第三章:倒錯(前編)

第13話

 その日の晩。雲が月を覆い隠し、殆ど何も見通せない夜闇の中、私とヘルマンは穴を掘っていた。それも共同墓地で、である。


 スコップ代わりの木の棒で、ごりごりと土を掘り進める。穴の傍らには、誇らしげに子犬が座っていた。


 穴を掘りながら、ヘルマンが不安げな声をあげた。


「なあ、大丈夫なのかよこれ」


「犬を信じろ」


「そうじゃねえよ、法律とかそういうのだよ」


「そっちか。大丈夫だよ、私は王国法に精通している……確かに副葬品を盗むのは盗掘罪にあたる。それは親族のものだからな。だが遺体それ自体を盗むのは犯罪ではないのだ」


「なんで?」


「ふむ。私もお前も母は早逝そうせいしたが、母親の遺体を相続したか?」


「するわけねぇだろ!」


「だろう? では遺体の所有権は誰にある?」


「ん、んん……? 死んだ本人、とか?」


「半分正解だ。死んだ本人のものでもあり、相続放棄されたから誰のものでもないと言える」


「なる……ほど?」


 遺体の所有権が遺体本人にあるままなら、遺族が遺体を埋葬することすら違法になってしまう。かといって相続可能とすると、遺体をするような事態も発生しうる。それを避けるため、王国法ではこういう曖昧な解釈がなされるのだ――これを逆手に取れば、遺体を掘り起こすことは違法ではないと言い張れるのだ!


 ――そう、我々は遺体を埋めているのではない。掘り起こしているのだ。


 計画としてはこうだ。グラシアにエッボを諦めさせるには、エッボを死んだことにするのが手っ取り早い。だがエッボを殺すのは明確な犯罪である。


 そこで私は、他人の死体をエッボの死体に見立てることにした。そのエッボの死体役として白羽の矢が立ったのが、昼間見た幽霊犠牲者――赤毛の少年――である。


 私たちは葬列を追い、埋葬位置を把握した。今はそれを掘り起こしている段階である。しかし目星をつけたとはいえ、墓標すら読めない夜闇の中で正確な埋葬位置を割り出すのは困難であるし、まさか明かりをつけるわけにもいかないので、子犬の鼻を使うことにしたのだ。


 赤毛の少年の棺の中にはぎっしりと白百合が敷き詰められていた。そこで子犬に白百合の花弁の匂いを覚えさせ、埋葬位置を割り出させたのである。子犬は「ここに違いありません」とばかりに誇らしげに鼻を鳴らしている。


「む。何かに当たったぞ」


 私の棒の先に、固い感触があった。ヘルマンがその周辺を手で掘り、土を払う。


「よく磨かれた木板だ。棺のふたに違いねぇ」


「よし」


 周辺を掘り進めると、果たして棺が姿を現した。あとは中身の確認だ。エッボと同じような赤毛を持つ、あの少年なら当たりだ。


 ヘルマンが慎重に棺の蓋を開ける……雲間から漏れた僅かな月明かりで、赤毛の少年の顔が見えた。私は子犬に、焼いた牛肉の欠片を与えた。子犬は嬉しそうにそれを食べた。


「よーしよしよし! 私とヘルマン、それにバルトルードのパンツの匂いを嗅ぎ分ける訓練をさせた甲斐があったというものだ!」


 人間にとっては中々に不快な訓練であったが、ご褒美の肉片が嬉しいのか子犬は喜んで訓練に励んでくれた。ちなみにバルトルードは今、酒場で私の好評を広めてもらっている。「自身が辛い境遇にあるにも関わらず、浮浪者に喜捨した」だとか「見ず知らずの葬列に喜捨した」だとか、そういう話を吹聴させているのだ。万一にでも私に疑いがかからないようにするためである。


「マジで良い猟犬になるかもなぁ、こいつ」とヘルマンが子犬を撫でた。


「素晴らしい拾いものだ。今日は何をやってもダメな日だと思っていたが、どうにも事態が好転してきたように思うぞ……!」


 ヘルマンが少年の遺体を担ぎ上げた。


「んじゃここからが本番だな……穴を埋め戻して」


「こっそり宿に帰って、する」


 水死体に見せかけるため、水に漬け込んで膨れさせる。この段階で顔は判別できなくなるという寸法だ。次に腹や尻に染料を塗り込んで痣のように見せかける。そして川に放り込めば「うっかり川に落ちて死んだエッボっぽい死体」の完成というわけだ。


