第四章:倒錯(後編)

第18話

 空は分厚い雲に覆われ、小雨が降ってきた。共同墓地の土はじっとりと湿り、不気味な雰囲気だ。ふと、マリーが立ち止まった。


「待って……おかしいわ」


「何がだ?」


「4日前に幽霊事件の調査を始めた時、私は真っ先に共同墓地を歩いて回ったのよ」


 まあ、幽霊が出る定番といえば墓場だ。歩いて回ったというのは、幾つもの共同墓地を探索したという意味だろう。30万人の人口を抱える王都には、共同墓地が複数ある。


「でもその時は、どの墓地からも邪気を感じなかったの。でも今、ここには……邪気が満ちているわ。たくさん


「詳細な数はわかるか?」


「土の魔力に遮られていて、そこまではわからないわ」


「一息に仕留める方法はあるか?」


「広域結界を張れば、その中の死霊術は無効化できる。ただ準備に12時間はかかるわね。縮める方法は……」


「魂を削る祈祷、か」


 マリーは頷いた。


 神聖魔術は魔力を消費せず、祈祷によって神々の助力を引き降ろす魔術だ。効果の小さいものなら短い祈祷で済むが、効果の大きいものは大々的かつ時間のかかる儀式を執り行わねば発動出来ない――この制限を突破するのが、自らの命を削って供物にする、極限の祈祷だ。


「……それに頼らんで済むように、交渉でケリをつけるしかあるまいよ。準備に取り掛かってくれ」


 マリーとグラシアはセオドロスの家が見える位置に隠れてもらい、私とヘルマンだけでセオドロスを尋ねることになった。


 セオドロスの家に向かって歩きながら、私は胸の奥が締め付けられるような感覚を噛み締めていた。


 多分、犯人はセオドロスだ。だが何故、死霊術などに手を出したのだろう? しかもあんなに手の込んだ術式を。何が目的だ? 娘を愛する父親が、何故? 答えはなんとなく察することができるが、憂鬱になってくる。


 あっという間に、セオドロスの家の前まで来てしまった。ちらとマリーとグラシアが隠れている位置を見やる――緊張した面持ちのマリーと、鎧を着込み、大剣を担いだグラシアの姿が見えた。


 セオドロスが自首を選び、犯人だと確定した時、グラシアが襲いかかってくるのを止められるかが懸念だ。私は腰に吊るした剣を確認した――自前の片手剣と、アレクシアレスから貰った片手半剣。この二振りで、完全武装のグラシアを止められるか? こちらも鎧を着込むべきだったか、などと思うが、あいにくと鎧は荘園に置いてきてしまった。


「なるようにしかならない、か」


 まずは目の前の説得を成功させねばならない。後のことは後で対処するしかない。私は意を決し、扉をノックした。ほどなくして、リタが出てきた。


「セオドロスさんはいるか?」


「ええ、おりますが、寝ていますわ。ここのところずっと徹夜で作業していたので……何か御用で? 私たちの出立は4日後ですよね?」


 彼女はきょとんとしていた。これが演技なら、恐ろしいとしか言いようがない。


「ああ、用があるのはきみたち姉妹じゃない。セオドロスさんだ。悪いが起こして……」


「――起きておりますよ。すまんなリタ、リナ。寝たふりをしていたんじゃ」


 と、セオドロスの声が響いてきた。静かな、静かな声だった。


「セオドロスさん。入ってもよろしいか?」


「どうぞ」


 室内に入ると、寝所から立ち上がったセオドロスが脚を引きずりながら居間へとやってきた。椅子を勧められたので座る。セオドロスも椅子に腰掛けた。リタとリナは互いに視線を交わし、きょとんとしていた。


