第15話

「構いませぬ、でしたらこうしましょう。貴方様の計画をお手伝いしましょう」


「なに?」


「あの赤毛の少年を、エッボ殿とやらに見立てるお手伝いをします。率直に申し上げれば、貴方様の計画は……死体への理解が足りないと申さざるを得ません」


「む」


「水死体に仕立てるには、まず石鹸で香油を落とさねばなりませぬ。そうしなければ肌が水を吸うのにひどく時間がかかってしまいます」


 一理ある。遺体は腐臭消しのため、香油が塗られることが多い。その影響までは考えていなかったな。


「そして染料を痣に見せかけるとのことですが、川の水流で流されない程度に染み込ませるのは、これもまた時間がかかることです」


「ならどうするのだ?」


刺青いれずみで痣を作ります」


 なるほど。刑吏は軽犯罪者への罰――例えば刺青刑の執行も担当するので、そういった細工もお手の物ということか。


「香油を洗い、刺青を彫り、水に着けた後、川に放り込む。これらの不快な作業を、私めが引き受けましょう。これで如何か」


 正直に言えば、これは魅力的な提案であった。私の計画では、遺体をこっそりと宿に持ち帰り、水で満たした樽に遺体を漬け込み、持ち出す直前に染料を塗り込み、川に放る――というものだった。露見するリスクが大きいのだ。


 だが彼に任せてしまえば、殆どの作業が「刑吏の家」という、まともな市民ならまず近づかない場所の中で行われる。


 しかし、だ。


「ありがたい申し出だが、問題は別にある……つまりリタとリナの憲兵としての能力と、彼女らの意思だ。正直に言えば女に憲兵が務まるとは思えないし、そもそも望まぬことを押し付けるのは絶対に許せん」


 ヘルマンが「確かによぉ、憲兵はコワくなきゃ誰も言う事聞かねえよな」と言った。その通りである。


 しかしセオドロスは首を横に振った。


「少々勘違いをしておられます、お二方。憲兵に求められる畏怖の源は、です」


「どういうことだ?」


「兵士たちは遺体や汚物と共にある我らの不吉さ……けがれを恐れるのです。この手に触れられれば魂が穢れ、運命がよどむ。兵士たちが憲兵に捕まるのを恐れるのは、そう思っているからなのです。そういう意味では彼女たちの身分は申し分ない」


 賤民であることから逃れるために、賤民としての身分を役立てようとしている。ひどい皮肉に、いたたまれない気持ちになってきた。


 セオドロスはリタとリナに、何やら手で指示を出しながら話し続ける。


「……もちろん物理的な恐怖も重要ですが、そちらも問題ありませぬ。刑吏としての技能は一通り叩き込んであります、例えば鞭の技」


 リタが腰帯代わりに巻き付けた鞭をしゅるりと解き、一振りした。空気を切り裂く鋭い音が響き……あと胸が揺れた。


「それに罪人たちを整列させる、杖と斧の技。兵士たちを並ばせるなぞ造作もない」


 リナが斧を掴み、その長い柄に……ヘビのように腕と脚を絡ませた。なんかエロい。


「もちろん、断頭と絞首もお手の物です」


 リタが断頭剣を取り出し、剣の腹に舌を這わせた。そんなリタの首筋にリナが縄を巻き付けてしごき、すぐに外すと、労るようにリタの首筋を舐めた……なんか、すごく、エロい!


 セオドロスが「そして指を切り落とすナイフの技」などと言っていたが、もう私とヘルマンの脳には届かなかった。私とヘルマンは後ろを向き、ちょっと前かがみになりながらこそこそと話す。


「どうしようディオス……彼女たちすごく……不吉だ」


「ああ。彼女たちを見ていると……身が固くなる思いがする」


 固くなったのは股間である。


「雇っちゃって良いんじゃねえ?」


「いや、規律が守られても風紀と性癖が壊れる予感がするのだが……」


「でも雇いたいだろ?」


「……うん……」


「じゃあ決まりだろ!」


「……いや待て、重大な問題が残っている」


 私は咳払いひとつ、セオドロスたちに向き直った。ちょっと前かがみになりながら。


「リタとリナが憲兵として適格なのは良くわかった……だが問題は、彼女たちの意向だ。2人とも、親元を離れて危険な軍務につく気概はあるのか?」


 そう問うと、リタは細い顎に指を当てながら、眉根をひそめた。


「私はパパのことが心配だわ」


 リナも頷く。


「脚も悪いし、身体が丈夫なわけでもない。傍で支えてあげたいのよ、パパ」


 セオドロスは小さく首を横に振った。


「娘たちよ、わしを困らせないでおくれ。わしはお前たちを必死に育てたし、お前たちも美しく育ってくれた。残る望みといえば、お前たちが良い婿を取り、誰からも蔑まれずに暮らして欲しい。ただそれだけじゃ。もし恩義を感じてくれているなら、ディオス様についていってくれ。それがわしの望みで、幸せじゃ」


