第11話

 マリーはずかずかと葬列に近づき、棺の前まで来ると、遺体の胸あたりに右手をかざした。


 誰もがいぶかしんだが、やがて彼女はかざした右手をきゅっと握り、葬列参加者たちに目を向けた。


「こほん。失礼ですけど、彼はいつ・どのように亡くなったんです?」


 葬列の先頭にいた男が、沈痛な面持ちで答える。


「夜道を出歩いていた時、に撃たれたようで……」


 突然死、ということだ。確かに遺体には目立った外傷はない。


 だがそれを聞いたマリーは表情をやや固くし、亡くなった場所を詳しく聞くと、遺体に向けて短く祈り、葬列を見送った。葬列は白百合の花弁を時折散らしながら、ゆっくりと去ってゆく――その間ずっと、彼女は右手を握っていた。


「……仕事かい?」


 そう尋ねると、マリーはやっと私たちに気づいたようで、目を丸くした。


「あれっ、ディオス……王子。ええ、仕事よ」


「私には、右手でように見えたのだが?」


「人聞きが悪いわね……でも正解よ、ほら」


 彼女は握り込んでいた右手を開いた――するとそこから、黒いもやのようなものが立ち上がり、あっという間に霧散した。


「なんだ、今のは?」


「邪気……って言えば良いのかしら。闇の魔術の痕跡よ」


「……例えば死霊術とか?」


「そう! たぶん幽霊に襲われたんでしょうね。近くで妙な気配を感じたから駆けつけてみたけど、大当たりね。私はこれから詳しく調査してみるけど……ちょっと待って」


 彼女は目を瞑り、意識を集中し始めた。長いまつ毛を揺らしながらぱちりと目を開くや、子犬をじっと見つめた。


「どうした?」


「邪気よ」


 マリーはしゃがみ込み、怯える子犬の頭に手をかざした……瞬間、子犬が「きゃいん!」と悲鳴をあげた。同時に、子犬の身体から黒い靄のようなものが抜け出し、宙に溶けて消えた。


 マリーは優しく微笑む。


「うん、もう大丈夫よ。ごめんね、痛かったかしら」


 私はぶるぶると震えている子犬を抱き上げてやりながら、マリーに問うた。


「一体どういうことだ、この子からも邪気とやらが出てきたのは」


「幽霊に生気を吸われた名残でしょうね。その子、最近弱ったりしてなかった?」


「今日拾ったばかりでね、なんとも……」


 怯えているように見えたのは、弱っていたからなのか? 思い返してみるが、判然としない。


「だがこの子を見つけた時、飼い主も母犬も見当たらなかった」


 この子犬が痩せているのは、てっきり飼い主に捨てられたか母犬が死んで餌にありつけなかったからだと思っていたが……母犬とともに幽霊に襲われたとすれば? マリーは沈痛そうに瞳を伏せた。


「……きっと、優しくて勇敢な母親だったんでしょうね」


 私は静かに頷いた。先ほどの少年は幽霊に襲われて死んでしまったようだが、この子犬は弱りつつも生きている。その差は……恐らく、近くに「逃がしてくれた誰か」が居たか否か。その1点にあるのだろう。


 そう思うと、いよいよこの子犬が他人のように思えなくなってきた。誰かの善意があったから、今こうして生きている。前に進める。なれば私も善意を与えねば、不平等というものだ。


「この子犬を拾った場所を教えよう。母犬がいたところからそう離れてはいないだろうから」


 私は子犬を拾った場所――パン屋付近の街道――をマリーに伝えた。


「ありがと。さっきの男の子が亡くなった場所と併せて、調べてみるわね」


「進展を祈っているよ。さて、図らずもこの子犬を助けてもらったわけだが……誰かへの人助けを以て君への礼とする、で良いかな?」


「覚えていたのね」


 目を細める彼女の笑顔は、慈愛と誇りに満ちて美しかった。ずけずけと物を言って顰蹙ひんしゅくを買う彼女と、慈母の如き今の彼女。悪意がないという点は共通しているが、同一人物だというのが信じられない。


 ふと、マリーが片眉をあげた。


「ところで、貴方たちはここで何してたの?」


 こんなところでブラブラしている場合じゃないでしょう、とでも言いたげな表情だ。説明しかけて、一瞬迷う。募兵中なのだが上手くいっていない、と言うのはどうにも格好がつかない気がしたからだ。そうこう悩んでいる間に、ヘルマンがぱちんと手を叩いた。


「そうだ! 彼女に教わればいいんだよ!」


「何を?」とマリーが訝しむ。嫌な予感がしたので止めようとしたが、ヘルマンの口が動くほうが早かった。


「なあマリー、俺たちに掃除とか洗濯、料理を教えてくれないか? 代わりにアレだよ、俺たちも調査を手伝うからさぁ」


 マリーの表情がみるみるうちに固くなっていく。ヘルマンを蹴飛ばしたい衝動を抑え込みながら、フォローに回る。


「待ってくれマリー、説明させてくれ……」


「結構よ。確かに家事は大事だし、それを覚えようとする心構えは立派だけど。今、私にはもっと重要な仕事があるってわからないわけ?」


 マリーは肩を怒らせながら立ち去ってしまった。ヘルマンはそれを見送りながら「なんだよケチだなぁ」と言ったが、私は彼のふくらはぎを蹴飛ばした。


「いてぇ!? なにすんだよ!?」


「なにすんだ、はこちらの台詞だ。今のは最悪の交渉だぞ!」


「なんで? 胸こそアレだが、女だろ? 家事は出来て――」


「彼女は神官だ! 私たちと同じで、なんだよ!」


 神官であるマリーは、貴族である私やその従士であるヘルマンのように、「家事をやる時間を省き、他のことをやったほうが有益な人間」なのだ。ヘルマンはそのプライドを傷つけたわけだ。


「……クソッ、やはり私が家事を覚える作戦はナシだ。今ので気づけたよ、兵にナメられるどころか有力者全員にナメられる」


 私のクーデターは有力者……すなわち貴族や神官、大商人など「家事をやる時間を省き、他のことをやったほうが有益な人間」の協力が欠かせない。だというのに私が家事に手を染めては、私の格が下がってしまう。


「ええい、こんな形で身分が足を引っ張るとは……!」


 苛立ちが募る。ヘルマンはしょぼくれつつ、「じゃあどうすんだ、グラシアは」と尋ねてくる。


「諦めるしかないだろう!」


 ほとんど怒鳴るようにしてその言葉を吐き出した瞬間、自分が必要以上に怒っていることにはたと気づいた。ヘルマンがバカなのは承知の上だし、今回の彼のミスは募兵の状況を悪化させていない。マリーを怒らせただけだ。


 だというのに何故――その思考は、響いてきた「待ってください!」という声で遮られた。見てみれば、そこには赤毛の青年――エッボ。グラシアの恋人がいた。走ってきたのか、息を切らしている。


「お願いですディオス様、諦めないで、グラシアを連れて行ってください!」

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