第16話

 翌々日の朝。私とヘルマンは、川沿いから1本離れた裏通りにいた。私たちの前にはローザがいる。


「エッボさんはどうなった?」


「もう交易船で南方へと旅立ちましたよ。途中で馬車に乗り換えて、故郷に帰るそうです……泣いて感謝していらしましたよ」


「船倉で泣き続けていないと良いが」


「ふふ、幽霊話になってしまいますものね」


 深夜、「酒が切れたから買ってこい」とグラシアに命じられたエッボは、その足で私たちと合流して着ていた服を渡すと、アンデルセン商会の船に乗り込んだ。その「酒が切れた」というのも、深夜に酒樽がカラになるようエッボがこっそりと中身を捨てておいたせいなのだが、グラシアは全く気づかなかったようだ。


 エッボを見送った私とヘルマンは、セオドロスと合流し、彼が加工した赤毛の少年の遺体にエッボの服を着せ、川へと投げ込んだ。の出来は暗くて見えなかったが、セオドロス曰く「髪色と痣以外では、親でも判別がつかぬでしょう」とのことだ。……少年には悪いことをしてしまったので、あとで改葬されるときにしっかり弔っておこう。


「では、私はこれにて……あっいけない、忘れるところでした」


 ローザは鞄の中をさぐり、金貨の詰まった袋と数枚の書類を手渡してきた。昨日のうちに正式に売買契約は済ませたので、その代金だろう。


「現金として大金貨100枚、それと400枚ぶんの為替手形です。こちらは各地のアンデルセン商会の支部で現金に交換できます」


「全て現金だとかさばるからか。何から何までありがとう」


 ローザは控えめに頭を下げ、去っていった。


 これで現金は手に入った。傭兵たちの初任給を支払う準備が出来たということだ! 残る問題は、傭兵たちを安心させるため「最も尊敬される戦士」を抱き込めるか否か、その1点だ――その時、川沿いの大通りのほうが騒々しくなってきた。エッボに見立てた死体が発見されたのだろう。裏通りからちらと覗いてみると、幾人かが「おい、誰か衛兵と……あとグラシア呼んでこいよ。この髪色と背格好は……」と言っていた。


 程なくして、グラシアがやってきた。血相を変えたグラシアは死体にすがりつき、服をめくって腹を確認し……号泣しはじめた。


「ああ、エッボ! この赤髪、背丈、痣はエッボに違いない! 帰りが遅いと思ったけど、川に落ちていたなんて! 探しに行きもせず寝ちまったアタシは……ああ!」


 私はヘルマンに向かって頷いた。


「ここまでは順調だ。あとは折を見て、お前が慰めに行くだけだ。やれるか?」


 ヘルマンは口下手なので、多分失敗するだろうなと思う――だが、そこで登場するのが私だ。軽やかな弁舌とグラシア好みの容姿で、優しく語りかける。つまりヘルマンを当て馬にするわけだが、彼には秘密だ。あとでグラシアにヘルマンの魅力をこんこんと説くつもりなので、許して欲しい。


「……あ、ああ」


 ヘルマンはどこか自信なさげであった。


「どうしたヘルマン。今になって、傷心の女を口説くことに負い目を感じているのか?」


「いや、そうじゃねえ……そうじゃなくて、今更だがヤバいことに気づいちまったんだ」


「なんだ、言ってみろ」


「セオドロスにを頼むの、忘れてたなって」


「あ”っ」


 そうだ、エッボの股間はご立派であった。私は尻越しに見ただけであるが、それはもう、大変にご立派なご立派様であった。


「……少年の股間、水で膨れ上がったりしていないだろうか。そうであってほしいが」


「あのご立派具合はそういうので誤魔化せるレベルのご立派さじゃなかったぜ」


「頼む少年、きみもご立派であってくれ……! あるいはグラシア、下を脱がせないでくれ……!」


 そんな祈りも虚しく、グラシアは死体に向かって「寒かったろう、エッボ。今拭いてあげるからね……」とシャツを脱がせ始め、ズボンにも手を……。


「まずい!! ヘルマン、今すぐ行け!! なんかいい感じに言いくるめて、服を脱がせるのを阻止しろ!!」


「どう言いくるめるんだよ!?」


「遺体は水で膨れていて、いつ損壊するかわからない……そういうことにして、『死に化粧はプロの手に任せよう』と言うのだ!」


「りょ、了解!」


 ヘルマンが飛び出し、続いて私も彼を追う――だが数歩も走らぬうちに、「ちょーっと待った!」という女の声が響いてきて、思わず足を止めた。それは、またしてもマリーの声であった。どうにも私達にかけた言葉ではないようで、彼女はずかずかとグラシアと、その前にある死体に向かって近づいていった。


 そしてマリーは死体の前にしゃがむと、死体の腹あたりに右手をかざした。


 気勢を削がれて足を止めた私たちは、その様子をいぶかしんで見ていた。


「なにしてんだ、あの女?」


「わからん。だがまさか邪気とは言うまいよ」


 なんせその死体はエッボのものではなく、一昨日マリーが邪気を抜いてやった少年のものなのだからな!


