第26話

 見回りを終えた私はグラシアと夜警の計画を詰め、それから自分のテント……軍幕に戻った。


 1週間前に王都に向かった時は野営するつもりなぞさらさら無かったので、テントを持ってきていなかった。なのでこの軍幕は、王都で新調したものである。


 荘園にも自分用のテントはあるが、狩猟に使う1人用のものなので軍役には適さない。そこで急きょ新調したかたちだ。


 今日やるべきことは終わったことだし、もう寝るか……と腰に吊った剣を外そうとしていると、垂れ幕の向こうに誰かが立つ気配を感じた。


 剣の柄に手をかける――だが垂れ幕の向こうからは知った声が聞こえてきたので、柄から手を離した。


「夜半に申し訳ない、マルコ伍長です。隊長殿、急ぎお耳に入れたいことが」


「なんだ? 入り給えよ」


「失礼します」


 マルコ伍長が垂れ幕を上げて入ってくる……が、垂れ幕を上げたまま手を離さず、外が見えるようにしたまま、言葉を続けた。


「お言葉ですが、いずれここを軍議だとか重要な話し合いに使うおつもりでしたら、次からは歩兵どものテントともっと離して設営すべきですな。声が全て筒抜けになりますぞ」


「む……」


 垂れ幕の外、20mもしない距離には歩兵たちのテントが並んでいる。なるほど「すぐ兵士たちのもとに駆けつけられるように」と近めに設営したが、そういう問題があるか。これも経験不足というやつだな。


「教えてくれてありがとう、マルコ伍長。次から考慮するよ。それで、話というのはそれだけか?」


「ええ」


 ――そう言いながら、マルコ伍長はジェスチャーで「外へ」と伝えてきた。


 何か問題が起きたのだろうか。それも、兵士たちの耳に入れるべきではないようなことが。


 私はテントで寝ている兵士たちの耳に入るように、ただし大声になりすぎないように注意しながら、マルコ伍長に話しかける。


「……寝る前に小便に行くところだったんだ。せっかくだ、付き合い給えよ」


「勿論」


 マルコ伍長を伴い、野営地から少し離れたところへと歩く。歩兵たちのテントから十分に距離が取れると、マルコ伍長が話し始めた。


「ご配慮ありがとうございます。それで、話なのですが……注意すべき兵士を発見したのです」


「注意すべき兵士?」


 先ほどまで兵士たちに声をかけて回っていたので、今なら全ての兵士の顔と名前が思い出せる。だが、何か問題を起こしそうな者は思い当たらなかった。


「一体誰だ?」


「コソドロスという兵卒です」


 コソドロス。うん、思い出せる。ボサボサの髪とギョロ目が特徴の、すばしっこそうな男だ。


「彼がどうかしたのか?」


「視線が気に食わんのです。あやつ、私の牛車に積んだ荷物をチラチラと見てくるのです。言っておきますが、そこにコソドロスの荷物は積んでおりませんよ。……あれは盗人の目です、間違いない」


「ふむ……?」


 では、他人の荷物を観察しているということか。怪しいと言えなくもないが……?


「マルコ伍長、預かった荷物に対して責任を感じるのは立派なことだが、考え過ぎではないか?」


 マルコ伍長は『商売』に対して責任を感じてくれているようだ。思惑通りと言えるが、視線だけで盗人と判定するのは行き過ぎだろう。


 そう思ったのだが、マルコ伍長は譲らない。


「私はかれこれ10年は隊商護衛やら山賊討伐やらに従事しました。もちろん、様々な傭兵どもと組んでの話です。その経験から進言しているのです。コソドロスは問題を起こす奴です」


「うーん……そうは言っても、視線だけではなぁ」


「なら他の者にも聞いてみるとよろしい。あの目は、誰だってわかる」


 私だけが気づいてないとでも? そこまで言われると流石の私もムッとするし、コソドロスはギョロ目というだけで疑われているような気がして、可哀想に思えてくる。


「……わかった、わかった。そこまで言うなら聞いてみようじゃないか」


 犯罪者を見慣れている者は誰か、考えてみる――憲兵のリタとリナ。彼女たちは元刑吏だ。それとマリーも見慣れているだろう、神官なら重罪人の処刑の際に祈りを捧げることもあろう。


