第24話
マルコ伍長は、小太りの中年男だった。背は低いが肩幅は広く、手足も分厚い。ヒゲが伸びていればドワーフと見間違えそうだ。槍を担いでのっしのっしと歩いている。
「マルコ伍長」
「これは隊長殿、それに神官殿。見回りですか?」
マルコ伍長は気の良いオヤジか、あるいは商人のような笑顔を見せた。つられて自然と私まで笑顔になってしまうが……気を取り直し、首を横に振る。
「少し話がある。付き合ってくれ」
そう言いながら隊列後方――補助人員の列のほうへと歩き出すと、マルコ伍長は露骨に嫌そうな顔をしつつも、私の後に続いた。
「なんでも牛車を連れてきたそうだな」
「……ええ、荷運び用に」
「何故馬車ではないのだ?」
「馬は高いからですよ! それに比べれば牛は安い。そのへんの草でも食ませておけば歩いてくれますしねぇ」
「だが、代わりに足が遅い……行軍の足を引っ張るほどに」
「それは……まあ、仕方ないでしょう」
「仕方ないかどうかを決めるのは私だ、マルコ伍長。行軍の速度は隊長が決め、兵士はそれに従わねばならない。そして私はきみたちに、『常識的な速度で歩いて欲しい』と考えている」
「……何が言いたいんです?」
「牛車は、ダメだ。明らかに全体の足を引っ張ることになる。今すぐとは言わん、荘園についたら売り払え。私の荘園はそこそこ裕福だ、買い手はつくだろうさ」
「御冗談を! いくら隊長殿でも、兵士個人の持ち物……つまり財産を売り払わせる権利はないでしょう。私は奴隷じゃない!」
いやに粘るな、と思いつつ。
私は法知識を動員し、検討する――確かに兵士の財産を好き勝手に差配する権利は、私にはない。だが。
「王国法の定めるところによれば、兵士の所有物が『軍務に支障をきたしている』場合、隊長はその個人を罰することが出来る」
例えば罰金、あるいは鞭打ち、それでも改善しなければ解雇を命じることが出来る。だがマルコは怯まない。
「現状、『全体がちょっとゆっくり歩けば問題ない』程度でしょう?」
「いい加減腹が立ってきたぞマルコ伍長、それはきみが口出しして良い事柄ではない」
「まあまあまあ。それにですよ隊長殿、荷運びに使う道具を咎めるのはどうかと思いますぜ」
「ほう?」
「兵士たちは給料以上に、戦利品を期待しているもんです。つまるところ敵を打ち破り、たんまりと金銀財宝を奪ったのに、運びきれない……泣く泣く荷物を捨てるしかない。そうなったら、士気はガタ落ちですよ。だから多少足が遅くなったとしても、余力のある輸送手段を持っておくのは、隊長殿にとっても利益になるはずです」
「む……」
なんともまあ、口の回る男だ。それこそ商人みたいだ。苛立ちと感心が同居するなか、マルコ伍長の言い分にも一理あると思えてきたが……否、否だ。
「……いや、そういった輸送手段を差配するのはやはり私の仕事で、きみの仕事ではない。実際、荘園には私所有の馬車があるし……」
言っている間に、マルコ伍長の馬車のところまでたどり着いた。牧童に引かれた牛が気だるげに歩き、繋がれた荷台の車輪が、ゆっくりと地面の上を転がる。
私は荷台に目をつけた。10人ぶんかそこらの背嚢が載っていたのだ。
「んん……? マルコ伍長、一体何人の荷役夫を雇ったんだ?」
そう問うと、彼はサッと目を逸らした。
「いやぁ、随分と高給で雇っていただいたもんで、不自由しない程度には」
はて、何故はっきりと答えない? 何かやましいところがあるな?
はぐらかそうとするマルコを睨みつけながら、私は補助人員たちに声をかけた。
「マルコに雇われた者、手を挙げよ!」
牧童が1人と、男2人が挙手した。合計3人。では残り7人ぶんの荷物は誰のものか? 他の補助人員たちの荷物を乗せてやっているだけなら、マルコは話をはぐらかしたりしなかっただろう。やはりなにか、後ろめたいことがあるのだ。
「さてマルコ伍長、きみときみの荷役夫以外の荷物も乗せているようだが、誰のものかな?」
「そりゃ勿論、部下たちのものですよ」
現在我が隊は、歩兵伍長9人に対して兵卒が19人しかいない。伍長1人につき1人か2人の部下しか配属していないのだ。
「マルコ伍長。きみに7人も部下をつけた覚えはないのだが?」
「おお、そうでした……実を言うと、他の隊の兵卒のぶんも乗せてやっているんですよ。ほら、中には家族に仕送りをしたいとかで、荷役夫を雇わない……雇えない、気の毒な者もいるでしょう? そういった奴らに、善意でですなぁ……」
「ふふ、善意かぁ」
善意なら、なんでそんなに後ろめたそうなんだろうなぁ?
