第二部:エルフの森 燃やすべし

第一章:歩くだけでも問題は起きる

第23話

 快晴、快晴。清々しいほどの快晴。


 出立直後に散々降り注いだ雷雨は風で吹き散らされ、空は嘘のように晴れ渡っていた。


「まるで我々の旅路を祝福しているかのような、清々しい空だな」


 私は馬に揺られながら、後ろに乗せた少女――金髪へき眼の神官、マリーにそう声をかけた。


「ええ、ヘルメスに感謝しなきゃね」


 マリーは旅の神の名を出し、自信満々にそう答えた。先の雷雨を「ゼウスが示した吉兆だ」とのたまったのは彼女である。「雨宿りで3時間ほど足止めを喰らったわけだが」と言いたくなるのを、私はぐっとこらえた。


 苦難を乗り越えてなんとか編成した自前の軍隊を率いての、輝かしい出立。おまけに惚れた女まで着いてきてくれるとなれば、ケチをつけるのは避けたかった。


 そうだとも、3時間くらい遅れたところで何の問題もない。部隊は今、王都ニケアから私の荘園へと向かっている途上にある。本来なら徒歩1日の距離――もちろん日の出ているうちだけ歩く換算で――しかないのだが、出立直後に3時間ほど雨宿りしたせいで、どう頑張っても、到着するのはとっぷりと日が暮れた頃になりそうだが。


「何の問題もない、何の問題も」


 そう自分に言い聞かせる。急ぎの旅でもないし、実際なんの問題もない。1日野営するくらい、なんの問題もない。ちらと後方を振り返り――私は然とした。


「問題発生だ、畜生」


 行軍開始から10分と経っていないのに、その列が乱れに乱れていた。


 我が部隊は現在、私を含めて総勢で34名である。これと別に、アンデルセン商会から派遣された従軍商人の列が最後尾に加わっているのだが――そのアンデルセン商会の姿が殆ど見えなくなるほど、我が隊の行軍隊列は間延びしていた。恐らく2kmは伸びている。


「……巡礼者の列だってもう少しマシよ。野盗に襲われてもすぐ集結できるよう、もっとまとまって歩くのが普通よ」


 そう言ったマリーに、なんの反論も出来なかった。いま何者かに奇襲を受けたら、我が隊は組織的な戦闘を行えないだろう。私は眉間を揉んだ。


 ――まあ、こうなっている理由はわかる。そもそも、兵士たちが恐ろしいサボタージュでもしていなければ、たった34人の列が1kmにも伸びるわけがないのだ。原因は、その34人の間に入っている『補助人員』にある。


 我が隊の兵卒は、年俸にして大金貨4枚――つまり1年間4人を食わせるに足るカネ――を支払う契約を結んでいる。下士官ならその倍だ。破格の高給であるが、これは「命の値段」であると同時、「そのカネで補助人員を雇い、戦闘能力を維持しろ」という意味も籠もっている。


 極論すれば「荷物持ちを雇え」ということである。兵士の仕事は、戦うことである。戦場につくまでの行軍で疲弊されては使い物にならないのだ。荷物は人に持たせ、行軍による疲労は最低限に抑えるべし、ということだ。


 ゆえに補助人員で隊が膨れ上がることは、ある意味で正しい。


「だが、これは、ひどい」


 隊列を眺める。兵士1人ごとに1人の荷物持ちが着いて歩いている。これはまあ、良い。だが大金貨8枚を支払った下士官連中――全員が全身甲冑を持っている――は、1人ごとに2人か3人の荷物持ちがついてまわる。甲冑持ちが1人、槍・盾持ちが1人、生活用具持ちが1人、という具合だ。これが隊列をひどく間延びさせている。


 さらに悪いことに、各人の間隔もてんでバラバラでまとまりがなく、ひどいと前方と50mも間隔が空いていたりする。


「なるほどな。こういうところから指導しなければならんのだな、軍隊というのは」


 私は馬首を巡らせると、すぐ後ろを行軍していた大女――歩兵小隊長グラシアに声をかけた。


「グラシア」


「隊長殿、どうしたんスか?」


 彼女は馬に乗りながら、得物である大剣の素振りをしていた。お互い馬上にあっても、もともとの身長は彼女のほうが高いので、私が真正面を向くとグラシアの豊満な胸を見つめることになる。少し視線を上げると、彼女と目が合った。


「仕事を、してくれ」


 後方の隊列を指してやると、彼女はそちらを見やり――にへらと笑った。


「あー……すんません」


 ニヤけながらボリボリと頭をかくその態度は、完全に私をナメきっている。怒りが湧いてくるが――ふと彼女の性癖を思い出した。グラシアは、美青年に厳しく命令されると、興奮する。