 私から話を切り出す。


「……その様子だと、事態は理解していると?」


「ええ。と視界を共有しておりましたので、貴方がたが始末をつけたところまでは見ておりました」


「そんなことも出来るのか」


 彼は静かに頷いた。


 こうもあっさりと認めたことに内心で驚きつつも、私はちらとリタとリナに目をやった。


「セオドロスさん。先に聞いておくが、娘さんたちは関与しているのか?」


「誓って、否です」


「ならば、2人の退出を許可する」


「……ご配慮に、感謝します。リタ、リナ、しばし外に出ていてくれぬか」


 2人は不安げに視線を交わした。


「パパ、それにディオス様。これは一体……?」


「大切な話があるんじゃ。頼む、出ていってくれ」


 ただならぬ様子の父を訝しみつつ、2人は素直に出ていった。扉が閉まると、セオドロスはため息をついた。


「本当に、感謝しております。あの2人には聞かれたくなかったものでして」


「正直、これは偽善だと自分でも思うよ。いずれ露見するのだから」


「……そうでしょうな」


 セオドロスの瞳や声色は、不気味なくらい平静だった。


「あのゾンビと視界を共有していたというのなら、即座に2人を逃がすという手もあったはずだ」


「あの騒ぎの後では、市門が閉鎖されるほうが早いでしょう。朝という時間も良くなかったですな、王都を出ていく商人たちの列で渋滞しているでしょうし」


 正解だった。衛兵隊は即座に市門を封鎖した。


 ――ここまでの会話で、セオドロスがクロなことは確定したと見てよい。問題は。


「何故、こんなことを?」


「娘たちのためです」


 これも、なんとなく予測していた答えであった。だが私は、床を蹴りつけるのを止められなかった。


「どうしてゾンビを作るのが娘たちのためになる!」


「復讐です。王都市民への。王国そのものへの。我らをおとしめた全ての者たちへの」


「はん……クーデターでも企てていたのか? ゾンビや幽霊を使って? はっきり言うが、不可能だぞ……数時間の混乱は引き起こせても、すぐに鎮圧されるだろうよ。無知性のゾンビや幽霊では、組織的に戦う王国軍は倒せない」


「それは通常の死霊術で作り出したものならの話です。私は……制御できる」


 ぴり、と空気が震えたような気がした。セオドロスの言葉には、自信が籠もっていた。


「……貴方は、何者だ?」


「ただの復讐者ですよ。……妻を殺された時からずっと、いつかこうしてやりたいと思っておりました」


「そんなに卓抜した死霊術を持っているなら、妻を蘇生すれば良いではないか」


 それで済むのなら、こっそりそうしていれば良かったのだ。だが、そうしなかった理由があるのだろう。わかっているのに、聞かずにはいられなかった。


「完全な蘇生……冥府から魂を呼び戻すには、2つの条件があるのです。ひとつ、術者の命を捧げること。これはまあ、呑めますな」


「……」


「しかしもう1つの条件が難しい……それは、故人を死に至らせた下手人の身体か凶器を手に入れること。これが出来ぬのです、衛兵どもはろくな調査もしなかったのですから」


 セオドロスの妻は、何者かに強姦された上で殺された。犯人が誰なのか、今生きているのかすらわからない。


「……すまない、辛い……無駄な質問だったようだ」


「娘らのことといい、貴方様はこんな時でも我々を気遣ってくださる。それが本当に嬉しい……そして悲しくもあります」


「悲しく思っているのは私もだよ、セオドロスさん」


「本当にままならないものですな。……さて、何かご要望があるのでしょう。可能な限り、お聞き致しましょう」


「自首してくれ。エッボのことは伏せつつ、リタとリナが関与していないことを証言するんだ。それで少なくとも3人は助かる」


「申し訳ありませんが、それは出来ませぬ」


「……本当に、王国軍に勝てると思っているのか?」


 セオドロスは静かに、しかし力強く頷いた。この自信はどこから来るのだ?


 死霊術も魔術である以上、術者の魔力量という問題からは逃れられない。単発の魔術なら、連続で5回の発動が限界だ。稀代の魔術師ならもう1回か2回は使えるかもしれないが、人類の限界はそのあたりだ。連続使用した後は、ゆっくりと時間をかけて大気中の魔力を身体に取り込まねば再使用できない。


 死霊術の魔力消費が如何ほどかは知らないが、セオドロスとてこの限界は越えられないはずだ――マリーは4日前に共同墓地を探索したと言っていた。それから4日間全力で死霊術を行使し続けたとしても、作れるゾンビは30体を越しはしまい。 であれば、この自信は。


「他に協力者が?」


 だが彼は首を横に振った。


「……ならばはっきり言おう、自殺行為だ。たかだか数十のゾンビを使役したところで、衛兵隊すら倒せはしまいよ」


 セオドロスは答えない。私は左手で剣の鞘を掴んだ。


「ゾンビたちが起動する前に、術者を殺すという手もあるのだぞ」


「何故そこまでして、私めの計画を邪魔するのです……私にはわかりますぞ、貴方様とてアレクシアレス王を憎んでおられるのでしょう、追放刑になぞ処されたのですから。むしろ我々は協力できるはずです」


「それは……そうだが! だがダメだ、死霊術を用いたクーデターなぞ成功しても長続きはしない! 全ての神殿と諸侯がこぞって討伐にやってくるだろう! そして戦争になれば、無辜むこの民が……」


 無辜の民が、死ぬ。それは私が単独でクーデターを起こした場合でも同じだ。前途が多難すぎてそこまで考えていなかった……否、理解しつつも無意識に目を背けていた部分だ。


 私は言葉に詰まってしまった。しかし、セオドロスはきょとんとしていた。


「無辜の民なぞおりませぬよ。全員、我々を貶めた罪人です」


「……は?」


「全員殺すか、奴隷にします。我々と我々の先祖が被った多難に比べれば、1度殺したくらいでは腹が収まりませぬが……おおそうだ、殺した後は死霊術でゾンビ兵にする、そういう計画でした。歳を食うと物忘れが辛いですな!」