「……いくら取ってる?」
「……」
マルコ伍長の額に脂汗が
「さて、さて、マルコ伍長。きみは兵卒たちの荷物を運ぶ代わりに、いくらか代金を徴収している……おそらく、荷役夫を雇うよりは安い値段で。私の推理は間違っているだろうか?」
「……」
「命令だ、答えろ」
答えねば命令不服従で罰するぞ、という脅しを視線に込めてやると、マルコはついに観念したようで、両手をあげた。
「正解です、正解ですよ隊長殿。確かに私は、兵卒たちから小銭をもらって、荷物を運んでいます……ですけどね、なんの問題が?」
「問題大ありだよ馬鹿者が! お前の小銭稼ぎのせいで行軍が遅れているんだぞ!?」
どうしてこう、「行軍する」という単純な行為すらスムーズにさせてくれないのだ!? ――そういった苛立ちが爆発し、つい語気が強くなってしまう。
「せめてなぁ、やるならせめて馬を使って、誰にも迷惑がかからないようにやれよ!」
「だって馬は高いじゃないですか! 元を取る前に軍役が終わっちまいますよ!」
「そもそも給料と戦利品以上に儲けようとするんじゃないよ!! すでにバカみたいに高い給料支払ってるだろうが!?」
「でも、禁止されていない! そんな法も隊則もない! ありますか!? ないでしょう!?」
「ぐっ……!」
確かに、「荷物を運ぶ代わりに代金を徴収してはいけない」という法律も、隊則もない。特に隊則については、定めておかなかった私が悪いとさえ言える。だがこんな事態、普通想定するか?
――いや、とはたと気づいた。
これが経験不足というやつか。
私は荘園領主として、領民を訓練したことはある。だが私の荘園は王都から近いこともあり、盗賊団なんて一度も来たことはない。それに遠征なんてしたこともない――なんせここ10年ほど、アレクシアレス王が軍を動員するような事態は一度も起こっていないのだから。
王族として受けた教育と、兵法書で得た知識。それに軍務経験者から聞いた話。私はそれだけを頼りに今、こうして軍隊を動かしているのだ。経験不足のせいで起きうる問題が想定できず、摩擦が発生するのは当然とも言える。
「むぅ……!」
経験不足だ。だが、対処しなければならない。『軍務に適さない』という理由で牛車を禁じることは出来る。だがそうすれば、マルコ伍長は私を恨むだろう。ならいっそ解雇したほうが安全だろうか? いや、苦労して手に入れた下士官をここで解雇するのは気が引けるし……。
悶々としていると、ふと、マリーがするりと鞍から降りた。そして私とマルコ伍長の間に立った。
「マルコ伍長。まず、人に迷惑をかけておいて開き直るのはやめなさい。神々がご覧になっているし、あなたの部下たちも、あなたの態度をしっかり見ているでしょう。彼らに恥じないように振る舞うのが、立派な男ってもんでしょ?」
「む……」
神官とはいえ小娘に説教されたマルコ伍長は一瞬ムッとしながらも、何も言い返せないでいた。ド正論だったからだ。
マリーは私のほうを見た。
「ディオス王子。あなたもあなたで、『富める者』としての自覚を持ちなさいな」
「『富める者』?」
「あなたはこの隊内で一番のお金持ちでしょ? そんな人が貧者の商売……まあちょっとやり方はどうかと思うけど……を否定したら、反感を買うのは当たり前でしょう」
「む……」
正論だ。正論だが。
「だが、マルコのやり口を許容するわけにはいかない。私が憂いているのは行軍速度だ。指揮官の望む速度で歩けない軍隊なぞ、使いづらくてかなわない」
「その理屈もわかるわ。だとしても、『富める者』らしく解決すべきでしょうね」
マリーはそう言いながら、貧相な胸を張って微笑んだ。まるで出来の悪い生徒を根気よく諭す、教師のような微笑みだ。
「持っているって自分で言ったじゃない、さっき」
「なにを……? ああ」
得心がいった。なるほど私は、荘園に自前の馬車を持っている。武器甲冑と一緒に回収し、持って行くつもりだったものだ。脳を回転させ、論理を組み立てる。
「……マルコ伍長、裁定を下す。私の荘園に着いて以後、牛車の使用は禁止する」
「そんな!」
