第14話

 男の家は、共同墓地のすぐそばにあった――掘っ立て小屋と呼んでも差し支えないような、粗末な家であった。薪を惜しむような小さな篝火に照らされた屋内に通され、私とヘルマンは椅子を勧められた。


 室内にさっと目を走らせると、壁には大きな斧と木槌、スコップ――そして断頭剣が立てかけてあった。


「刑吏、か」


 男はこくりと頷いた。刑吏は墓穴掘りや墓場の管理人をも兼務する。どうりで夜中に墓地を歩いていたわけだ、あれは見回りだったのだ。


 棚に目をやれば、鞭と編みかけの縄――絞首刑用だろう――が収められている。……その隣に白パンと新鮮な肉が置いてあることに気づき、私は目を細めた。刑吏の給金で買えるようなものではない。思い違いでなければ、これはきっと。


 私の視線に気づいたのか、男が頬を綻ばせた。


「その節はお世話になりました」


「正当な対価だ。礼を言われる筋合いはない」


「……貴方様は、本当にお優しいお方だ。貧民の心根をよく理解しておられる」


 女の1人が、「じゃあパパ、このお方が例の?」と尋ねた。男が頷くと、もう1人の女が「まあ」と口に手を当て、潤んだ瞳で私を見つめながら話し始めた。


「普通、喜捨をする者はもっと横柄に……ひどいと小銭を投げつけるような真似をするものですわ。ですがおにいさまは、『取引』をしてくださった」


 なんだか罪悪感が首をもたげてきたが、ひとまず頷いておくことにした。男が話を引き継ぐ。


「貧民にもプライドがあります。もちろん喜捨はありがたいものですが、一方的に銭や食べ物を押し付けられると惨めな気持ちになると、貴方様は知っておられるのですな」


「そ、ソウダネ」


 ――言えない! 手っ取り早く子犬のエサが欲しかったから持ちかけた取引だったなんて、言えるはずがない! 私が冷や汗を流しながら黙っていると、男は深々と頭を下げた。


「申し遅れました、私めはセオドロス。こちらは娘のリタとリナです。改めて、御礼申し上げます」


 リタ、リナと呼ばれた女たちも頭を下げた――歳の頃は20かそこらか? ほっそりした顎と柔らかそうな唇の対比が、妙になまめかしい。そしてこの2人、顔も背丈もそっくりだ。正直、見分けがつかない。


「双子か?」


 そう問うと、リタとリナは頷いて互いの指をねっとりと絡ませた――なんかエロい。そもそも黒装束、刑吏服にしても、腰帯の代わりに高い位置で縄を……いや、これは鞭だ!? 鞭を巻き付けているせいで、形のよいバストが強調されて……エロい!


 セオドロスが咳払いひとつ、話を切り出した。


「……ご恩がありますゆえ、墓荒らしの件については衛兵に報告するつもりはございませぬ。ですが、一応事情を聞かせて頂けませぬか。貴方様ほどの人士が、面白半分に墓を冒涜するとは、とても思えぬのです」


「わかった、話そう」


 私は罪悪感も相まり、事の次第を包み隠さず話すことにした。一通り話を聞き終えたセオドロスは、「ふむ」と顎髭を撫でた。


「なるほど、興味深い計画ですが……」


「恥ずかしい限りだ。こんな計画に頼らざるを得ないとはね」


「……いえ、ご立派です。貴方様はあくまでも法の範疇で人を守ろうとしておられる。本当に……立派です」


「やめてくれ、正直に言えば良心の呵責は感じているんだ」


「ふむ。……であれば、善行を積んで釣り合いを取るしかありますまい。いえ、傲慢な言い方でしたな……私めの願いを1つ、聞いてはくださらぬか」


「ふむ?」


 セオドロスは両手を組み、じっと私を見つめた。


「私めの娘たちを、貴隊の憲兵として雇って頂きたい」


 セオドロス以外の全員がきょとんとした。


 確かに、軍隊に憲兵は必要だ。兵士たちに規律を守らせ、罪は罰さなければ、軍隊はあっという間に山賊未満に成り下がる。


 だが、何故大切な娘たちを憲兵にしようなどと言い出したのだろう? 敵地に踏み込む危険な軍務であるし、そもそも憲兵は兵士たちから恨みを買いやすい。休暇中にリンチされた憲兵の話なぞ、だ。


