第20話

「チイッ……」


 近づいてきたゾンビたちを即座に殺さず、顎や腕を斬り飛ばして無力化。即席の盾としながら思考する。


 今は守りに徹し、結界が張られるのを待つのが上策だろう。ゾンビと幽霊が消えれば、私、ヘルマン、グラシア……誰か<塩化の呪い>で死ぬだろうが、突撃すれば1人くらいは<塩化の呪い>をくぐり抜けてセオドロスを討てるだろう。あるいは王国軍がやってくるのが先かもしれないが。


「……」


 合理的だ。だがダメだ、と思った。


 ヘルマンを失うのは論外だ。少年時代から付き合ってきた従士を、親友を死なせたくない。


 グラシアを失うのもダメだ。それは王都での募兵失敗を意味するし、それどころか「あのグラシアが魔将に討たれた」と知れば、もはや王国の誰も私の遠征についてこないだろう。


 王国軍の到着を待つのも、ダメだ。リタとリナが連座で死ぬ。拷問の最中に、エッボの死体を偽装したことも吐いてしまうかもしれない。そうなれば自動的にグラシアの雇用も失敗するし、エッボは奴隷に逆戻りし、私の名誉も失われるだろう。


「……結局、私だけか」


 剣を握り直す。


「賭けても良心が傷まない命は、私だけか」


 死ぬのは怖い。怪我すら怖い、私には便利な治癒魔法が効かないのだから。だが私は死よりも怖いものを知っている。それはきっと、悪人と謗られることだ。マリーに怒られて胸が痛むのは、彼女が私に良心を思い出させてくれたからだろう。結局それを失っては、いっとき生き延びても、もう二度と胸を張って笑うことなど出来ないのだ。それは死よりも辛くて、怖いことだ。


 死ぬならせめて、善人として死にたい。親の罪なんて関係ない、私は高潔に生きて、戦った。そう誇って死にたい! 勇気を奮い起こす。


「行くぞ」


 セオドロス向けて駆け出す――だが、彼の視線がもう私を向いていないことに気づいた。誰を見ている? 私の後方?


「しまっ」


 セオドロスの宝玉が光り輝いた。彼はこちらの作戦の要を見抜いていた! 狙いはマリーだ! 彼女の結界が張られなければ、延々とゾンビと幽霊に道を阻まれる!


 ――塩化の呪いが射出された。ほとんど無意識に、私はその射線を遮るように飛び出していた。時間がひどくゆっくり過ぎていくように感じる。


 理性が「身をかがめろ、まだ避けられる」と告げた。確かにそうだ、私の身体能力なら間に合う。


 そもそも塩化の呪いの射出インターバル、結構長かったよな? マリーを犠牲にすれば、その間にセオドロスに肉薄できるぞ。そうだ、そもそもあんな口の悪い女、放っておけば良いではないか。ヘルマンですら遠慮して言わないようなことをずけずけと――ふと、脳内に電撃が走った。


 何故彼女を守るために身体が動いたのか、理解したのだ――善人として死にたいだなんて、嘘っぱちだったのだ。彼女に怒られると胸が締め付けられるのも、良心のためではない。


 マリーはヘルマンですら言わないようなことを、ずけずけと踏み込んで言う。王族も殴る。実に腹立たしいことだ。だが――心地よかったのだ。心の防衛線を遠慮なく踏み越えてくる彼女なら、親友であるがゆえヘルマンにすら見せられないような、私の心の奥に潜む闇――忌み子として生きた心に、いつか踏み込んでくれる。、きっと。


 神官相手に? 救いがたい血筋だな。


 皮肉に口元が歪む。だがどうやら、これが私の本心らしい。ここを生き延びていつしか魔将を5人討ち、我が身を救ったとしよう。だがその時そばにマリーがいなければ……私の心はずっと虚しく、淀んだままだろうな。なら、ここで死ぬほうがずっと良い。


 無意識に踏み出した足に、意識の力が籠もる。<塩化の呪い>の前に立ち塞がる。


「あとは頼んだ!」


 叫んで、半片手剣を後方――ヘルマンへと放り投げる。アレクシアレスよ、自決用の剣などいらなかったぞ。私はこうして死ぬ。


 呪いが私の胸に直撃した。突き飛ばされるような衝撃に思わず目を閉じる。バチバチと音がするが、痛みはなかった……2回、呼吸ができた。


 胸が塩の塊になれば呼吸が止まるはずだが……? 疑問に思い、恐る恐る瞼を開けてみる。果たして私の身体は、塩化していなかった。セオドロスの、驚愕に見開かれた左目が見えた。


「ん……?」


 続いて、私の身体に紫電がまとわりついていることに気がついた。その周辺に、断片化し、霧散してゆく赤黒い光鱗が見えた。


 セオドロスが後ずさった。


「なん……<塩化の呪い>が、消えた……!?」


「んん……?」


 私の身体に纏わりつく紫電。これは神聖魔法が打ち消された時に生じるものだ。つまり?