 エッボ曰く、グラシアは酒が切れると夜中であってもエッボを買い出しに向かわせるそうなので、そのタイミングに合わせて死体を川に放り込む手はずになっている。


 そしてその間に、エッボは逃亡の準備をする――これはローザの手を借りることにした。彼女はひどく驚いたが、アンデルセン商会の交易船を1隻手配してくれた。エッボは船倉に身を隠して逃亡するというわけである。


 エッボは奴隷生活から解放され、私たちはグラシアを雇用する糸口が掴める――傷心の女に歩み寄り、口説き落とす―― 一挙両得の作戦だ。


 だが、やはり良心の釘が私の胸をちくちくと刺す。そんな私の心を見透かしたのか、ヘルマンが声をかけてきた。


「最終確認だがよ、本当にいいんだな?」


「……確かに違法でないとはいえ、これは不道徳な行いだ」


 墓荒らしは故人への冒涜である。それに、露見すれば死霊術の疑いがかかるやもしれぬ――マリーの顔が脳裏にちらつく。バレれば、きっと烈火の如く怒り狂った彼女に説教を喰らう羽目になるだろうな。それがどうにも……怖かった。


 だが私は頭を振り、マリーの幻影を打ち払う。


「しかし哀れなエッボを助けるためなのだし、釣り合いは取れるだろう。それどころか――」


 ――息継ぎをした瞬間、何か甘い香りが漂っていることに気づいた。


 疑問に思ったのも束の間、「何をしている」という男の声が響いていた。誰かに見つかった!


「いかん、逃げるぞ――」


 そう言って棒を放り出し、逃げようとしたが――出来なかった。首筋に、冷たく固い感触。ナイフを押し当てられていることに気づいたからだ。静かな殺気。動いた瞬間に喉を掻き斬られるという確信があった。


 取り落とした棒がカラカラと音を立てる中、ちらとヘルマンのほうを見る。彼もまた固まっていた。背後に黒い人影。恐らく私と同じ状況だろう。


 夜闇の中から、ゆっくりと男の影が進み出てきた。


「何を、している」


「……誓って副葬品には手をつけていないぞ。私が欲しいのは死体だけだ」


「死体だと? けしからん奴め……」


 会話しながら、私は脱出の糸口を探していた。私とヘルマンの首にナイフを押し当てている者は、相当な手練れだ。私とヘルマンほどの戦士が、全く気配を感じなかったのだ!


 唾を飲み込みながら、ネックレスの先にぶら下げた物の感触を確かめる――魔術盤だ。コインほどの大きさの銅板だが、これに刻まれた魔術回路に魔力を通すだけで、特定の魔術を即座に発動できるというすぐれ物だ。


 刻まれた魔術は「爆炎」。派手な音と炎が出るので使いたくはないが、場合によってはこれを目眩ましにして逃げるしかない。


 男は脚が悪いのか、引きずるような音を立てながら近づいてきた。


「死体を、何に使うつもりだ。場合によっては……む?」


「ん?」


 男と私は、ほとんど同時に「あっ」と声をあげた。僅かな月明かりで、お互いの顔が見えたからだ。


 彼は初老の男性で、右目の眼帯とぼさぼさの口ひげが特徴的であった。


「……昼間の?」


 パンを半分わけてくれたあの浮浪者だ! 男も私に気づいてひどく驚いたようで、片手をあげた。


「リタ、リナ。解放しておやりなさい」


 私にナイフを押し当てていた者が疑問の声をあげた。女の声だ。


「でも、パパ……」


「恩人なんじゃよ。きっと深い事情があるのじゃろう……そうなのでしょう?」


 男は私を見ながらそう言った。


「あ、ああ……包み隠さず話すと誓おう」


 私がそう言うと、首筋からナイフの感触が消えた。振り向いてみればそこには、黒装束に身を包んだ、黒髪の女が立っていた。胸の下に縄を巻き付けて、腰帯のようにしている。


 ヘルマンも解放されたようで、彼を拘束していた者……これまた黒装束の女がこちらに歩いてきた。


 男が私に手を差し伸べる。


「立ち話もなんです、我が家にご招待しましょう」


「……招待にあずかるとしよう」


 さて事の次第をどう説明したものか。私は頭を悩ませながら彼についていった。

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