第12話

 エッボ以外の全員がきょとんとした。


「どういうことだ? そんなに働きたくないのか?」


 冗談混じりにそう問うてみたが、エッボはせせら笑うように口角を釣り上げた。


「ええ、働きたくないですとも! ――彼女が言う『働く』はね、男娼として尻穴を売りつける、そういうことを指しているんですよ! 確かに僕の顔と尻なら、彼女の酒代を稼ぐのに十分でしょうよ!」


 予想もしていなかった言葉に、私とヘルマンは思わず顔を見合わせてしまった。


「待て、待ってくれ……恋人を男娼として売り出すのは流石にあり得ないだろう? 喧嘩した時に皮肉で言ったとか、そういうオチだろう?」


「はん、皮肉や冗談だったらどれだけ良かったでしょうね! なんせ彼女に必要なのは僕のだけですからね、後ろの穴には用が無いから売りに出しても良いというわけです!」


 ヘルマンが「こいつ自分でご立派って言ったぞ、そういう奴に限ってだなぁ」とせせら笑いながら、エッボの股間をむんずと掴んだ。瞬間、彼は愕然とした。


「ご立派だ」


 股間をわし掴みにされたエッボは、それを特に気にした様子もなくまくし立てる。


「それに、恋人ですって? 冗談も良いところです……僕はね、暴力で彼女に飼われているんですよ!」


 そう言って彼は上着をまくり、腹を見せた。至る所に、痛々しげな青あざがあった。


「マジかよ」とヘルマンが目を剥く。私も驚き、哀れみすら感じたが……それ以上に虚無感を覚えた。どうにも、がしたからだ。だが気力を振り絞り、エッボを落ち着かせるように彼の肩に手を置いた。


「……一応、詳しく事情を聞かせてくれないかな、エッボさん?」


「ええ、もちろんですとも!」


 私たちは広場に移動し、ひと気のない木立の下に来ると、エッボは語り始めた。


「僕は遠く離れた農村の出身でしてね……山賊討伐のためにたまたま村に寄りかかったグラシアに一目惚れされて、拉致されたんです」


「……まさか、略奪婚か?」


「まさしく。まだ正式に籍を入れてないのが唯一の救いです。それもあと2年の間に逃げ出さなければ、結婚が成立してしまうのですが」


 王国法では、嫁ないし婿を略奪して3年間誰にも取り返されなければ、誰の同意がなくとも正式な婚姻が成立すると定められている――大抵は血みどろの抗争になるので、現代でやるアホはいないと思っていたが――ともあれ、エッボは拉致されて1年経ったということだ。


「念の為聞いておくが、家族が連れ返しに来てくれる可能性は?」


「王都最強の戦士相手に、そんな勇気を振るえる人はいないでしょうね」


 だろうな、と思った。ふつう略奪婚は血みどろの抗争になるが、圧倒的強者がやった場合はその限りではないのだ。戦う前に結果がわかりきっているなら、人は二の足を踏み、歯ぎしりしながら諦める。そういうものだろう。


「……自力で逃げるのは?」


「試した結果がこれです!」


 エッボはズボンを下ろし、白い尻をむき出しにした。腹と同じように、青あざが幾つかある。


「あー……よくわかった、エッボさん。とりあえず公共の場で尻を出すのはやめようか。衛兵に捕まってしまうぞ。引き取りにきたグラシアに何をされるか、わかったものではない」


「うう~っ……」


 エッボは泣きながら尻をしまった。グラシアの家での彼の様子と今の彼の話を総合するに、大まかな事情は掴めた。エッボは家事奴隷、そして性奴隷として飼われている。グラシアは恋人だと言っていたが、一方的な……歪んだ愛情なのだろう。ヘルマンの脇腹を小突く。


「一応聞いておくが、これでも横恋慕したいか?」


「エロすぎる……俺も飼われたい……」


「……。さてエッボさん、私たちとしては貴方を憐れんで助けたいところだし、そうすればグラシアを雇う糸口が掴めるかもしれない、一挙両得だ……だが問題はその方法なんだ。何か案はあるか? ああ、我々がグラシアを口説くのはナシで」


「素人目線で見ても、貴方様がたはお強い戦士だとお見受けします。グラシアを叩きのめして、僕を解放するよう命じて頂けませんか? 貴族なら、決闘の名目でそういうことを要求するのも容易いことでしょう?」


「それは無理だ、こちらはグラシアを雇うのが最終目標なのだから。どう考えても彼女に恨まれるだろう!」


 同様の理由で、穏便な説得も無理だ。グラシアは最初からエッボの気持ちなど勘案していないのだから、道徳に訴えて説得しようとしても「余計な口出しをするな」と怒りを買うだけなのは目に見えている。


「で、でしたら僕を逃がす手引きをしてください! 王子様なら、懇意にしている商会の1つくらいあるのでしょう? その積み荷に紛れて、だとか……!」


 ちょうど数時間前にアンデルセン商会と懇意になったところではあるが。


「ダメだ。グラシアは貴方を探しに行くだろうし、そうなれば傭兵としての雇用なぞ受け入れないだろう」


「そんなぁ……」


 エッボは落涙した。八方塞がりだ。利害は一致しているのに、手段で合意できない。


 虚無感がのしかかる両肩の下、腹の奥底から苛立ちが湧き上がってくる。何をやってもダメな日というものはあるが、今日はあまりにも……重なりすぎだ。いっそ全て投げ捨て、ぶち壊しにしてやりたい。そんな破滅的な気分になってくる。


 ふと、ヘルマンがため息をついた。


「畜生、なんで恋愛ってこんな難しいんだよぉ……いっそエッボさん殺してでも奪いてえよぉ……あの豊満な乳……」


「ヘルマン」


 その一言だけで、彼は「すまん」と謝った。きっと私は今、壮絶な目つきをしているのだろうな。彼の舌に非があるとはいえ、私は友人に殺気を向けてしまった自分に羞恥と怒りを覚え、いよいよ全てをぶち壊して暴れまわりたくなってきた。それこそ法も道徳も外聞も無視して……法も道徳も外聞も、無視して?


 瞬間、脳内に稲妻が駆け抜けた。


「……いや、謝るのは私だヘルマン。そして礼を言おう、お前のおかげで気づけた」


「えっ?」


 目を丸くするヘルマンの横をすり抜け、私はエッボの両肩をがっしりと掴んだ。


「エッボさん。結局のところ法や外聞というものは、発覚しなければなんの障害にもならないのだ。道徳の問題は残るが……善行で償えばよい。そういうものだろう?」


「えっ……あ、あの、意味が……何をなさるおつもりで……?」


 私はにっこりと笑ってみせた。


「貴方を、殺す」

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