「ディオス様。私はただ、娘たちを幸せにしてやりたいだけなのです。少なくとも、今よりは」


「言っておくが、憲兵は楽でもなければ安全でもないぞ」


「存じておりますとも。私めもアレクシアレス王の遠征に、憲兵として付き従ったことがありますので」


 彼は脚をトントンと叩いた。


「軍務を解かれた瞬間、逆恨みした兵士たちに脚を折られました」


「ならば何故、そんな役目を娘たちに背負わせる……!」


「給料が良いからですよ。当時私には既に娘たちがおりましたので、死ぬ思いでなんとか王都に帰り着きましたが……あのカネを元手に、どこか遠く……私の身分を誰も知らないような土地に行き、何か事業を始めていれば。そんなことを夢想することもありました」


 頭に血が昇った。それは「娘たちを育てたことを後悔している」と同義だからだ。それを、実の娘たちの前で言うか!?


 反応を伺うため、リタとリナを見る――そこではたと、私はひどい対比に気づいた。リタとリナの身なりが、その身分不相応に感じられるほどに、整っているのだ。服は上等で重い布が使われているし、継ぎ接ぎもない。おまけに肌もよく手入れされており、化粧だってしている。血色も良いし清潔だ。


 対するセオドロスの服はぼろぼろで小汚く、不健康に痩せこけ、見るからに不潔だ――全てのカネを、娘たちに注ぎ込んだのだとわかった。


「セオドロスさん、貴方は……」


 彼は小さく、しかし満足げに笑った。


「思慮深い貴方様なら、兵士たちを軍務から解く前に、こっそりと娘たちを逃がしてくださる。そう期待しております」


「そのくらいの配慮は確かに可能だが……しかし、戦闘中に守ってやれる保証はしかねる。安全とは程遠い」


 これは従軍商人としてついてくるローザとはわけが違うのだ。憲兵は、戦闘中は最後列で隊列の維持……最悪の場合、逃亡兵の殺害を担当する。最後列といっても矢は飛んでくるし、敗走する時は最後列の兵と殺し合いになるのだ。


「ですが我々にとって、街で暮らすことは軍務と同じくらい危険なことなのです」


 セオドロスは眼帯で覆われた右目をトントンと叩いた。


「これは市民からの投石でやられたものです」


「……!」


 刑吏をつとめるのはせん民だ。そして心無い者が賤民に暴力を振るうことは、ままある。裁判に持ち込もうにも、誰も賤民を弁護しようとはしないので泣き寝入りするハメになる。よくある話だ。よくある話なのだろう、この国では、ずっと昔から。


「もうおわかりでしょう、ディオス様。我々はここに居ては未来がないのです。ベッドの上で安らかに死ねる保証すらない。……実際妻は、何者かに強姦された上で殺されました。犯人は今でもわかりません、衛兵どもがまともに調べなかったので」


 静かな、しかしふつふつと油が煮えるような声色だった。


 私はぐっと奥歯を噛み締めた。どうして「賤民の親を持った」というだけで、ここまで苦しまねばならないのだろう? 彼は、彼女らは……私と同じだ。私のほうが遥かに恵まれてはいるが、そう思った。どうして「禁を破った親を持った」というだけで、こんな目に遭わなければならないのだ!


 沈黙を逡巡と誤解したのであろう、セオドロスは「それに」と話を続けた。


「これでは頂いた赤銀貨に対して、大きすぎるお願いでしょうな」


「いや、そういうわけでは……」


「構いませぬ、でしたらこうしましょう。しましょう」

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