「リタとリナ、それとマリーを呼んできてくれ。こっそりな」


「承知致しました」


 去ってゆくマルコの背を見ながら、私は嘆息した。――どうしてこう、行軍するだけで問題が起きるのだろうなぁ。華々しい英雄譚に語られる我が先祖たちも、こんな思いをしながら軍を動かしていたのだろうか?


 やがてマルコが3人を連れて戻ってきた。


 事情を説明すると、最初にマリーが意見を述べた。


「うーん、あんまり人を疑いたくないけど……確かに視線はちょっと気になったのよね。腰元見てきたし」


 財布は腰帯に吊って携行するものだ。つまり、コソドロスは財布を見ていた?


「本当に? ……リタとリナはどう思う?」


 彼女たちは視線を交わし、リタは「小汚い身なりの割に、爪だけは綺麗に整ってますよね彼」と、リナは「スリや置き引きの常習犯にありがちです」と言った。


 ……よく見ているなお前ら!? と思ったが、考えてみれば――これも私の経験不足というやつなのかもしれない。


 なんせ比較的裕福な荘園に籠もっていたので、犯罪者を見た経験が少ない。そんな私の目と、犯罪者たちと接してきた者たちの目、どちらを信用すべきか――悔しいが、後者だろうな。


「……わかった。コソドロスについては、よく見張っておいてくれ。マルコ伍長、他の下士官にもこのことを伝えてくれ。グラシアには私から伝えておこう」


「承知致しました」


「よく教えてくれた。私では全ての兵士に目が行き届かないし、これから部隊が大きくなっていけば尚更だろう。こういったことは今後もきみたちで監視し、私に教えて欲しい」


 全員が頷いた。


 ――しかし、まあ。


 なんとも頭の痛い問題である。今のところコソドロスは「要注意」に留まっているが、実際に窃盗をやらかしたらコトだ。特に、仲間から盗んだ場合は最悪だ。兵士間の信頼に亀裂が入ってしまう。


 ……せっかく私と兵士たち、すなわち上下の信頼関係を築いている最中だというのに、兵士同士、すなわち横の信頼関係を崩されてはたまったものではない。たて糸とよこ糸がしっかり噛み合わねば、軍隊は機能しないのだ。これも兵法書の受け売りだが。


 そして……仮にだが、コソドロスが本当に窃盗をやらかした場合だが、私は彼に罰を与えねばならない。これはこれで、避けたい理由がある。一応、マリーに助言を求めてみる。


「仮に……仮にだが、隊内で窃盗が起きた場合はどう裁くのが良いと思う? 神官としての意見を聞きたい」


「え? そりゃ普通に世俗法で裁いて、被害額が小さければ鞭打ち、大きければ手首切断刑で良いんじゃない……?」


「そうだよなぁ……」


 頭を抱える。そうだよな、窃盗の仲裁なんて不可能だよな! 鞭打ちや手首切断で再犯を防止する以外に、打てる手なんてないよな!


 問題は、鞭打ちされた人間は痛みで数日まともに動けないし、手首切断刑に至っては日常生活にすら支障をきたすということだ――数日か永遠かの違いはあれど、軍役なぞ不可能な状態になるのだ。高給を払って雇った兵士が、損なわれる!


「……コソドロスが何もやらかさないことを祈るしかないな。下士官連中に睨まれて引っ込んでくれると良いのだが。あるいは杞憂であって欲しいものだ」


「あら、お祈りなら仲介するわよ?」


「お願いしようかな……」


 かくして私はマリーと一緒に、神々に祈りを捧げることにした。


 ――不滅の神々よ、頼むから、戦い以外の困難を私から遠ざけたまえ。それと狂気の女神アーテーよ、どうかコソドロスから離れたまえ。マジで頼むから。

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