「まあ聞け。……代わりに、きみには私が所有する馬車の管理を任せたい。それを用いてきみがどんな『商売』をしようと、軍務を阻害しない限り、私はとやかく言わない」
「……ほう? ですが私の買った牛はどうなるのです?」
「買った値段の三分の一を補填しよう」
「三分の一ぃ?」
「まあ聞け、聞け……全額を補填してしまったら、他の者たちはどう思う? 『ディオス隊長はゴネれば便宜を図ってくれる』と思われるのは嫌だし、きみとしても『得をしすぎる』のは困ったことになるはずだ。違うか?」
マルコ伍長はしばし考えた後、ぽんと手を打った。
「……ああ、なるほど。確かに嫉妬されるのは怖い」
マルコ伍長は、9人いる歩兵伍長のうちの1人でしかない。同僚から嫉妬されるのは嫌だろう――なんせ同僚とは、戦場において肩を並べて戦う仲間なのだから。いざという時に見捨てられることほど、恐ろしいものはない。
「であるから、その牛は潰して皆に振る舞うか、私の荘園の農夫に安く売って、その代金で皆に食事を奢ってやることだ」
「名案ですな」
「では、そういうことで」
手を差し伸べると、マルコは笑顔で握り返してきた。めでたく和解、というわけである。
牛の値段は、三分の一とはいえ決して小さな額ではない。収入源が断たれた私にとっては尚の事だ。だが貴重な下士官との関係を繋ぎ止めるための出費としては、許容しうる。
加えて、馬車をマルコに預けるのは、私にもメリットがある。というのも、馬車の管理というのは存外に面倒くさいものだからだ。馬の世話、馬具や荷台の保守整備、補助人員の管理など……これらをマルコに丸投げ出来るのは正直ありがたい。それどころか、マルコは馬車を用いて『商売』をするつもりなのだから、管理の手は絶対に抜かないだろう。信頼して任せられるのだ。
思いのほか良い契約が結べたことで、すっかり私の気分は良くなっていた。
――問題は、解決した。であれば、あとは仕上げだ。私は声を張り上げる。
「バルトルード、いるか!」
「はいはい、こちらに」
行軍隊列の中から、鼓笛手伍長にして紋章官のバルトルードが走ってきた。
「歩調を調整したい。この牛車に合わせて」
「承知致しました!」
バルトルードは紐で首から吊った太鼓に手を乗せ、ゆっくりと叩き始めた。牛の歩調に合わせて、のんびりとしたリズムだ。
それにつられて、行軍していた兵士たちの歩調も遅くなる……やがて、そのリズムに合わせて兵士たちが歌を歌い始めた。民謡だ。
『富は名誉をもたらさず
貧乏も恥にはならず
ああ、私は銀貨千枚ぶんの豊かさで
きみをこの手に抱きしめたい』
マリーが鞍に乗るのを手助けしてやりながら、彼女に声をかける。
「まさにそんな気分だ」
「お礼なら別の方法にしてくれるかしら?」
「冗談だよ。しかし驚いた、まさかきみが仲裁してくれるとはね」
「あら、神聖魔法が使えるってだけで神官が大きな顔してると思ってたのかしら?」
マリーの今までの言動を思い出す。口が悪く、高飛車ではあるが、こと人助けに関しては真摯だ。だから私は彼女のことが――いや、だからこそ尊敬されるのだ。
「仲裁も立派な人助け、か」
「そういうこと」
本当に、私は驚いていた。マリーがド正論で殴り始めた時はどうしようと思ったが、私とマルコ伍長が双方納得できるよう取り計らってくれた。しかも双方の顔を立てるかたちで。
彼女がいれば隊内の問題はほとんど丸く収めることが出来る、そんな気さえしてくる。前途多難に思えた旅路だが、先行きは明るいように思えてきた。
◆
夜。今日中に荘園にたどり着くのは無理だと判断した私は、部隊に野営を命じた。
兵士たちの大半が寝静まった野営地の隅で、私とマリー、憲兵のリタとリナ、それにマルコが集まっていた。
マリーに尋ねる。
「仮に……仮にだが、隊内で窃盗が起きた場合はどう裁くのが良いと思う? 神官としての意見を聞きたい」
「え? そりゃ普通に世俗法で裁いて、被害額が小さければ鞭打ち、大きければ手首切断刑で良いんじゃない……?」
「そうだよなぁ……」
私は頭を抱えていた。
次の火種が、燻っていた。
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