「……正気か?」


「正気ですとも」


 彼の目はどこまでも真っ直ぐだった。ああ、これは、ダメだ。


 確かに彼ら賤民からすれば、一般市民ら全ては憎悪の対象だろう。意識的に、あるいは無意識的に賤民を差別し、その差別の上に生活が成り立っている。彼らに汚れ仕事を押し付けることで、気分良く生活している。それは事実ではある。事実ではあるのだが。


「セオドロスさん。貴方の論理でいけば私も罪人ということになるし、それは否定のしようもない」


「貴方様は例外です。私は、貴方様の中に光を見ました。故に、貴方様と協力出来ないとあらば、それは悲しいことです」


「ああ。悲しいことだ、対立したくない。……頼む。私に光を見たと言うなら、頼みを聞いてくれ。そしてよく考えてくれ、貴方が王国を滅ぼしたとして、リタとリナは喜ぶのか?」


「それ、は」


 明らかに、セオドロスは動揺した。畳み掛ける。


「リタとリナを遠ざけようとしたのは、これからすることを彼女たちに見られたくないからだろう! 喜ばれないとわかっているからだろう! もうやめるんだ、セオドロスさん……自首してくれ。可能な限り、私が弁護すると約束もしよう」


 セオドロスは瞑目し、大きく息を吸い込んだ。そして、力なく笑った。


「貴方様は、来るのが遅すぎたのです。もっと早く出会えていればと思わずにはいられませぬ。……ディオス様、嘘をついたことをお詫び申し上げます。娘らには、彼女らの身分を誰も知らないような遠方で暮らして欲しいと申し上げましたね。実際のところ、あれは不可能だと理解しているのです、私は」


「何故だ?」


「土で黒ずんだ指、かと思えば農民のようには日に焼けていない白い肌。賤民特有のへりくだった物言い。そして……身に纏った不吉な雰囲気。見る者が見れば、墓穴掘りだとすぐにわかってしまう。どんなに遠くに逃げても、身分から、生業から逃れることは出来ないのです」


「彼女らはまだ若い、それらを拭い去るには十分な時間がある」


「彼女らはそうでしょうとも。ですが老いた私にはその時間がありませぬ……結局のところ、私は」


 セオドロスの身体に緊張が走ったのがわかった。私は右手を剣の柄にかける。ヘルマンもだ。


「――誰ひとりとして娘たちをそしらぬ世界を。罪を犯してでも、生きて見たかっただけなのです」


 びり、とまた空気が震えた。今度は緊迫した雰囲気がそう感じさせたのではない、セオドロスが発した魔力がそう感じさせたのだ。何か魔術を発動しようとしている!


「馬鹿野郎が」


 私は剣を抜き放ち、セオドロスの顔面を斬りつけた。彼は、その痩せ細った老体からは想像も出来ぬ速度で剣戟を避けてみせた。ヘルマンの斬撃をもひらりとかわす。


 だが切っ先がかすったのか、彼の右目を覆っていた眼帯がはらりと床に落ちた――右の眼窩には赤黒い、巨大な宝玉が埋まっていた。


「……!?」


 驚いたのも束の間、強烈な衝撃が私とヘルマンを打った。それは魔力の奔流だった。危険を察知した私とヘルマンは飛び退き、扉を蹴破って外に出た。中に居たら、魔力で窒息しそうだった。


 リタとリナが困惑顔で私たちを見ていた。


「逃げろ、今すぐ! マリー、グラシア、戦闘準備――」


 私の言葉は、セオドロスの家がたてた破滅的な音にかき消された。振り向いてみれば、壁を突き破って人影が――異形の人影が、セオドロスの家から飛び出してきていた。


 2m50cmはありそうな長駆。甲虫を思わせる黒光りする外皮。背からは蝙蝠こうもりのような羽を生やしている。顔の造形は爬虫類と獅子を組み合わせたような恐ろしげなもので、右目は赤黒い宝玉になっていた。


「魔族……!?」


 私は直接魔族を見たことはない。だが怪物の造形は、伝え聞く魔族の姿と一致していた。唯一違うのは、あの右目の宝玉だけだ。


 墓地にいた参拝客たちが悲鳴を上げて逃げ散る中、魔族はセオドロスの声を発した。


「……数ヶ月前のことです。私の夢枕に、が立ったのです。あのお方は私に力と、位格を授けてくださった」


「あのお方? 位格?」


 油断なく剣を構えながら魔族を睨む。時間稼ぎだ。マリーとグラシアが駆け寄ってくる足音が聞こえる。


「――様。魔王様の霊は、私をに任じてくださった!」


「んなっ……」


「我が名は魔将セオドロス。人の王国を滅ぼし、復讐を遂げる者なり!」

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