を準備していたのだろう。
――私の知らぬ間に、なにがしかの闘争が始まっていたのだ! ……ああ、ローザの「一筋縄ではいきそうにありませんね?」という言葉は、そういう意味か。
この引き継ぎは一筋縄ではいかないですよ、ディオス王子。貴方も当事者ですよ。もちろんパトロンに協力してくれますよね? ――ローザの笑顔の裏には、そんな言葉が隠れているような気がした。
「……円滑にことが進むよう、助力する心づもりだ」
「まあ、嬉しいお言葉です。きっと父も恩に着ることでしょう」
ローザは僅かに頬を緩める。……先の推測が間違っていないことを、私は確信した。
初対面の時に感じた――己に降り掛かった運命を嘆く、控えめな「ごく普通の少女」という――私のローザへの認識は、急速に改まった。――この少女は、商人だ。間違いなく、商人だ。
そして初っ端からローザの出鼻をくじこうとした村長。そんなに腹が黒かったのか? 確かに知恵袋として有能ではあったが……「皆のお爺さん」というイメージが、急速にくすんでいくのを感じた。
見慣れたはずの荘園が、万魔殿のように思えてきた。
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