 ……我が父、アレクシアレスもこんな人だったならなぁ。そう思わずにはいられなかった。彼がセオドロスのような心根を持っていたなら、私だって復讐なぞ企てなかっただろう。それどころか、恩返しをしたいと考えただろう。


 そう思えば、私は口を挟まずにはいられなかった。


「リタ、リナ。私の軍には懇意にしている商会がついてくる。彼らに頼めば、為替手形を用いて父君に仕送りをしてやることも出来る。それに、どこか安住の地が定まれば、秘密裏に父君を連れて行くことさえ出来るだろう。私も協力すると約束しよう」


 そう言ってから、私はひどく後悔した。これは誘導だ。魔族領域への遠征という、生きて帰れるかもわからぬ旅路への誘導。年頃の子女がついてくるべきではない。


 だが彼女たちが王都で暮らし続ける限り、セオドロスの言う通り誰かに蔑まれ、謂れのない暴力に晒され続けるのも事実だろう。かといって彼女たちを無償で養い、どこかに逃がしてやれるだけの甲斐性は、私にはない。


 これは、善行なのだろうか? 答えの出ない問いが、脳内にこだまし続ける。


 やがてリタとリナは手をつなぎ、セオドロスをじっと見つめた。


「わかったわパパ。私たち……ディオス様についていく」


「でも、仕送りするのは許してね。そしていつかきっと、王都から連れ出してあげる。約束よ」


 セオドロスは目を細め、小さく肩を震わせた。


「その時は孫の顔を見せておくれよ」


 彼らはひしと抱き合い、静かに涙を流した。――ああ畜生、もう引き返せないぞ。


 私は懐から紙を取り出し、人体図を書いた――エッボの痣があった場所を記したものだ。端に「明日夜決行」と追記する。賤民の多くは字が読めないが、刑吏は命令書を読むために識字だけは出来るはずだ。


 私は紙をテーブルにそっと置き、踵を返してセオドロスの家を出ようとした。するとセオドロスが声をかけてきた。


「ディオス様。本当にありがとうございます」


「取引だ。そうだろう?」


「そう……そうでしたな。……貴方様のようなお方が王であったなら。そう思わずにはいられません」


 私はぎくりとした。見透かされたかと思ったが、そんなわけはあるまい。そして、まだ謀反計画をアドルフとローザ以外に知られるわけにはいかない。


「叶わぬ望みだよ。私に出来るのは……」


 胸の奥で、意思が固まっていくのを感じた。


「少なくとも、幾人かを守ってやることだけだ」


 リタとリナを生きて魔族領域から返し、兵士たちのリンチに遭う前に逃がす。ローザも守る。


 親の愛を受けて危険に踏み出す者も、親の身勝手によって危険に晒される者も、両方守る。それこそが私の使命で、運命への反逆なのだと直感した。アレクシアレスへの反逆の前に、まずは下々の者を救わねばならない。


 私は静かに扉を閉めた。扉の奥で、「さあお前たちはもう寝なさい。作業は私がやっておくゆえ」という声が聞こえた。リタとリナが抗議したが、「夜ふかしは肌に悪いと母さんが言っていたじゃろう。未来の婿殿に申し訳が立たぬ、寝ておくれ」と説得されてしまったようだ。


 宿屋に向かいながら、ヘルマンに話しかける。


「良い親父さんだったな」


「ああ、正直……羨ましいぜ」


「私もだ」


「だよなぁ。……俺もあんな感じの父親になりてぇな」


「同意するが、妻はちゃんと選んだほうが良いぞ」


「もう最高の人を見つけたぜ、俺は」


「……。健闘を祈るよ」


 美青年を拉致して暴力で縛りながら性奴隷にするような女との「幸せな家庭」が全く想像できない。だが、エッボを失って傷心のグラシアを最初に口説くのはヘルマンの仕事だからな。とりあえず励ましておこう。うん。


 私たちは宿に帰り着くと、しばしの間しんみりと酒を飲み、それから寝た。

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