「なるほど、<塩化の呪い>とやらは神聖魔法なのだな? いかなる邪神の力なのかは知らぬが」


「バカな……!」


 セオドロスが後ずさる。私は前進する。


「私も驚いているよ、まさかオリュンポスにおわす神々以外の神聖魔法も打ち消されるとはな。……そしてそれが神聖魔法であるなら、貴様はな?」


 合点がいった。ゾンビや幽霊たちの制御が失われたのは、魔力を惜しんだからではなかったのだ。祈祷のため、精神を集中する必要があったからだ。そして「鉄は魔力を弾く」という原理すら無視する強力な神聖魔術。それを短時間で行使するには、魂を供物にする極限の祈祷が必要だったに違いない――セオドロスが疲弊していたのは、そのためだ。


「もう勝ち目はないぞセオドロス」


「まだ、だ……!」


 セオドロスの身体から魔力の波が走り、再びゾンビたちが制御下に入った。あっという間にセオドロスの前に不死者たちの壁が作り上げられる。


「チッ」


 だがその瞬間。墓地全体を、柔らかな光が包みこんだ。ゾンビたちがバタバタとその場に倒れ、幽霊が霧散した。マリーの結界が完成したのだ。


 振り向いてみれば、疲弊したマリーが膝から崩れ落ちつつも、不敵に笑っていた。


「2分でやってやったわよ……! あとは、任せたわ……!」


 そして彼女の護衛をしていたヘルマンが、半片手剣をもてあそびながら片眉を釣り上げた。


「お前ら仲良しか? 誰かに任せるのが好きだな」


「嬉しいね。だが少なくとも私は、さっきの言葉を撤回しよう」


「そうしてくれ」


 投げ返された半片手剣を掴み、しっかりと握り直す。セオドロスの骨の鞭は死霊術の賜物だったのであろう、彼は今や無手であった。


「私が、やる」


「……まだだ! まだ王都に墓場は山程ある……!」


 セオドロスは踵を返し、いずこかへと逃げ出そうとした。まだ死霊術を行使する魔力は残っているのだろう、そこで再起を図るつもりだ。


「待て!」


「待てやオラァ!!」


 私が駆け出すと同時、グラシアもセオドロスを追い始めた。もう事ここに至っては誰がセオドロスを仕留めようとも関係ないか。そう思ったのだが――。


 セオドロスの行く手を、騎馬の小部隊が塞いだ。王国軍の先遣隊か!


「邪魔だッ!!」


 セオドロスは魔術の矢を乱射し、王国軍騎兵を怯ませた。彼らはしっかりと鎧を着込んでいるので、死にはしないだろうが――これはまずい。今この瞬間、大逆罪が成立してしまった。リタとリナの連座は避けられない――いや、まだだ。まだ1つだけ手がある。


「クソッ……」


 全速力で駆ける。セオドロスは怯んだ王国軍騎兵たちの傍を通り過ぎようとする――その時、彼の動きがぴたりと止まった。


 セオドロスの左腕と右脚に、縄……否、鞭が絡みついていた。リタとリナだ。


「パパ、もうやめて……!」


「こんなことをしなくても、私たちは……!」


 セオドロスが吠える。


「何故だ! 何故わからぬ! わしはお前たちのためにこの国を、この世界を――!」


「ゴチャゴチャ言ってねえで死ねやァ!!」


 セオドロスの背後にグラシアが迫り、大剣を振り下ろす――それを私が半片手剣で受け止める。凄まじい威力に手が痺れるが、なんとか受け止めきる。つば迫り合いの格好のまま、グラシアを睨む。


「私の獲物だ、手を出すな」


「ざっけんな、そいつぁアタシの、エッボの仇だ!」


「交渉をしたつもりは無いぞ、平民。獲物を、譲れ!」


 本気の殺意を込めながら、グラシアを睨み上げる――これで彼女に恨まれるのは確定しただろうな。彼女が譲らねば、この場で叩きのめす。譲ったとしても快くは思うまい、もう私に雇われることはないだろう。


 ――そう思ったのだが。


「んっ……」


 グラシアが妙に甘い、色っぽい苦悶の声をあげた。そして彼女はやや内股気味になりながら、ゆっくりと剣を引いた。


「ど、どうしちゃったんだろアタシ……め、命令されたら腹の奥がキュンって……」


 クソッ、なんだか嫌な予感がする! だがともかく、グラシアの戦意は消えたな! 


 急いでセオドロスたちに振り向く。王国騎兵たちが油断なくセオドロスに槍を向ける中、彼はリタとリナの鞭に絡め取られたまま、沈黙していた。


 魔将となったセオドロスを見つめるリタとリナの瞳には、強い意思が宿っていた。セオドロスの背に声をかける。


「セオドロス。貴様はきっと、良い父親だったのだろうな」


「……甘すぎたのやもしれませぬ」


 リタとリナは、セオドロスほど世界に絶望していないのだろう。全てを滅ぼしたいと願うほど、世界を恨んではいないのだろう――それはきっと、セオドロスが世界の悪意から彼女たちを守り続けたからだ。


 我が子に悪意を向けたアレクシアレス。我が子に無関心ゆえ駒として使うアドルフ。奴らよりもずっとずっと、良い父親だ。最後の最後で、間違えただけだ。決して言えないが、心からそう思った。


 リタとリナが私の膝にすがってきた。


「お願いです、ディオス様。私たちを」


「パパを、救ってあげてください」


 セオドロスの愛が、彼女たちに希望を与えてしまったのだ。「誰かが助けてくれる。守ってくれる。世界は捨てたものではない」と。その希望に最後の一押しを与えたのは――きっと、私だ。


 だから私が、始末をつけねばならない。


「セオドロス」


「……お恨み申し上げます、ディオス様。本当に、本当に。貴方様は、来るのが遅すぎた」


「そうだな」


「……この身を貴方様に委ねます」


 セオドロスは肩を落とし、膝をついた。私は王国騎兵に剣を向ける。


「護衛せよ」


「は? ど、どちらまで……?」


 私は何も答えず、セオドロスの首を掴んで立たせた。その背を蹴り飛ばし、無理やり歩かせる。リタとリナが縋ってくるのを振り払い、私はセオドロスを伴って大通りのほうへと歩いていった。ヘルマンに肩を貸してもらったマリー、それにグラシアもついてくる。

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