 私は眉間を揉み、首を振ってから、グラシアをにらみつけた。


「……おい、その薄汚いニヤケ顔で私を見下ろすな。立場を忘れたのか?」


「んっ……」


 グラシアは甘いきょう声を漏らし、即座に下馬した。これで私が彼女を見下ろすかたちになったが――彼女は私に見下されて、頬を赤らめていた。


 心の底から嫌悪感が湧き上がってくるが、私はそれを隠そうともせずに言葉を続ける。


「歩兵小隊長グラシア。貴様は部下たちの行軍の有り様を見て、なんとも思わないのか?」


「申し訳ありません! 大変にだらしがないです!」


「理解したならとっとと正してこい!」


「はい! ……あのぉ」


 グラシアは馬に乗り直そうとしながら、ねだるような視線を向けてきた。


「もうちょっと罵倒を混ぜて貰えませんかね……?」


「……貴様のだらしない胸のように弛み切った隊列を、とっとと矯正してこいと言っているのだ下郎!」


「ああんっ」


 グラシアは股を押さえながら器用に鞍にまたがり、行軍隊列へと走っていった。


「クソッ、どうしてこうなってしまったんだ……」


「あなたのせいでしょ」


 マリーが冷ややかに言った。


「あれは成り行き上、仕方なかったと思わないか!?」


「まあそうなんだけど……なんというか、あなたって絶妙な間の悪さの持ち主よね」


 グラシアは男にも勝る巨と戦闘能力の持ち主だ。おそらく彼女は男たちから畏れられ、それがゆえに――自分で言うのもなんだが、優男から命令されるような経験は無かったのだろう。私がそのを奪ってしまった。


「……それでも私のせいじゃなくないか?」


「どうかしらね……」


 マリーの口調はからかい半分といった具合だ。こいつもこいつで、私のことをナメているな……彼女に振り向いて、私は後悔した。


 マリーは女性らしく、両の脚を馬の左側に投げ出して座っている。つまるところ体ごと左側を向いているのだが、彼女は瞳だけこちらに向けていた――私は流し目を送られた格好になる。胸が弾む。


「クソッ……」


 惚れた弱み、とは言うが、これはまずい。私は一軍の指揮官なのだから、少なくとも兵士たちが見ている前では上下関係を徹底しなければ。……出来るだろうか? マリーに強く出れるか? 不安が募る。


 もん々としていると、グラシアが戻ってきた。


「隊長殿、解決しました」


「ほう、早いな」


 隊列のほうに視線をやる――先ほどとは見違えるような整然とした行軍隊形に、私は目を見張った。グラシアが説明を始める。


「勝手で申し訳ないスけど、隊を2つに分けました。前方が主力。その後方に補助人員たちを挟んで、最後尾に小部隊を配置。これでまあ、奇襲されてもある程度の戦闘力は発揮出来るでしょ」


 彼女の言う通り、行軍隊形は以下のようになっていた。先頭を鼓笛手が歩み、その後ろに兵士たちがぞろぞろと続く。少し間を開けて補助人員の群れが続き、これは憲兵のリタとリナが監督している。そして補助人員たちの後ろに数名の兵士がつき、最後尾を守る。


 間隔を詰めて行儀良く歩くよう伍長たちが指示しているのだろう、2kmにも伸びていた隊列はかなり引き締まり、100m程度にまで圧縮されていた。


 私はグラシアの手際に感心していた。というのも、実のところ歩兵小隊長としての彼女に期待するのは「突撃の際は死なずに敵を斬り殺しまくり、撤退の際は殿を務め、死なずに味方を守り切る」ことだけだったからだ。これが達成される限り、部下たちは決して逃げ出さないだろう。彼女に期待する「統率力」とはその程度だったのだが――これは、思わぬ掘り出し物だ。流石は歴戦の傭兵ということか。


「まあ殿しんがりはあの人数スから、警報役にしかなりませんね。欲を言えば軽騎兵に側面を進ませて警戒させたいところスけど、まあ無いものねだりは出来ないンで」


「いや、期待以上の出来だ。軽騎兵については、真面目に検討するとしよう。ご苦労だった」


 そう褒めたのだが、グラシアは憮然ぶぜんとしていた――まさか褒める時も罵倒してくれとか言い出すんじゃないだろうな? などと思っていると、彼女は忌々しそうに隊列に視線をやった。


「ただ1つ、問題が」


「なんだ?」


牛車ぎっしゃを持ってきたバカがいるんスよ」


「はあ?」


 グラシアが見ている方向――補助人員のあたりに視線をやれば、彼らの列はみるみるうちに2分割されてしまった。後方へと引き離されてゆく集団の先頭を見れば、確かにそこには牛車がいた。徒歩の人間よりものろのろと歩き、それよりも後ろを進む列がつっかえている。


「どうします隊長? 全体の行軍速度を牛車に合わせますか?」


「それは避けたい……誰だ、牛車の持ち主は」


「マルコっつー伍長スね。『牛車なんて持ってくんなバカ! 捨てろ!』って言ったんスけどね、『これは俺が買ったもんだ! 俺の正当な財産だ! 奪うんなら訴えるぞ!』って……」


「説得出来なかったのか」


「はい……法律とか持ち出されると正直、わかんなくて」


「よろしい、それは私の領分だな。よく報告してくれた!」


 問題が起きたとき、素直かつ素早く報告してくれる部下は、得難いものだ――兵法書にそう書いてあったので、私は即座にグラシアを褒めたのだが……彼女は不満げだった。


「……何か言いたいことが?」


「罵倒を……」


 グラシアは小声でそう言った。


「……」


 ちらと兵士たちを見る。皆、私とグラシアのやり取りに注目していた。ここでグラシアを叱責すれば、兵士たちは「不都合な報告をすると怒られる」と思うだろう。問題が発生しても報告が上がってこない組織がどうなるか、想像しただけでもぞっとする。


 私はにっこりと笑い、グラシアを無視してマルコ伍長を探しに向かった。


「ああっ、放置プレイもイイ……」


 グラシアは頬を染めてのけぞった。


「……いいんだ、あれでも……」とマリーが引き気味に呟いた。


「良いわけないだろ、少なくとも私にとっては……!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る