 マリーはしばらく眉根を寄せて右手をかざしたままにしていたが――その時、死体の腹から赤黒い稲妻が迸った。マリーは右手を引っ込めつつ飛び退き、叫んだ。


「ッ、邪気なんてもんじゃないわ! 全員離れて、たぶん今ので起こしてしまったわ!」


 起こした? 何を――と訝しむのも束の間、瞬きする間に複数のことが起こった。


 まず、グラシアが何か危険を察したのか飛び退いた。次に、近くにいた野次馬の1人の首から鮮血が迸った――少年の死体が突如跳ね起き、野次馬の首筋を噛み切ったのだ。


「んなっ……!?」


 大混乱が起きた。野次馬たちの多くが逃げ散る。幾人かが腰を抜かしてへたり込む。怒号と悲鳴。


 グラシアは唖然として、動き出した死体を眺めている。マリーは祈祷きとう――神聖魔術の行使を始める。死体は夢中で野次馬の生き血を啜っていたが、やがて濁った瞳でマリーを見た。


「よくわからんが助太刀するぞ!」


「あいよぉ!」

 

 私とヘルマンは駆け出す。


「アポロンよ!」と叫びながらマリーが光の矢を放つが、死体は機敏な動きで回避。そのままマリーに飛びかかろうとするが――死体は突如バックステップを踏み、マリーへの接近を中止した――私とヘルマンが割って入り、死体に剣戟けんげきを放ったのだ。マリーが目を剥く。


「ディオス……王子!?」


「通りすがりだ、助太刀する! どうすればいい!」


「なら1分時間を稼いで! 死霊術を解除するから!」


「他に倒す方法はないのか?」


「頭を砕けば止まるけど、危険よ! あの死体……ゾンビは、生前よりずっと速いし力も強いんだから!」


 確かにここまでのゾンビの動きは素早いし、一撃で首筋を食いちぎる膂力りょりょくは恐ろしい。だが。


「一応聞くが、あれに理性はあるのか?」


「ない。無差別に……強いていうなら、比較的若くて丈夫な人の生き血を啜ろうとするわ」


 周囲に視線を走らせる――腰を抜かしている、幼い少女の姿があった。折り悪く、ゾンビも少女を見つけてしまった。


「なら守りに徹するほうが危険だな。頭を潰しにいこう」


「ちょっと、話聞いてたの!? 危険だってば!」


 マリーの言葉を無視し、私とヘルマンはゾンビに向けて駆け出した。剣のさやを投げつけ、ゾンビの気を引く。ゾンビがこちらを見る。


「よし」


 駆けながら、私はネックレスとして下げた魔術盤に魔力を通した。魔術回路が起動。左手の平に小さな炎の矢が生成される。意識を集中し、それを放つ――ゾンビが避けようとした瞬間、矢は派手な音を発し、人の頭大の爆発が生じた。〈爆炎〉の魔術。直撃はしなくとも、炎と光で視界を奪える。


 続けざまにもう一発〈爆炎〉を放つ。目眩ましを食らったゾンビは避けられない。〈爆炎〉はゾンビの股間に直撃し、爆ぜた。肉片が飛び散る。


立派様、隠蔽完了。ヘルマン」


「抜け目ねぇことで」


 股間に〈爆炎〉を喰らってバランスを崩したゾンビに、ヘルマンが斬りかかる。ゾンビは力任せのパンチで迎撃する――確かに、速い一撃だ。だがヘルマンは難なく身をかがめて回避し、すれ違いざまにゾンビの両膝を斬り飛ばした。


「終わりだ」


 ゾンビの身体が地面に落ちる前に、接近した私が突きを放った。鋼の切っ先はゾンビの口内に飛び込み、前歯の裏側から後頭部まで突き抜けた。瞬間、ゾンビの全身から力が抜けたのを感じた。私は切っ先を素早く引き抜き、再度突きを放てるよう構えた。


 残心――数秒待っても、ゾンビは動かなかった。


 私はふぅと息をつき、マリーに向き直った。


「こっちのほうが安全だ。そうだったろう?」


「そりゃチンピラ相手に圧勝したのは見てたけど……こんなに強いとは思わなかったわ……」


 呆然とするマリーに、僅かな優越感を感じなくもないが……そんな甘い感情はすぐに吹き飛ばし、確認すべきことを確認する。


「ところで今の……ゾンビはどういうことだ? “起こしてしまった”とか言っていたが」


「ッ、そうだわ」


 マリーは動かなくなったゾンビに近づき、腹の痣に手をかざした。するとうっすらとだが、痣の中に魔術回路が浮かび上がった。


「見て、痣の中に術式が仕込まれてる……これは怨念が魔力を集めた結果ゾンビ化したものじゃないわ、誰かが術式と魔力を注ぎ込んでゾンビ化させたのよ。しかもすぐに起動するんじゃなくて、魔術的な刺激を与えると起動する仕組みで……」


「何故、そんなことを」


 マリーが動乱狙いだの何だのと推測を並べ立てるが、全く頭に入ってこなかった。


 何故、そんなことを? この死体はエッボのものではなく、一昨日マリーが邪気を抜いた少年のものだ! その時点でゾンビ化の術式が仕組まれていれば、あの時にゾンビは起動していたことだろう。


 マリーに邪気を抜かれた後、辿のか、私はよく知っている。もちろん、埋葬してから私たちが掘り起こすまでの間に、何か細工が施された可能性はある。だがこれは希望的観測だ。


 魔術回路は、痣の中に仕込まれていた。隠されていた、と言い換えても良い。そして痣をつけるように依頼したのは私で、実行したのは――セオドロスだ。

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